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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第4話 王女が帳簿を読む

 宰相に会うのは、思っていたより面倒だった。

 王女なのだから、言えばすぐに会えるものだと思っていたが、そういうものでもないらしい。


 昨日街から帰った後、リネットへ宰相に会いたいと伝えたところ、まず用件を聞かれた。

「麦のことよ」

「……麦、でございますか」

 リネットは一度聞き返したあと、何かを考えるように黙った。

「殿下、宰相閣下は大変お忙しい方ですので」

「知っているわ」

「お茶のご相談でしたら、厨房へお申しつけいただければ」

「お茶ではないわ」

「では、お食事の?」

「王都の食糧についてよ」

 リネットは、ようやく納得したように頷いた。

 ただし、表情を見る限り、何に納得したのかはよく分からなかった。


 結局、面会できるのは翌朝になった。

 それまでに私は、昨日の市場で見聞きしたことを紙に書き出しておいた。

 パンの値段は銅貨六枚から八枚へ。

 西街道からの荷車は、普段より少ない。

 大きな商会による麦の買い付けが増えている。

 そして、倉庫にどれだけの麦が残っているのかは分からない。

 それだけだった。


 魔族の資料には、もっと詳しいことが書かれている。

 しかし、それを宰相に見せるわけにはいかない。

 王国を滅ぼすための計画書を王女が持っていたら、説明することが増えてしまう。

 説明できるならよいが、できないことの方が多い。

 だから、自分で確かめたことだけを持っていくことにした。


「殿下、お支度が整いました」

 リネットが声をかけた。

「ありがとう」

「本日は、宰相閣下とのご面会ですから」

「ええ」

「その……あまり難しいお話になりませんよう」

「難しい話をするつもりだけれど」

「そうでございますか」

 リネットは困ったように笑った。

 どうやら、今日も期待に応えられそうにない。


 宰相の執務室は、王宮の奥にあった。

 扉の前には文官が控えており、私の名前を聞くと中へ案内してくれた。

 室内には大きな机があり、その上には書類が積み重なっている。

 壁際の棚にも書類が並び、床に近いところには封蝋のついた箱まで置かれていた。

 王女の部屋とは随分違う。

 あちらには花が飾られているが、こちらには紙しかない。

 それも、あまり楽しそうな紙ではなかった。


「第二王女殿下。お待たせいたしました」

 机の向こうから男が立ち上がった。

 オズワルド・レイナー。

 この国の宰相だ。

 四十代も後半に差しかかっているはずだが、背筋は伸び、動きにも無駄がない。

 私を見る目は礼儀正しかった。ただ、歓迎されているようには見えなかった。

「突然のお願いで、ごめんなさい」

「お気になさらず。殿下からのご相談とあれば、時間は設けます」

 そう言って、机の上の書類を端へ寄せる。

「ただ、本日は十五分ほどしかございません」

「分かったわ」

「それでは、ご用件を」

 早い。

 リネットなら、まずお茶を出してくれるところだ。

 私は持参した紙を机に置いた。

「王都の麦の流通について、調べてほしいの」

 オズワルドの手が止まった。

「……麦、でございますか」

 昨日から、何度も同じ反応をされている気がする。

「ええ」

「食糧の流通に、何か問題でも?」

「まだ分からないわ。だから調べたいの」

 オズワルドは紙に目を落とした。

「パンの価格、荷車の到着数、商会の買い付け状況……」

「昨日、市場で聞いてきたの」

「殿下が直接?」

「ええ」

 彼は少しだけ眉を上げた。

「なるほど。昨日、ベルンハルト卿が護衛を増員した理由は、それでしたか」

 私は頷いた。

 オズワルドは紙を読み終え、机に戻した。

「確かに、食糧価格には上昇の兆しがございます。しかし、これだけで供給が危険だとは判断できません」

「そうでしょうね」

「……ご理解いただけますか」

「ええ。一つの店の値段と、一日の荷車の数だけでは足りないもの」

 彼は私を見た。

 少し意外そうな顔だった。

「では、何をお望みです?」

「王都にどれだけ麦があって、どこから運ばれているのか。それを知りたいの」

「それは、担当の役所が把握しております」

