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輪廻の瑕疵  作者: 朔來 織
~灰鏡に咲く緋華~

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第百二話 先見の盃

第百二話 先見の盃


月が——

須藤邸を照らしている。


崩れた土壁。

裂けた畳。

折れた柱。


灰色に呑まれていたはずの庭。


「……」


沙苗は縁側に座る男を見る。


朱色の羽織。

朱色の盃。


そして——

三十年前の姿。


「……死んだはずでは、なかったの?」


絞り出すような声。


「死んだぞ」


「……」


「ちゃんとな」


——グイッ——


盃を呷る。


「じゃあ……」


沙苗の眉が動く。


「なんでいるのよ」


「いるからだ」


「それ、さっきも聞いた!!」


「あはははっ!」


「笑うな!!」


道源が肩を揺らす。


朱禰は——

黙ったまま兄を見る。


「兄さん」


「ん?」


「説明なさい」


「嫌だ」


——パサッ——


扇が開く。


「燃やすわよ?」


「怖い妹だな」


「誰のせいよ」


「俺のせいではないな」


「九割あんたよ」


「一割は?」


「生まれつき」


「なら仕方ない」


「開き直るな!!」


「……」


沙苗が額を押さえる。


死んだ父。

死んだはずの男。

三十年前の姿。


なのに——

何一つ変わっていない。


「……ほんっと腹立つ」


「元気そうで何よりだ」


「誰のせいでこんな目に遭ったと思ってんのよ」


「典膳」


「そうだけど!!」


「なら俺ではない」


「そういう話じゃない!!」


——コトッ——


道源が盃を置いた。


笑みが——

消える。


「沙苗」


「……何よ」


「典膳を見たな」


「……」


沙苗の瞳が細くなる。


「見たわ」


灰色。

動かない男。


誰にも救われず。

誰にも気付かれず。


ただ——

終わることだけを願い続けた男。


「何が見えた」


「……絶望」


道源が黙る。


「ずっと一人だった」


沙苗の声が——

僅かに沈む。


「誰にも救われなくて」


「……」


「自分でも自分を救えなくなって」


拳を握る。


「灰色になって……」


月を見る。


「ずっと」


「……」


「終われなかった」


——サァァァ——


風が吹く。

道源の羽織が揺れた。


「そうだ」


低い声。


「だから——」


道源が沙苗を見る。


「お前は殺さなかった」


「……」


「典膳の理を焼いた」


沙苗の手を見る。


そこに——

炎はない。


緋色の熱だけが残っている。


「灰色を消したわけじゃない」


道源が立ち上がる。


——ザッ——


沙苗の方へ歩き出す。


「お前は灰色の上に——色を重ねた」


「……色」


「瑕疵というものはな」


道源が足を止める。


「普通なら——埋める」


沙苗を見る。


「消す」


朱禰を見る。


「無かったことにする」


そして——

紅葉を見る。


「……っ」


紅葉の肩が揺れた。


「だが」


道源が笑う。


「お前らは、それが下手だ」


「……は?」


「消せない」


沙苗。


「捨てられない」


朱禰。


「忘れられない」


來。


「諦められない」


蒐。


そして——


「無かったことに——」


紅葉を見る。


「できない」


「……」


紅葉が胸元を握る。


「だから」


道源が空を見る。


「ここまで来た」


月。


その周囲に——

微かな灰が漂っている。


「典膳は違った」


「……」


「奴は完璧を求めた」


道源の声が低くなる。


「傷のない世界」


「……」


「後悔のない世界」


「……」


「誰も失わない世界」


沙苗が目を伏せる。


「そんなもの——」


道源が鼻で笑う。


「あるわけがない」


——ギシッ——


何かが軋んだ。


「……?」


來が周囲を見る。


「今の音はなんだ」


「聞こえたか」


——ギシッ——


どこにも見えない。


何かが——

世界の奥で軋んでいる。


「典膳は自分の瑕疵を許せなかった」


「……」


「だから——」


瞳が細くなる。


「世界の方を壊した」


「……典膳」


沙苗が呟く。


「だが」


道源が笑った。


「お前は逆だ」


「私?」


「ああ」


沙苗を見る。


「壊れたまま——」


口角が上がる。


「生きる方を選んだ」


「……」


「それが」


道源が——

胸元を指差す。


「緋色だ」


沙苗の瞳が揺れる。


「……私の」


「お前だけじゃない」


「え?」


道源の視線が——

沙苗を越えた。


誰もいない——

その先。


「紫季は後悔した」


「……っ」


「典膳は絶望した」


風が——

止まる。


「そして」


——ギシッ——


世界が軋む。


「二つとも——」


道源の瞳が細くなる。


「消えなかった」


「……どういう意味?」


「簡単な話だ」


道源が虚空を見る。


「後悔も」


