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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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12/23

第12話 私の記憶ではない

 伯爵が死んだと知らされたとき、どんな顔をすればいいのだろう。


 私は朝食のパンを食べながら、それを考えていた。

 驚くべきだろうか。それとも、悲しむべきだろうか。


 あの晩餐会で顔を合わせたばかりの貴族が亡くなったのだから、悲しむのが正しい気もする。

 けれど、あまり悲しめば不自然かもしれない。


 何しろ、伯爵とはそれほど親しくなかった。


 それに、昨夜はもう一つ気になることを知ってしまった。

 本物のエルシアが、まだ生きているかもしれない。


 確かめたい気もする。

 けれど、本物が戻ってきたら、この部屋も食事も、すべて返さなければならないのだろうか。


 ……今は、考えないことにしよう。


 まずは伯爵の死について、何も知らない顔をしなければならない。


「殿下?」


 リネットが私の顔を覗き込んだ。


「パンが進んでおりませんが、何かございましたか?」

「少し考え事をしていたの」

「またお仕事ですか?」

「ええ、まあ」


 仕事といえば仕事だろう。

 ただし、オズワルドには相談できない種類の仕事だった。


 私はパンを一口食べた。


「そういえば、今朝は城内が少し騒がしいのです」


 リネットが言った。


「何かあったの?」

「詳しいことはまだ分かりませんが、ベルク伯爵のお屋敷で、昨夜大変なことがあったとか」


 来た。


 私はパンを皿へ置いた。


「伯爵が?」

「はい。お亡くなりになったという話もございます」

「……そうなの」


 これでよかっただろうか。


 リネットは少し声を落とした。


「先日お会いになったばかりでしたのに」

「そうね」

「お悔やみを申し上げることになるのでしょうか」

「そうかもしれないわね」


 私はお茶を飲んだ。

 温かい。

 リネットは私の顔を見ていたが、やがて食器を片づけ始めた。

 どうやら、今のところは問題なさそうだった。



 その日の午前、オズワルドが私のもとへ来た。


 いつもより書類の量が少ない。


 この人が大量の書類を持ってくるときは、大抵、仕事を増やされる。

 けれど、書類が少ないときには、もっと厄介な話を持ってくることがある。


 どうやら今日は、後者らしい。


「殿下。ベルク伯爵が昨夜、亡くなられました」

「……そう。お気の毒に」


 私は用意していた言葉を口にした。


 オズワルドは一礼した。


「伯爵邸の書斎から転落されたようです」

「事故なの?」

「まだ断定できません。ただ、書斎から一通の書面が発見されました」


 私は顔を上げた。


「書面?」

「ご自身の不正を告白する内容です」


 オズワルドは持参した紙を机へ置いた。


 原本ではなく、写しだった。

 私はそれを読んだ。


 救済金の着服。

 麦の横流し。

 関係した官吏や商会の名前。


 よく知っている内容だった。

 何しろ、私が書いたのだから。


「ずいぶん、詳しいのね」

「ええ。これまで調べていた内容と一致する部分が多数ございます」


 オズワルドは書面を指で示した。


「特に、この取引番号です。焼失した帳簿の一部に記されていた番号と一致しております」

「それなら、証拠になるのでは?」

「重要な手がかりにはなります。しかし、これだけで不正が証明されたわけではありません」


 やはり、そうなのか。


 本人の名前で書いたのだから、もう少し簡単に進むと思っていた。


「伯爵自身が書いたのではないの?」

「筆跡は非常によく似ております。ただ、いつ、どのような状況で書かれたものなのかは調べなければなりません」

「本人が罪を認めているのに?」

「たとえ本人の署名があっても、書かれている内容がすべて事実とは限りません」


 私は黙った。

 この人は、相変わらず面倒なことを言う。

 けれど、今回はそれでよいのだろう。


 書いたのは私だ。

 伯爵が認めたわけではない。


 ただ、内容は確かめられる。


「では、これからどうするの?」

「記された場所を調べます。帳簿、財産、関係者の証言。それぞれを照合する必要がございます」

