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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第7話 買収予定者名簿

 消えた金を探すには、まず本当に消えたのかを確かめる必要があるらしい。


「帳簿に書かれていないだけ、という可能性は?」

 私はオズワルドに尋ねた。

「当然、考えられます」

「なら、別の帳簿を見ればいいのでは?」

「それが、簡単にはいかないのです」

 オズワルドは机に置いた帳簿を開いた。

「こちらが国庫からの支出記録です。そして、こちらが支出先の役所から提出された報告になります」

 並べられた二つの書類には、同じ日付と支出項目が並んでいた。

 ただし、記載された金額は一致していない。

「こちらの金額が少ないわね」

「はい。国庫から支出された金額に対し、実際の使途が確認できる金額が不足しております」

「使わなかった分が残っているのでは?」

「残っていれば、問題はないのですが」

「ないの?」

「返納された記録がございません」

 なるほど。

 出ていった金はある。

 使った記録も、一部はある。

 しかし、残りがどこへ行ったのか分からない。


 麦なら、倉庫の中身を数えればよかった。

 金はそうはいかないらしい。

 いや、金庫の中身を数えればよいのではないだろうか。

「金庫は?」

「すでに確認させました」

「なかったの?」

「はい」

 それは困る。

 どうやら、思いつくことは先に調べられていたらしい。

 さすが宰相という仕事をしているだけのことはある。


「この金は、何に使う予定だったの?」

「地方の救済事業です。食糧の購入や輸送、それに生活の立て直しを支援するための費用になります」

「麦にも関係するのね」

「ええ。今回、殿下のご提案で輸送に関する支出を調べ直したことが、発見のきっかけになりました」

 私は帳簿を見直した。

 支出先は一か所ではない。

 いくつもの地方役所へ、少しずつ金が送られている。

 そのうちの幾つかで、使い道の分からない金が出ているらしい。


「同じ間違いが、何度も起きているの?」

「そのように見えます」

「それなら、間違いではないかもしれないわね」

 オズワルドが頷いた。

「私も、そう考えております」


 彼は別の紙を取り出した。

 そこには、支出に関わった官吏の名前が並んでいた。

「国庫から金を出す者、送金を手配する者、受け取ったことを確認する者。通常は、それぞれ別の担当が記録を残します」

「一人で全部はできないのね」

「不正や間違いを防ぐためです」

「でも、お金はなくなったのでしょう?」

「……ええ」

 オズワルドは少し苦い顔をした。

「それが問題なのです」


 私は官吏の名前を眺めた。

 知らない名前ばかりだった。

 少なくとも、エルシアとして過ごした三か月の間に会った覚えはない。

 ただ、そのうちのいくつかに、見覚えがあった。


 どこで見たのだろう。


 私は紙を持ち上げた。

 名前の下には役職と、承認を行った日付が書かれている。

 同じ名前が、別の支出記録にもあった。

 さらに、その隣には別の官吏の署名がある。

 そちらにも、見覚えがあった。


「殿下?」

「少し考えているの」

「何か、お気づきのことが?」

「まだ分からないわ」

 これは本当だった。

 どこかで見た名前だということしか、今は分からない。


「この書類、借りてもいい?」

「原本はお渡しできませんが、写しでしたら」

「お願いできる?」

「承知いたしました。ただし、取り扱いにはご注意ください」

「分かったわ」

 オズワルドは文官を呼び、必要な部分を写させるよう命じた。

 私はその間、帳簿をもう一度読んだ。


 問題となっている支出は、全体から見れば一部だった。

 けれど、その一部だけでも随分と大きな金額になる。

 これだけの金があれば、麦をどれだけ運べたのだろう。

 私は荷車を一台動かすために、費用を調べ、許可を取り、何枚もの書類を確認した。

 それなのに、こんな大金の行き先が分からない。

 そう考えると、少し腹が立ってきた。


 そんなことを考えながら帳簿をめくっていると、オズワルドが声をかけてきた。

「殿下は、金の行方を調べることにご関心がおありですか?」

「あるわ」

「理由を伺っても?」

「必要なお金がなくなったら、必要な仕事ができないでしょう?」

「その通りです」

「それでは困るもの」

 オズワルドは少し笑った。

「殿下のお考えは、実に明快ですな」

 褒められたのだろうか。

 よく分からなかった。


