第百二十九話 盤上
須藤邸。
居間には、道源が淹れた茶が並んでいた。
白い湯気が立ち上る。
來は茶を見つめたまま口を開いた。
「……あれは、人間でも鬼でも、穢れでもない」
道源が顔を上げる。
「あれは思想だった」
「思想か……」
「悪意も、恨みもない」
來の言葉が響く。
「世界を守るために存在している」
「……世界を守る?」
朱禰が怪訝な表情を浮かべる。
「ああ。典膳も明里も、あの二人が縛られ続けた宿命は結果だ」
道源が眉を寄せた。
「……つまり、敵は世界そのものということか?」
「兄さん。それは違う」
朱禰が首を振る。
「世界そのものが敵なら、今ここに私たちはいない」
扇を握り直す。
「世界がそこに在るだけなのは、変わらないのよ」
「思想て……」
蒐が煙草を指で弄ぶ。
「どうせえっちゅうねん」
乾いた笑いが漏れる。
「そんなもん、勝負にならんやろ……」
「じゃあ……どうすればいいの……?」
沙苗が両手を握る。
「……いや、違う」
來が呟く。
「あれは思想ですらない」
「……どういうことだ?」
道源が來を見る。
「理だ」
——ギシッ——
空気が鳴る。
「世界を維持するために、因果を固定する」
來が続ける。
「誰かを憎んでいるわけじゃない」
「……それなら」
朱禰が來を見据えた。
「あれを消し去ったら……世界はどうなる?」
道源の表情が変わる。
「……世界を維持する理を消す、ということか」
蒐が煙草を咥える。
「下手したら、世界ごと終わりやな……」
沙苗が來を見る。
「……倒せないの?」
「倒すんじゃない」
來は首を振った。
「確かめる」
「……何を?」
「俺たちは今まで、須藤家の歴史を追っていた」
來が道源を見る。
「だが、須藤家は始まりじゃない」
「……ああ」
道源が頷く。
「世界を維持するために、あの二人が固定されたのなら……」
來が続けた。
「須藤家は、世界の傷跡だった」
沙苗の指が強く握られる。
「……傷跡」
「俺たちは、その傷が残した歴史を追っていたんだ」
來は目を閉じる。
典膳。
明里。
二人の因果の鎖。
その鎖を——
外側から掴んだ手。
「……いや」
來が目を開く。
「まだ一つ、残っている」
「……何が?」
沙苗が問いかける。
「手だ」
來は顔を上げた。
「鎖を捻じ曲げた、あの手だ」
道源が身を乗り出す。
「……理とは別の存在か?」
「分からない」
來は首を振る。
「だが、理があの悲劇を固定したのなら——」
典膳と明里。
二人の鎖が脳裏に浮かぶ。
「その前に、因果を狂わせた何かがいる」
——ギシッ——
何かが歪んだ。
須藤家の歴史。
典膳と明里。
世界の理。
その始まりに——
鎖を捻じ曲げた手がある。
盤上に、次の一手が現れた。
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