第百七話 夜の火、残り香
喧騒が去る。
店の外。
夜露が街を濡らし始める。
「…………」
奥の小上がり。
沙苗と來は——
泥のように眠っていた。
溢れる情報。
感情。
そのすべてを——
抱えたまま。
——カチャリ——
柚は一人。
火の消えた鍋を片付ける。
小気味よい音が静まり返った店内に響く。
「…………」
ふと——
視線を上げる。
隅の卓。
そこにはまだ——
道源が座っていた。
「……いつまで居るのよ」
柚が呆れる。
「もう閉店」
「…………」
「火も落としたわ」
「…………」
道源は答えない。
冷めた牛鍋。
残った肉を——
箸で一口。
ゆっくりと口へ運ぶ。
「…………」
咀嚼する。
飲み込む。
そこに——
神算鬼謀と恐れられる男の姿はない。
ただの——
年老いた旅人。
「……前の店主も」
道源が鍋を見る。
「その前の男も」
「…………」
「皆、お前と同じように——」
目を細める。
「意地汚いほどに」
「…………」
「真っ当な味を作り続けていた」
「あんたは……」
柚の手が——
止まる。
道源を真っ直ぐに見る。
「あんたは——」
「…………」
「全部を壊そうとしてる」
「…………」
「この店も」
眠る沙苗を見る。
「沙苗の平穏も」
「…………」
「須藤を終わらせるってことは——」
柚が道源を見る。
「私たちが繋いできたこの鎖を」
「…………」
「断ち切るってことでしょう?」
——ズズッ——
道源が酒を啜る。
「壊す、か……」
静かに笑う。
「柚」
「何よ」
「お前は——」
道源が問う。
「止まったままの時計を」
「…………」
「美しいと思うか?」
「え……?」
「この家も」
「…………」
「須藤も」
道源が目を閉じる。
「止まったままなのだ」
「…………」
「典膳という理の中で」
終わることもできず。
同じ痛みを——
ただ反芻する。
「終わらせることは——」
「…………」
「破壊ではない」
道源が柚を見る。
「その時計に——」
「…………」
「明日を与えることだ」
「…………」
静かな店内。
道源の声だけが——
響く。
「止まったまま」
「…………」
「腐っていくのを待つ方が——」
——コトッ——
酒杯を置く。
「よほど残酷だと」
「…………」
「俺は思う」
「…………」
——ギュッ——
柚が——
包丁を握り締める。
「……それでも」
「…………」
「終わらせることは——」
柚の指に力が入る。
「失うことよ」
「…………」
「私は」
沙苗を見る。
「あの子たちが——」
「…………」
「ただ笑って牛鍋を食える」
いつもの席。
いつもの鍋。
いつもの——
日常。
「今日を守りたいだけ」
柚が道源を見る。
「それのどこが——」
「…………」
「残酷なの」
——ギシッ——
道源が立ち上がる。
ゆっくりと——
柚へ近づく。
「柚」
「…………」
震える手元。
「鎖とはな——」
道源が見る。
「囚えるためのものではない」
「…………」
「離れぬように——」
「…………」
「結ぶためのものだ」
「…………」
言葉が夜へ溶ける。
「お前たちが繋いできた鎖は」
「…………」
「須藤を縛るためじゃない」
道源が静かに——
言葉を紡ぐ。
「須藤を——」
「…………」
「人間に繋ぎ止めておくための絆だ」
「…………」
「だが——」
道源が目を細める。
「その鎖はもう」
「…………」
「限界まで引き絞られている」
「…………」
典膳の理。
須藤の宿命。
積み重ねられた——
幾百年。
「今の須藤には——」
「…………」
「典膳の理を飲み干し」
「…………」
「自らを灰にできるほどの——」
道源が柚を見る。
「新しい鎖が必要なのだ」
「…………」
——スッ——
道源の手。
机の縁へ静かに置かれる。
「…………」
柚がその手を見る。
温かい。
自分が知る——
どの須藤の人間よりも。
「俺は——」
道源が笑う。
「人間が好きだ」
「…………」
「だからこそ」
「…………」
「見たくないのだ」
古びた暖簾。
油の染み付いた壁。
火の消えた——
牛鍋。
「お前たちが守り続けてきた」
「…………」
「この美しい日常が——」
道源が目を閉じる。
「灰色の理に飲み込まれ」
「…………」
「形を失うのを」
「…………」
——ザッ——
道源が——
背を向ける。
暖簾へ向かう。
——ピタッ——
足が止まる。
「明日の朝」
「…………」
「沙苗たちが目覚めたら——」
振り返らない。
「一番美味い飯を」
「…………」
「食わせてやれ」
「…………」
柚が——
その背を見る。
「それが——」
「…………」
「現世側の観測者にできる」
道源が歩き出す。
「唯一の戦いだ」
——カラカラッ——
暖簾が揺れる。
「…………」
道源が去った店。
暗い厨房。
柚は一人——
立ち尽くす。
終わらせることが救いなのか。
繋ぎ止めることが愛なのか。
「…………」
答えは——
出ない。
火の消えた鍋。
そこに残る——
僅かな温かさ。
夜の火。
残り香。
答えのない問いを——
静かに照らし続けていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、
評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。
そして、もうひとつの物語——
『SOUL TR@DE』も毎日18:00更新中です。
和風怪異とはまったく異なる、
魂と市場を巡る近未来ダークファンタジー。
あわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




