第十話 憧憬への賽
俺はあいつに託されていた。
いつも、あいつは先を見据えていた。
たとえその視線の先に、絶望という名の闇が広がっていようとも。
鬼である俺と、常に対等であろうとした、救いようのないバカだった。
目の前で、道源の体がゆっくりと崩れ落ちる。
その胸を貫いたのは、冷徹な憧憬を抱く男が放った凶刃。
溢れ出す鮮血が、かつて共に過ごした縁側の床を、そして沙苗の指先を、暗い朱に染めていく。
薄れゆく意識の淵で、道源は笑っていた。
その瞳の奥には、若かりし頃の、あの眩いほどの夏の日差しが蘇っていた。
「……鬼だろうが、人だろうが、関係ねえ。こだわってるのはお前だろう、來……俺が本当に恐いのは、鬼よりも妹だ……」
まだ若く、傲岸不遜だった頃の道源の声。
須藤家の女王に頭が上がらない、どこにでもいそうな男。
宿命を背負いながら、隣に立つ鬼を異物ではなく友と呼んだ。
記憶の中の彼は朱色の盃を掲げ、豪快に笑い飛ばす。
「來!今日はとことん酒に付き合え!俺に、娘が生まれたんだ!……鬼可愛いんだけど!!」
親バカだと笑う俺に、彼は本気で食ってかかってきた。
やがて娘――沙苗が育つにつれ、彼の眼差しには父親としての、そして一族の長としての覚悟が混じり始める。
「難しい顔して今日も沙苗を見てるな、來……いいか、只々可愛い。それが正解だ。それ以外の答えがあるか?祓うぞ?あぁ!?」
冗談めかして拳を振るう彼の姿は、いつだって眩しかった。
けれど、時折見せる横顔は、誰よりもこの平穏の終わりを知っている者のそれだった。
「……あの子にはこの先、宿命と向き合う時が必ず来る。來、お前に託す。俺の分も、あの子を見守ってやってくれ」
血の混じった吐息が、來の頬を撫でる。
道源の体温が、沙苗の指先から急速に奪われていく。
「……俺は幸せだったよ……家族との、時間が……何よりも、な……」
震える手が、弱々しく家族へ手を伸ばす。
來の手が、死にゆく親友の手を包む。
それは数百年前、紫季の後ろを歩き始めたあの日。
あれからずっと探し求めていた、ヒトの温もりそのものだった。
「……少し、出掛けるだけだ……また、今度な……」
力が抜け、道源の瞳から光が消える。
静寂。
初夏の風が柔らかに頬を撫でる。
來の心の中で、音のない感情が吹き抜けた。
ヒトで在ろうとした日常の皮膜が剥がれ落ちる。
静かに、そして苛烈に、黒の凶が顔を覗かせる。
「……いい加減、目覚めてください。僕の憧れた、最凶の鬼」
その言葉には、純粋なまでの歓喜が含まれていた。
「蒐……お前……簡単に死ねると思うな……」
血に染まった縁側で、鬼はゆっくりと立ち上がった。
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『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。
※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。
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