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偽りの王女は、王国を滅ぼしたくない  作者: 安威要


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第10話 あなた自身に聞きましょう

 人間は、よく知っている相手ほど疑わないらしい。


「戻ったか」


 ベルク伯爵は、机に向かったまま言った。


「はい。ただいま戻りました」


 私は執事の声で答えた。

 伯爵は書類から顔を上げた。


 机の脇には飲みかけの茶があり、窓際の燭台には二つの火が灯っている。

 執事の記憶にある、いつもの夜の書斎だった。


「それで、どうだった」

「帳簿の写しについてでございますか」

「ほかに何がある」


 伯爵は苛立たしそうに言った。


「ご安心ください。書類は回収いたしました」

「本物だったのか」

「取引の日付と番号は正確でした。ただ、残っていたのは一部の記録だけだったようです」

「……そうか」


 伯爵は椅子に深く腰掛けた。


「まったく、どこから嗅ぎつけたのやら」

「御者か、商会の者ではないかと」

「金を渡しても、口の軽い連中はいるものだな」


 私は頷いた。

 伯爵は自分の言葉を疑っていないらしい。

 目の前にいるのは、長年仕えてきた執事だ。

 屋敷の財産も、裏の取引も任せている。


 その相手に対してなら、少しくらい不用意なことを言っても構わないのだろう。


「差出人はどうした」

「護衛長が追っております」

「逃がしたのか?」

「申し訳ございません」

「何のために人を連れていったと思っておる」


 伯爵は机を指で叩いた。


「ほかに何を知っているか分からんのだぞ」

「承知しております」

「必ず捕らえさせろ。金が望みなら金を渡せばよい。それでも余計なことを言いふらすようなら……」


 伯爵は言葉を切った。

 私は続きを待った。


「いや、いい。護衛長には分かっておるはずだ」


 確かに、護衛長は理解していた。

 つい先ほど取得した記憶の中にも、伯爵から受けた命令が残っている。


 書類を回収すること。

 差出人を捕らえること。

 必要なら、口を封じること。


 その命令に従おうとした結果、護衛長は死んだ。

 こちらとしても、殺されるわけにはいかなかったのだから仕方がない。


「それで、閣下」


 私は執事の口調で尋ねた。


「残っている帳簿は、いかがいたしましょう」

「何?」

「別に保管されている、取引の控えでございます。今回のようなことがあれば、そちらも危険ではないかと」

「……ああ」


 伯爵は椅子の背にもたれた。


「しばらく動かすな」

「よろしいので?」

「今になって処分すれば、かえって疑われる。宰相府も、いつまであの調査を続けるつもりなのか」


 オズワルドのことだ。


 確かに、あの人は諦めそうにない。

 毎日書類を読み、官吏を呼び、商会を調べている。

 最近は、目の下に薄い影までできていた。


「第二王女殿下も、まだ調査に関わっておられるようです」

「……あの姫君か」


 伯爵の表情が険しくなった。


「以前は、あそこまで面倒な方ではなかったのだが」

「変わられましたな」

「まったくだ」


 私は頷いた。

 この点については否定できない。

 何しろ、中身が変わったのだから。

 もちろん、伯爵に説明するつもりはない。


「お茶会や乗馬を楽しまれていればよいものを、帳簿などに首を突っ込まれては困る」

「左様でございますな」

「証拠もないのに、いつまで続ける気だ」


 伯爵は茶器へ手を伸ばした。


「証拠さえなければ、宰相とて何もできまい」


 やはり、そう考えているらしい。


 私は執事の記憶を探った。

 伯爵は、焼かせた帳簿とは別に、いくつかの取引記録を保管している。

 執事が管理しているものについては、もう場所が分かった。


 問題は、伯爵自身しか知らないことだった。

 ここは思い切って聞いてみないと、先に進まない。


「閣下」

「何だ」

「以前お話しになっていた商人の件ですが」

「商人?」

「王国の街道や備蓄について、詳しくお尋ねになる方です」


 伯爵の手が止まった。


「……何のことだ」

「私には詳しいお話をなさいませんでしたので」

「ならば、そのままでよい」


 伯爵は茶器を置いた。


「お前が知る必要はない」

「承知いたしました。ただ、今回の帳簿に関わっている可能性もございます」

「ない」

「ですが……」

「ないと言っておる」


 伯爵は私の言葉を強く遮った。

 どうやら、この話はしたくないらしい。


