第18話 王女を探す偽りの王女
王宮に戻ると、私の部屋の前に立つ騎士が増えていた。
護衛を厚くするためだと説明された。
ただし、部屋を出るときは行き先を伝え、許可を得なければならないらしい。
守るためなのか、逃がさないためなのか。
たぶん、両方なのだろう。
「殿下。宰相閣下がお待ちです」
ガルドが迎えに来た。
「分かったわ」
私は立ち上がった。
ガルドは以前と変わらず、私を殿下と呼ぶ。
けれど、あの砦で話してから、以前と同じようには聞こえなくなった。
オズワルドは執務室で待っていた。
机の上には、国境から届いた報告書が積まれている。
私が見覚えのある書類もあった。
「殿下。まずは、ご無事で何よりです」
「ありがとう」
「国境砦の防衛については、陛下も高く評価されております」
オズワルドはそう言ってから、少し間を置いた。
「ただし、別の報告も届いております」
「……そうでしょうね」
ガルドは扉の近くに立っていた。
「捕虜の証言と、ガルド卿の報告です。陛下にも、すでにお伝えしております」
私は頷いた。
「私が、本物のエルシアではないかもしれないという話ね」
「はい」
オズワルドは否定しなかった。
「現時点では、魔族の証言だけで判断するわけにはまいりません。しかし、看過できる内容でもございません」
「それで、部屋の前に騎士が増えたのね」
「ご不便をおかけします」
「別にいいわ。食事が運ばれてくるなら」
オズワルドは少しだけ眉を動かした。
「……その点は、ご心配なく」
少なくとも、食事は出るらしい。
それなら、今すぐ逃げ出す必要はなさそうだった。
「ですが、しばらくは王宮内でお過ごしいただきます。外出には許可が必要です」
「分かったわ」
「随分と素直にお聞きになりますね」
「断っても、出してくれないのでしょう?」
「おそらくは」
オズワルドは小さく息を吐いた。
「それで、殿下。ガルド卿から、本物の王女が生きておられる可能性について伺いました」
私は顔を上げた。
「ええ」
「その話を、もう少し詳しくお聞かせ願えますか」
私は少し考えた。
ベルク伯爵の記憶には、魔族と取引していた商人が出てくる。
その商人が、王女の原型はまだ保管されていると話していた。
けれど、なぜそんな会話を知っているのかと尋ねられたら、説明できない。
「ベルク伯爵が、魔族と取引していたのは確かでしょう?」
「はい。押収した記録からも確認されております」
「その取引先を、もう一度調べられないかしら」
「すでに調査は進めておりますが」
「食糧や武具だけではなく、もっと小さな荷物も」
オズワルドが私を見た。
「小さな荷物、とは?」
「例えば、毎日使う食糧や水。薬や衣類でもいいわ」
私は言葉を選んだ。
「誰かを生かしておくなら、そういうものが必要でしょう?」
オズワルドは黙った。
やがて、机の上の書類へ目を落とした。
「……確かに、そうですな」
彼は一枚の紙を取り上げた。
「伯爵の取引記録に、用途の分からない支出がいくつか残っております。ただ、王女殿下の監禁と結びつける証拠はありません」
「見せてもらえる?」
「なぜでしょう」
「何か分かるかもしれないから」
オズワルドは、すぐには答えなかった。
それも当然だと思う。
私が魔族と関係しているかもしれないと知ったばかりなのだから。
「……ガルド卿」
オズワルドが呼んだ。
「はい」
「殿下には、あなたも同席したうえで記録を確認していただきましょう。持ち出しは認められません」
「承知いたしました」
どうやら、仕事をすることまでは禁止されていないらしい。
私は少し安心した。
部屋へ戻ると、リネットが待っていた。
「お帰りなさいませ、殿下」
いつもと同じ声だった。
机にはお茶が用意されている。
「お疲れでしょう。お湯をお持ちしましょうか?」
「ありがとう。でも、先に話したいことがあるの」
「何でしょう?」
私は椅子に座った。
リネットも、いつものように私の前へ立った。
この人には、まだ何も話していない。