「帳簿はある?」

「もちろんございます」

「見せてもらえる?」

 オズワルドは、しばらく返事をしなかった。


「殿下。失礼ながら、何のために?」

「西街道が使えなくなったら、王都がどうなるのか知りたいの」

「西街道が?」

「ええ」

「現在、通行を妨げるような報告は受けておりませんが」

「今はね」

 オズワルドの視線が、私の顔に戻った。

「……何か、具体的な情報をお持ちなのでしょうか」

 まずい。

 いきなり聞きすぎただろうか。

「仮定の話よ。大事な道が一本使えなくなったら、困るでしょう?」

「それは当然です。しかし、王都への輸送経路は西街道だけではありません」

「東の道と、川もあるわ」

「ご存じでしたか」

「市場で聞いたの」

 これは本当だ。

 オズワルドは指先で机を軽く叩いた。

「少々お待ちください」


 彼は扉の外にいた文官を呼び、何かを指示した。

 ほどなくして、厚い帳簿が運ばれてきた。

 表紙には王都へ搬入された穀物の記録とある。

 オズワルドが頁を開く。

「こちらが、王都への穀物搬入を記録したものです。全ての取引ではありませんが、主要な入荷は把握できます」

 私は机へ近づいた。

 日付、荷の種類、数量、輸送経路、搬入先。

 数字が細かく並んでいる。

「読めますか?」

「ええ」

 文字を読むことはできる。

 少なくとも、王女になるための訓練で読み書きは覚えさせられた。

 ただし、帳簿を読む訓練までは受けていない。

 私は最初の頁を眺めた。

 日付の下に麦の数量があり、その横に街道の名前が書かれている。

 次の頁にも、同じ項目が並んでいた。

 これなら分かる。


「西からの荷が多いわね」

「王都の主要な供給地が西方にあるためです」

「東は?」

「比較的少量です。河川輸送もございますが、天候や水位によって変動いたします」

「この月と、こちらの月では?」

 私は頁を戻した。

 少し前の記録と、最近の記録を比べる。

 西街道からの搬入量が減っていた。

 一方、東街道と河川輸送は、ほとんど増えていない。

「西が減った分を、ほかの道で補えていないのね」

「……確かに、数字の上ではそうなります」

「理由は?」

「輸送業者の都合や、産地の事情などが考えられます。詳しく調べなければ分かりません」

「では、調べましょう」

 オズワルドが顔を上げた。

「殿下」

「何?」

「随分と簡単に仰いますな」

「難しいの?」

「各地の役所へ照会し、商会から報告を集め、数字を突き合わせる必要がございます」

「それをすれば、分かるのでしょう?」

「……そうですが」

 なら、するしかないと思う。

 分からないままにしておいても、麦は増えないのだから。


 私は次の頁をめくった。

 搬入先の欄に、同じ倉庫の名前が何度も出てくる。

「これも気になるわ」

「何がでしょう」

「荷が集まる場所よ。別々の道から運んでも、最後に同じ倉庫へ入れるなら、そこが使えなくなったときに困るでしょう」

 オズワルドの表情が変わった。

「倉庫が使えなくなる、と?」

「火事でも起きたら」

「……なるほど」

 彼は帳簿に視線を戻した。

「ただし、倉庫が一つ使えなくなった程度で、王都全体の供給が止まるわけではありません」

「一つならね」

 言ってから、少し後悔した。

 オズワルドがこちらを見る。

「複数の倉庫が同時に使えなくなると?」

「そういうことも、あるでしょう」

「火事で?」

「……火事以外でも」

 彼は何も言わなかった。

 私も黙った。

 余計なことを話すと、魔族の資料に書かれていたことまで口にしてしまいそうだった。


「殿下は、どこでそのような知識を?」

 とうとう聞かれた。

 私は一度、帳簿へ目を落とした。

「勉強しました」

「殿下が?」

 返事は早かった。

 麦の勉強をするのは、そんなに意外なのだろうか。

 王女の仕草も、歩き方も、話し方も、私は必死に勉強した。もっとも、そういう勉強ではないのだろうけれど。

 自分の反応が少々不敬だったと思ったのか、オズワルドがわずかに口を閉じた。


 私は手元の紙を見た。

 市場で聞いたことを書き留めた紙だ。

 自分なりに考え、数字を並べ、分からないところを調べに来た。

 それなのに、どうしてそんなに驚くのだろう。


「……ええ。私が」

「失礼いたしました」

 オズワルドは頭を下げた。