 写しを受け取り、自室へ戻った。

 リネットが茶を用意してくれたので、一度休むことにする。

 今日の菓子は、胡桃ではなかった。

 薄い生地に果物の蜜を挟んだもので、これも悪くない。

 ただ、胡桃の方が好きだと思った。

 好みというものは、一度できるとなかなか変わらないらしい。


「殿下、また帳簿のお仕事ですか?」

「ええ」

「今度は何をお調べに?」

「お金のこと」

「……お金、でございますか」

 リネットは茶器を置いた。

「先日は麦で、今度はお金なのですね」

「そうね」

「次は何になるのでしょう」

「分からないわ」

「できれば、お休みの日になってほしいものですが」

 私は少し考えた。

 休みは欲しい。

 しかし、王国がなくなれば休む部屋もなくなる。

 そもそも、私が王女として過ごしてきた日々は、それほど忙しいものではなかった。

 決まった挨拶や行事に顔を出すことはあっても、それ以外の時間はほとんど自由に過ごせる。

 新年の祝賀のような大きな儀礼もあるらしいが、毎日のことではない。

 そんな生活まで失ってしまうのは、どうにも都合が悪い。


「早く終わらせるわ」

「それをお聞きすると、かえって心配になります」

 なぜだろう。

 仕事を早く終えるのは、良いことだと思うのだが。


 リネットが部屋を出たあと、私は机の引き出しを開けた。

 奥にしまってある、魔族の資料を取り出す。

 王国を滅ぼすための計画書。

 その中には、軍事施設や街道の情報だけでなく、王国内の協力者についての記録もあった。


 正確には、協力者にする予定の人間たちだ。


 金銭を渡せば動く可能性のある官吏。

 弱みを握れば従わせられる貴族。

 商会とのつながりを利用できる役人。

 魔族は人間の国を壊すために、随分と細かいことまで調べていた。


 私は資料をめくり、買収予定者の名簿を探した。

 何頁か進んだところで、目的のものが見つかった。

 役職、名前、接触の方法。

 そして、協力を得られる見込みについての記述。

 人間を買い物の品のように扱っている。

 もっとも、私も魔族に命令されていた頃は、そのような扱いを受けていた。

 だから、特別に驚くことでもなかった。


 最初の名前を見つけた。

 次に、もう一人。

 そして、三人目。


 私は机の上に、オズワルドから受け取った写しを広げた。

 名前を一つずつ比べる。


 同じだった。


 国費の支出に関わった官吏のうち、三人が魔族の買収予定者名簿に載っていた。


 偶然だろうか。

 あり得ない話ではない。

 魔族が目をつけるような人間なら、もともと金を扱う立場にいることも多いだろう。

 名簿にあるからといって、実際に金を受け取ったとは限らない。

 そもそも、この資料は少なくとも三か月以上前に作られたものだ。

 その後、何があったのかは分からない。


 ただ、三人とも同じ支出に関わっているのは気になった。


 私はそれぞれの名前の横に書かれた役職を確認した。

 一人は支出の承認。

 一人は送金の手配。

 もう一人は、支出先からの報告の確認。

 仕事は違うが、同じ金の流れに関わっている。


 もし三人が協力していたら、どうなるのだろう。

 支出したことにする。

 送ったことにする。

 受け取ったことにする。

 それぞれの帳簿に数字が残っていれば、書類だけでは正しいように見えてしまうかもしれない。


 なるほど。

 人間は、なかなか面倒な方法で金を隠すものらしい。


 だが、問題があった。

 この名簿をオズワルドに見せることはできない。

 魔族が王国の官吏を買収しようとしていたことが分かれば、当然、資料の出所を尋ねられるだろう。

 そこで私が答えられることは、あまりない。


 私は名簿を元の場所へ戻しかけ、最後の頁で手を止めた。


 そこには、別の名前が書かれていた。


 ベルク伯爵。


 王国でも有力な貴族の一人だ。

 これまで直接話したことはないが、名前くらいは知っている。

 名簿では、官吏への接触を取りまとめるための協力候補として記されていた。


 彼自身が金を受け取る予定だったのか、それとも別の人間を動かす役割なのか。

 そこまでは詳しく書かれていない。

 ただ、魔族はこの伯爵を利用すれば、複数の官吏に働きかけられると考えていたらしい。


 私はもう一度、オズワルドの写しを見た。

 そこには、ベルク伯爵の名前もあった。

 地方の救済事業に関する監督者の一人として、承認の記録が残っている。


 どうやら、偶然にしては出来すぎている。


 私は資料を引き出しへ戻した。

 そして、写しにある名前を別の紙へ書き出した。

