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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第8話 笑う伯爵

 ベルク伯爵は、よく笑う男だった。


 少なくとも、私の前ではそうだった。


「第二王女殿下。このたびは、よくぞお越しくださいました」

 伯爵は深々と頭を下げた。

 白髪の混じった髪を丁寧に整え、仕立てのよい服を着ている。

 年齢はオズワルドより少し上だろうか。

 柔らかな物腰と、絶えない笑顔。

 いかにも人間に好かれそうな人物だった。


「お招きありがとう、伯爵」

「とんでもございません。殿下をお迎えできるとは、我が家にとって何よりの名誉でございます」

 伯爵は顔を上げ、また笑った。

 私はその表情を観察した。

 口元が上がり、目尻に皺が寄る。

 声にも適度な温かさがある。


 よくできた笑顔だと思う。

 私が人間の笑顔を真似るときも、こうした部分には気をつけている。

 もっとも、伯爵が何かを真似ているわけではないだろう。

 ただ、笑顔と本心が同じものとは限らない。

 そのくらいは、私にも分かる。


 屋敷の広間には、すでに大勢の貴族が集まっていた。

 高い天井から吊るされた燭台。

 磨き上げられた床。

 壁には絵画が並び、隅では楽器が演奏されている。

 王宮ほどではないが、随分と金のかかった屋敷だ。


 その金がどこから来たのかは、まだ分からない。


「殿下、こちらへ」

 伯爵に案内され、私は広間の奥へ進んだ。

 リネットは少し離れてついてくる。

 ガルドも護衛として同行していた。

 招待状が届いてからというもの、リネットは衣装の準備と礼儀作法の確認に忙しかった。


「殿下、伯爵家の方々とは以前にもお会いしておりますので」

 出発前、リネットはそう言った。

「どなたに?」

「伯爵ご夫妻と、ご親族の方々です」

「そう」

「ご挨拶の際には、以前のお話が出るかもしれません」

 それは非常に困る。

「リネット、近くにいてくれる?」

「もちろんでございます」

 リネットは嬉しそうに微笑んだ。

「何かございましたら、お手伝いいたします」

 これは非常に頼もしい。

 私が知らないエルシアの過去を、リネットが覚えていてくれる。

 それだけで、随分と助かる。

 次に胡桃のお菓子が出たら、リネットの分も一つ残しておこう。


 晩餐会が始まると、伯爵は私を上座へ案内した。

 周囲の貴族が次々と挨拶に来る。

 名前を聞いて、微笑み、短く言葉を交わす。

 何人かは以前にも会ったことがあるらしい。

 私はできるだけ相手に話してもらうことにした。


「殿下、お久しぶりでございます」

「ええ、お元気そうね」

「先日はお約束が叶わず、残念でございました」

「そうね。また機会があれば」

 これで大抵の会話は終わった。

 便利な返事だと思う。

 ただし、使いすぎると不自然になるかもしれない。

 人間の会話は、やはり注意が必要だ。


 料理は立派なものだった。

 焼いた肉に香草を添えた皿。

 濃い味の煮込み。

 柔らかなパンに、果物を使った菓子。

 少なくとも、食事のために来たことは失敗ではなかったらしい。


「殿下、お口に合いますかな」

 伯爵が尋ねた。

「ええ。おいしいわ」

「それは何よりでございます」

 彼は満足そうに笑った。

「最近は王都の麦の価格も落ち着いてまいりました。殿下のお働きによるものと伺っております」

「まだ、少し運べるようになっただけよ」

「ご謙遜を。王都の商人たちは、大いに感謝しているそうです」

「そうね」

「まさか殿下が食糧の流通にご関心をお持ちとは、思いもしませんでした」

 また、その話だ。

 最近は誰に会っても同じことを言われる。

「必要だったから」

「なるほど。王族たるもの、民の暮らしにも目を向けねばなりませんな」

 伯爵は感心したように頷いた。


 私はパンを一口食べた。

 柔らかい。

 王宮のパンとは少し違うが、悪くなかった。


「ところで、殿下」

 伯爵が声を落とした。

「東街道からの輸送を始められたとか」

「ええ」

「随分と珍しいことをなさいましたな」

「そうかしら」

「王都の食糧は、長年、西街道を中心に運ばれております。東からの輸送は費用もかかりますし、商会の調整も難しいでしょう」

「そうね」

「なぜ、そこまでして別の経路を?」

 私は皿の上のパンを見た。

 同じ質問を、以前オズワルドにもされた気がする。


