第21話 偽りの王女が守るもの
最初に動いたのは、魔族の部下だった。
ガルドの横を抜け、私に向かって剣を振り下ろしてくる。
「殿下!」
ガルドが叫んだ。
私は横へ跳んだ。
刃が石の床を叩き、乾いた音が響く。
危ないところだった。
私は剣を持っていない。
そもそも、剣を使った経験もほとんどない。
王女として暮らしていたのだから、当然だろう。
いや、王女になる前も使ったことはなかったかもしれない。
「何をしておる! 下がりなされ!」
ガルドが叫んだ。
けれど、背後には本物のエルシアたちがいる。
私が下がれば、魔族はそちらへ向かうだろう。
私は足元を見た。
先ほど倒れていた兵士の剣が、床に落ちている。
それを拾い上げた。
「……殿下?」
ガルドが驚いた声を出した。
「剣を扱えるのですか」
「……たぶん」
私は剣を握り直した。
自信があるわけではない。
ただ、知っていることがあった。
ベルク伯爵の護衛長。
私が脳を喰らい、記憶を奪った男だ。
彼は長年、剣を扱っていた。
毎日の鍛錬も、実戦での経験も、私の中には残っている。
だから、剣の持ち方も知っている。
足をどこへ置き、相手の刃をどう受ければよいのかも。
問題は、それを私ができるかどうかだった。
魔族が再び斬りかかってきた。
私は剣を構えた。
護衛長の記憶にある構えだ。
ところが、実際に剣を持ってみると、思っていたより重かった。
受け止めようとした刃に腕を押され、危うく剣を落としかける。
「……あら、まあ。」
少し違うらしい。
相手は容赦なく、次の斬撃を繰り出してきた。
私は身体をひねって避けた。
今度は、護衛長の動きをよく思い出す。
肩の位置。
肘の角度。
足を踏み出す長さ。
私は人間の姿を真似ることができる。
顔や声だけではない。
立ち方や歩き方も、観察した通りに再現できる。
ならば、記憶の中に残っている動きも、同じように真似ればいい。
私はもう一度、剣を構えた。
魔族の刃が迫る。
今度は、正面から受けなかった。
斜めに剣を合わせ、相手の力を横へ逃がす。
護衛長が何度も使っていた方法だった。
魔族の身体がわずかに流れた。
私は踏み込み、その腕を斬りつけた。
「ぐっ!」
魔族が後退した。
できた。
少し驚いた。
記憶の中で見ているのと、実際にやるのとでは随分違う。
それでも、まったく使えないわけではないらしい。
「……その剣は」
ガルドの声が聞こえた。
彼は別の魔族と斬り結びながら、こちらを見ていた。
「どこで覚えられたのです」
「……人から、少し」
嘘ではない。
ただ、教えてもらったわけではなかった。
「今は結構です! 足元にお気をつけなされ!」
ガルドが叫んだ。
私は頷いた。
確かに、今は話している場合ではなかった。
魔族の部下は、何度も攻撃を繰り返した。
私は護衛長の記憶を頼りに、その動きを受け流していく。
相手の肩が動けば、次の斬撃の方向が分かる。
踏み込む足を見れば、どこまで届くのかも予測できる。
もちろん、いつも正しく判断できるわけではない。
一度は剣を弾かれ、壁際まで追い込まれた。
けれど、護衛長の記憶には、そこから抜け出す方法もあった。
相手が大きく踏み込んだ瞬間、私は身体を沈めた。
振り下ろされた剣が頭上を通り過ぎる。
そのまま相手の横へ回り、剣の柄を持つ手を打った。
魔族が呻いた。
剣が床に落ちる。
私はその胸元へ剣を突きつけた。
「……動かないで」
魔族は歯を剥いて唸った。
それでも、武器のない状態で突っ込んでくるほど愚かではなかったらしい。
無抵抗の相手にとどめを刺すのは、さすがに気が引けた。
そこで剣の平で頭を強く打ち、床に倒した。
気絶したはずだ。多分。
これで、一人は何とかなった。
もう一人の魔族は王宮騎士たちに押さえられていた。