私が王宮へ来てから、ずっと世話をしてくれた人だ。
お茶を淹れてくれる。
食事の好みを覚えてくれる。
寒い日には、手袋を忘れないように注意してくれる。
その人に、何と話せばいいのだろう。
この人にだけは、ほかの誰かの口から知られたくなかった。
「……私は、本物のエルシアではないの」
リネットは動かなかった。
「どういうことでしょうか」
「姿を真似ているだけなのよ」
「……お戯れを」
私は首を横に振った。
「人間でもないわ。私はドッペルゲンガーなの」
「ドッペルゲンガー……?」
リネットの視線が、私の顔を確かめるように動いた。
「本物のエルシアは、魔族に連れ去られたの。私はその代わりに、王宮へ送り込まれた」
「では……」
リネットは言葉を切った。
その手が、持っていた布巾を強く握っている。
「では、私がこの数か月お仕えしていた方は、誰なのです?」
私は答えようとした。
エルシアではない。
それは、もう話した。
では、誰なのか。
「……私よ」
リネットは何も言わなかった。
「名前は、ないの。王宮へ来る前は、必要なかったから」
「名前が、ない……」
彼女は私を見つめた。
「それでは、あの方は……本物の殿下は、どこにいらっしゃるのですか」
「分からない。でも、生きているかもしれない」
「かもしれない、ですか」
声が少し震えていた。
「今、探しているところよ」
リネットは俯いた。
長い沈黙があった。
私はお茶に手を伸ばしかけて、やめた。
「……リネット」
彼女は顔を上げなかった。
「ごめんなさい」
言ってから、少し驚いた。
私は何を謝っているのだろう。
王女になったことだろうか。
それとも、今まで黙っていたことだろうか。
どちらも、謝っただけでは変わらない。
「少し、一人にさせてください」
リネットが言った。
「……ええ」
彼女は一礼して、部屋を出ていった。
机の上には、お茶が残された。
私はカップを手に取った。
いつもの香りだった。
けれど、今日はあまり味が分からなかった。
翌朝、私はオズワルドの執務室へ呼ばれた。
ガルドも同席している。
机には、ベルク伯爵の取引記録が広げられていた。
伯爵の財産を調べる過程で押収された書類らしい。
「こちらが、用途の分からない支出です」
オズワルドが示した。
「石材の保管料、倉庫の維持費、それから食糧の購入費。いずれも同じ商人を経由しております」
「石材?」
私は記録を覗き込んだ。
王都の西にある採石場。
そこに併設された、古い倉庫の名前が書かれている。
「この採石場は、もう使っていないの?」
「数年前に採掘を終えております。倉庫も閉鎖されたはずですが」
「なのに、お金を使っているのね」
「はい。それも、定期的に」
私は記録を見た。
食糧。
薪。
灯油。
薬。
その数量は、決して多くなかった。
大勢の兵士を養うには足りない。
けれど、一人か二人なら、しばらく暮らせそうだった。
「変ね」
「どの点がでしょう」
「石材を置いておくだけなら、食べ物はいらないでしょう?」
オズワルドが頷いた。
「確かに」
私は書類をめくった。
そこに、小さな印があった。
四角い枠の中に、斜めの線が引かれている。
見覚えがあった。
ベルク伯爵の記憶ではない。
魔族の侵略資料に、同じ印があったのだ。
あの資料には、物資を運ぶための経路や、途中で荷物を預ける場所も記されていた。
その中に、この印が使われていた。
私は考えた。
侵略資料にある印。
伯爵と取引していた商人。
使われていない採石場への、定期的な支出。
偶然かもしれない。
けれど、調べる価値はありそうだった。
「この場所を確認したいわ」
私が言うと、オズワルドは顔を上げた。
「なぜ、そこだと思われるのです?」
「人がいないはずの場所に、人が暮らせるだけの物資が運ばれているからよ」
「それだけでは、監禁場所とは断定できません」
「ええ。だから、調べたいの」
オズワルドは記録を見た。
「……なるほど」
彼は別の書類を取り上げた。