「西の道が使えなくなったら困るでしょう?」

「ほう」

「だから、別の道でも運べるようにしておきたかったの」

 伯爵はしばらく私を見た。

 そして、また笑った。

「実に慎重でいらっしゃる」

「そう?」

「ええ。備えがあるに越したことはございません」

 彼は杯を持ち上げた。

「もっとも、王都の商人たちには、少々驚きだったようですが」

「商会が?」

「長く続いた取引の形が変わるのです。戸惑う者もおりましょう」

「でも、麦は届いたわ」

「おっしゃる通りです」

 伯爵は笑みを崩さなかった。


 私は彼の顔を見た。

 魔族の資料によれば、この男は王都の有力商会と深いつながりがある。

 官吏への働きかけにも利用できると記されていた。

 ただし、資料に書かれていたのは、あくまで魔族側の評価だ。

 それだけで罪人と決めるわけにはいかない。


「伯爵は、地方の救済事業にも関わっているのでしょう?」

 私が尋ねると、彼の手が少し止まった。

「おや。よくご存じですな」

「最近、帳簿を読んでいるの」

「それはそれは」

 伯爵は笑った。

「殿下も、随分と勉強熱心になられた」

 こう何度も言われると、勉強ではなく帳簿が問題なのかもしれない。

「地方では、麦が足りているの?」

「地域によりますな。昨年の収穫が悪かったところもございます」

「そういう場所へ、お金を送っているのでしょう?」

「ええ。国からの救済金は、各地で役立てられております」

「全部?」

 伯爵が私を見た。

「と、申されますと?」

「必要な場所に、ちゃんと届いているのかと思って」

 少しだけ間があった。

「もちろん、すべてが順調とは限りません」

 伯爵は杯を置いた。

「地方には地方の事情がございます。役所の手続きが遅れることもあれば、輸送が間に合わないこともある。なかなか難しいものです」

「そう」

「ですが、国も手を尽くしておりますよ」

 彼は穏やかに微笑んだ。

「それに、救済とは限りのあるものでございます。誰もが十分な支援を受けられるとは限りません」

「お金が足りないから?」

「それもございます」

「そう」

 私は頷いた。

 確かに、金が足りなければ全員を助けることはできないのだろう。


 ただ、その足りないはずの金が、帳簿から消えている。

 そのことを伯爵は知っているのだろうか。


「殿下はお優しいのですな」

 伯爵が言った。

「そうかしら」

「ええ。遠く離れた地方の民のことまで、案じていらっしゃる」

 私は返事をしなかった。

 別に、優しいつもりはない。

 地方で麦が不足すれば、王都へ運べる量も減る。

 結局は、私の食事に関わることだ。


 伯爵はそんな私を見て、また笑った。


 晩餐会が終わる頃には、私は少し疲れていた。

 料理はおいしかったが、会話が多すぎる。

 人間は食事の間にも、随分と話をするものらしい。

 もう少し食べることに集中してもよいと思う。


 帰りの馬車へ向かう途中、ガルドが声をかけてきた。

「殿下」

「何?」

「ベルク伯爵とは、随分と熱心にお話をされていましたな」

「ええ」

「地方の救済についても」

「気になったから」

「左様ですか」

 ガルドは少し考えるように黙った。

「伯爵は、社交の場では大変に評判のよいお方です」

「そうなの?」

「ええ。人当たりがよく、誰に対しても丁寧に接されます」

「確かに、よく笑う人ね」

「……そうですな」

 ガルドは頷いた。

「ただ、殿下」

「何?」

「伯爵とお話しされている間、殿下はほとんどお笑いになりませんでした」

 私は足を止めた。


 そうだっただろうか。

 人間の笑顔は、必要なときに作るものだと思っている。

 挨拶をされれば笑う。

 礼を言われれば微笑む。

 そうすれば、大抵の人間は安心する。

 けれど、伯爵との会話では、何を話すか考えることに気を取られていたらしい。


「真面目な話だったから」

「なるほど」

 ガルドは私を見た。

「それにしても、少々冷たい目をしていらっしゃいましたな」

「そう?」

「ええ」

 彼はそこで言葉を切った。

 私は何も言わなかった。

 何かを見抜かれたのだろうか。

 それとも、単に顔の作り方を間違えただけだろうか。


「……気をつけるわ」

 そう答えると、ガルドは静かに頭を下げた。

「失礼いたしました」

 それ以上は何も言わなかった。


 帰りの馬車では、リネットが少し疲れた顔をしていた。

「お疲れさまでございました、殿下」

「あなたも」

「ありがとうございます」

「料理は食べられた?」

「はい。控えの間で、いただきました」

