第5話 ハサミ越しの取引
『燈真くーん? 聞こえてるー?』
地面に置いたハサミから、狭間千咲の声がした。
俺と澪奈は、しばらく何も言えなかった。
電気は使えない。
スマホは死んでいる。
無線も、車も、ライトも、信号も、昨日まで当たり前だったものは全部沈黙している。
なのに、目の前のハサミは喋っている。
金属の刃が小さく開閉し、その隙間から少女の声が流れてくる。
理解が追いつかない。
いや、現象としては理解できる。
千咲の言っていた通り、ハサミ同士が繋がっているのだろう。こちらにあるハサミと、千咲の持っているハサミ。その間で音声のようなものがやり取りされている。
問題は、どうやって、だ。
無線ではない。
少なくとも普通の電波ではないはずだ。電気という存在が消えた世界で、電波だけが都合よく機能しているとは考えにくい。
なら、これは神力による通信なのか。
物質生成だけではなく、生成物同士に接続性を持たせる能力。
いや、そもそもハサミは本当に物質なのか。
触れる。重さがある。刃もある。紙を切れるかもしれない。
だが、その本質は「ハサミの形をした通信端末」なのではないか。
考えれば考えるほど、分からないことが増える。
『あれ? もしかして聞こえてない? おーい。お兄さーん』
ハサミがまた鳴った。
澪奈が俺の袖を引く。
「燈真、どうするの?」
「……返事するしかないだろ」
「それ、こっちの声も聞こえるんだよね?」
「たぶんな」
「どこまで聞こえるの?」
「分からない」
「千咲ちゃん以外にも聞こえてたりしない?」
「分からない」
「分からないこと多すぎない?」
「俺もそう思う」
俺はハサミの近くにしゃがみ込んだ。
直接持つべきか、地面に置いたまま喋るべきか少し迷う。持った瞬間に何か起きる可能性もゼロではない。
結局、地面に置いたまま口を開いた。
「聞こえてる」
『お、聞こえた! よかったー。捨てられてたらどうしようかと思った』
「捨てるかどうかはまだ検討中だ」
『ひどっ。お近づきのしるしなのに』
「初対面で通信機能付きのハサミを渡す方がどうかしてる」
『便利でしょ?』
「便利すぎて怖い」
『あはは。燈真くん、そういう反応すると思った』
声だけでも、千咲が楽しそうに笑っているのが分かった。
軽い。
この状況で、まだ軽い。
それは無知によるものなのか、慣れによるものなのか、あるいは軽さを装っているのか。
まだ判断できない。
「まず確認する。この声は千咲にだけ聞こえてるのか?」
『たぶんね』
「たぶん?」
『こっちのハサミは私が持ってるし、他に同じハサミは今出してないから』
「今、ということは複数出せるのか」
『出せるよ。数はまだ試してる途中だけど』
「出したハサミは全部繋がるのか?」
『んー、全部っていうより、私が繋げたいと思ったハサミ同士が繋がる感じ? でも時々勝手に繋がってる気もするし、まだよく分かんない』
「危なすぎるだろ」
『だから実験中って言ったじゃん』
千咲は悪びれない。
俺はノートに書き込む。
ハサミ通信。
接続先は千咲の意思である程度制御可能?
複数生成可。
通信範囲不明。
盗聴可能性不明。
接続の安定性不明。
澪奈が横からノートを覗き込み、小声で言った。
「燈真、尋問みたいになってる」
「必要な確認だ」
『今、澪奈ちゃんいる?』
ハサミから千咲の声がした。
澪奈がびくっと肩を震わせる。
「聞こえてるのか?」
『今のは聞こえた。声、近かったし』
「……音声は普通に拾うのか」
『そうみたい。だから内緒話は気をつけてね』
「それを先に言え」
『今言ったよ』
「遅い」
澪奈が少し離れた。
俺もハサミとの距離を意識する。
この通信は便利だが、危険だ。
会話が筒抜けになる可能性がある。しかも、どの範囲の音を拾っているか分からない。ハサミがこちらの音を常時拾っているなら、拠点の情報が漏れる。
俺はハサミを睨んだ。
「千咲。このハサミ、こちらの声を常時拾ってるのか?」
『ううん。私が繋げようと思った時だけだと思う。少なくとも、ずっと聞こえてる感じはしない』
「本当か?」
『本当。ずっと聞こえるなら便利だけど、たぶん私も疲れるし』
「疲れる?」
『うん。ハサミ出したり繋げたりすると、なんか減るんだよね。お腹すくっていうか、体の奥がしぼむっていうか』
俺は目を細めた。
それは、俺が火を出した時に感じたものと似ている。