「この倉庫への支払いは、すでに数か月続いております。伯爵の不正が発覚したあとも、前払いの契約によって物資が運ばれていたようです」
「今も?」
「最後の納品記録は、数日前のものです」
私は顔を上げた。
まだ、使われている。
それなら、誰かがいる可能性は高い。
「調べてもらえない?」
「もちろん、調査はいたします」
オズワルドは頷いた。
「ですが、殿下ご自身が向かわれることは、簡単には認められません」
私は黙った。
そうだった。
今の私は、自由に王宮を出られる立場ではない。
「あなたの立場を考えれば、当然のことです」
ガルドが言った。
「……そうね」
私は書類を見た。
この場所には、本物のエルシアがいるかもしれない。
けれど、私が行かなければ見つからないというわけでもない。
兵士たちが調べれば済む話だ。
その方が、安全なのかもしれない。
私は椅子を引いた。
「それなら、調査をお願いするわ」
オズワルドが、少し意外そうな顔をした。
「よろしいのですか」
「ええ。見つかるなら、誰が探しても同じでしょう?」
そう答えたものの、少し気になっていた。
もし、そこに本物のエルシアがいたら。
私は、どうなるのだろう。
その日の午後、ガルドが私の部屋を訪ねてきた。
「採石場へ調査隊を向かわせることになりました」
「そう。よかったわ」
「ただ、現地には古い地下倉庫がございます。魔族が利用していた可能性もあり、通常の調査だけでは見落とすものがあるかもしれませぬ」
「……そうなのね」
ガルドは私の顔を見た。
「あなたは、これまでも魔族の動きを予測してこられました。現地でも、その知識が必要になるかもしれません」
「私も行っていいの?」
「宰相閣下が、陛下へお伺いを立てられました。私の監督のもと、調査隊の指示に従うことを条件に、同行を認めるとのことです」
私は少し驚いた。
「許してくれるのね」
「許されたというより、必要と判断されたのでしょう」
ガルドは、いつものように厳しい顔をしていた。
「もちろん、護衛はつけます。勝手な行動も認められません」
「分かっているわ」
「それから、一つ」
ガルドは言葉を切った。
「本物のエルシア殿下が見つかれば、あなたは王女ではいられなくなるでしょう」
私は頷いた。
「分かってる」
それでも、探そうと思った。
理由は、まだうまく説明できない。
ただ、本物のエルシアがどこかに閉じ込められているのなら、そこから出してあげた方がいいと思った。
ガルドが帰りを待っている人なのだから。
「それでも、お探しになるのですな」
「ええ」
ガルドは、しばらく私を見ていた。
「承知いたしました」
出発の準備をしていると、リネットがやって来た。
昨日から、ほとんど話していなかった。
「殿下」
いつもの呼び方だった。
私は顔を上げた。
「どうしたの?」
「本物のエルシア殿下を探しに行かれると伺いました」
「ええ」
「私も、同行させていただけませんか」
私は少し驚いた。
「リネットも?」
「本物の殿下がお見つかりになった場合、お世話をする者が必要でしょう」
確かに、そうかもしれない。
「でも、危ないかもしれないわ」
「承知しております」
リネットは、少しだけ視線を落とした。
「私は、何も分かっておりません。昨日伺ったことも、まだ、すべてを受け入れられたわけではありません」
私は黙った。
「それでも、確かめたいのです」
リネットは私を見た。
「本物の殿下がご無事なのか。そして、あなたが誰なのかも」
私は返事に困った。
その問いには、まだ答えを持っていない。
「……分かったわ。ガルドに聞いてみる」
リネットは頷いた。
「ありがとうございます」
以前なら、そのまま笑ってくれただろう。
けれど、今日は笑わなかった。
翌朝、私たちは王都を出た。
同行するのは、ガルドと王宮騎士たち、それから調査のために派遣された兵士たちだった。
リネットも馬車に乗っている。
ガルドは、彼女の同行にあまり賛成していなかった。
けれど、本物のエルシアを保護した場合に必要になるという説明には納得したらしい。