 執事の記憶には、伯爵がその商人と会った日のことが残っていた。


 客人は裏口から入った。

 名前は告げなかった。

 伯爵は執事にも同席を許さず、二人だけで話した。


 その後、屋敷の金庫には見慣れない金貨が増えていた。

 普通の商取引ではなさそうだ。


「その商人へお渡しした書類も、処分なさいますか」

「……お前」


 伯爵が顔を上げた。


「何を知っている?」

「閣下がお渡ししたものについてです」

「私は、そんなことまでお前に話した覚えはないぞ」


 しまった。


 執事の記憶にないことを尋ねてしまった。

 私は黙った。


 伯爵は私を見つめていた。

 その目を細めた。


「そもそも、今夜のお前は妙だな」

「と申しますと」

「いつもなら余計なことは聞かん。私の命じた仕事が済めば、それで終わりだ」

「申し訳ございません」

「謝ることではない。だが……」


 伯爵は机に置かれた小さな鈴へ手を伸ばした。

 使用人を呼ぶためのものだろう。


「お前、本当に私の執事か?」


 なるほど。

 気づいたらしい。


 私は少し考えた。


 このまま執事のふりを続けても、欲しい情報は聞き出せないだろう。

 むしろ、余計に警戒されそうだ。


「違います」


 私は答えた。


「……何?」


 私は姿を変えた。


 背丈を縮め、髪を伸ばす。

 顔立ちを整え、声も変える。


 執事の服を着たまま、私はエルシアの姿になった。


「こんばんは、伯爵」


 伯爵は椅子を蹴るように立ち上がった。


「で、殿下……!?」


 伯爵は目を大きく見開いた。

 晩餐会で浮かべていた笑顔は、もうなかった。


「なぜ……どうして……」


 伯爵は私の顔を見た。

 それから、執事が立っていた場所を見る。


 当然、そこには誰もいない。


「化け物……!」


 間違ってはいない。

 私は人間ではないのだから。


「誰か! 誰かおらんか!」


 伯爵が叫んだ。

 当然、そうするだろうと思っていた。


 私は護衛長の記憶にある足運びを真似て机を回り込み、伯爵の口を押さえた。


 伯爵は抵抗した。

 机の端をつかみ、私の腕を振りほどこうとする。


 しかし、護衛長ほどの力はない。

 扉の外から足音が近づいてきた。


「閣下!」


 男の声がした。


「いかがなさいました!」


 扉の取っ手が動いた。

 私は伯爵の口を塞いだまま、扉へ顔を向けた。


「入るな!」


 私は、伯爵の声で答えた。

 取っ手の動きが止まった。


「ですが、先ほどお呼びになったのでは……」

「気が変わった! 誰も入れるな!」

「……承知いたしました」


 それでも、扉の向こうから人の気配は消えなかった。

 すぐ近くに立っているらしい。


 やはり、主人が助けを呼んだ直後に追い返されれば、不思議に思うのだろう。

 伯爵は私を見つめていた。


 今度は声も出さない。

 自分の声が、別のところから聞こえたのだから当然かもしれない。


「静かにしてくれる?」


 囁くと、伯爵は何度も頷いた。

 私は手を緩めた。


「何なのだ、お前は……」

「エルシアよ」

「嘘をつけ……」

「そうね。本当のエルシアではないわ」


 伯爵は口を閉じた。

 理解できないのだろう。


 私も、今は詳しく説明するつもりがなかった。


「護衛長と執事は、もういないわ」

「……何?」

「二人の記憶は、私がもらったの」

「何を言っている……」

「あなたの命令も知っている。帳簿を焼いたことも、救済金を隠したことも」


 伯爵の顔色が変わった。


「馬鹿な……」

「麦を別の倉庫へ運ばせたのは護衛長だったのね。御者を脅したことも覚えているわ」

「……何をした」

「記憶をもらったの」

「記憶だと?」

「ええ。便利なのよ」


 伯爵は後ずさった。

 背中が机に当たる。


「国の麦を売ったのでしょう?」

「……知らん」

「執事は知っていたわ」

「何の話だ」

「救済金を別の名義へ移したことも」

「黙れ……!」


 伯爵は声を荒らげかけて、扉の方を見た。

 どうやら、まだ助けを求めたいらしい。


「私を殺せば、ただでは済まんぞ」

「そうでしょうね」

「私は伯爵だ。王家とて、何の理由もなく私を捕らえることはできん」

「ええ。オズワルドもそう言っていたわ」


 伯爵は息を荒くした。


「では、どうするつもりだ」

「聞きたいことがあるの」

「何を」

「あなたが国から取ったお金のこと。それから、王国の情報を売った相手のことよ」

「知らん」

「隠している帳簿は?」

「知らん」

「その商人の名前は?」

「知らん……!」