「これまで殿下が、こうした分野にご関心をお持ちとは存じませんでしたので」

「今は関心があるわ」

「そのようですな」

 彼は帳簿を閉じず、別の書類を引き寄せた。

 どうやら、面会を終えるつもりはなくなったらしい。


「では、殿下のお考えを伺いましょう」

「何を?」

「西街道への依存が危険であるとして、どうなさりたいのです?」

 私は少し考えた。

 魔族の資料には、壊す方法が詳しく書かれていた。

 では、その反対をすればいい。


「まず、今ある麦の量を確かめたいわ」

「官の倉庫については記録がございます」

「商会の倉庫は?」

「全てを把握しているわけではありません」

「なら、そこも調べられない?」

「商会にはそれぞれ取引上の事情がございます。王家の命令とはいえ、無制限に帳簿を開かせることはできません」

「そう」

 王女という身分でも、できないことはあるらしい。

 少し残念だった。

「では、まず官の倉庫だけでいいわ。どこに、何が、どれだけあるのか」

「それなら可能です」

「それから、西以外の道を使えるようにしたいの」

「輸送経路の変更ですか」

「ええ。東の倉庫にも麦はあるのでしょう?」

「地方の備蓄はございます。ただ、それを王都へ運ぶには費用も時間もかかります」

「全部運ぶ必要はないわ」

「と、申されますと?」

「少しだけ運んでみるの。実際に何日かかるのか、荷車が何台必要なのか。それを確かめておけば、急に必要になったときに困らないでしょう」

 オズワルドは顎に手を当てた。

「試験輸送、ですか」

「そう。それから、川も使えるなら、船でどれだけ運べるのか調べたいわ」

「河川輸送はすでに行われております」

「今より増やせるかどうかを知りたいの」

 彼は小さく頷いた。

「なるほど。続けてください」

「倉庫も、一か所に集めすぎない方がいいと思う」

「分散保管ですな」

「ええ。火事になっても、全部なくならないように」

 オズワルドはしばらく考えていた。

 それから、机の上の帳簿を指で叩いた。

「いずれも、不可能なことではありません」

「なら」

「しかし、費用がかかります」

 また、それだ。

 どうやら人間の仕事は、何をするにも金が必要らしい。

「何もしなければ、お金はかからないの?」

「少なくとも、今すぐ余計な支出は生じません」

「でも、食糧がなくなれば、もっと困るでしょう」

「その通りです。ただし、危険がどの程度あるのか分からぬまま費用を投じるわけにもまいりません」

 なるほど。

 言われてみれば、その通りだった。

 魔族の資料を見せられれば話は早いのだが、それはできない。

 ならば、資料がなくても納得できる方法を考えるしかない。


「それなら、まず小さく始めればいいわ」

「小さく?」

「官の倉庫の数と中身を確かめる。東の道から少しだけ麦を運ぶ。川の輸送量を調べる。それなら、いきなり大きなお金を使わずに済むでしょう?」

「……ふむ」

「結果を見てから、続けるか決めればいいの」

 オズワルドは椅子へ深く座り直した。

 しばらく帳簿を眺めていたが、やがて私の紙を手に取った。

「殿下。昨日、市場でお調べになったのは、これだけですか?」

「ええ」

「そして、その結果から西街道の遮断を想定された」

「そうよ」

「倉庫の分散まで?」

「……そうね」

 彼は私を見た。

 何かを測るような目だった。

「随分と先までお考えになったものです」

「心配性なのかもしれないわ」

「殿下が?」

 また、それだ。

 私は思わず彼の顔を見た。

 オズワルドは、今度はすぐに目をそらさなかった。

「失礼。少々意外でしたので」

「そうでしょうね」

 こちらも、少し慣れてきた。

 この城の人間は、私が何かするたびに驚く。

 王女という仕事には、まだ知らない難しさがあるらしい。


 オズワルドは文官を呼び、短い指示を出した。

 官の倉庫について、最新の備蓄記録を集めること。

 東街道と河川輸送について、輸送量と費用を確認すること。

 商会の買い付け状況も、可能な範囲で調査すること。

 文官は驚いた様子だったが、すぐに書き留めて部屋を出ていった。

「これでいいの?」

「まだ調査を命じただけです」

「そう」

「ただし、試験輸送については検討する価値がありそうです。費用を確認したうえで、少量から実施しましょう」

「ありがとう」

 オズワルドは首を横に振った。