体の奥にある見えない水位が下がるような感覚。
千咲も同じ種類の消費を感じている。
やはり、神力は共通している。
ただし、発現する現象が違う。
「それ、俺たちは神力の消費って呼んでる」
『神力。うん、やっぱその呼び方いいね。使わせてもらおうかな』
「好きにしろ。で、千咲はその神力をどのくらい使える?」
『うーん、ハサミを数本出すくらいなら平気。でもいっぱい出したり、長く繋げたりすると疲れる。昨日は調子に乗って十本くらい出したら、めっちゃ眠くなった』
「十本も出すな」
『出せるか気になるじゃん』
「気持ちは分かるが、危ない」
『燈真くんに言われると説得力あるような、なさそうな』
「どういう意味だ」
『お兄さんも絶対実験してるでしょ』
否定できなかった。
澪奈が隣でじっと俺を見る。
俺は咳払いした。
「話を戻す。連絡してきた理由は?」
『えー、理由ないと話しちゃだめ?』
「だめではないが、こちらは暇じゃない」
『山でキャンプしてるのに?』
「場所は言ってない」
『水場ってことは山かなって。街中でキャンプしてたら目立つし』
推測が早い。
やはり千咲は油断できない。
「千咲」
『なに?』
「俺たちの拠点を探るな」
少しだけ間が空いた。
ハサミの向こうで、千咲が息を吐く音がした。
『……やっぱ怒る?』
「怒るというより、信用しなくなる」
『そっか。それは困るなあ』
「困るなら聞くな」
『分かった。今のところは聞かない』
「今のところ、も余計だ」
『えー、だって知りたいし』
「正直すぎるだろ」
『隠してもバレそうだもん』
それはそうかもしれない。
千咲は欲を隠さない。
その点だけは読みやすい。
だが、読みやすいから安全というわけではない。むしろ、欲望が明確な相手は条件次第で動く。
住む場所が欲しい。
水が欲しい。
食料が欲しい。
情報が欲しい。
神力持ちを集めたい。
千咲の目的はそのあたりだろう。
「千咲、お前は今どこにいる」
『それ聞く?』
「取引相手の居場所をまったく知らないのは不安だ」
『そっちの場所は教えないのに?』
「だから大雑把でいい」
『んー、繁華街から少し離れた住宅地。女子だけで五人くらいで集まってる』
「五人?」
『うん。みんな親がいなかったり、帰ってこなかったり、避難所が無理だったり。まあ色々』
女子だけで五人。
危険すぎる。
この状況で若い女子だけが集まっている拠点など、知られれば狙われる可能性が高い。水や食料がなくても、単純に治安の問題がある。
俺は思わず眉を寄せた。
「正気か?」
『いきなりひどい』
「女子五人だけで住んでるのは危険だろ」
『だから困ってるんじゃん』
「防犯は?」
『一応、鍵は閉めてるし、見張りもしてるし、千咲ちゃんのハサミもあるし』
「ハサミでどうにかなると思うな」
『でも、ないよりはいいよ』
「それはそうだが」
千咲の声は軽いが、状況はかなり悪そうだった。
女子五人。
火起こし、水、食料、防犯。
全てに不安があるはずだ。
だから千咲は街で勧誘していた。
若者のシェアハウス。
そういう言い方をしていたが、実態は生存のための共同生活だ。
「水はどうしてる」
『配布と、近くの公園。あと溜めてた水。でも心細い』
「川の水は使うな。腹を壊す」
『分かってる。けど、分かってない子もいるんだよね。透明ならいけるんじゃない? みたいな』
「止めろ」
『止めてる。こっちに燈真くんみたいなキャンプの人いないから大変なんだよ』
「キャンプの人って呼ぶな」
澪奈が横で小さく笑った。
俺は見なかったことにした。
「火は?」
『それが一番きつい。ライター使えないの多いし、マッチも少ないし。カセットコンロはあるけど、火をつけるのに苦労してる。火打ち石とか持ってる人いないし』
「そうか」
『燈真くんは?』
「マッチはある」
『いいなあ』
「ガスも少しある」
『めっちゃいいなあ』
「多くはない」
『それでも羨ましいよ。こっち、昨日からまともに温かいもの食べられてない子もいるし』
その声だけは、少しだけ軽さが薄れた。
千咲は本当に困っている。
それは伝わってくる。
だが、助けるかどうかは別問題だ。
こちらの水場や物資を明かせば、危険が増える。
燈真と澪奈の二人だけなら、山の水場でしばらく持つ。そこに五人増えれば、一気に厳しくなる。水量も食料も足りない。テントも足りない。防犯も難しくなる。