「おいしかった?」

「ええ。とても」

 それならよかった。

 わざわざ一緒に来てもらったのに、食事までできなかったら申し訳ない。


「ベルク伯爵って、人気があるのね」

 私が言うと、リネットは少し考えた。

「そうですね。王都では、慈善事業にも熱心な方として知られております」

「慈善事業?」

「貧しい方々への施しや、地方への支援などです」

「そう」

 私は窓の外を見た。

 屋敷の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。


「でも、すべての方が助かっているわけではないようです」

 リネットが小さく言った。

「どういうこと?」

「王宮で働いている者の中にも、地方に家族を残している者がおります」

「ええ」

「その一人が、先日、実家から手紙を受け取ったそうです」

 リネットは言葉を選ぶように続けた。

「村では昨年の収穫が悪く、救済のための麦を待っていたのですが、予定された量が届かなかったそうで」

「届かなかった?」

「はい。役所へ尋ねても、手続きが遅れているとしか言われなかったそうです」

「それで?」

「村の人々は、食べる分を減らしたり、家畜を売ったりして、何とか暮らしているとか」

 私は黙って聞いていた。


 家畜を売る。

 それは、金を得るための手段だろう。

 しかし、畑を耕すための家畜まで売れば、次の収穫はどうなるのだろう。

 麦を買うために、麦を作る手段を手放す。

 あまり効率のよい方法とは思えなかった。


「その村には、国からお金が送られているの?」

「そこまでは分かりません」

「そう」

「申し訳ございません」

「あなたが謝ることではないわ」

 リネットは少し驚いた顔をした。

「……そうですね」

 それから、静かに頷いた。


 私は膝の上で指を組んだ。

 消えた金。

 届かなかった麦。

 売られた家畜。

 それぞれ別の話かもしれない。


 ただ、帳簿に書かれている金額が足りないというのは、こういうことなのだろうか。


 王宮へ戻ったあと、私はオズワルドから届いていた報告書を確認した。

 地方の救済事業について、取引先への照会が進んでいるらしい。

 そのうちの一つから、国へ提出された記録と商会側の帳簿に違いがあるという知らせが届いていた。


 国の記録では、救済用の麦が一定量購入されたことになっている。

 しかし、商会側の帳簿では、その全量が出荷されたことを確認できない。


 私は二つの数字を見比べた。

 もし商会の記録が正しいなら、国は届かなかった麦の代金まで支払っていることになる。

 逆に、国の記録が正しいなら、商会が出荷の記録を残していないことになる。

 どちらにしても、確かめる必要があった。


 報告書には、商会の古い取引帳簿を調べるため、担当者を派遣する予定だと記されていた。

 原本を確かめれば、どちらの数字が正しいか分かるかもしれない。


 私は書類を閉じた。

 ベルク伯爵の名前が、頭に浮かんだ。


 あの男の頭の中を見れば、もっと早く分かるのではないだろうか。


 私には、そうする方法がある。


 生きている人間の脳を喰らえば、その人間の記憶を得られる。

 死んでからでは駄目だ。

 それは、魔族に能力を調べられていた頃、何度も教えられたことだった。


『生きているうちでなければ意味がない』


 あの魔族は、いつも同じことを言っていた。

 対象が死んでしまえば、脳を食べても記憶は得られない。

 だから、必要な情報を持つ人間を殺すときには、順番を間違えてはいけない。


 ベルク伯爵が何を知っているのか。

 誰に金を渡したのか。

 誰から金を受け取ったのか。

 頭の中を確かめれば、少なくとも本人が経験したことは分かるだろう。


 ただし、そうすれば伯爵は死ぬ。


 人間の国では、有力な貴族が突然いなくなると大騒ぎになるらしい。

 しかも、私はつい先ほど、その貴族の屋敷へ招かれたばかりだ。

 疑われる可能性は高い。


 それに、たとえ私が真実を知ったところで、オズワルドにどう説明すればいいのだろう。

 人間の頭を食べて確かめました、と言えばよいのだろうか。

 おそらく、あまり良い反応は返ってこない。


 私は報告書を机へ置いた。

 今は、普通の方法で調べた方がよさそうだ。


 数日後、オズワルドから呼び出しがあった。

 急ぎの用件だという。

 私はリネットに知らせ、ガルドの護衛で宰相の執務室へ向かった。


 部屋へ入ると、オズワルドは机の前に立っていた。

 いつものように書類が積まれている。