だが、ガルドの方は簡単ではなかった。
ガルドへ襲い掛かってきた魔族の指揮官は、部下とは明らかに違う。
剣を振る速さも、踏み込む距離も大きかった。
ガルドは相手の攻撃を受け流しているものの、反撃する余裕がほとんどない。
階段の手前では、本物のエルシアを乗せた担架が止まっている。
狭い通路で斬り合いが続いているため、先へ進めないのだ。
「王女を上へ運べ!」
ガルドが叫んだ。
「無理です! 通路が塞がれています!」
騎士が答えた。
私は周囲を見た。
地下の廊下は、二人が並んで剣を振るには狭い。
だからこそ、魔族たちも一度に襲いかかれない。
けれど、私たちも簡単には逃げられなかった。
私は足元の木箱を見た。
食糧を運ぶためのものだろう。
いくつか積まれている。
「ガルド!」
私は叫んだ。
「右の壁際へ寄って!」
「何を……!」
「いいから!」
ガルドが一歩下がった。
その瞬間、私は木箱を蹴り倒した。
積まれていた箱が崩れ、魔族の足元へ転がる。
「小細工を!」
指揮官が怒鳴った。
けれど、踏み込もうとした足が止まった。
ガルドはその隙を逃さなかった。
鋭く剣を突き出す。
指揮官が身をひねった。
刃は肩をかすめたが、深くは届かない。
「……惜しい」
私は呟いた。
「感想を述べている場合ではありませんぞ!」
ガルドが怒鳴った。
それはそうだった。
「陛下の騎士たち!」
背後から声がした。
本物のエルシアだった。
「私を運ぶ兵は二人でいいわ! ほかの者は通路を確保して!」
「しかし、殿下!」
「ここで全員が倒れたら、私も帰れないでしょう!」
騎士たちが顔を見合わせた。
「……承知いたしました!」
一人が応援を呼ぶために階段へ向かい、残った騎士が前へ出た。
エルシアは担架の上で息を整えていた。
随分と弱っているはずなのに、声はしっかりしている。
私は少し感心した。
どうやら、彼女もただ守られるだけでは気が済まないらしい。
ガルドが言っていた通りの王女なのだろう。
指揮官が舌打ちした。
「まったく、面倒な連中だ」
私は剣を構え直した。
護衛長の記憶を使えば、魔族の部下とは戦える。
けれど、指揮官はどうだろう。
彼の動きは、護衛長が知っている剣術とは随分違う。
人間よりも力が強く、無理な姿勢からでも剣を振ってくる。
護衛長の知識だけでは、対応しきれないかもしれない。
「ガルド。私も手伝うわ」
「無理はなさらぬよう」
「分かったわ」
私は頷いた。
無理をしないで済むかどうかは、分からないけれど。
ガルドが正面から攻めた。
私は横から剣を突き出す。
指揮官は私の攻撃を弾いたが、その間にガルドの剣が迫る。
今度は指揮官が後退した。
私は、もう一度踏み込んだ。
相手の足を狙う。
指揮官が跳び退いたところへ、ガルドが追いすがる。
少しずつ、押し返せている。
二人で戦うと、随分違った。
ガルドは私の動きをよく見ていた。
私が攻撃すれば、その隙を補ってくれる。
私が下がれば、代わりに前へ出る。
私は、ガルドの動きを追いながら剣を振った。
護衛長の記憶にはない戦い方だった。
それでも、不思議と合わせやすかった。
「……なるほどな」
指揮官が呟いた。
「王宮の駒が、今度は騎士の真似事か」
私は答えなかった。
返事をしていると、斬られそうだったからだ。
やがて、指揮官が大きく後退した。
私は追おうとした。
「待ちなされ!」
ガルドの声で足を止める。
指揮官は、こちらを見ていなかった。
その視線は、私たちの背後へ向けられていた。
本物のエルシアだ。
「……そうか」
指揮官が笑った。
「お前たちは、あの女を守りたいのだったな」
嫌な予感がした。
「もう役に立たぬ駒だ。ならば、王国へ返してやる必要もない」
指揮官が動いた。
私ではない。
ガルドでもない。
