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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第17話 あなたは誰です?

「なぜ、お前がそちらにいる?」


 魔族の言葉に、中庭が静まり返った。

 私は何も答えられなかった。


 捕らえられた魔族は、私を見つめている。

 その顔には、確かに見覚えがない。


 けれど、向こうは私を知っているらしい。


「貴様! 殿下に向かって何を言う!」


 兵士が捕虜の腕を強く引いた。


「黙って歩け!」

「待て。そいつは……」


 魔族が何か言いかけたところで、兵士がその背中を押した。

 砦の指揮官が顔をしかめる。


「尋問室へ連れていけ。余計なことを喋らせるな」

「はっ!」


 魔族は抵抗する様子もなく、連れていかれた。

 ただ、最後まで私の方を振り返っていた。


 私は、ようやく息を吐いた。


「殿下」


 ガルドが声をかけた。


「今の魔族を、ご存じなのですか?」

「……いいえ」


 私は答えた。

 嘘ではない。


 あの魔族とは、会ったことがないはずだ。

 少なくとも、私自身の記憶にはない。


「初めて見る顔よ」

「そうですか」


 ガルドは頷いた。

 けれど、納得したようには見えなかった。

 指揮官が近づいてきた。


「殿下。敵の言葉など、お気になさる必要はございません」

「そう?」

「捕虜が王族を侮辱することは珍しくありません。こちらを混乱させようとしているのでしょう」


 なるほど。

 そういう説明もできるらしい。


「ただし、発言の内容については調べます。殿下に関わることですので、王宮にも報告いたします」

「……分かったわ」


 私は頷いた。

 それは、困る。

 けれど、報告しないでほしいとも言えなかった。

 ガルドは私の隣に立っていた。


 いつも通り、背筋を伸ばしている。

 ただ、その目は私から離れなかった。



 捕虜の尋問は、その日のうちに始まった。

 私が同席することは認められなかった。

 まあ、それは当然だと思う。


 敵の魔族が私を知っているらしいというだけでも、十分に面倒なことになっている。

 そこで私が尋問に加われば、余計に疑われるだろう。


 私は砦の一室で待つことになった。

 ガルドと二人の王宮騎士も、近くに控えている。

 窓の外では、兵士たちが戦いの後片づけを続けていた。


 壊れた柵を撤去する者。

 地面に落ちた矢を拾う者。

 負傷した兵士に肩を貸す者。


 戦いには勝った。


 けれど、まだ仕事は終わらないらしい。

 私は机に置かれた報告書を見た。


 砦の被害について、確認できた範囲が記されている。

 亡くなった兵士の数もあった。

 私は、その数字をしばらく眺めた。


 あの宿場で出会った女の子の父親は、無事だっただろうか。

 名前を聞いておけばよかった。


 今さら、そんなことを思った。



 午後になって、ガルドが戻ってきた。


「殿下。捕虜について、少し分かったことがございます」

「そう」


 私は顔を上げた。


「どんな魔族だったの?」

「軍の連絡役を務めていた者のようです。以前は、別の任務についていたとも申しております」


 ガルドは、そこで言葉を切った。


「王宮に関わる任務です」

「……王宮?」


 嫌な予感がした。


「はい。王宮に潜伏していた魔族の配下で、伝令を務めたことがあると」


 私は黙った。

 王宮側の魔族責任者。

 私にエルシアの姿を取るよう命じ、王宮へ送り込んだ者だ。


 その配下なら、私のことを知っていても不思議ではない。


「捕虜は、王宮へ送り込む者の姿を、以前に見たことがあると申しております」

「……そう」

「その者が、第二王女殿下と同じ姿をしていたとも」


 ガルドは私を見た。


「そして、今朝あなたを見て、その者だと思ったそうです」


 私は答えなかった。


 魔族に、ほかの魔族の名前や姿を覚えている者がいるのは当然だ。

 私が王宮へ送り込まれる前にも、何人かの魔族と顔を合わせている。


 その中に、あの捕虜がいたのかもしれない。

 私が覚えていないだけで。


「砦の指揮官は、どう言っているの?」

「敵の証言だけでは、真実と判断できぬと」

「そうなのね」

「王女殿下を陥れるための虚言という可能性もございます。捕虜は現在も拘束されており、引き続き調べることになっております」


 私は少し安心した。

 しかし、ガルドはそこで言葉を続けた。


「それでも、あの者が何を言ったかは、記録に残ります」

「……ええ」

「王宮への報告にも、含まれるでしょう」


 私は頷いた。

 やはり、簡単には済まないらしい。



「殿下」


 ガルドが静かに言った。