 ただし、魔族の名簿に載っていたことは書かない。

 役職と、どの支出に関わったのか。

 それだけを記す。

 後は、普通の帳簿から確かめられることを調べればいい。


 翌朝、私はオズワルドの執務室を訪ねた。

 今回は、面会までそれほど時間がかからなかった。

 どうやら、麦の件以来、私の訪問は少し優先されるようになったらしい。

 便利なことではある。

 しかし、あまり目立つのも困る。


「殿下。昨日の件でしょうか」

「ええ」

 オズワルドは席を勧めた。

「何か、お気づきのことがございましたか?」

「この三人について調べたいの」

 私は持参した紙を机に置いた。

 オズワルドが目を通す。

 彼の表情が、少し変わった。


「……なるほど」

「知っている人たち?」

「当然です。いずれも財務に関わる官吏です」

「この三人が、同じ支出の記録に何度も出てくるの」

「そうですな」

「それぞれ別の役目をしているのでしょう?」

「ええ」

「なら、一人ずつ何を確認したのか調べれば、金がどこまで届いたのか分かるのではないかしら」

 オズワルドは紙を置いた。

「もっともなお考えです。しかし」

「何?」

「なぜ、この三人なのです?」


 私は少し考えた。

 正直に答えることはできない。

「同じ記録に名前があったから」

「ほかにも名前はございます」

「そうね」

「その中から、なぜこの三人を?」

 困った。

 やはり宰相という仕事をしているだけあって、聞いてほしくないことを聞いてくる。


「気になったのよ」

「……気になった」

「ええ」

 オズワルドは私を見た。

 しばらくして、静かに口を開いた。

「殿下は、我々より王国の裏側をご存じなのでは?」

 私は顔を上げた。

「そんなことはないわ」

「そうでしょうか」

「偶然よ」

「三人とも?」

「……ええ」

 オズワルドは何も言わなかった。

 どうやら、信用されていないらしい。


 私は話を変えることにした。

「それより、帳簿を確かめたいの」

「どの帳簿を?」

「国庫から出た金と、実際に地方へ届いた金。その間にある記録よ」

 オズワルドの目が細くなった。

「途中の記録ですか」

「ええ。国庫から出たことは分かっているのでしょう?」

「はい」

「地方で使った金額も分かっている」

「一部は」

「なら、その間に誰が受け取って、誰へ渡したのか調べればいいわ」

 彼は少し考えてから頷いた。

「筋は通っております」

「でしょう?」

「しかし、途中の担当者が不正に関わっていた場合、記録が正しいとは限りません」

「それなら、別の記録と比べればいいのでは?」

「例えば?」

「支払いを受けた商人の帳簿とか」

 オズワルドが指先で机を叩いた。

「……なるほど。国の帳簿だけではなく、取引先の記録も確認するわけですな」

「同じお金のことなら、どこかに残っているでしょう?」

「残っていれば、ですが」

 彼は小さく息を吐いた。

「確認させましょう」


 オズワルドは文官を呼び、いくつかの指示を出した。

 問題となっている支出に関する原本を保管すること。

 担当官の承認記録を確認すること。

 そして、支払いを受けた商会や地方役所に、取引の記録を照会すること。

 前回の麦の調査より、ずいぶん慎重だった。


「時間がかかるの?」

 私が尋ねると、オズワルドは頷いた。

「今回は、単に数字を調べるだけでは済まない可能性がございます」

「どうして?」

「金を隠した者がいるなら、調べられて困る者もいるからです」

 なるほど。

 確かに、隠したものを見つけられるのは困るだろう。

 私も、机の引き出しを勝手に開けられたら非常に困る。

 その意味では、少し理解できた。


「では、殿下」

 オズワルドが声をかけた。

「もう一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「何?」

「ベルク伯爵については、どのようにお考えです?」

 私は手元の紙を見た。

 こちらから伯爵の名前を出す前に、聞かれてしまった。


「監督者として名前があるわね」

「ええ」

「なら、説明を聞けばいいのでは?」

「もちろん、その予定です」

「それなら、私も話を聞きたいわ」

 オズワルドは少し黙った。

「殿下ご自身が?」

「ええ」

「相手は有力な貴族です。しかも、現時点では不正があったと決まったわけではありません」

「分かっているわ」

「不用意に疑いを向ければ、政治的な問題にもなります」

「疑わなければいいのでしょう?」

 オズワルドが眉を上げた。

「……と、申されますと?」

「普通に話を聞けばいいのよ」

 私はそう答えた。

