第百四十一話 鏡明
——パキッ——
『……何だと……?』
鍾鬼の声が揺れた。
幾年もの間。
一度として崩れなかった余裕。
それが初めて消えた。
「…………」
沙苗は指先を見つめる。
触れた先。
見えない鏡に走った一本の罅。
——フワッ——
その隙間から光が漏れ出す。
「…………」
典膳が顔を上げる。
眩しそうに目を細めた。
幾年。
独りで戦い続けた世界。
そこへ差し込んだ——
遠い光。
『貴様ァァァァッ!!』
——ゴォォォォッ——
鍾鬼が吼えた。
紫の灰が膨れ上がる。
「……っ!」
沙苗へ向かって押し寄せる。
——バサッ——
典膳が扇を振るう。
——ゴオァァァァァッ——
紫の灰を炎が飲み込む。
その色は——
須藤家の朱。
「…………」
沙苗の視界がぼやける。
知っている色。
気高き朱。
逸らさない。
目の前に立つ——
典膳の背中。
この場所で。
誰にも届かず。
誰にも知られず。
ずっと——
須藤家を守り続けていた。
「……典膳様」
沙苗の唇が震える。
「ずっと……守ってくれていたんですね」
「…………」
典膳は答えない。
鍾鬼を見据えたまま——
扇を構えている。
「——独りではない」
「……!」
声が響いた。
——ザッ——
道源が歩く。
典膳の横へ、並び立つ。
「……何のつもりだ」
「皆が、待っている」
「…………」
信鷹。
明里。
須藤家で待ち続けた魂たち。
帰る場所は——
まだある。
『……黙れ』
鍾鬼の声が落ちる。
——ズズズズズッ——
紫の灰が膨れ上がった。
『帰らせぬ』
灰色の世界が震える。
『この因果は——』
——ゴォォォォッ——
『お前たちを永遠に交わらせぬ』
「…………」
沙苗は鍾鬼を見つめる。
『鏡は割れぬ!!』
「いいえ」
沙苗が手を罅へ伸ばす。
「もう——」
掌に緋色が灯る。
「割れているわ」
——フワッ——
緋色の光が広がった。
一本の罅へ流れ込む。
深く。
さらに——
その奥へ。
『やめろォォォォッ!!』
——ズオォォォォッ——
鍾鬼が迫る。
「行け」
「……!」
典膳が扇を振るう。
——ゴオァァァァッ——
『邪魔だアァァァッ!!!』
鍾鬼の巨躯が揺れる。
——ザッ——
道源が踏み込む。
——スゥッ——
「白炎・喝」
——サアァァァァ——
紫の灰が裂ける。
「沙苗」
「はい!」
——ギュッ——
沙苗が掌を押し当てる。
——ゴアアァァァッ——
緋炎が一気に溢れた。
——パキッ——
「……!」
——パキパキッ——
罅が走る。
——パキパキッ——
一本。
二本。
十本。
——バキィンッ!!——
硬質な音が世界を貫いた。
『…………!!』
罅が広がる。
縦へ。
横へ。
見えない合わせ鏡を——
埋め尽くしていく。
その隙間から。
緋炎。
白炎。
二つの炎が光となって溢れ出す。
灰色の荒野を照らす。
紫の灰を照らす。
『馬鹿な……』
鍾鬼の巨躯を——
光が呑み込んでいく。
——ズザッ——
鍾鬼が後退る。
『この鏡が……』
——パキッ——
『我が因果が……!』
——パキパキッ——
世界が割れていく。
「…………」
紅葉はその光景を見つめていた。
そして——
微笑む。
「もう独りじゃありませんよ……」
「——っ!」
典膳の瞳が揺れる。
幾年もの間。
誰にも届かなかった世界。
そこへ今。
無数の光が——
差し込んでいた。
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