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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第16話 侵略計画を知る王女

 砦の中は、急に騒がしくなった。


 兵士たちが武器を手に走り、荷車を引いていた御者が怒鳴り声を上げている。

 門の近くでは、補給物資を運び込む兵士たちが慌ただしく動いていた。


「殿下。こちらへ」


 ガルドに促され、私は城壁の内側にある建物へ入った。

 二人の王宮騎士もついてくる。


「ここでお待ちください。安全が確認できるまで、外へは出られませぬよう」

「分かったわ」

「……本当に?」

「今は言い争っている場合ではないでしょう?」


 ガルドは少しだけ頷いた。


「それも、そうですな」


 彼は王宮騎士の一人を私の側に残し、もう一人を連れて廊下へ出た。


 私は窓から外を見た。


 門の近くに残っていた荷車が、急いで移動させられている。

 まだ物資を運び込んでいる車もあった。


 そこへ、砦の指揮官の声が響いた。


「門を閉める! まだ外にいる荷車は引き返させろ!」

「しかし、補給物資が残っております!」

「今は門を守る方が先だ!」


 私は、その言葉を聞いて少し安心した。


 食糧なら、すでに砦の中へ運び込んである。

 必要なものがすべて揃ったわけではないけれど、当面は持ちこたえられるはずだ。


 もし備蓄を増やしていなければ、もう少し荷車を待つ必要があったかもしれない。

 その間に敵が来たら、困ったことになっていただろう。

 やはり、準備はしておくものらしい。


 やがて、遠くから大きな音が聞こえた。

 何かを打ちつけるような音だった。


 続けて、兵士たちの声が響く。


「敵が接近!」

「弓兵、構え!」


 私は窓から離れた。

 戦いが始まったらしい。

 城壁に何かがぶつかる音や、兵士たちの叫び声が、建物の壁を通して聞こえてくる。


 不思議なものだった。


 魔族の侵略資料には、砦の攻め方が詳しく書かれていた。

 兵士をどこへ向かわせ、いつ補給路を塞ぐかまで決められている。


 けれど、そこには音についての記述がない。

 人間が叫ぶ声も、武器がぶつかる音も。

 私は椅子に腰を下ろした。

 このまま何もせずに待つのは、あまり得意ではない。

 しかし、外へ出たところで私にできることは少ない。

 兵士たちの戦いに混ざるわけにもいかない。

 そもそも、王女が突然敵へ飛びかかったら、味方の方が驚くだろう。


 私はしばらく考えた。


 魔族の計画では、正面からの攻撃は陽動だ。

 本当に狙っているのは、北の古橋を越えた先にある補給路だった。


 そこに見張りを置いたのだから、王国側は敵の動きを知ることができる。

 あとは、知らせが届いたときに兵を動かせるかどうかだ。

 その点については、現地の指揮官に任せるしかなかった。



 扉が開いた。


 入ってきたのは、ガルドだった。


「殿下。お怪我はございませんな?」

「ええ。そちらは?」

「正面では敵の攻撃が始まっております。今のところ、城壁を破られる様子はありません」


 私は頷いた。


「北の橋は?」

「見張り場から報告がありました。谷道に入り込んだ敵が、橋へ向かっているようです」


 やはり。


 私は少しだけ息を吐いた。


「間に合いそう?」

「橋の近くには、あらかじめ兵を置いております。報告を受けた指揮官も、援軍を向かわせました」

「そう。それならよかった」


 ガルドは私の顔を見た。


「随分と落ち着いておられますな」

「そうかしら」

「敵が目の前まで来ているのですよ」

「でも、橋を警戒した方がいいとは、前から話していたでしょう?」


 私が答えると、ガルドは黙った。


「……確かに」


 それから、少し考えるように続けた。


「しかし、敵が本当にそこを通るとは」

「通れる道があるのなら、使うかもしれないわ」

「その可能性を、殿下は誰よりも早く指摘なさった」


 私は返事をしなかった。

 正確には、私が考えたことではない。


 魔族が考えたことだ。

 私がしたのは、その計画を王国側へ知らせることだけだった。


「殿下」


 ガルドが何か言いかけた。

 そのとき、外で再び鐘が鳴った。

 今度は、短い音が何度も続いている。

 ガルドは扉の方を見た。


「失礼いたします。状況を確かめてまいります」

「お願い」


 彼は王宮騎士とともに廊下へ出た。

 私は閉じられた扉を見つめた。

 あの人は、何を聞こうとしたのだろう。



 それからしばらくして、負傷した兵士たちが運び込まれてきた。

 私がいる建物の隣に、負傷者を手当てする場所が設けられているらしい。

 廊下を行き交う足音が増えた。


「包帯を持ってこい!」

「水が足りない!」

「倉庫へ行け! まだ残っているはずだ!」


 私は扉の方を見た。

 側にいた王宮騎士が尋ねる。