 ベルク伯爵が何をしたのか、まだ分からない。

 魔族の名簿に名前があるからといって、不正をしたとは限らない。

 だが、名簿に書かれた通りの人物なら、話してみれば何か分かるかもしれない。


「殿下は、随分と行動的になられましたな」

 オズワルドが言った。

「そう?」

「以前は、こうした政務に関わろうとはなさいませんでした」

 また、その話だ。

 私は少しだけ息を吐いた。

「勉強したのよ」

「……そうでしたな」

 オズワルドは笑った。

 ただ、納得したようには見えなかった。


 結局、ベルク伯爵への直接の聞き取りは、調査が進んでからということになった。

 オズワルドの判断では、今すぐ動けば証拠を隠される可能性があるらしい。

 それには私も賛成だった。

 隠すものがある人間に、先に知らせる必要はない。


 自室へ戻ると、リネットが迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、殿下」

「ただいま」

「本日のお話はいかがでした?」

「調べることが増えたわ」

「……また、でございますか」

「ええ」

 リネットは少し肩を落とした。

「今度は何を?」

「お金を持っている人たち」

「商人の方ですか?」

「貴族もいるわ」

 リネットの手が止まった。

「貴族、でございますか」

「ええ」

「でしたら、少々お気をつけくださいませ」

「どうして?」

「商人の方々とは違い、貴族同士のお付き合いには、いろいろと決まりがございますので」

「決まり?」

「ご挨拶の順番や、席次、以前に交わしたお約束などです」

 以前の約束。

 それは困る。

 本物のエルシアが交わした約束など、私には分からない。


「リネット」

「はい」

「もし貴族と会うことになったら、あなたも一緒に来てくれる?」

「もちろんでございます」

 返事は早かった。

「殿下のおそばにおりますのが、私の仕事ですから」

「そう」

 私は頷いた。

 リネットがいれば、知らない作法を教えてもらえるだろう。

 何より、こちらが間違えそうになったときに止めてくれる。

 それは随分と助かる。


 リネットは少し嬉しそうに笑った。

「ただ、できましたら事前にお知らせくださいませ」

「どうして?」

「お衣装の準備がございますので」

 なるほど。

 どうやら貴族と会うにも、また別の仕事が増えるらしい。


 その日の夕方、一通の招待状が届いた。

 厚い紙に、丁寧な文字が並んでいる。

 封蝋には、見慣れない紋章が押されていた。

「殿下、こちらを」

 リネットが差し出す。

「誰から?」

「ベルク伯爵家からでございます」

 私は顔を上げた。


 招待状には、数日後に開かれる晩餐会への出席を願う言葉が書かれていた。

 伯爵家の私邸で催される、貴族たちの集まりらしい。

 特別な用件は記されていない。

 ただ、第二王女殿下にぜひお越しいただきたい、とある。


 私は招待状をもう一度読んだ。

 つい先ほどまで、オズワルドと伯爵の名前について話していたところだった。

 その日のうちに向こうから招待が届くとは、随分と都合がいい。


「どうなさいますか?」

 リネットが尋ねた。

「行くわ」

「承知いたしました。では、お衣装を」

「その前に、一つ教えて」

「何でしょう?」

「ベルク伯爵って、どんな人?」

 リネットは少し考えた。

「王国でも有力な貴族のお一人です。社交にも熱心で、王宮の方々とも広くお付き合いがあると伺っております」

「そう」

「以前にも、殿下へご招待が届いたことがございましたね」

 私は動きを止めた。

「……そうだったかしら」

「はい。あのときは、ご予定が合わずお断りになりましたが」

「そう」

 危なかった。

 また、知らないエルシアの過去が出てきた。


 リネットは招待状を見ながら続けた。

「今回は、お受けになるのですね」

「ええ」

「それでは、早めにお支度を整えましょう」

 彼女は楽しそうに衣装の話を始めた。

 私は招待状に書かれた伯爵の名前を見つめていた。


 魔族の買収予定者名簿に載っていた男。

 消えた国費の監督者。

 そして、私を晩餐会へ招いた貴族。


 ただの偶然かもしれない。

 だが、そうでないなら、伯爵は何を考えているのだろう。


 私は招待状を机に置いた。

 王国の金を調べようとしたら、今度は貴族と食事をすることになったらしい。


 食事が出るのはありがたい。

 ただし、今回は料理だけを楽しむわけにはいかなさそうだった。

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