 ただ、今日はその上に黒く汚れた紙が置かれていた。


「殿下」

「何があったの?」

「調査を進めていた商会の保管庫で、火災が発生しました」

「火事?」

「はい。昨夜のことです」

 オズワルドは黒くなった紙を指した。

「こちらは、焼け跡から回収されたものです」

 私は手に取った。

 端が焦げ、文字の大半が読めなくなっている。


「帳簿?」

「ええ。地方の救済物資に関する取引記録です」

「全部燃えたの?」

「保管されていた古い帳簿の多くが失われました」

 私は紙を戻した。

「写しは?」

「現在、探しております。ただ、問題となっていた取引の詳細については、まだ確認できておりません」

「原因は?」

「調査中です」

 オズワルドの声は低かった。


 火事が偶然だった可能性もある。

 商会の保管庫なら、灯りや暖房の火を使うこともあるだろう。

 けれど、調査の直前に帳簿が焼けるというのは、随分と都合がよい。


「ベルク伯爵は?」

 私が尋ねると、オズワルドは少し顔を上げた。

「……本日、お越しになる予定です」

「ここへ?」

「ええ。今回の調査について、監督者として説明を求めております」

「そう」

 私は焼け残った紙を見た。

 せっかく確かめようとしていた記録が、なくなってしまった。


 少し腹が立った。


 それから間もなく、ベルク伯爵が到着した。

 屋敷で見たときと同じように、穏やかな笑みを浮かべている。


「これは、第二王女殿下。先日はお越しいただき、ありがとうございました」

「こちらこそ」

「お食事はお楽しみいただけましたかな」

「ええ。おいしかったわ」

「それは何より」

 伯爵は笑った。

 そして、オズワルドへ向き直った。

「さて、宰相閣下。本日は何かご用件があるとか」

「地方の救済費用に関する確認です」

「ほう」

「一部の支出について、使途が明らかでないものがございます」

 伯爵は眉を下げた。

「それは困りましたな」

「監督に関わられた伯爵にも、ご説明をお願いしたいのです」

「もちろん、喜んで協力いたしましょう」

 伯爵の返事は早かった。少しも慌てた様子がない。

「殿下も、このままお聞きになりますかな」

「ええ、お願いするわ」

 伯爵は笑顔のまま頷いた。


 オズワルドは帳簿の写しを示し、問題となっている支出について説明した。

 伯爵は一つずつ頷き、必要に応じて答えた。

 送金の手続き。

 地方役所との連絡。

 商会を通じた物資の購入。

 どの質問に対しても、穏やかな口調で説明する。


 ただ、肝心な部分になると答えが曖昧になった。


「その件につきましては、担当の官吏に任せておりました」

「では、支出の最終確認は?」

「書類上は問題ないと報告を受けております」

「商会との取引記録は?」

「当然、保管されているはずですが」

 伯爵はそこで小さく息を吐いた。

「残念なことに、火災があったとか」

「ご存じでしたか」

「ええ。今朝、報告を受けました」

 伯爵は気の毒そうに首を振った。

「貴重な帳簿が失われたとは、まことに惜しいことです」

 私は彼を見た。


 笑っている。


 悲しそうな言葉を口にしているのに、表情は穏やかだった。

 もっとも、だからといって嘘をついているとは限らない。

 私も、必要なら悲しい顔を作ることができる。

 人間の顔だけで、中身まで分かるわけではない。


「伯爵」

 私は口を開いた。

「何でしょう、殿下」

「帳簿がなくなったら、誰が麦を受け取ったのか分からなくなるの?」

「それは、難しくなりましょうな」

「お金の使い道も?」

「ええ。記録がなければ、確認は困難です」

「でも、実際にお金は使われたのでしょう?」

「そのように報告されております」

「報告した人が間違っていたら?」

 伯爵は少し目を細めた。

「その場合は、別の証拠が必要になりますな」

「証拠?」

「もちろんでございます」

 伯爵は柔らかく微笑んだ。


「証拠がなければ、罪にはできませんな」


 私は彼の顔を見つめた。

 笑顔は、最初に会ったときと何も変わらない。


 なるほど。


 証拠がなければ、罪にはできない。


 それは、人間の国では正しいことなのだろう。


 私は机の上の焼けた紙を見た。

 残っている文字は少ない。

 これだけでは、誰が金を隠したのか分からない。


 ならば、別の方法で確かめる必要がある。


 私はもう一度、伯爵を見た。


 彼は、まだ笑っていた。

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