「殿下。何かございましたか?」

「手当てするものが足りないのかしら」

「そのようですな。ですが、殿下はここでお待ちください」


 私は頷いた。


「倉庫の担当官を呼んでもらえる?」

「担当官、でございますか?」

「ええ。物資の場所を確認したいの」


 騎士は少し迷ったが、廊下にいた兵士へ声をかけてくれた。

 やがて、補給を担当する官吏がやって来た。


「殿下。何かご用でございますか?」

「負傷した兵士の手当てに使うものは、足りているの?」

「物資はございます。ただ、必要なものを取り出すのに、少々手間取っておりまして」


 私は考えた。


 昼間に見た倉庫では、食糧と武具の置き場所を決め始めたばかりだった。

 手当てに使うものまでは、まだ手が回っていなかったらしい。


「医療用の物資は、どこに置いてあるの?」

「奥の棚にございます。ただ、手前に新しい荷物が積まれてしまいまして」

「それなら、運び出せる分だけでも別の場所に置けない?」

「別の場所、ですか?」

「手当てをする部屋の近くに。何度も倉庫まで取りに行くのは大変でしょう?」


 担当官は少し考えた。


「……確かに、その方が早うございますな」

「必要な数も、そこで分かるようにしておけばいいと思うの」

「承知いたしました」


 担当官は一礼すると、急いで戻っていった。

 私は椅子へ座り直した。

 また、倉庫の話になってしまった。

 しかし、今はそういうことが大切なのだろう。


 包帯がなくても、兵士は困る。

 水が届かなくても、困る。


 剣や弓の扱いは分からないけれど、物を必要な場所へ運ぶ方法なら、少しは考えられる。

 私にも、できることがあったらしい。



 日が暮れる頃、戦いはさらに激しくなった。

 窓の外では、城壁の上に松明が灯されている。

 正面から聞こえてくる音は、少しも小さくならなかった。

 そこへ、ガルドが戻ってきた。


「殿下。北側で敵の部隊と交戦しております」

「橋は?」

「まだ渡らせておりません。見張り場からの報告が早かったため、守備兵が先に位置を確保できました」


 私は頷いた。

 よかった。

 けれど、ガルドの表情は険しいままだった。


「敵は橋の周辺に集まっております。こちらにも、被害が出ております」

「負傷した人もいるのね」

「……ええ」


 ガルドは少し言葉を選んだ。


「亡くなった者もおります」


 私は黙った。

 準備をしても、人は死ぬ。

 当然のことなのかもしれない。


 それでも、少し残念だった。

 あの女の子の父親ではないだろうか。

 そんなことを考えてから、自分でも驚いた。

 顔も名前も知らない兵士のことを、私は心配しているらしい。


「……橋は、守れそう?」

「今のところは。敵は少人数ずつしか渡れません。こちらは橋の出口を押さえております」

「そう」

「ただ、正面の攻撃も続いておりますので、援軍をいくらでも送れるわけではありません」


 ガルドは窓の外を見た。


「敵が何を考えているか、分かればよいのですが」


 私は答えに困った。

 敵の考えなら、ある程度は知っている。

 ただ、ここまで計画を見破られたあとも、同じ方法で攻め続けるかどうかは分からない。

 私の持つ資料が、いつまでも役に立つとは限らないのだ。


「……正面の攻撃は、まだ続いているのね」

「ええ」

「そこから兵を動かせないようにするためかもしれないわ」

「その可能性は、指揮官も考えております」


 ガルドは頷いた。


「だからこそ、守備兵をむやみに北へ送ることはできません」

「そうね」


 私は、それ以上何も言わなかった。

 戦い方については、ガルドたちの方が詳しい。


 私は、彼らが判断するための情報を渡した。

 あとは、その判断を信じるしかない。


 ガルドは、しばらく私を見ていた。


「殿下」

「何?」

「……いえ。何でもございませぬ」


 彼は再び廊下へ出ていった。



 夜が深くなるにつれて、砦の中にも疲れが見え始めた。

 運び込まれる負傷者の数は、減っていない。

 兵士たちは休む間もなく働いている。

 私は、担当官に尋ねた。


「食事は届いているの?」

「はい。交代で休む兵から順に配っております」

「足りている?」

「今のところは。砦内の備蓄から出しておりますので」


 私は頷いた。


 これまでは、後方の倉庫から届く物資に頼る部分が大きかった。

 今は、砦の中にも備蓄を増やしてある。

 そのおかげで、外の街道が使えなくなっても、今夜の食事には困らずに済んだ。


「北へ向かった兵士たちにも届けられる?」

「後方から運ぶ手配はしております。ただ、戦いが続いておりますので」

「そう。無理はしないでね」


 担当官は一礼した。

 私は窓の外を見た。


 食糧がある。

 手当てに使うものもある。

 見張りからの知らせも届いている。


 魔族が奪おうとしていたものは、まだ失われていない。

 それでも、兵士たちは戦い続けている。