真っ直ぐ、エルシアへ向かっていた。
「殿下!」
ガルドが叫んだ。
彼も追いかけようとしたが、足元の木箱が邪魔になった。
私が倒したものだった。
あら。
これは、失敗だったかもしれない。
指揮官は、エルシアを守る騎士へ斬りかかった。
騎士が剣を受け止める。
だが、指揮官はそこで足を止めなかった。
相手の剣を押しのけ、脇を抜ける。
担架の上のエルシアが目を見開いた。
リネットが彼女を庇おうとする。
けれど、間に合わない。
指揮官の剣が、エルシアへ向けられた。
私は、その様子を見ていた。
避ければ、私には当たらない。
そもそも、私を狙った攻撃ではないのだから。
けれど、エルシアは避けられない。
私は全力でエルシアの元へ走った。
とっさに剣も投げ捨てた、速く走るために。
護衛長の記憶など、思い出している余裕はなかった。
私は指揮官とエルシアの間に身体を滑り込ませた。
そして、両手を広げて立ちはだかった。
その瞬間、胸に強い衝撃が走った。
何が起きたのかは、すぐに分かった。
魔族の剣が、私の胸を貫いていた。
背後で、リネットの悲鳴が聞こえた。
「殿下!」
ガルドの声もした。
私は、自分の胸から突き出た刃を見た。
随分と深く刺さっている。
指揮官は、剣を引き抜こうとした。
私はその腕をつかんだ。
「……何?」
魔族が驚いた顔をした。
私は離さなかった。
ここで剣を抜かれれば、またエルシアを狙われるかもしれない。
「ガルド!」
私は呼んだ。
指揮官が振り返る。
その瞬間、ガルドの剣が走った。
刃が魔族の首筋を深く斬り裂く。
指揮官が呻き、膝をついた。
魔族の手から剣が離れた。
これで、指揮官は動かなくなった。
私は胸に刺さった剣を引き抜いた。
そうして、床が近づいてきたと思ったら、私はそのまま倒れていた。
そこからは、少し騒がしかった。
ガルドが指揮官を倒したことで、魔族の抵抗も弱まったらしい。
地上から駆けつけた兵士たちが、残っていた魔族を取り押さえている。
誰かが私の名前を呼んでいた。
いや、名前ではない。
殿下、だった。
本物のエルシアに名前が戻されてしまったので、今のところ私には名前がないのだから、仕方がない。
「殿下! しっかりなされ!」
ガルドが私の身体を抱き起こした。
随分と慌てている。
珍しいこともあるものだ。
「リネット! 布を持ってこい!」
本物のエルシアが叫んだ。
「傷口を押さえて! 早く!」
リネットが駆け寄ってきた。
私の胸に布を当てる。
すぐに赤く染まったらしい。
「そんな……」
リネットの声が震えた。
「どうして……こんな……」
私は返事をしようとした。
けれど、うまく声が出なかった。
胸の辺りが、まだ元の形になっていない。
少し時間が必要そうだった。
「殿下!」
ガルドが呼んだ。
「目を開けてくだされ!」
開けているつもりだった。
どうやら、半分ほど閉じていたらしい。
私は少しだけ目を動かした。
ガルドの顔が見えた。
彼は私の胸を見て、唇を噛んでいる。
「……間に合わなかった」
小さな声だった。
何のことだろう。
魔族の指揮官は倒したはずなのに。
「私が、もう少し早く動けていれば……」
ガルドは、そう言って俯いた。
私は少し困った。
別に、ガルドが悪いわけではない。
それに、あのとき私が前へ出たのは、自分で決めたことだった。
「……どうして」
別の声が聞こえた。
本物のエルシアだった。
担架から身を乗り出し、私を見ている。
「どうして、私を庇ったの……」
私は、少し考えた。
エルシアが死んだら、王宮へ帰るのは簡単になるのかもしれない。
少なくとも、本物と偽物が並んでいるという問題はなくなる。
けれど、ガルドは悲しむだろう。
リネットも、きっとそうだ。
何か月も探して、ようやく見つけた人なのだから。
