第二十話 時駆ける柴犬
静寂が、須藤邸を深く包み込んでいた。
須藤邸の縁側には、妙に座り心地の悪い空気が流れていた。
來は縁側に腰を下ろし、黙々と茶を啜っている。
その隣には、割烹着を脱ぎ捨て本来の洋装に戻った蒐が、所在なげに座っていた。
「……なぁ、來様。自分、さっきから茶柱立てようと必死過ぎません?さすがに必死過ぎて引きますわ」
蒐が、地元訛りを隠そうともせず皮肉を飛ばす。
「……うるさい。これは、縁起の問題だ」
來は無愛想に答える。
(今更、こいつと何を話せばいいんだ……)
実のところ、内心では昨夜の死闘以上に頭を抱えていた。
かつての憧憬の対象と、不器用な鬼。
理知的な仮面を被りつつも、中身はエセ八方美人の地元民な弟分。
二人の距離感は、まるで数十年ぶりに再会した、最高に仲の悪い兄弟のようだった。
沙苗もまた、微妙な距離感の二人を横目に温い茶を啜っていた。
そこに、血相を変えた柚が飛び込んでくる。
「あんたたち!シンを見てないかい!?」
「そういえば最近見てないわね。柚の店かうちのどっちかにはいつもいるはずだけど」
沙苗がおや?という顔で問い返す。
「店にはいないの?たまたまふらっと何処かに遊びに行ったんじゃない?」
「あたしもそう思ったんだけどさ……ちょっと拙いことになるかもしれなくて……」
「拙いこと?」
「噂になってるんだ。そこかしこで、熊が犬をかみ殺しているって……」
「……え……ちょ、ちょっと待ってよ!シンが喰われたわけじゃないわよね!?」
「それがわからないからここに来たんだよ!あーもう!蒐!あんた、鼻は利くんだろ!?影だか何だか知らないけど、さっさとその執着心でシンを探してきな!」
「はぁ!?俺、一応これでも鬼――」
「奉公が店主の命令聞けないのかい!」
「……へいへい。行けばええんやろ、行けば」
蒐は気だるげに立ち上がり、なぜか隣で茶を啜り続けている來をちらりと見た。
「……一人で行くんも、癪やな……來様。自分も来ます?ヒトの真似事して善行とやらを積む機会でっせ」
來は少しだけ目を見開き、無言で立ち上がった。
「……行く」
「即答かい……ほんま調子狂うわ」
こうして、かつて世界を震え上がらせた最凶の鬼、その影と呼ばれた小鬼による、迷子犬捜索作戦が幕を開けた。
「……で、あっちの路地裏から犬の匂いがするんやけど、どうします?」
「……俺は、反対側の山の方が気になる。あいつは、走るのが好きそうな顔をしていた」
「犬の顔で趣味嗜好判断するん、やめてもらえます?」
道行く人々が、異様な威圧感を放つ二人組を避けて通る。
一人は無口で山のような圧を放ち、もう一人は理知的な顔をしながらも、口を開けば柄の悪い訛りを垂れ流している。
「來様。自分、沙苗様の前ではもっとましな顔してるでしょうに。俺の前やと何でそんな借りてきた猫みたいな顔してるんです?」
蒐の問いに、來は立ち止まった。
「……お前に、何と言えばいいか、わからない……昔のままなら、殴れば済んだが」
「ははっ、違いありませんね。今は殴ったら沙苗様に俺が泣きつきますから」
蒐の冗談とも本気とも取れない言葉に、來は少しだけ肩の力を抜いた。
「……蒐。お前は、今の生活に納得しているのか」
「さぁ?納得いうよりはただの暇つぶしですよ。あ、おった……って、あれ……」
路地裏の先、ごみ捨て場で何かが唸っている。
迷子犬ではなく、山から下りてきたであろう巨大なツキノワグマだった。
「シンは……あの熊の足元で震えている柴犬だな」
來が指差す。
「なんで來様との初仕事が熊退治なんですか。これ、牛鍋屋の奉公代金やと割に合わへんやろ」
「俺が止める。お前はシンを拾え」
二人の鬼が、一匹の柴犬のために構える。
最凶の兄弟喧嘩の延長線上は、あまりに尊く、情緒が迷子になる長い一日の始まりだった。
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『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
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