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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第19話 本物のエルシア

「誰かいるのか!」


 ガルドの声が、地下の廊下に響いた。


 返事はなかった。

 ただ、奥の方で何かが動く音がした。


「殿下。こちらでお待ちください」


 ガルドが私たちの前へ出た。

 兵士たちは剣を抜き、廊下の奥へ進んでいく。


 私はリネットと並んで、その様子を見ていた。


 やがて、男の声が聞こえた。


「ま、待ってくれ! 俺は何もしていない!」

「動くな!」

「本当だ! 言われた通りにしていただけなんだ!」


 兵士たちが、一人の男を連れて戻ってきた。


 中年の人間だった。

 汚れた上着を着て、腰には鍵束を下げている。


「奥の部屋に隠れておりました」


 兵士が報告した。


「ここの管理を任されていると申しております」

「管理?」


 ガルドが男を見た。


「何を管理している」

「倉庫だよ。ここを使う連中から、見張りを頼まれていたんだ」

「誰に頼まれた」

「名前なんか知らない。金をもらって、言われたことをしていただけだ」


 ガルドの表情が険しくなった。


「ここに、人を閉じ込めているな」


 男は黙った。


 私は、その腰の鍵束を見た。


「奥に、まだ部屋があるの?」


 男が私を見た。

 それから、少し驚いたような顔をした。


「あんた……」

「質問に答えろ」


 ガルドが遮ると、男は慌てて頷いた。


「あ、ああ。奥に一つある。そこに女がいる」

「女?」


 ガルドが一歩近づいた。


「生きているのか」

「当たり前だろう。死なせるなと言われているんだ」


 私は顔を上げた。

 死なせるな。

 その言葉には、聞き覚えがあった。


 私が王宮へ送り込まれたとき、本物のエルシアは生きたまま確保しておく予定だった。

 私が彼女の記憶を得るためだ。


「案内しろ」


 ガルドが命じた。

 男は兵士に腕をつかまれ、廊下の奥へ連れていかれた。


 そこには、頑丈な木の扉があった。


 鉄の金具が打ちつけられ、外側に大きな錠がついている。

 男が鍵を取り出すと、金具の擦れる音がした。


「中の者は、逃げようとしなかったのか」


 ガルドが尋ねた。


「最初の頃はな。だが、ここから出ても行く場所なんかない。外には人もいないんだ」

「それで、閉じ込めておいたのか」

「俺は、見張っていろと言われただけだ」


 男は何度も同じことを繰り返した。

 どうやら、自分は悪くないと言いたいらしい。


 ガルドは、それ以上相手にしなかった。


「開けろ」


 錠が外された。


 扉が開くと、奥に小さな部屋が見えた。

 先ほどの部屋よりも、さらに狭い。


 寝台と机。

 水差しと椅子。


 窓はなかった。


 壁に取りつけられた灯りが、弱く揺れている。


 寝台の上に、人がいた。

 毛布を肩までかけた女性だった。


 長い髪が枕の上に広がっている。

 頬は痩せ、顔色もよくない。


 女性は、扉が開いたことに気づいて顔を上げた。


「……何?」


 かすれた声だった。


「食事なら、さっき受け取ったわ」


 私は、その顔を見た。

 見覚えがあった。


 鏡の中で、毎日見ている顔だった。

 ただし、私よりも随分と痩せている。


 目の下には影があり、髪も手入れされていない。

 それでも、目や鼻の形は、間違いなく同じだった。


「……で、殿下?」


 ガルドが呟いた。

 女性が顔を上げた。


「……ガルド?」


 その声に、ガルドの表情が変わった。


「エルシア殿下……!」


 彼は寝台の前まで進み、膝をついた。


「お迎えに上がるのが遅くなりました。申し訳ございません」

「……本当に、ガルドなの?」


 女性が手を伸ばした。


 ガルドは、その手を両手で包んだ。


「はい。ガルド・ベルンハルトでございます」

「……そう」


 女性は目を閉じた。


「殿下。突然で申し訳ありませぬ。替え玉ではないと確認したくお聞かせください。初めてお一人で馬に乗られた日のことを、覚えておいでですか」