 同じ答えばかりだった。

 私は少し困った。


 護衛長と執事を喰らって、かなりのことが分かった。

 けれど、まだ足りない。


 特に、あの商人のことだ。


 魔族の資料には、王宮側の工作責任者が死ぬまでの計画が残っている。

 その後、別の魔族が何をしているのかは分からない。


 伯爵が会っていた商人について、確かめる必要があった。


「最後に聞くわ」

「……何だ」

「その商人とは、どこで会ったの?」

「知らんと言っておる……!」

「そう」


 私は頷いた。

 伯爵は荒い息をしていた。


「お前には何もできん」

「そうなの?」

「どれほど怪しもうと、証拠がなければ罪にはできんのだ。それが、この国の法だ……」


 伯爵は声を絞り出した。

 その目は、何度も扉へ向けられている。


 私は伯爵を見た。


 少し前にも、同じようなことを聞いた。

 確かに、人間の国では証拠が必要だ。


 だからオズワルドは、何日も帳簿を調べていた。

 証言を集め、商会へ照会し、焼け残った紙を確かめていた。


 それでも、伯爵は何も話さない。


 ならば、別の方法を使うしかない。


「そう」


 私は静かに答えた。


「では、あなた自身に聞きましょう」


 伯爵は眉をひそめた。


「……何?」


 私は手を差し出した。


 指先が細く伸び、管のように形を変えていく。


 伯爵の目が見開かれた。


「やめろ……」


 私は答えなかった。

 生きているうちでなければ、記憶は得られない。

 それだけは、間違えてはいけない。


 伯爵に向けた指が突然細く伸び、口の中へと刺さる。

 声も出せないまま伯爵の体が震えた。


 しばらくして、その力が抜けていった。

 知らない記憶が流れ込んできた。


 広い庭。

 幼い少年。

 厳しい顔をした父親。


 勉強を教える家庭教師。

 初めて出席した王宮の宴。

 伯爵位を継いだ日のこと。


 妻の笑顔。

 生まれた子供。

 家族で食事を囲んだ夜。


 知らない人間の人生だった。


 私は、その中から必要な記憶を探した。


 国庫。

 救済金。

 麦。

 官吏。

 商会。


 あった。


 国が支出した救済金は、複数の名義を経由して伯爵の手元へ流れていた。


 書類上は倉庫の修繕費や輸送費になっている。

 しかし、実際には行われていない仕事への支払いが混じっていた。


 救済用の麦も同じだった。


 地方へ届けるはずだった麦を、途中で別の倉庫へ移す。

 商会を通じて売り払い、代金を分ける。


 そのために伯爵家の印を使わせていた。


 盗まれたのではない。

 伯爵自身が許可していたのだ。


 関係した官吏の名前も分かった。


 魔族の買収予定者名簿に載っていた者が、何人もいる。

 ただし、名簿に載っている全員が不正を働いていたわけではなかった。


 その違いも、今なら分かる。


 隠し財産の場所。

 支払いの控え。

 燃やした帳簿とは別に保管していた取引記録。


 すべて、伯爵の記憶に残っていた。


 便利だ。


 まず、そう思った。


 オズワルドが何日も調べていたことが、こんなにも簡単に分かる。


 わざわざ相手を呼び出して質問する必要もない。

 嘘をつかれることもない。


 ただし、相手は死ぬ。

 その点は、少し面倒だった。


 私は椅子に倒れ込んだ伯爵を見た。

 もう動かない。


 護衛長と執事に続いて、三人目だ。


 このままでは、明日には大騒ぎになるだろう。

 そもそも、旧保管庫へ残してきた護衛たちが、いつ異変に気づくか分からない。


 伯爵の書斎の外にも、まだ人がいるかもしれない。


 私は机に広げられた書類を見た。


 伯爵が隠したお金は、今なら見つけられる。

 共犯者の名前も分かる。


 だが、それをオズワルドにどう説明すればよいのだろう。

 伯爵の記憶を喰らったので全部分かりました。

 なんてことは当然話せない。

 そう伝えれば、今度は私が調べられる。


 それは困る。


 証拠が必要だと、伯爵は何度も言っていた。

 それなら、証拠の場所を誰かに教えればいい。


 私が教える必要はない。


 私は伯爵の手を見た。

 どんな文字を書き、どのように書類へ署名するのかも、今なら知っている。


 本人の声も、顔も、仕草も覚えている。

 そして、本人はもう何も言わない。

 私は机の上から、一枚の白い紙を取った。


 なるほど。


 伯爵自身が罪を認めれば、話は早いのではないだろうか。

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