第百五十三話 遺朱
田中家。
柚に案内された一同は、古びた門の前に立っていた。
「着いたよ」
——ギィッ——
柚が門を開く。
「懐かしいなあ」
沙苗が庭を覗き込む。
「全然変わってない」
「そりゃそうだよ」
柚が笑う。
「婆ちゃんがいなくなってからも、ちゃんと手入れしてるからね」
広がるのは、小さな畑。
茄子。
大根。
葱。
季節の野菜が整然と植えられている。
その隣には、薬草。
見慣れた葉。
見慣れない花。
それぞれが区画を分けて育てられていた。
「相変わらずね」
朱禰が呟く。
「何が?」
柚が振り返った。
「田中の庭よ」
「……?」
「昔から、こうだったもの」
朱禰は畑を眺める。
「食べるものと、治すもの」
「うん」
「どちらも、人を生かすためのものね」
柚が笑った。
「婆ちゃんも、そんなこと言ってた」
「ふふっ」
朱禰が微笑む。
——ザッ——
蒐が畑の端で足を止める。
「お?」
「どうした?」
來が尋ねた。
「いや、これ食えるんかなって」
「食べられるよ」
柚が答える。
「ただし、そっちは薬草」
「薬草ですか」
「煎じると、ものすごく苦い」
「…………」
蒐がそっと手を引っ込めた。
「やめときます」
「賢明ね」
沙苗が頷く。
「……何か経験あるん?」
「聞かないで」
「引くほど苦い顔しとる……」
「ふむ」
典膳が庭を見渡す。
「よく整えられている」
「婆ちゃんがうるさかったからね」
柚が肩を竦める。
「草一本でも、抜く前に確認しろって」
「薬草と雑草を間違えれば、薬師としては失格だからな」
道源が頷いた。
「そうなんだよねえ」
柚が苦笑する。
「小さい頃、何度怒られたか」
「柚にもそんな頃があったのね」
「そりゃあるよ!」
「ふふっ」
紅葉が畑の脇を歩く。
「沙苗姉さま」
「ん?」
「こちらは何でしょう?」
「……ああ」
沙苗が顔を向ける。
庭の隅。
畑と薬草園の境目。
小さな祠があった。
苔のついた屋根。
風雨に晒された木柱。
手前には、丸い石が二つ。
特別な装飾はない。
何の変哲もない祠。
「ああ、それ?」
柚が近づく。
「豊作を願う祠だよ」
「豊作?」
「うん。婆ちゃんが毎朝、手を合わせてた」
「へえ……」
沙苗が覗き込む。
「こんなの、あったっけ?」
「昔からあるよ」
「……全然覚えてない」
「沙苗は畑に興味なかったからね」
「失礼ね!」
「事実でしょ?」
「否定できない」
來が笑った。
「お前らしい」
「うるさいわね」
「ふむ」
典膳が祠を見る。
「……柚」
「何?」
「これは、いつからある?」
「さあ……」
柚が首を傾げる。
「私が生まれる前からだけど」
「…………」
典膳は祠へ近づいた。
——コツ——
扇の先で、石を軽く叩く。
「……なるほど」
「何かあるの?」
沙苗が尋ねる。
「いや」
典膳が目を細める。
「少々、気になる」
「……?」
「開けても構わぬか?」
「いいけど……」
柚が頷く。
「中、何もないと思うよ?」
——ギィッ——
祠の小さな扉が開いた。
「…………」
誰もが中を覗き込む。
そこには、一振りの扇。
朱色の扇。
「……扇?」
沙苗が呟く。
骨には細かな傷。
扇面も色褪せていた。
古びた朱。
色は鮮やかに残っている。
「……何だ、これ」
道源が眉を寄せた。
「婆ちゃん、こんなの祀ってたの?」
柚が首を傾げる。
「知らない……」
「…………」
典膳は扇を見つめていた。
「典膳様?」
沙苗が声をかける。
「……朱の扇か」
「知っているの?」
「いや」
典膳は首を振った。
「見覚えはない」
「……そう」
「だが」
扇を握る手に、力が籠もる。
「懐かしい気がする」
「……?」
沙苗が祠へ手を伸ばした。
「ちょっと見てみるわ」
「沙苗」
來が呼ぶ。
「何?」
「妙なものには、触るなよ」
「…………」
沙苗が振り返る。
「それ、前にも言われた気がする」
「言った」
「そうよね」
「そして、お前は触った」
「そうね」
「今回も触る気だろ」
「当然でしょ?」
「だろうな」
來が溜息を吐いた。
「まったく……」
沙苗の指が、朱の扇へ伸びる。
——トンッ——
触れた。
「…………」
何も起きない。
「……あれ?」
沙苗が首を傾げる。
「普通の扇?」
——シャン——
「——っ!?」