だから、簡単に受け入れることはできない。
それでも、完全に切り捨てるのも違う。
情報が欲しい。
神力持ちの扱いを知りたい。
街の若者ネットワークを知りたい。
千咲のハサミ通信は貴重だ。
つまり、取引する価値はある。
「千咲」
『なに?』
「情報交換をしたい」
『お、やっと勧誘聞く気になった?』
「違う」
『えー』
「俺も神力持ちだ」
澪奈がこちらを見た。
千咲の声が一瞬止まる。
ハサミの向こうの空気が変わった気がした。
『……やっぱり』
「ただし、何ができるかはまだ全部言わない」
『警戒心強いなあ』
「当然だろ」
『でも、言ったってことは、私を取引相手として見てくれてるんだ?』
「信用はしていない」
『うんうん』
「だが、取引はできると思っている」
『それ、燈真くん的にはかなり高評価では?』
「調子に乗るな」
千咲は笑った。
だが、その笑いはさっきより少しだけ嬉しそうだった。
「神力持ちが今どう扱われてるのか。街でどう噂されているのか。若者同士で何が起きているのか。俺はそれを知りたい」
『なるほどね』
「代わりに、こちらも神力に関する情報を出す。呼び方、消費感覚、実験で分かった範囲。火や水や食料そのものは出せない」
『火、出せないの?』
「何の話だ」
『いや、さっき火起こしの話してた時に微妙に黙ったから』
「……」
『沈黙は肯定?』
「勝手に決めるな」
『やっぱり燈真くん、分かりやすいところあるよね』
しくじった。
千咲は会話の間をよく見ている。
ハサミ越しでも、こちらの反応を拾ってくる。
澪奈が小声で言った。
「燈真、向いてないかも、駆け引き」
「うるさい」
『澪奈ちゃん、今の聞こえたよ』
「うわっ、ごめん!」
『いいよいいよ。燈真くん、たぶん警戒心は強いけど、嘘はそこまで上手くないよね』
「余計なお世話だ」
俺は頭を押さえたくなった。
人間相手の駆け引きは苦手だ。
道具や火や水の管理ならいい。必要なものを数え、危険を予測し、手順を組めばいい。
だが、人間は違う。
言葉の裏を読む必要がある。相手の欲を見抜く必要がある。こちらの情報をどこまで出すか判断しなければならない。
面倒だ。
けれど、避けられない。
「千咲。対面で話せるか」
『え、来てくれるの?』
「場所次第だ」
『こっち来てくれるなら歓迎するよ。あ、でも拠点の場所は教えたくないんだっけ?』
「俺の拠点は教えない。そっちの拠点に行くともまだ決めてない。中間地点を指定しろ」
『慎重』
「当然だ」
『じゃあ、繁華街近くの古い児童館分かる? 電気消える前からあんまり使われてなかったところ』
「分かる」
『その裏手。人少ないし、昼なら安全。明日の昼は?』
「明日か」
俺は澪奈を見る。
澪奈は不安そうな顔をしていたが、すぐに小さく頷いた。
情報は必要。
それは澪奈も分かっているのだろう。
「明日の昼。俺と澪奈で行く」
『澪奈ちゃんも?』
「一人では行かない」
『えー、二人で来るならこっちも誰か連れて行こうかな』
「多人数は避けたい」
『分かった。じゃあ私一人。あ、でも護身用にハサミは持ってるよ』
「それは分かってる」
『そっちも火とか出さないでよ?』
「何の話だ」
『またそれ』
千咲は楽しそうだった。
だが、こちらとしては笑い事ではない。
対面の取引。
相手はハサミを生成できる神力持ち。
こちらは火と風を使えるが、できれば明かしたくない。
澪奈の能力はまだ不明。
戦力としては未知数だ。
いや、そもそも戦うつもりで会うべきではない。
目的は情報交換。
神力持ちがどう見られ始めているのか。
若者グループが何をしているのか。
水や食料、配布、避難所、危険な場所。
東京方面の情報も、もしあるなら欲しい。
「千咲」
『うん?』
「明日、情報を持ってこい。神力持ちの噂。若者グループの動き。危険な場所。配布場所。水場。東京方面の話」
『注文多っ』
「こちらも情報を出す」
『何を?』
「神力の消費感覚と、俺たちが立てている仮説」
『火は?』
「明日話す」
『やった。火だ』
「火とは言ってない」
『はいはい』
どうしてこうも読まれるのか。
澪奈が横で笑いをこらえている。
俺は無視した。
『じゃあ、明日ね。燈真くん、澪奈ちゃん』
「ああ」
『あ、最後に一つ』
「なんだ」
『燈真くんたち、街に下りる時は服ちょっと汚した方がいいよ』
俺は目を細めた。
「なぜそう思う」