「時間がかかりそうね」

「はい。しかし、以前よりは調査の見通しが立ちました」


 オズワルドはそこで、少し言葉を切った。


「殿下が気にかけておられた救済用の麦についても、取り戻せる可能性がございます」


 それはよかった。

 私は頷いた。


「お願いするわ」

「承知いたしました」


 これで、ようやく一つ片づく。

 そう思ったところで、オズワルドが続けた。


「ただし、もう一つ問題がございます」

「何?」

「伯爵家の執事と護衛長も、昨夜死亡しております」


 私は顔を上げた。


「……二人も?」

「はい。王都西門近くの旧保管庫で発見されました」


 見つかったらしい。

 思っていたより早かった。


「何があったの?」

「詳しくは調査中です。ただ、二人とも通常の事故死とは考えにくい状態で発見されております」


 オズワルドの声が少し低くなった。


「伯爵の遺体についても、転落だけでは説明できない損傷があると、医師から報告を受けています」

「そう……」


 私はお茶に手を伸ばした。


 もう冷めている。


「伯爵の死と関係があるのかしら」

「現時点では分かりません。ですが、三人が同じ夜に亡くなった以上、無関係と考えるのは難しいでしょう」


 その通りだと思う。

 三人とも、私が喰らったのだから。


「もう一つ、不可解な証言もございます」

「不可解?」

「旧保管庫にいた護衛たちは、執事が先に伯爵邸へ戻ったと証言しております。屋敷の門番も、その帰還を確認しています」

「……そう」

「ところが、本人の遺体は旧保管庫で見つかりました。いつ、どうやって戻ったのか、足取りが分からないのです」


 オズワルドは書類を閉じた。


「見間違いなのか、誰かが執事を装ったのか。それとも、別の事情があるのか」


 私は答えなかった。

 そこまで調べているのなら、なかなか優秀だと思う。

 できれば、もう少し優秀でない方がありがたいのだけれど。


「殿下」

「何?」

「この件について、何かお心当たりはございませんか」


 私は少し考えた。


 心当たりなら、たくさんある。

 ただ、話せることが一つもない。


「ないわ」

「……そうですか」


 オズワルドは私の顔を見ていた。

 何かを尋ねたそうだったが、それ以上は聞かなかった。


「調査が進みましたら、改めてご報告いたします」

「お願いね」


 彼が出ていったあと、私はしばらく閉じた扉を眺めていた。


 伯爵の不正については、何も心配していない。

 問題は、三人の死だった。


 証拠を残すために伯爵へ成り代わった結果、別の証拠も残してしまったらしい。

 人間の仕事は、なかなか難しい。



 それから三日ほど、王宮では伯爵の話が続いた。

 オズワルドは毎日のように報告を持ってきた。

 書面に記されていた倉庫の一つから、焼失したはずの取引記録の控えが見つかった。


 別名義で保管されていた財産も確認された。

 その取引記録には、国庫からの支出と日付や金額が対応する入金が、繰り返し残されていたという。


「これで伯爵の罪は確定したの?」

「少なくとも、救済金の一部が不正に移されたことは裏づけられました」


 オズワルドは書類へ印を押した。


「関係した官吏については、個別に調べております。伯爵の書面に名前があるというだけで、処罰はできません」

「大変ね」

「その通りです」


 否定しないらしい。


「ですが、調べる場所が分かっただけでも大きな前進です。関係する商会にも記録の提出を命じております」

「麦は?」

「一部はまだ商会の倉庫に残っております。国費による購入分と確認できたものから、引き渡しを求めています」

「困っている村へ届けられる?」

「必要な手続きを進めております。まずは不足している地域の報告と照合しなければなりません」


 私は頷いた。


 回収した麦を、そのまま荷車に積んで届ければいいのではないかと思った。

 けれど、それではどの村へ何袋運んだのか分からなくなる。


 以前、私が麦を運ぼうとしたときも、許可と記録には随分と苦労した。

 今度は、その記録が人を助けるために必要らしい。


「では、よろしくお願いするわ」

「承知いたしました」


 オズワルドは書類をまとめた。


「それから、伯爵のご家族についてですが」

「ええ」