「礼には及びません。必要と判断したから行うだけです」

 それは分かりやすい。

 私も必要だから頼んでいる。

 理由が同じなら、仕事もしやすそうだった。


「ただし、殿下」

「何?」

「一つ、お約束いただきたい」

 オズワルドの声が少し低くなった。

「今回の調査と試験輸送は、殿下からのご提案として記録いたします」

「ええ」

「費用も人手も使います。もし成果がなければ、その理由を説明していただくことになります」

「分かったわ」

「簡単にお引き受けになりますな」

「私が頼んだことだもの」

 オズワルドは少し黙った。

「……承知いたしました」

 彼は手元の紙に何かを書き込み、印を押した。

 それを私の前へ差し出す。

「こちらをお持ちください。担当部署への照会と、必要な記録の閲覧を認めます。ただし、勝手に物資を動かすことはなさらぬよう」

「分かったわ」

「それから、調査の途中で気づいたことがあれば、私にも報告を」

「ええ」

「必ず、です」

 念を押された。

 信用されていないらしい。

 まあ、私も自分の正体を隠しているのだから、人のことは言えない。


 書類を受け取り、私は立ち上がった。

「今日はありがとう」

「いえ。こちらこそ、興味深いお話でした」

 オズワルドは頭を下げた。

 その言葉が、褒められているのか疑われているのか、私には判断できなかった。


 扉へ向かおうとしたところで、声をかけられた。

「殿下」

「何かしら」

「最後に、もう一つだけ」

 オズワルドは机の上の帳簿を閉じた。

「なぜ、今なのでしょう?」

「……何が?」

「西街道の遮断を心配される理由です。王都の食糧事情について、これまでご関心を示されたことはなかったと記憶しております」

 私は返事を探した。

 魔族の責任者が死んだから。

 王宮から逃げる必要がなくなったから。

 この国が滅びると、私の部屋もなくなるから。

 どれも、本当のことだ。

 けれど、どれも答えられない。


「市場で、パンの値段が上がっていたの」

 結局、そう答えた。

「それだけですか?」

「それだけでも、気になるでしょう?」

 オズワルドは何も言わなかった。

 私は頭を下げ、部屋を出た。


 廊下では、リネットが待っていた。

「殿下、お話は終わりましたか?」

「ええ」

「いかがでした?」

「仕事が増えたわ」

「……お仕事、でございますか?」

「倉庫と荷車のことよ」

 リネットが私の手元の書類を見た。

「宰相閣下から、何かお預かりになったのですか?」

「帳簿を見せてもらえることになったの」

「帳簿?」

「ええ。麦の」

 リネットはしばらく黙った。

 それから、何かを諦めたように微笑んだ。

「お茶のご用意をいたしますね」

「お願いするわ」

「胡桃のお菓子もございますよ」

「それは嬉しいわね」

 こちらの方が、私には分かりやすい話だった。


 自室へ戻ると、私は机に書類を広げた。

 宰相の印が押されている。

 これがあれば、今まで見られなかった帳簿を読むことができるらしい。

 ただし、書類の端には条件も書かれていた。

 調査の範囲。

 試験輸送を実施するまでに必要な手続き。

 そして、結果についての報告義務。

 思ったより面倒だった。

 魔族の命令なら、言われた通りに動けばよかった。

 しかし今回は、何を調べ、どこへ運び、どうすればよいかを自分で考えなければならない。


 私は昨日の市場を思い出した。

 麦袋を数える男。

 荷車に描かれた商会の印。

 パンを売るマルタ。

 あの人たちが、明日も同じように仕事を続けられるかどうかは、まだ分からない。

 けれど、少なくとも、調べることはできるようになった。


 それなら、まずは帳簿を読もう。


 そう決めたところで、机の上の書類に目を戻した。

 試験輸送には、いくつもの許可が必要らしい。

 運ぶ麦の確保。

 荷車の手配。

 倉庫の使用。

 それぞれに担当者がいて、別々の書類が必要になる。


 なるほど。

 人間の国というのは、麦を動かすだけでも随分と手間がかかるものらしい。


 私は必要な書類を一枚ずつ並べ、まず何から手をつければよいのか考え始めた。

 とりあえず、明日は担当の役所へ行ってみよう。

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