第百三十三話 閾《しきい》
線香の香りが濃くなっていく。
「……?」
沙苗が顔を上げた。
夜空の下。
何もないはずの座敷跡。
紅葉が口を開く。
「ここから先は……須藤家が見せてくれます」
「……須藤家が?」
來が聞き返す。
「はい」
紅葉は頷いた。
——ミシッ——
「……!」
地面が軋んだ。
——ゴゴゴッ——
何もない空間に、太い柱が立ち上がる。
——ガタンッ——
梁が渡った。
壁が伸びる。
——スゥッ——
白い障子が、夜空を遮った。
「……何だ、これは」
來が周囲を見渡す。
「さすがに——」
「予想外、ね」
蒐と朱禰が声を上げる。
庭には木々が茂り始めていた。
座敷の中央。
——パチッ——
囲炉裏に、朱い熾火が灯る。
失われた屋敷が——
姿を取り戻していく。
「…………」
沙苗が足元を見る。
砂だったはずの地面。
そこには、青い畳が敷かれていた。
「……畳?」
足を動かす。
確かな感触。
「ここに在る、な」
道源も足元の畳を踏みしめる。
幻を眺めているのではない。
六人は、屋敷の中に立っていた。
——サラッ——
衣擦れの音。
「……!」
囲炉裏の傍ら。
人影が座っていた。
一人。
二人。
さらに、その奥にも。
顔は見えない。
輪郭が陽炎のように揺らめいている。
確かに、そこにいる。
「……紅葉」
道源が一歩退き、屋敷を見渡す。
「これは記録ではないな?」
「はい」
紅葉が頷く。
「これは、帰ってきた人だけが見られる景色です」
「……帰ってきた、人……?」
沙苗が口を開く。
「景色と言っていたが——」
道源は紅葉の瞳を覗きこんで言い放つ。
「違う」
「え?」
「いるのだろう?ここに」
「…………」
紅葉は屋敷の奥に向かって言葉を紡ぐ。
「この先は私ではなく——」
——サラッ——
再び、衣擦れの音。
囲炉裏の傍ら。
一人の人影が動いた。
「主に聞いてみるとしましょう」
紅葉の視線の先。
人影がゆっくりと振り返る。
「…………」
視線が交わる。
人影は真っ直ぐに——
沙苗たちを見つめていた。
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