「現在、今回の不正への関与がないか確認しております。書面には妻子を処罰しないようにとの嘆願がございましたが、それをもって判断することはできません」


 私は少し考えた。


「関わっていなければ、罰を受けないのね?」

「原則としては。ただし、財産の帰属や名義については調査が必要です」

「そう」


 伯爵の記憶では、妻子は不正を知らなかった。

 けれど、それをオズワルドに伝えることはできない。


 私の知っていることと、人間が確かめられることは違う。

 その違いが、少しだけ分かってきた気がする。


「殿下」


 オズワルドが言った。


「今回の件、なかなか奇妙な巡り合わせですな」

「何が?」

「殿下が問題になさっていた事柄について、伯爵が突然すべてを告白なさった」


 私は黙った。


「しかも、書面には我々が求めていた情報が、実によく整理されております」

「……親切な伯爵だったのね」

「生前のご本人からは、そのような印象を受けませんでしたが」


 それはそうだろう。


 実際、伯爵は何も教えてくれなかった。

 オズワルドは私を見ていた。

 私はお茶を飲んだ。


「殿下は、何かご存じなのではありませんか」

「どうして?」

「以前から、我々が把握していない事実をご存じでいらしたので」


 困った。

 ここで何か説明すると、余計な質問が増えるだろう。


「あなたの調査が進んだおかげでしょう?」

「……それだけであればよいのですが」


 オズワルドはそれ以上、追及しなかった。

 ただ、帰り際に一度だけ振り返った。


「伯爵の死についても、調査を続けます」

「そう」

「不正を働いた者であっても、どのように亡くなったかは別の問題ですので」


 私は頷いた。

 その点については、確かに別の問題だった。



 オズワルドが帰ったあと、今度はガルドが訪ねてきた。


「殿下。少々、お時間をいただけますかな」

「ええ。何かしら」

「ベルク伯爵の件でございます」


 また伯爵だ。

 死んでからの方が、よほど忙しい人らしい。


「宰相からも聞いたわ」

「左様でございましたか」


 ガルドは私の前へ立った。

 いつもと変わらない、落ち着いた表情だった。


「三人の死については、いまだ不明な点が多いようですな」

「そうみたいね」

「何者かが屋敷へ入り込んだ可能性もあるとか」


 私は頷いた。

 何者か。

 間違いではない。


「殿下は、先日の晩餐会で伯爵とお話しになりましたな」

「ええ」

「どういう人物だとお感じになりました?」

「よく笑う人だったわ」

「ほう」

「それと、証拠がなければ罪にはできない、と」

「……なるほど」


 ガルドは少しだけ目を細めた。


「随分と印象に残るお言葉ですな」

「何度も言われたもの」

「そうでしたか」


 そこで会話が途切れた。

 ガルドは立ち去ろうとしなかった。


「ほかにも何かあるの?」

「いえ。少し気になりましてな」


 ガルドは窓の方を見た。


「伯爵が亡くなられた夜、殿下はお早く休まれたそうですな」

「ええ」

「お疲れだったとか」

「そうね」


 私は答えた。

 リネットにそう話したのだから、間違いではない。

 もっとも、実際には寝ていなかった。


「その後は、よくお休みになれましたかな」

「……それなりに」

「それは何よりです」


 ガルドは微笑んだ。

 けれど、すぐには目をそらさなかった。

 この人は、昔からエルシアを知っている。


 顔も、声も、仕草も、私には真似られる。

 しかし、過去の出来事を尋ねられると困ることがある。


 最近は、それだけでは済まなくなってきた。

 私が何をしているのかまで、気にしているらしい。


「殿下」


 ガルドが静かに言った。


「私は、あなたが王国のために尽くされていることを、よく存じております」

「そう?」

「はい。それだけは間違いございません」


 少し意外だった。

 叱られるのかと思っていた。


「ありがとう」

「ですが、無理をなさってはなりませぬ」


 ガルドは一礼した。


「何かお困りのことがあれば、私にもお話しください」


 私は答えなかった。

 困っていることはある。

 けれど、話せばこの人は、きっと私を捕まえなければならなくなる。

 それは避けたかった。


「……覚えておくわ」

「よろしくお願いいたします」


 ガルドは静かに部屋を出ていった。

 私は、閉じられた扉を見た。


 何も聞かれなかった。

 何も知られていない。


