第二十一話 飛翔する柴犬、或いは理外の少女
——スッ——
蒐がシンを指差す。
「……なぁ、來様」
「何だ」
「あの犬の顔」
來が視線を向ける。
ごみ捨て場の隅。
ツキノワグマの足元。
「わふぅ〜」
欠伸。
舐めている。
世間を完全に舐めている。
「……」
「シンいう名前」
蒐は腕を組む。
「——納得いってへん顔や」
「…………」
「田中の婆は好きやけど、名前は安直」
「…………」
「二文字縛りに甘えんなって顔しとる」
「そんな訳あるか」
來は即答した。
「犬は喋らん」
——スッ——
黒刀を納める。
「名前で誇りも語らん」
——ガシッ——
ツキノワグマの首根っこを片手で掴む。
「まず熊をどかす」
——ヒョイッ——
「ぬぉっ!?」
巨体が宙を舞う。
——ドォン——
壁際へ綺麗に着地。
「……器用やなぁ」
蒐は苦笑いしながらシンへ近付く。
「ほな帰ろか」
——スッ——
首輪へ手を伸ばす。
その瞬間。
「——ぬぅんっ!」
「「…………」」
何か聞こえた。
——ブワッ——
シンが跳ぶ。
いや——
違う。
——タッ——
——タッ——
——タッ——
空を歩いた。
「……は?」
蒐の手が止まる。
シンは二人の頭上を優雅に旋回する。
四肢を動かしながら。
まるで散歩でもするように。
「……へっ!」
鼻を鳴らす。
「…………」
見下していた——
鬼二人を。
完全に——
下に見ていた。
「……來様」
蒐が空を見たまま呟く。
「犬が喋らんのは分かる」
「…………」
「犬が飛ぶんも普通なん?」
——ズオッ——
「そんな訳あるかぁぁぁぁっ!!!!」
來の怒号が町へ響く。
「待てぇぇぇ!!」
「待ち晒せぇぇっ!!」
——ダンッ!!——
最凶の鬼。
——ダンッ!!——
その影。
屋根から屋根へ。
力任せに跳び始める。
「田中の婆が泣いとるやろがっ!!」
「降りてこいっ!!話を聞けえっ!!」
——タッ——
——タッ——
——タッ——
シンは空を走る。
鬼は追う。
町の住民が見上げる。
「あ、お兄ちゃんたち飛んでるー」
「今日も平和ねぇ」
「全然平和ちゃうわっ!!」
蒐が叫ぶ。
鬼二人の矜持は——
一匹の柴犬に踏みつけられていた。
「「あんの駄犬ーーーーっ!!」」
声が重なる。
追跡の果て。
街外れの古びた社。
——ストン——
シンが少女の肩へ降り立つ。
「……そこまでです」
鈴のように澄んだ声。
静けさが深い季節外れの白い振袖。
透き通るような少女がそこにいた。
肩の上でシンは前足で顔を洗っていた。
「わふっ」
「…………」
蒐の目が細くなる。
「何者や……あんた」
隣で來も静かに——
黒刀へ手を掛ける。
妖でもない。
霊でもない。
もっと理に近い何か。
少女は静かに微笑む。
——スッ——
深く一礼した。
「最凶の鬼——來様」
ゆっくりと二人の名前を呼ぶ。
「執着の鬼——蒐様」
少女は顔を上げる。
「私には、まだ名前がありません」
風が白い袖を揺らす。
「どうぞ——観測者と、お呼びください」
その瞳の中。
來。
蒐。
沙苗。
三人の瑕疵が万華鏡のように揺れていた。
「沙苗様の緋色」
少女は静かに告げる。
「それを確かめに参りました」
「わふっ」
シンが短く鳴く。
迷子犬探しは終わった。
その代わり。
世界の理へ続く——
新たな扉が静かに開いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
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