「……」


「絶望も」


「……」


「消えずに残れば——」


——スゥッ——


紫と灰。


二つの色が——

僅かに混ざる。


「願いになる」


「……願い?」


「救われたかった」


道源が呟く。


「救いたかった」


「……」


「同じだろう?」


沙苗が息を呑む。


紫季。

典膳。


一人は——

救えなかった。


一人は——

救われなかった。


「まさか……」


朱禰の扇が止まる。

道源が笑う。


「気付いたか」


「兄さん」


朱禰が虚空を見る。


「何が……生まれようとしているの?」


「さてな」


「……」


「俺にも分からん」


「は?」


沙苗が道源を見る。


「分からないの!?」


「当たり前だ」


道源が肩を竦める。


「俺は神じゃない」


「さっきまで全部知ってるみたいな顔してたじゃない!!」


「顔だけだ」


「殴るわよ!?」


「あはははっ!」


「沙苗」


來の声。


「……何よ」


「今はそっちじゃない」


「分かってるわよ!!」


紅葉が——

虚空を見る。


紫灰。


まだ形すらない。


ただの——

予兆。


「……道源様」


「ん?」


紅葉の声が震える。


「あなたは……」


胸元を握る。


「どこまで」


「……」


「分かっていたのですか?」


道源が——

紅葉を見る。


「……」


笑わない。

誤魔化さない。


ただ、真っ直ぐに——

少女を見る。


「紅葉」


「はい」


「お前がそこにいる」


「……」


「それだけだ」


「え……?」



「それが」


道源が笑う。


「俺の計算のすべてだ」


紅葉の瞳が揺れる。


「私が……」


「ああ」


「ここに……いること?」


「そうだ」


——ザッ——


道源が歩く。

紅葉の前へ。


「理から零れた」


「……」


「本来なら存在しない」


「……っ」


「世界にとっての——」


紅葉が俯く。


「瑕疵」


「……」


「だがな」


道源の手が——

紅葉の頭に置かれた。


——ポンッ——


「だから何だ」


「……え?」


紅葉が顔を上げる。


「お前は今」


道源が笑う。


「ここにいる」


「……」


「泣く」


「……」


「笑う」


「……」


「腹も減る」


紅葉の瞳に——

涙が浮かぶ。


「それ以上」


道源が手を離す。


「何が要る」


「……」


「お前が人としてここにいる」


月明かりが——

紅葉を照らす。



「それが」


道源の瞳に——

緋色が宿る。


「この狂った輪廻を終わらせるための」


「……」


「俺の答えだ」


「……はい」


「よし」


道源が踵を返す。


「なら飲むか」


「え?」


「紅葉に酒は早いでしょ!!」


「そうか?」


「そうよ!!」


「なら沙苗」


「何よ」


——ヒュッ——


「え?」


盃が飛ぶ。


——パシッ——


「……」


空の盃。


「入ってないじゃない」


「注げ」


「自分でやりなさいよ!!」


「娘だろう」


「都合いい時だけ父親になるな!!」


「あはははっ!」


道源が笑う。


沙苗は——

盃を見る。


「……ったく」


——トクトクトク——


月が——

水面に揺れる。


「ほら」


「ん?」


「飲みなさいよ」


「お前が飲め」


「は?」


「それは」


道源が笑う。


「お前の盃だ」


「……」


沙苗が酒を見る。


「祝杯には」


道源が月を見上げる。


「まだ早い」


「……」


「これから始まるのは」


夜の奥で——

揺れる。


紫灰の予兆。


「倒すための戦いじゃない」


その瞳は遥か遠く——

数百年前を見ている。


「数百年分の——」


道源が笑った。


「ごめんなさいを言いに行く」


「……」


「家族の喧嘩だ」


沙苗は——

盃を見る。


月が映っている。


「……何よ、それ」


小さく笑う。


——グイッ——


「……っ!」


顔を顰める。


「強っ!!」


「あははははっ!」


「こんなの娘に飲ませるなクソ親父!!」


月の下。


笑い声が——

崩れた須藤邸に響く。


その向こう。

誰にも見えない場所。


紫と灰。


初めて——

同じ色になろうとしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

『輪廻の瑕疵』は、毎日18:00に更新予定です。

※本作は「カクヨム」にも重複投稿しています。


もし「沙苗と來のコンビが良いな」「先が気になる」と思ってくださったら、

評価、ブックマークで応援いただけると、執筆の大きな励みになります。


そして、もうひとつの物語——

『SOUL TR@DE』も毎日18:00更新中です。


和風怪異とはまったく異なる、

魂と市場を巡る近未来ダークファンタジー。


あわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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