第百三話 須藤道舟
「……道舟という名を知っているか」
「道舟?」
沙苗が眉を寄せる。
「家系図にあった名前?」
「そうだ」
視線が動く。
「來」
「……」
「お前は?」
「知っている」
來が答える。
「現在の須藤家における——始祖」
「ああ」
道源の口角が上がる。
「それだけか?」
「……」
來の瞳が細くなる。
遠い記憶。
まだ——
ヒトとして須藤家に仕えていた頃。
「俺の知る道舟は、兄を欺いた」
「……」
「典膳が残した輪廻を——無理やり存続させた男だ」
來が道源を見る。
「だから俺は」
瞳が冷える。
「須藤道舟という男を——」
「……」
「嘘つきだと思っている」
「くくっ……」
道源の喉が鳴る。
「何がおかしい」
「いや。違いないと思ってな」
「……何?」
「道舟は——」
道源が月を見る。
「嘘つきだ」
「…………」
來が眉を寄せる。
「認めるのか」
「ああ」
道源が笑う。
「大嘘つきだ」
——サァァァ——
夜風が吹く。
藤の香り。
「だが」
道源の声が——
僅かに沈む。
「奴は典膳を討たなかった」
「……」
「討てなかった、ではない」
來を見る。
「討たなかった」
「……何故だ」
「残っていたからだ」
「何が」
「瑕疵が」
「……」
沙苗が顔を上げる。
「典膳の?」
「ああ」
道源が頷く。
「たった一つ」
指を立てる。
「兄が残した——」
「……」
「唯一の瑕疵」
風が止まる。
「道舟は」
指を下ろす。
「それを守った」
「守った……?」
沙苗が呟く。
「典膳を倒すことよりも?」
「ああ」
「なんで……」
「さあな」
「は?」
「俺に聞くな」
「話してるのあんたでしょ!!」
「あはははっ!」
「このクソ親父……!」
「沙苗」
來の声。
「……分かってるわよ」
道源が笑う。
「ただ」
月を見る。
「そこまでして守った」
「……」
「自分の名を——」
瞳が細くなる。
「捨ててまでな」
「……名を?」
沙苗が道源を見る。
「どういうこと?」
「來」
「……何だ」
「お前」
道源が振り返る。
「信鷹から聞いたことはないか?」
「何を」
「牛鍋処の田中」
「……」
沙苗の瞳が動く。
「柚の店?」
「ああ」
道源が笑う。
「あの店だ」
「……」
「須藤の人間が行くと」
指を立てる。
「いつも同じ席」
「……」
もう一本。
「同じ鍋」
「……」
「同じ味」
來が黙る。
「何故だと思う?」
「……知らん」
「そうか」
道源が鼻で笑う。
「信鷹も口が堅い」
「父さんが?」
沙苗が見る。
「知ってたの?」
「ああ」
「何を」
道源は——
答えない。
「ちょっと」
「田中はな」
「無視するな!!」
「須藤を見ていた」
「……え?」
沙苗の声が止まる。
「見ていた?」
「ああ」
「何を……?」
道源の瞳から——
笑みが消える。
「人か」
「……」
「鬼か」
「…………」
來の目が細くなる。
「監視役か」
「正解だ」
「……」
沙苗が息を呑む。
「田中が……須藤を?」
「何百年とな」
「……」
「道舟は」
道源が歩き出す。
——ザッ——
「自分が作り直した須藤が」
——ザッ——
「再び——」
足が止まる。
「化け物を産まぬよう」
「……」
「田中に見張らせた」
「そんな……」
沙苗の脳裏に——
浮かぶ。
古びた牛鍋処。
店の隅。
使い込まれた——
一つの卓。
「……あの席」
「ん?」
「いつも」
沙苗が呟く。
「同じだった」
信鷹。
牛鍋。
そして——
最後に残された一口。
「父さんも……」
「知っていた」
道源が答える。
「……っ」
「自分が」
道源の声が低くなる。
「まだ——」
「……」
「人として見えるのか」
沙苗の瞳が揺れる。
「それを確かめるためにな」
「…………」
あの日。
信鷹が向けた——
店主への視線。
あれは。
「……父さん」
沙苗が唇を噛む。
「そんなこと……」
何度も。
あの暖簾を——
潜っていた。
「……柚は」
「ん?」
「柚は何も知らないはずよ」
「……」
「だって」
拳を握る。
「そんな顔——」
沙苗が道源を見る。
「一度もしたことなかった」
「そうか」
「そうよ」
「なら」
道源が笑う。
「本人に聞けばいい」
「……え?」
——ザッ——
道源が歩き出す。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「腹が減った」
「は?」
「牛鍋を食いに行く」
「今!?」
「ああ」
「この流れで!?」
「この流れだからだ」
「意味分かんないんだけど!!」
「來」
「……何だ」
「お前も来い」
「何故だ」
「奢ってやる」
「行く」
「即答!?」
來が歩き出す。
「待ちなさいよ!!」
「あはははっ!」
道源は——
闇の向こうへ進む。
——ザッ——
「来い、沙苗」
「だから待てって言ってんのよ!!」
足を止めない。
「お前たちが知る——」
柔らかな月明かり。
朱色の羽織が——
夜へ溶けていく。
「須藤道舟という男」
「……」
「その正体を語るのは」
道源が笑う。
「俺の役目じゃない」
「じゃあ誰の役目よ!!」
「……」
沙苗のこめかみに——
青筋が浮かぶ。
「ほんっと……」
その背中を追う。
「勝手なんだから!!」
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