 少なくとも、そのはずだ。

 それなのに、先ほどから落ち着かなかった。



 午後のお茶の時間、リネットが胡桃の焼き菓子を持ってきた。


「今日は殿下のお好きなものをご用意しました」

「ありがとう」


 私は一つ取って口に運んだ。


 胡桃の香りが広がる。

 甘さもちょうどよい。


「おいしいわ」

「よかったです」


 リネットは嬉しそうに笑った。

 私は皿を見た。


 焼き菓子は三つ残っている。


「リネットも食べる?」

「また私がいただいてもよろしいのですか?」

「ええ。あなたも好きでしょう?」

「ありがとうございます」


 リネットは一つ取った。

 その様子を見て、私はふと思い出した。

 先日、彼女へ菓子を分けたときのことだ。


 最初は遠慮していた。

 けれど、最後の一つを渡すと、何度も礼を言って食べていた。


 あのときの表情を、私は覚えている。


 もっとも、伯爵の記憶にも、似たような場面はあった。


 幼い娘が菓子をもらって喜んだ日。

 息子が初めて馬に乗った日。

 妻と食事を囲んだ夜。


 思い出そうとすれば、庭の様子も、家族の顔も分かる。


 執事の記憶には、屋敷の食卓にどんな皿を並べたかまで残っていた。

 護衛長が、伯爵の子供たちへ剣の持ち方を教えた日のことも知っている。


 随分と多くのことを覚えている。


 けれど、それらは私が見たものではない。


 伯爵の娘が笑ったのを見たのは、伯爵だ。

 食卓へ皿を並べたのは、執事だ。

 子供へ剣を教えたのは、護衛長だ。


 私ではない。


「殿下?」


 リネットが首を傾げた。


「どうかなさいました?」

「……いいえ」


 私は自分の手元にある菓子を見た。


 少し欠けた端から、胡桃が顔を出している。


 リネットの菓子も、端が少し崩れていた。


 彼女は落ちた欠片を指先で拾い、口へ運んだ。

 それから私と目が合うと、少し恥ずかしそうに笑った。


 そんな表情を見たのは、初めてだった。

 少なくとも、伯爵も執事も護衛長も、この場面を知らない。

 私だけが、今ここで見ている。


「リネット」

「はい」

「お茶のおかわりをお願いできる?」

「承知いたしました」


 彼女は茶器を手に取った。


「それから」

「はい?」

「残りのお菓子は、あなたが食べていいわ」

「殿下のお召し上がりになる分がなくなってしまいます」

「もう一つ食べたもの」

「ですが……」

「明日も作ってもらえばいいでしょう?」


 リネットは笑った。


「厨房の者が聞いたら、張り切ってしまいますね」

「それは助かるわ」


 私はお茶を飲んだ。


 伯爵の何十年分もの記憶がある。

 執事と護衛長の人生も知っている。


 それでも、今のリネットの笑い方は、そのどこにもなかった。


 私はもう一度、その顔を見た。

 どうやら、覚えておきたいことが一つ増えたらしい。



 その日の夕方、オズワルドから急ぎの連絡が入った。

 また伯爵の件だろうか。


 そう思って執務室へ向かうと、机には大きな地図が広げられていた。


 王都の地図ではない。

 王国の国境付近を記したものだった。


「何かあったの?」

「国境守備隊から急報が入りました」


 オズワルドは地図の一点を指した。


「砦の周辺で、魔族と思われる一団が確認されたとのことです」

「魔族が?」

「はい。単なる偵察か、侵攻の前触れかは分かりません」


 私は地図を見た。


 砦。

 街道。

 山間の補給路。


 どれも、見覚えがあった。

 魔族の侵略計画書にも、同じ場所が記されている。


 私はその内容を思い出した。

 王国を滅ぼすために、最初にどこを攻撃するべきか。


 魔族は、それを随分と詳しく調べていた。

 そして私は、その資料を持っている。


「殿下」


 オズワルドが言った。


「何か、お気づきになりましたか?」


 私は地図から目を離さなかった。


 伯爵が魔族へ売った情報。

 私の手元に残された侵略計画書。

 国境で動き始めた魔族たち。


 ようやく麦の問題が片づきそうになったところなのに。


 今度は、王国そのものが危ないらしい。


「……資料を確認したいわ」


 私は答えた。


「国境について、もう少し詳しく教えてちょうだい」

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