「……あなたに、口止めした日のことでしょう?」

「左様でございます」

「結局、お父様に話してしまったじゃない」

「あの乗り方を見て、黙っているわけにはまいりませんでしたので」


 女性は少し笑った。


「ずいぶん、遅かったじゃない」


 その言い方には、少しだけ怒っているような響きがあった。


「面目次第もございませぬ」


 ガルドは深く頭を下げた。

 私は、その様子を見ていた。

 ガルドが、あんな顔をするのは初めてだった。


 いつも私に注意するか、疑うか、困ったように笑うか。


 そんな人だと思っていた。

 けれど、今は違った。


「リネット……?」


 寝台の女性が、私の隣を見た。

 リネットが息を呑んだ。


「エルシア殿下……」


 彼女は急いで寝台へ近づいた。


「ご無事で……本当に……」

「あなたまで来てくれたのね」


 女性は、少し笑った。


「こんな格好で、ごめんなさい。髪もひどいことになっているでしょう?」

「そんなこと……!」


 リネットは首を横に振った。


「今、お身体を拭くものをお持ちします。着替えもございますから」

「相変わらずね。まず身なりの心配なの?」


 女性が小さく笑った。

 リネットは、その手を握った。


 私は二人を見ていた。

 いつものリネットだ。


 食事の前に手を洗うように言い、寒い日には上着を持ってきてくれる。

 ただ、その気遣いを向けている相手が、今は私ではなかった。


 当然のことなのだろう。

 あの人こそ、本物のエルシアなのだから。



 女性が、こちらを見た。

 その目が私を捉えた。

 笑みが消え、驚きの表情を浮かべる。


「……あなたは、何?」


 彼女は、私の顔をじっと見つめた。

 私は何も言わなかった。


 彼女は毛布を押しのけ、身体を起こそうとした。


「殿下。まだ無理をなさらず」


 ガルドが支えた。


「そんなことより……」


 女性は、私から目を離さなかった。


「どうして、私がいるの?」


 私は少し考えた。

 どう説明したものだろう。


「……あなたの姿を真似ているからよ」


 女性の表情が変わった。


「真似ている?」


 私は頷いた。


「私は、ドッペルゲンガーなの」

「……魔族の?」


 その問いには、頷くしかなかった。

 女性は私を見つめていた。


 やがて、静かに尋ねた。


「私の顔で、何をしていたの?」


 私は答えに困った。

 王宮で暮らしていた。

 食事をして、眠って、仕事をしていた。


 リネットからお茶を淹れてもらい、ガルドに注意され、オズワルドから書類を渡されていた。


 それを、どう話せばいいのだろう。


「……王宮で、暮らしていたわ」


 私は答えた。

 女性は黙った。


「私の代わりに?」

「ええ」

「私の名前を使って?」

「……そうよ」


 女性は、ゆっくりと息を吐いた。


「私をここへ閉じ込めて、あなたが代わりに暮らす。そういう計画だったの?」

「……ええ」


 女性は私を見つめた。


「なら、あなたも私を閉じ込めた側なのね」


 その声は冷たかった。


「私は、ここでずっと閉じ込められていたのに」


 私は何も言えなかった。


「あなたは、私の部屋で暮らしていたのね」


 その通りだった。


「……ええ」


 女性は私を見た。


「では、どうして今さら私を探しに来たの?」


 私は少し考えた。


 最初から探そうとしていたわけではない。

 むしろ、見つからない方が都合がよかった。

 本物のエルシアが戻れば、王宮での生活を失うかもしれないからだ。


「……生きているかもしれないと分かったからよ」

「それだけ?」

「それだけでは、ないと思う」


 女性が眉を寄せた。


「自分でも、よく分からないの?」

「……ええ」


 私は頷いた。

 それを聞いて、女性は呆れたように目を閉じた。


「ずいぶん勝手なのね」

「そうね」


 否定できなかった。



 ガルドが口を開いた。


「殿下。まずはここを出ましょう。詳しいお話は、安全な場所で」

「お父様は?」

「陛下は王宮におられます」

「ご無事なのね」

「はい」


 女性は少し安心したようだった。


「王国は?」