鈴が鳴った。
一度だけ。
胸の奥へ響く音。
「この音って!?」
沙苗の瞳が見開かれる。
「沙苗っ!」
來が手を伸ばす。
——ゴアァァァッ——
朱色の炎が噴き上がる。
「きゃっ!?」
「沙苗姉さま!!」
紅葉が叫ぶ。
炎が広がる。
畑。
薬草。
祠。
古びた家屋。
すべてが朱に染まっていく。
「……父さん……何かやった?」
沙苗が呟いた。
「今回は俺じゃない」
軽薄な口調で道源が答える。
——ズアァァァッ——
地面が消える。
空が消える。
世界の輪郭が、朱の炎に呑まれていく。
「くっ……!」
沙苗が目を閉じた。
——スゥッ——
沙苗が目を開く。
「……やっぱり」
そこは——
朱。
見渡す限りの朱色。
空も。
地面も。
果ても。
何も存在しない。
ただ、朱い光だけが広がる世界。
「また、これかー」
沙苗が呟く。
「全員いるか?」
道源の声。
「おるで」
「私もです!」
蒐。
紅葉。
「ああ」
來が答える。
「私もいるわ」
朱禰。
「うん……」
柚が周囲を見渡す。
「ここ、どこ?」
「説明すると長いんだけど」
沙苗が眉を寄せる。
「前にも、似たことがあってね」
「似たこと?」
「ええ」
沙苗が朱い空間を見上げる。
「須藤家の人間の、悪い癖ってところよ」
「…………」
典膳は黙って朱を見つめている。
「……典膳様?」
沙苗が振り返る。
「……いや」
典膳が扇を閉じる。
「やはりな」
「……え?」
「この色は」
——コツ——
足音がした。
「…………」
全員が振り返る。
何もない朱の空間。
そこを、一人の青年が歩いていた。
整えられた髪。
端正な顔立ち。
落ち着いた眼差し。
柔らかな笑み。
その姿には、どこか凛とした気品があった。
「ようこそ」
青年が口を開く。
澄んだ声。
優しく。
それでいて、揺るぎない響き。
「ここまで辿り着いたんですね」
典膳の瞳が見開かれた。
青年は微笑んだ。
「僕の名は、須藤道舟」
「——っ!!」
沙苗が息を呑む。
「道舟……様?」
「……道舟」
典膳は青年を見つめている。
何百年も前。
共に育ち。
共に笑い。
同じ朱を受け継いだ弟。
「お前……」
青年は、穏やかに微笑んでいた。
「この言葉を聞いているということは」
ゆっくりと、視線を上げる。
「田中の役目が、必要になったのでしょう」
典膳が一歩、踏み出す。
「道舟!」
青年は答えない。
「……聞こえぬのか」
返事はない。
ただ、微笑んでいる。
「…………」
道源が青年を見つめる。
「……残滓か」
「ええ」
朱禰が頷く。
「現世に遺された、道舟の霊力でしょうね」
青年の声が続く。
「これは、未来へ遺す僕の言葉です」
「…………」
「僕は、皆さんが誰なのかを知りません」
道舟は微笑む。
「どんな時代に生き、何に苦しんでいるのかも」
一度、目を閉じる。
そして、再び開いた。
「ですが」
その瞳に、朱色が灯る。
「須藤の血が、ここへ辿り着いたのなら」
柔らかな笑みが消える。
凛とした表情。
「きっと、何かやらねばならぬことがあるのでしょう」
「……ははっ」
道源が口角を上げた。
「何?」
沙苗が振り返る。
「いや」
道源が笑う。
「やっぱり、須藤の人間だな」
「……どういう意味よ」
「褒めてる」
「絶対、違うでしょ」
道舟は、ゆっくりと右手を上げた。
——パチン——
指を鳴らす。
朱い空間に、光が走った。
「さて」
青年が笑う。
「少し、厄介な話をしましょう」
「……厄介?」
典膳が顔を上げる。
道舟は、誰にともなく語りかけた。
「須藤の血に宿る色」
「…………」
「色は、他者へ受け渡すことができる」
朱い光が、五人を照らす。
典膳。
道源。
朱禰。
沙苗。
紅葉。
道舟の残滓は、穏やかに笑っていた。
何百年もの時を越えて。
未来へ繋いだ言葉が——
今、開かれようとしていた。
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魂と市場を巡る近未来ダークファンタジー。
あわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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