第十一話 影鬼と凶鬼
見知った、懐かしくも忌々しい鬼の気配。
かつて影のように付き従っていた、若き日の小鬼。
圧倒的な強者としての凶気を放つ鬼の王。
來を前にして、蒐は陶酔したような笑みを浮かべていた。
その瞳に宿る執着と狂気は、夜の帳を突き抜け、月光よりも煌々と輝いている。
「……ようやく鬼が顔を出しましたね、來様」
――一閃。
言葉が終わるより早く、來の黒刀によって蒐の身体が縦に両断された。
「おやおや……久しぶりの再会だというのに。相変わらず、短気なお方だ」
切られた肉体が黒い霧となって霧散する。
声のする影の中から、再び蒐の姿が這い出してくる。
飄々とした、掴み所のない口調で來を見下ろす蒐。
その視線が、來の背後で道源を抱え動かぬ沙苗へと向けられた。
「こうやって挨拶するのは初めてですね。御機嫌よう、須藤沙苗様……お父様の朱がよくお似合いですよ」
「……っ!」
背後から、凍りつくような声がした。
「來様……人の毒に染まりましたか」
來の腕に影の刃が深く突き刺さる。
腕から滴る鮮血すら無視し、來は後ろを一切振り返らず一歩踏み出した。
「……お前の性格の悪さぐらい知っている。喜べ、今宵ですべて忘れてやる」
言葉を影に溶かしながら、二人の鬼が地を蹴る。
庭の池、水面に映るは二人の怪物。
沙苗のいる部屋には、もはや影と凶の残滓だけが澱となって残されていた。
「忘れてもらっては困りますねえ。鬼の王たる貴方には、私が必要なんですよ」
蒐の背後から、無数の影の爪が蠢き、月光を切り裂いて來を襲う。
視認すらさせぬ刃で粉砕する來。
飛び散る影の破片が、月夜に紛れては、再び鎌のように鎌首をもたげる。
不意に、來の身体が、見えない何かに引き裂かれた。
衣服が破れ、胸元に鋭い爪痕が刻まれる。來はその傷を無造作になぞった。
血の付いた指を眺めながら、ゆっくりと蒐を射抜いた。
「ふん……相変わらず趣味の悪い戦い方をする」
「それは私にとって誉め言葉ですねえ」
蒐の影が幾重にも増殖し、來を包囲する。
だが、來はただ目線一つ、その存在の格だけで影の包囲網を圧し潰した。
片や、切望していた王の目覚めに、悦びの絶頂で愉悦に浸る蒐。
片や、道源を失った静かな激情の下で、かつての暴虐な本能へと染まってゆく來。
「鬼でありながらヒトとして生きようとする……中途半端な、実に滑稽な生き方ですねえ」
激しい攻防の中、蒐が耳元を掠めるような軽口を叩く。
次の瞬間、來の黒刀が蒐の顔面の横をかすめ、背後の大岩を轟音と共に叩き割った。
「驕るな、小鬼……ヒトは鬼よりも、鬼だ。俺は何一つ、変わってはいない」
來の放つ圧が、さらに一段跳ね上がる。
夜の空気が物理的な重さを持ち、周囲の樹木が慟哭と悲鳴を上げる。
「……その圧、その渇き。やはり貴方は鬼だ。さすが來様。それでこそ、私の王」
歓喜に肩を震わせる蒐.
だが、來の真の凶気を前にしながら、蒐はふいに、その無防備な背を向けた。
「どういうつもりだ……蒐」
「今日は挨拶に来ただけです……今の貴方には、鬼である必要があるのですよ。來様」
蒐の言葉からは、先ほどまでの荒れ狂う狂気が消えていた。
代わりに漂うのは、凪いだ水面のような、底知れない静けさ。
「貴方はヒトであってはいけない……私は、貴方を研ぐ。それが私の役割ですから」
「お前……何を言って……」
問いかける來の目の前で、影は薄く、月光に溶けるように消失した。
逃がさぬと踏み込んだ先には、もはや空虚な夜気が残るのみ。
残された庭には、二人の鬼が刻んだ爪痕だけが、熱を帯びて白煙を上げていた。
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『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
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