「少し、お話をよろしいでしょうか」


 私は彼を見た。


「ここでは駄目なの?」

「できれば、人のいない場所で」


 私は少し考えた。

 断れば、かえって不自然だろう。


「……分かったわ」


 ガルドは私を隣の部屋へ案内した。


 二人の王宮騎士には、扉の外で待つよう命じている。

 彼らは不思議そうな顔をしたが、何も尋ねなかった。


 部屋には、机と椅子があるだけだった。

 ガルドは扉を閉めた。


「殿下」


 いつもと同じ呼び方だった。

 けれど、声は少し違って聞こえた。


「私は、長い間エルシア殿下にお仕えしてまいりました」


 私は頷いた。


「知っているわ」

「幼い頃から、何度もお叱りし、何度も困らされました」


 ガルドは少し笑った。


「馬に乗りたいと駄々をこねられたこともございます。私が止めると、余計に意地を張られましてな」


 私は何も言わなかった。

 本物のエルシアなら、きっと覚えている話なのだろう。


「最近の殿下は、そうした昔のことを、あまりお話しになりません」

「……そうね」

「それだけではありません。ご存じだったはずのことを、初めて聞くようにお尋ねになる」


 ガルドは私を見た。


「一つ一つは、小さなことでございます」

「ええ」

「ですが、それが重なっております」


 私は黙った。


「そして、以前は関心を示されなかった国の仕事に、突然詳しくなられた」


 食糧のこと。

 伯爵の不正。

 国境の防衛。


 ガルドは、それらを順に挙げた。


「私は、殿下が成長なさったのだと思おうとしておりました」

「……そう」

「しかし、魔族の侵攻を予測なさったことまで、偶然とは思えなくなりました」


 私は机を見た。

 何も置かれていない。

 どう答えればいいのか、分からなかった。


「そして、今朝の捕虜の言葉です」


 ガルドは、しばらく黙っていた。

 やがて、静かに口を開いた。


「……あなたは、エルシア殿下ではありませんな」


 私は顔を上げた。

 ガルドは剣に手をかけていなかった。


 ただ、私を見ている。


「違う、とおっしゃいますか」


 私は口を開いた。


 そう。私は、エルシアではない。


 そう答えそうになった。


 けれど、言葉が出てこなかった。

 この人は、ずっと本物のエルシアを知っている。

 私がどれだけ姿や声を真似ても、その時間まで真似ることはできない。


「……」


 私は何も答えられなかった。

 ガルドは小さく息を吐いた。


「そうですか」


 それだけだった。



 しばらく、沈黙が続いた。

 私は扉を見た。


 外には王宮騎士がいる。

 大声を出せば、すぐに入ってくるだろう。


 逃げようと思えば、逃げられるかもしれない。


 ガルドの姿を真似ることもできる。

 ほかの誰かになって、砦を出る方法だって考えられる。


 しかし、その後はどうするのだろう。


 王宮へ戻ることは難しくなる。

 リネットにも会えなくなるかもしれない。


 それは困る。

 私は椅子から動かなかった。


「あなたが何者なのか、私にはまだ分かりませぬ」


 ガルドが言った。


「ですが、これまで何をしてきたのかは、この目で見ております」


 私は彼を見た。


「王都へ麦を届けるために働かれたことも、腐敗した者を調べようとなさったことも」

「……ええ」

「この砦で、兵のために心を砕かれたことも」


 ガルドは言葉を切った。


「それらが、誰かに命じられた芝居だったとは思いたくありませぬ」


 私は答えられなかった。

 最初は、命令された芝居だった。


 王女として暮らし、王宮の情報を集める。

 そうするために、私はここへ送り込まれた。


 けれど、今は違う。

 少なくとも、国境を守ろうとしたのは、私自身の考えだった。


「だからといって、すべてを見逃せるわけではございません」


 ガルドは続けた。


「本物の殿下がおられるはずです」


 私は顔を上げた。


「……ええ」

「その方は、どこにおられるのです?」


 私は首を横に振った。


「知らないわ」


 これは、本当だった。

 本物のエルシアがどこにいるのか、私は知らない。


「では、ご存命なのですか?」


 私は、すぐには答えられなかった。


 ベルク伯爵の記憶が浮かんだ。

 魔族と関わりのある商人。

 伯爵がその商人と交わした会話。

 王女の原型は、まだ保管されている。

 あの言葉を、私は忘れていない。


 原型。


 それが、本物のエルシアを指しているのなら。


「……生きているかもしれないわ」


 私は答えた。

 ガルドの表情が変わった。


「本当ですか」

「確かではないけれど」

「どこで、そのような話を?」

「……ある商人が、そういう話をしていたらしいの」

「商人?」

「ベルク伯爵と取引していた人よ」