「国境で魔族の攻撃がございましたが、退けております」

「そう……」


 彼女は、しばらく俯いていた。


「何も分からなかったの」


 小さな声だった。


「ここでは、外の話を何も教えてもらえなかった。お父様がどうなったのかも、王国がどうなったのかも」


 私は寝台の脇に置かれた水差しを見た。

 毎日、食事と水だけを与えられていたのだろうか。


 何か月も。


 王宮で暮らしていた私とは、随分と違う。


「……王宮は、まだあるわ」


 私は言った。


 女性が顔を上げた。


「そう……。それなら、帰れるのね」

「……ええ」


 彼女は、安心したように目を閉じた。


 私は、同じようには喜べなかった。


 王宮は残っている。

 けれど、私がそこへ帰れるとは限らないのだ。


 リネットが持参した外套を、女性の肩へかけた。


「殿下。お立ちになれますか」

「少しなら」


 女性は寝台から足を下ろした。

 けれど、立ち上がろうとして身体をふらつかせた。


 ガルドがすぐに支えた。


「無理をなさらず。担架を用意させます」

「……そこまで弱っていないわ」

「お言葉ですが、足元が覚束ないように見受けられます」

「ガルド。相変わらず口うるさいのね」


 女性は不満そうだった。

 ガルドは少し笑った。


「それが務めでございますので」


 私は、二人のやり取りを見ていた。

 ああ。

 この人なのだ。


 ガルドが昔から知っている王女は。

 何度も話に聞いた、馬に乗るのが好きで、止められると意地を張るエルシア。

 今、目の前にいる女性の言葉を聞いて、ようやく分かった気がした。


 部屋を出る前に、ガルドが管理人を連れてこさせた。


「いつから、ここに閉じ込めていた」


 男は俯いた。


「何か月か前だ。俺が来たときには、もう女はいた」

「誰の命令だ」

「魔族だよ。最初は何度か様子を見に来ていたが、途中から来なくなった」

「それで?」

「手紙が届いたんだ。引き続き生かしておけって」


 私は顔を上げた。


「誰から?」

「知らないよ。荷物と一緒に届いたんだ」


 男は必死に説明した。


「食糧も薬も届いていた。金だって払われていたんだ。だから、俺は言われた通りにしていた」

「処分しろとは言われなかったのね」

「ああ。絶対に殺すなと言われていた」


 ガルドが私を見た。

 私は頷いた。

 やはり、そういうことなのだろう。


 本物のエルシアは、生きたまま必要だった。

 王宮側の魔族責任者が死んだあとも、別の者が最低限の管理を続けていたらしい。


「ほかに出入口はあるか」


 ガルドが尋ねた。


「奥の坑道が、山の反対側まで続いているはずだ。でも、今は誰も使っていない」

「確認はしたのか」

「俺は行かないよ。暗いし、崩れているところもある」


 ガルドは兵士へ顔を向けた。


「奥の坑道にも見張りを置け。確認が終わるまで、誰も近づけるな」

「はっ!」


 兵士が走っていった。


 私は、管理人の男を見た。

 この人は、何か月もの間、本物の王女を閉じ込めていた。


 けれど、特別に残酷なことをしたつもりはないのだろう。


 毎日、食事を渡していた。

 水を運んでいた。

 帳面をつけていた。


 それだけで、自分の仕事を果たしたと思っているらしい。

 私は少し考えた。


 命じられたことを、何も考えずに続ける。

 以前の私なら、それでよかったのかもしれない。


 ガルドが救出の準備を進めている間、私は部屋に残っていた。


 リネットは本物のエルシアの側にいる。

 彼女の髪を整え、外套を着せていた。

 私は、少し離れた場所からその様子を見ていた。


 本物のエルシアは、生きている。

 それは、確かだった。


 そして、私はその事実が何を意味するのか、知っている。

 ドッペルゲンガーは、人間の姿を真似ることができる。


 けれど、記憶までは真似られない。


 生きている相手の脳を喰らえば、記憶を得られる。

 幼い頃の出来事も。

 家族との思い出も。

 長年仕えてきた騎士との時間も。


 すべて、自分のものにできる。


 私は本物のエルシアを見た。

 彼女の記憶を得るために、私は王宮へ送り込まれたのだ。


 あとは、生きているうちに脳を喰らうだけだった。