それは嫌だった。
「……あなたが死んだら」
私は答えた。
少し声が出るようになっていた。
「ガルドも、リネットも……悲しむでしょう?」
エルシアは、何も言わなかった。
私をじっと見つめていた。
「……あなたは」
何か言いかけて、やめた。
その目から、涙が一粒落ちた。
私は少し驚いた。
この人も、泣くのだ。
当然かもしれないけれど。
「もう、お話しにならないでください……!」
リネットが言った。
いつの間にか、私の胸に顔を伏せていた。
肩が震えている。
「……リネット?」
「お願いですから……もう……」
泣いているらしい。
私は少し困った。
リネットが泣いているところは、あまり見たことがない。
以前、私が仕事をやりすぎたときには、随分と怒られたことがある。
けれど、こんなふうに泣かれたのは初めてだった。
ガルドも、険しい顔をしている。
本物のエルシアまで、涙を拭っていた。
どうしたものだろう。
私は少し考えた。
それから、リネットへ声をかけた。
「……ねえ、リネット」
「何ですか……!」
「この服、直せるかしら」
リネットが顔を上げた。
「…………はい?」
私は自分の胸元を見た。
剣が貫いたところに、大きな穴が開いている。
せっかく仕立ててもらった服なのに。
困ったことになった。
「随分と破れてしまったのよね」
私はそう言いながら、身体を元の形へ戻した。
胸の傷が、少しずつ塞がっていく。
最後に皮膚を整えると、痛みもほとんどなくなった。
服の穴だけが残った。
私は身体を起こした。
「……殿下?」
ガルドが呟いた。
「どうかなさいました?」
私が尋ねると、ガルドは口を開けたまま固まっていた。
リネットも、私の胸元を見つめている。
「……傷は?」
「直したわ」
「直した……?」
「ええ。身体の形を戻しただけよ」
私は胸を軽く押してみた。
もう問題なさそうだった。
核にも傷はついていない。
私たちドッペルゲンガーは、核さえ無事なら、普通の傷で死ぬことはない。
もちろん、核を壊されれば死ぬ。
だから、あの攻撃もまったく危険がなかったわけではないけれど。
今回は、少し場所がずれていた。
「身体は直せるけれど、服は直せないのよね」
私はリネットを見た。
「……ねえ、これ、縫えば何とかならないかしら」
リネットは、しばらく私を見つめていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「……そういうことは」
「ええ」
「そういうことは、先に仰ってください!」
地下の廊下に、リネットの声が響いた。
ガルドが、その場に座り込んだ。
本物のエルシアは、呆然と私を見ている。
私は少し考えた。
どうやら、人間は胸を刺されると死ぬらしい。
そういえば、護衛長たちもそうだった。
私にとっては大したことがなくても、人間からすれば随分と怖いことなのだろう。
「……ごめんなさい」
私は謝った。
リネットは何も言わなかった。
ただ、もう一度私に抱きついてきた。
服が濡れる。
せっかく直せるかどうか聞いているのに、さらに濡らしてしまうのはどうなのだろう。
そう思ったけれど、今度は口に出さなかった。
ガルドも、ようやく立ち上がった。
「……まったく」
深く息を吐く。
「あなたというお方は……」
その顔は、怒っているようにも、笑っているようにも見えた。
私は首を傾げた。
何だか、以前にも似たような顔を見た気がする。
リネットは、まだ離れようとしなかった。
私は、彼女の背中にそっと手を回した。
不思議なものだ。
私は、王女ではない。
本物のエルシアでもない。
それなのに、私が死んだと思って泣いてくれる人がいる。
どうやら、王宮へ帰りたいと思っているのは、私だけではないらしい。