 ガルドは黙った。

 伯爵の事件については、彼も知っている。


 不正の証拠が見つかったことも。

 伯爵が不審な死を遂げたことも。


「その商人の名は?」

「分からないわ。ただ、伯爵との取引を調べれば、見つかるかもしれない」

「……なるほど」


 ガルドは、少し考えた。


「ですが、殿下。なぜあなたが、その話をご存じなのです?」


 私は答えられなかった。

 伯爵の記憶を得たからだ。

 彼の脳を喰らい、その人生を奪ったからだ。

 それを説明すれば、何が起きたのかまで話さなければならない。


 護衛長も。

 執事も。

 伯爵も。


 三人とも、私が殺した。

 そのことを、この人に話したらどうなるのだろう。


「……今は、話せないわ」


 私は答えた。

 ガルドは、しばらく私を見つめていた。


「左様ですか」


 それ以上は尋ねなかった。

 けれど、納得したわけではないのだろう。



「一つ、確かめさせてください」


 ガルドが言った。


「本物のエルシア殿下を、あなたが殺めたのですか」


 私は首を横に振った。


「殺していないわ」

「……それは、真実ですな」

「ええ」


 これは、間違いなく本当だった。

 私は本物のエルシアを殺していない。

 そもそも、会ったことさえないのだ。


 ガルドは目を閉じた。

 しばらくして、ゆっくりと頷いた。


「そのお言葉は、覚えておきましょう」


 私は少し安心した。

 けれど、すぐに気づいた。

 ガルドは、信じるとは言わなかった。


「王宮へ戻りましたら、陛下と宰相閣下にご報告しなければなりません」

「……そうね」

「捕虜の証言も、私が抱いている疑いも、隠すことはできませぬ」


 私は頷いた。

 そうなるだろうとは思っていた。


 王女が偽物かもしれないのだ。

 ガルドが黙っているわけにはいかない。


「そのうえで、本物の殿下をお探しします」

「……ええ」

「あなたがお話しになった商人についても、調べる必要がございますな」


 私は少し考えた。

 本物のエルシアが見つかれば、私はどうなるのだろう。

 王宮には帰れなくなるかもしれない。


 あの部屋も。

 食事も。

 リネットも。


 すべて、本物のエルシアのものだったのだから。

 私は、いつの間にか手を握っていた。


「……見つかったら、どうするの?」


 ガルドは私を見た。


「本物の殿下を、王宮へお連れします」

「そうね」


 当然の答えだった。

 私は頷いた。

 それなのに、胸のあたりが少し重かった。



「私は、エルシア殿下にお仕えする騎士です」


 ガルドが言った。


「その務めを忘れるわけにはまいりませぬ」


 私は黙っていた。


「ですが、あなたがこの砦で守ろうとしたものも、私は忘れませぬ」


 顔を上げると、ガルドはまっすぐに私を見ていた。


「兵の命も、避難する人々のことも。あなたが気にかけておられたのは、確かでございます」


 私は何も言えなかった。


「今すぐ答えを出せることばかりではございません。ですが、確かめなければならぬことは、確かめます」


 ガルドは一礼した。


「それまでは、あなたのお身をお守りいたします。王宮へ無事にお連れすることも、私の務めですので」


 私は少し驚いた。


「……いいの?」

「よいかどうかは、まだ分かりませぬ」


 ガルドは困ったように笑った。


「それが分かるまでは、剣を抜かぬことにいたします」


 私は頷いた。

 ありがたいことだと思った。

 ただ、剣を抜かないというだけで、こんなに安心するとは思わなかった。



 ガルドが部屋を出ていったあと、私はしばらく椅子に座っていた。

 外では、兵士たちが働いている。

 やがて、廊下から食事を運ぶ音が聞こえてきた。

 戦いが終わっても、人間は食事をするらしい。


 当たり前のことなのだろう。


 私は、王宮の食卓を思い出した。


 リネットが淹れてくれるお茶。

 胡桃の焼き菓子。

 仕事を持ってくるオズワルド。

 何かと注意してくるガルド。


 あそこへ帰りたい。

 それは、今も変わらない。

 けれど、ガルドもまた、誰かの帰りを待っているのだ。


 本物のエルシア。


 幼い頃から知っている王女が、どこかで生きているかもしれない。

 宿場で出会った女の子も、父親の帰りを待っていた。

 私は、あの子に帰ってこられるようにすると言った。

 ガルドだって、同じなのだろう。


 私は、自分の手を見た。


 この手は、エルシアのものではない。

 ただ、同じ形をしているだけだ。

 今までは、それで十分だと思っていた。

 私は王宮へ帰りたい。


 けれど、ガルドが帰りを待っているのは、私ではない。

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