 今なら、その条件は揃っている。

 私は、王女の姿になってから、三人の人間を喰らっている。


 護衛長。

 執事。

 ベルク伯爵。


 できないことではない。


 それを、私は知っていた。


「……何?」


 エルシアが私を見た。


「どうして、そんな顔で見ているの?」


 私は少し驚いた。


「……何でもないわ」


 そう答えた。

 エルシアは、私をじっと見つめていた。


「あなたが私の顔をしているのは、分かったわ。でも、同じ顔で見つめられるのは、気分のいいものではないわね」

「そうなのね」

「あなたは平気なの?」

「……少し、変な感じがするわ」


 エルシアは呆れたようだった。


「それはこちらの台詞よ」


 私は頷いた。

 どうやら、この人とは、あまり話が合わないらしい。

 それでも、同じ顔をしている。


 不思議なものだった。


 やがて、ガルドが戻ってきた。


「殿下。移動の準備が整いました」


 本物のエルシアが顔を上げた。


「ありがとう」

「担架をお持ちしました。王都までの道中は、無理をなさらぬよう」

「分かったわ」


 エルシアは素直に頷いた。


 私は少し意外だった。

 先ほどまで、歩けると言い張っていたのに。

 ガルドは慣れた様子で続けた。


「王都へ戻られましたら、まず医師の診察を受けていただきます」

「ええ」

「食事も、最初は少しずつにしていただく必要があるでしょうな」

「そこまで心配しなくてもいいでしょう」

「数か月も閉じ込められておられたのですぞ」

「……分かったわ」


 エルシアは少し不満そうだった。

 それでも、ガルドの話を最後まで聞いていた。


 廊下へ出ると、兵士たちが待っていた。

 ガルドが移動の順番を指示している。


「救出したエルシア殿下を先に。もう一人は私が連れていく。管理人は拘束したまま連れていけ」

「はっ!」


 兵士たちが動き始めた。

 私はその後ろを歩いた。


 リネットは本物のエルシアの側についている。

 私は、何もすることがなかった。


 それは少し寂しかったけれど、仕方がない。

 本物のエルシアを見つけたのだから。


 これで、ガルドが探していた王女は帰ってくる。


 王宮で待っていた人々も、安心するだろう。

 では、私はどうするのだろう。


 その答えは、まだ出ていなかった。


 階段へ向かおうとしたときだった。


 奥の坑道から、短い叫び声が聞こえた。


「何だ!」


 ガルドが振り返った。

 続いて、金属がぶつかる音がした。


 見張りに向かった兵士たちが、何かと戦っているらしい。


「お二人を階段へ! リネットも一緒に!」


 ガルドが命じた。


 王宮騎士たちが、本物のエルシアとリネットの前へ出る。

 私は立ち止まった。

 ガルドは私の前に立った。


 奥の暗闇から、足音が近づいてきた。

 一人ではない。


 やがて、松明の光の中に、背の高い魔族が姿を現した。


 その後ろにも、二人の魔族がいる。

 先頭の魔族は、倒れた兵士を一瞥しただけで、こちらへ歩いてきた。


 私は、その顔を知らなかった。


 けれど、魔族の側は私を知っているらしい。


 その目が、私を捉えた。


「……なるほど」


 魔族は足を止めた。


 それから、私の隣にいるエルシアを見た。

 二つの同じ顔を、ゆっくりと見比べる。


「王宮の駒が消えたと思えば、こんなところにいたのか」


 ガルドが剣を抜いた。


「何者だ!」

「お前たちに名乗る必要はない」


 魔族は、ガルドを見ようともしなかった。

 その視線は、私に向けられている。


「ずいぶんと余計なことをしてくれたようだな」


 私は黙った。


 この魔族は、私が何をしたのか知っているらしい。


 国境での攻撃を退けたことも。

 本物のエルシアを見つけたことも。


 そして、おそらく、私が何のために王宮へ送り込まれたのかも。

 魔族は、もう一度エルシアを見た。


 その顔に、薄い笑みが浮かんだ。


「だが、ちょうどよい」


 私は嫌な予感がした。

 魔族は私を見て、静かに言った。


「ようやく、完成させられるな」

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