 王国を滅ぼすというのは、思っていたよりも手間のかかることらしい。

 そして、守るのはもっと大変だった。



 夜半を過ぎた頃、正面から聞こえていた音が少しずつ小さくなった。

 私は顔を上げた。

 外を走る兵士たちの声が聞こえる。


「敵が下がった!」

「追うな! 持ち場を離れるな!」


 しばらくして、ガルドが戻ってきた。


「殿下。正面の敵が後退を始めました」

「北は?」

「まだ戦闘が続いております。ただ、橋を渡ろうとした敵は押し戻されているようです」


 私は息を吐いた。


「勝てそうなのね」

「少なくとも、敵の思惑通りには進んでおりません」


 ガルドは静かに答えた。


「橋の警戒がなければ、こちらは敵の接近を知らないまま補給路を押さえられていたかもしれませぬ」

「そう」

「さらに、物資の備蓄もございました。正面の門を早く閉められたのも、そのおかげです」


 私は頷いた。

 役に立ったのなら、よかった。


「殿下」


 ガルドが、まっすぐに私を見た。


「あなたのおかげで、守れたものがございます」


 私は少し困った。


 魔族が考えた計画を、逆に使っただけなのだけれど。


「……皆が、準備してくれたからよ」


 私は答えた。

 それは本当だった。


 古橋を調べたのは、現地の兵士たちだ。

 補給の手配をしたのは、オズワルドと担当官たちだ。

 今、敵と戦っているのも、私ではない。


 私一人では、何もできなかっただろう。

 ガルドはしばらく黙っていた。


「左様でございますな」


 そう言って、少しだけ笑った。



 夜明け前、北の古橋でも敵が退き始めた。

 見張り場からの知らせによれば、橋の周辺に集まっていた魔族は、谷の向こうへ引き返していったという。


 正面の敵も、東側の丘の向こうへ姿を消した。

 砦の指揮官は追撃を命じなかった。

 敵が完全に退いたかどうか、まだ分からないからだ。

 兵士たちは城壁の上に残り、見張りを続けている。


 私は、建物の外へ出ることを許された。


 夜明けの砦は、昨日とは随分と違って見えた。


 地面には壊れた木箱が転がっている。

 壁には矢が突き刺さり、血のついた布を運ぶ兵士もいた。


 門は閉じられたままだった。

 戦いは終わったらしい。

 けれど、すべてが元通りになったわけではない。


「殿下」


 砦の指揮官が近づいてきた。


「敵の攻撃は、ひとまず退けました」

「そう。よかったわ」

「北側の部隊も、橋を守りきっております。補給路への侵入は許しておりません」


 私は頷いた。


「被害は?」

「現在、確認しております。亡くなった者もおりますが、砦と補給路は維持できました」


 指揮官は深く頭を下げた。


「殿下が事前に危険を知らせてくださらなければ、もっと大きな被害が出ていたでしょう」


 私は少し困った。

 同じことを、ガルドにも言われたばかりだ。


「……亡くなった人たちのことも、調べてほしいの」

「はっ?」

「どこの人で、家族がいるのか。帰りを待っている人がいるかもしれないでしょう?」


 指揮官は、少し驚いたようだった。


「承知いたしました。負傷者についても、確認を進めます」


 私は頷いた。


 昨日の女の子の父親が、無事でいるといい。

 けれど、それを確かめる方法はまだなかった。

 私は、兵士たちが行き交う中庭を見た。


 魔族の侵略計画書には、砦を落としたあとに利用できる食糧や物資について、詳しく書かれていた。


 今回、魔族はそのどれも手に入れられなかった。


 王国は、滅びなかった。

 少なくとも、今日は。

 それで十分だと思いたかった。



 そのとき、中庭の向こうから兵士たちがやって来た。


 数人が、一人の魔族を取り囲んでいる。

 両手を縛られた魔族だった。

 負傷しているらしく、片足を引きずっている。


「捕虜です」


 指揮官が説明した。


「北の橋で退却し損ねた者を、守備兵が捕らえました」

「そう」


 私は頷いた。


 魔族を見るのは、久しぶりだった。

 王宮にいた魔族の責任者が死んでから、同じ種族の者と会うことはなかった。

 捕らえられた魔族は、兵士に腕を引かれながら歩いていた。

 最初は、私に気づいていないようだった。


 けれど、中庭の中央まで来たところで、ふと顔を上げた。


 その目が、私を捉えた。

 魔族の足が止まった。


「歩け!」


 兵士が腕を引いた。

 しかし、魔族は動かなかった。

 私の顔を、じっと見ている。


 何かを確かめようとしているようだった。


 私は、少し嫌な予感がした。

 その魔族の顔には、見覚えがない。

 けれど、向こうは違うらしい。


「……お前」


 魔族が口を開いた。

 私は動けなかった。


「なぜ、お前がそちらにいる?」


 ガルドが、ゆっくりと私を見た。

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