道中、リネットはほとんど口を開かなかった。
私は窓の外を見ていた。
王都の建物が遠ざかっていく。
あの場所へ戻れるのだろうか。
そんなことを考えた。
もし本物のエルシアが見つかれば、私は王宮に居られなくなるかもしれない。
それなのに、自分から探しに向かっている。
少し前の私なら、考えられない行動だった。
不思議なものだと思う。
採石場に着いたのは、翌日の昼頃だった。
山の斜面が大きく削られ、白い岩肌が露出している。
作業小屋は朽ちかけており、道にも草が生えていた。
けれど、すべてが放置されているわけではなかった。
「荷車の跡がありますな」
ガルドが地面を見た。
道の中央には、比較的新しい車輪の跡が残っている。
「最近も、誰かが来ていたようね」
「ええ。まずは周辺を確認いたします」
兵士たちが周囲へ散った。
私は馬車の近くで待った。
リネットも隣にいる。
しばらくして、兵士の一人が戻ってきた。
「ガルド卿。建物の裏手に、地下へ続く入口がございます」
「何か見つかったか」
「扉には新しい錠がかけられております。建物自体は古いものですが」
ガルドは頷いた。
「周囲の安全を確認してから開ける。殿下方は、ここでお待ちください」
私は頷いた。
ここまで来れば、急いでも仕方がない。
兵士たちが入口を調べている間、私は採石場を見渡した。
人の姿はない。
鳥の声だけが聞こえている。
こんな場所に、王女が閉じ込められているのだろうか。
もしそうなら、ずいぶんと不便な暮らしをしているはずだ。
温かい食事も、柔らかい寝台もないかもしれない。
私は、王宮の自室を思い出した。
自分が使っているあの部屋は、本来なら彼女のものだった。
やがて、地下の入口が開かれた。
兵士たちが先に中へ入り、入口と通路の安全を確かめる。
しばらくして、ガルドが戻ってきた。
「殿下。中を確認していただきたいものがございます」
「何?」
「人が暮らしていた形跡です」
私はリネットと顔を見合わせた。
彼女の表情が、少し強張った。
「行きましょう」
ガルドに促され、私たちは地下へ降りた。
石の階段は狭く、湿った空気が漂っている。
壁には松明を立てるための金具があり、そのいくつかには新しい油の跡が残っていた。
奥へ進むと、小さな部屋があった。
寝台。
水差し。
木の椅子。
壁際には、食糧を入れた箱が置かれている。
私は部屋を見渡した。
王宮の部屋とは、まるで違う。
けれど、誰かがここで生活していたことは分かった。
「こちらを」
ガルドが机を示した。
そこには、小さな帳面が置かれていた。
日付。
食事の回数。
水と薬の使用量。
毎日、誰かの世話をしていたらしい。
私は帳面をめくった。
最後の日付は、今日だった。
「……今日まで、誰かがいたのね」
私が言うと、ガルドは頷いた。
「そのようです」
リネットが寝台へ近づいた。
畳まれていた寝間着を、そっと持ち上げる。
「……女性用のものです」
彼女は小さな声で言った。
「寝台の脇に、衣類もあります」
私はそちらを見た。
簡素な服が、何着か畳まれている。
大きさは、私が着ているものとそれほど変わらなかった。
リネットは、一枚の服を手に取った。
しばらく眺めてから、元の場所へ戻した。
「殿下……」
彼女が私を見た。
何かを尋ねたいようだった。
私は首を横に振った。
「まだ、分からないわ」
ここにいたのが、本物のエルシアとは限らない。
ただ、誰かが長い間、閉じ込められていた可能性はある。
そして、その誰かは今日まで生きていたのかもしれない。
私は、もう一度帳面を見た。
今日の日付の横に、食事を渡したことを示す印がついている。
そのとき、奥の廊下から物音がした。
小さな音だった。
誰かが、扉を閉めたような。
ガルドが顔を上げた。
「誰かいるのか!」
兵士たちが、奥へ向かって動き始めた。
私は帳面を閉じた。
その向こうにいるのが誰なのか、まだ分からない。
けれど、誰かがいる。
少なくとも、この場所には、帰ることのできなかった人がいたのだ。




