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輪廻の瑕疵  作者: 朔來 織
~思緋紡ぐ鈍色の鎖~

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第十五話 小さな鬼の哭かない夜、大きな鬼の背中

蒐には、生まれた時から善悪の概念がなかった。

あったのは、ただ生き延びるための本能と、目を背けたくなるほどの圧倒的な格差だけだ。


人間世界の貧富の差など、鬼の世界のそれに比べれば、雀の涙ほどに過ぎない。

蒐のようにヒトと変わらぬ体躯しか持たぬ小鬼。

彼らは生まれた瞬間から強者の捕食対象であり、使い捨ての奴隷だった。


強大な鬼たちは、小鬼の四肢を無造作に引き千切って弄び、あるいは他の鬼への安っぽい貢物として扱った。


(……生き抜いてやる……)


蒐は、必死に生きた。

生きるために、自分を虐げる強者の足元に跪き、媚びた。


顔を上げれば殺される。

だから、歪んだ笑みを面に張り付け、彼らの機嫌を取り、泥水を啜って命を繋いだ。

自分を傷つけようとする同類や、隙を見せた弱者を、一切の躊躇なく殺した。


蒐にとって、殺生とは食事と同じ。

命を繋ぐための、ただの味気ない行程に過ぎなかった。


(……死んでたまるか……)


気がつけば、彼は一人だった。

足元には、彼が生きるために殺した者の死体が転がり、周囲には彼を動く道具としてしか見ていない強者たちの気配だけ。


(……温かい、ものが、欲しい)


蒐の小さな心は、常に凍えていた。

媚びへつらう笑みの裏で、彼は一度も、心から笑ったことがなかった。

彼の心は、音もなく、暗い淵で哭き続けていた。


ある日、蒐は戦場の跡地で一人の大きな鬼と出会った。


その鬼――若き日の來は、死体の山の上に孤高に立ち、虚空を見つめていた。

数多の祓う者を屠り、他の強大な鬼たちさえも一撃で粉砕した、最凶の存在。


だが、來の瞳には、蒐が知る強者の傲慢は微塵もなかった。

そこにあったのは、底なしの渇きと、強すぎる自分自身への、救いようのない飽きだった。


(……綺麗だ……)


蒐はその圧倒的な力と、その力が周囲に生み出す絶対的な静寂に、魂を奪われた。

他の鬼たちは來を畏れ、あるいは利用しようと画策した。


けれど、蒐だけは違った。

彼は來の、荒廃しきったその背中に、自分をこの地獄から掬い上げてくれる希望を見た。


(……あれは……)


蒐は吸い寄せられるように、來に近づいた。

媚びるためではない。

ただ、その背中に、触れたかった。


「……何だ、お前は」


來が静かに振り返った。

その視線だけで、普通の小鬼なら精神が崩壊するほどの圧があった。


だが、蒐は逃げなかった。

初めて、面に張り付けた笑みを捨てて。


「……あなたの、側に、いたいです」


それは、蒐が生まれて初めて口にした、自分を飾らない言葉だった。

來はしばらく、蒐を見つめていた。その瞳の奥を覗き込むように。

やがて、興味なさげに視線を逸らした。


「……好きにしろ。ただし、邪魔をすれば殺す」


それが、二人の始まりだった。

蒐は來の影となり、彼のために生き、彼が望むなら誰であれ――昨日まで仲間だった者でさえ――殺した。


來は蒐を褒めることも、労らうこともなかった。

けれど、彼を理不尽に追い出すことも、理由なく傷つけることもなかった。


その変わらなさこそが、蒐にとっては、この世で唯一の救済だった。

來の隣にいる。


ただそれだけで、蒐は自分が使い捨ての道具ではなく、一人の蒐として、世界に存在を許されているように感じられた。


やがて、來はヒトを知ろうとし、ヒトの世に溶け込んでいった。


(あなたは鬼だ)


蒐はそれが理解できなかった。

なぜ、最凶の鬼があんな脆弱で、不確かな生き物の真似事をするのか。


蒐は、來を通してヒトという生き物を観察し始めた。

彼らが明日をも知れぬ儚い命でありながら、団子一つで笑い、誰かのために涙を流す姿。

それは暗闇で生きてきた蒐にとって、一粒の淡く、小さい光のように見えた。


(……ヒトの心を知れば。俺も來様のように、いつか変われるだろうか……俺も……一度くらい、心から笑えるだろうか……)


小さな鬼は、まだ知らない。

自分が來のために捧げた命の、その結末を。


彼を襲う緋色の運命も、自らが砥石となる未来も、今はまだ、何も知らない。


ただ、今は、大きな鬼の背中を追いかけた。

終わりのない夜を歩き続けた。


それが蒐という一匹の鬼が生きる、唯一の理由だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、

評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。

今後ともよろしくお願いいたします。

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