第二十二話 概念の誕生と、あまりに美声な二文字
「……嬢ちゃんが概念、やと?」
蒐が肩の力を抜ききれないまま問い返す。
少女はシンの頭を撫でながら、まるで春の陽だまりのような微笑を浮かべた。
「はい。私は今までこの世界のどこにも存在しませんでした。沙苗様が受け取った緋色がこの世界に顕現した……その瞬間、私は私自身を観測し、この形を得たのです」
少女は、透き通るような手で宙をなぞった。
そこには沙苗が放ったあの緋色の炎の残滓が、火花のように散っている。
「本来、この世界の色は白か黒……あるいは、それらが混ざり合った灰色しかありませんでした。けれど、沙苗様は自ら緋色を生み出した。理の外側にある色を、自らの魂で創ったのです」
「色を作る……どういうことだ?」
來が一歩前へ出る。
「沙苗の緋色は、ただの霊力の変質ではないというのか。なぜ、あいつだけにそんなことが出来る?」
「それは、私が話そう」
『っ!?!?!?』
社に地を這うような、そして天に響くような、圧倒的に渋い美声が響き渡った。
演芸場で聴く朗々とした重鎮の語り、あるいは幾百年の歴史を背負った強者のような。
あまりに深みのある重低音。
声の主は、少女ではない。
それは、彼女の肩でやれやれと前足で耳を掻いていた。
柴犬――シン。
「……ちょお待て……シン……お前……全能みたいなええ声、何なん!?」
蒐の感情は、裸足で未だ見ぬ異国へ走り出していた。
目の前のもふもふした柴犬から、重厚な、魂に直接響くような声が発せられている。蒐の中の違和感は、すでに仕事を拒否していた。
「囀るな、小鬼」
シンは、凛と口を開いた。
刮目せよと言わんばかりのつぶらな瞳で、來と蒐を真っ直ぐに見据える。
そして静かに語り出した。
ええ声で、無駄に静かに語り出した。
「私は須藤信鷹。理の門番にして、新しき色の護り手である」
沈黙が流れる。
蒐が震えながらシンの顔を指差した。
「……須藤信鷹……信たか……信……シン……?……二文字に甘えとるやと!?」
來は複雑な表情で犬を見つめる。
「……ようやく合点がいった。お前から感じる違和感はこれだったのだな、信鷹」
「ふん……二文字の名に甘えたわけではない。いつぞや私の名を田中の婆がそう呼んだ。その愛に応えるのが犬の矜持。俺はその響きが……嫌いではない」
シン――もとい、須藤信鷹は、ええ声でさらに深く語り継ぐ。
「來、蒐よ。沙苗が緋色を顕現させたのは、完璧な強者でも、純粋な弱者でもなかったからだ。己の瑕疵を認め、自らその業を背負う覚悟……それはヒトにしか成し得ぬ、揺らぎそのものだ」
「俺には、來様とあんたが知り合いっぽいことに一番感情が揺らいどるんやが……」
蒐は疲れ切ったように言葉を吐き捨てる。
「俺たちが守ってきた日常は、空飛ぶわん公がええ声で喋るような、揺らいだ世界になったってことやな」
少女と、美声の犬。
沙苗の覚悟が生み出した、新しい色。
その影響は、もはや須藤家の中だけでは収まりきらない。
世界の理は今、その形を変えようとしていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。




