第百三十四話 色裏
「…………」
沙苗は人影を見つめた。
何故だかはわからない。
その人影は——
不思議と怖くなかった。
——パチッ——
囲炉裏の薪が爆ぜる。
朱い熾火が揺れた。
「……?」
香ばしい匂い。
味噌の香りが漂ってくる。
——シャッシャッ——
どこかで水の音がした。
米を研いでいる。
——カチャッ——
茶碗が触れ合う。
「……何、これ」
沙苗が周囲を見渡す。
障子の向こう。
陽だまりのような光に、人影が透けていた。
畑仕事の道具を整える男。
幼子を抱き上げる女。
縁側では、洗濯物を干しながら誰かが笑っている。
顔は見えない。
声も、はっきりとは聞き取れない。
「……これは」
來が刀を下ろす。
蒐も影を収めた。
誰も、構えようとはしない。
「……普通やな」
蒐が呟く。
「え?」
「何ちゅうか……普通の家や」
「……うん」
沙苗が頷いた。
祓師の血を継ぐ、須藤家。
世界の調律を担ってきた一族。
その家で——
人が笑っている。
食事を作り。
子供を抱き。
洗濯物を干している。
「須藤家は——」
紅葉が囲炉裏の傍らへ歩み寄る。
「強かったから、守っていたわけではありません」
——パチッ——
「帰る場所を失わせないために、守り続けてきた家です」
「……帰る場所」
沙苗が繰り返す。
腕の火傷に触れた。
戦うためだけに、受け継いできたものではない。
守りたかった暮らしがあった。
「…………」
道源が囲炉裏を見つめる。
朱い熾火が、その瞳に映った。
「そうか……」
小さく笑った。
沙苗が父を見る。
道源は、それ以上何も言わなかった。
——サラッ——
衣擦れの音。
囲炉裏の向こう。
一人の人影が、ゆっくりと腰を下ろした。
——コトッ——
薪がくべられる。
火が揺れた。
「…………」
沙苗は、その背中を見つめた。
広い背中。
囲炉裏の火を絶やさぬよう、薪をくべる手。
この家の始まりを——
支えてきた人。
沙苗はそう感じた。
その人影が、ゆっくりと顔を上げた。
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『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
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魂と市場を巡る近未来ダークファンタジー。
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