『目立つから。昨日から風呂入れてない人、洗濯できてない人、増えてるでしょ? でも燈真くんたちはわりと綺麗だった。そういう人は、余裕あるって思われるよ』
「水場か物資を持っていると?」
『うん。あと、神力持ちかもって』
胸の奥が冷える。
もうそこまで繋がっているのか。
生活が安定している人間。
清潔な人間。
落ち着いている人間。
そういう人間は、神力持ちではないかと疑われる。
たしかに、筋は通る。
電気が消えた世界で、普通より良い生活をしているなら、何か理由があるはずだ。
金か、備蓄か、拠点か、神力。
周囲はそう考える。
「神力持ちはもう噂になってるのか」
『なってるよ。まだ半分都市伝説みたいな感じだけどね。火を出した人がいるとか、怪我が治ったとか、水を見つけたとか、物を出したとか。嘘も多いと思うけど』
「そうか」
『だから気をつけてね。燈真くん、絶対バレると面倒なタイプでしょ』
「なぜそう思う」
『なんとなく』
「そのなんとなくが怖い」
『あはは。じゃ、また明日。ハサミ、切るね』
「切る?」
『通信を切るって意味。ハサミだけに』
「うまくない」
『ひどーい』
次の瞬間、ハサミが小さく鳴った。
しゃきん。
それきり、千咲の声は聞こえなくなった。
山の水場に静けさが戻る。
俺はしばらくハサミを見つめていた。
澪奈も黙っていた。
水の流れる音だけが聞こえる。
やがて、澪奈がぽつりと言った。
「なんか、一気に面倒になったね」
「ああ」
「神力持ちって、もう噂になってるんだ」
「早すぎる」
「でも、みんな不安だから、そういう話すぐ広がるんじゃない?」
「だろうな」
俺はノートを開き、千咲から聞いた情報を書き足していく。
若者グループ。
女子五人の拠点。
水・食料・火の不足。
神力持ちの噂。
清潔な人間は目立つ。
生活の安定=神力保有者疑惑。
書けば書くほど、状況が悪くなっていく気がした。
「澪奈」
「なに?」
「次から街に下りる時、服を少し汚す」
「やだ」
「即答か」
「せっかくまだ綺麗なのに」
「目立つ」
「分かるけど、やだ」
「今の街では、綺麗な服は水と洗濯の余裕がある証拠だ」
「……そう言われると」
「髪も整えすぎない方がいい」
「女子にそれ言う?」
「命の方が大事だろ」
「分かってるけどさあ」
澪奈は不満そうに自分の袖を見た。
昨日までは、清潔でいることが普通だった。
だが、これからは違う。
綺麗な服。
洗った髪。
臭わない体。
それらは、余裕の証拠になる。
そして余裕は、狙われる理由になる。
終末というのは、そういうものなのだろう。
当たり前だったものが、価値に変わる。
風呂。
洗濯。
温かい食事。
明かり。
連絡手段。
昨日まで誰でも使えたものが、今日は限られた者だけの資源になる。
その中で、俺は火を出せる。
風を起こせる。
千咲はハサミを出せる。
そして、澪奈にも何かがあるかもしれない。
「澪奈」
「なに?」
「お前の神力も、近いうちに調べる」
「やっぱり来た」
「今すぐ危険な実験はしない。ただ、もし何かあるなら知らないまま街に出る方が危ない」
「……分かった。分かったけど、爆発しないやつからね」
「爆発しない能力かどうかは分からない」
「だから怖いんだってば」
「水とか、布とか、危険の少ないものから試す」
「私、水出せたらいいな」
「そうだな」
水を生み出せる神力。
もし澪奈にそれがあるなら、生活は大きく変わる。
山の水場に依存しなくてよくなる。人の集まる川や配布所を避けやすくなる。水を求める移動が減る。
終末世界では、火より価値があるかもしれない。
だが、期待しすぎるのは危険だ。
俺は火と風だった。
千咲はハサミだった。
神力が本人の望み通りに発現するとは限らない。
それでも、調べる価値はある。
「明日は千咲と会う。その前に、澪奈の神力を軽く確認する」
「今日じゃないんだ」
「今日は休む。あと、千咲との取引内容を整理する」
「燈真、ほんとにノート好きだね」
「記録がないと判断できない」
「研究者みたい」
「ただの高校生だ」
「火出す高校生だけどね」
「それは言うな」
澪奈は少し笑った。
だが、その笑みはすぐに薄くなる。
「ねえ、燈真」
「なんだ」
「もし神力持ちが危ない扱いされるなら、燈真の火ってかなりまずくない?」
「ああ」
「千咲ちゃんにも、あんまり言わない方がよくない?」
「そうだな」
「でも情報交換するんだよね」
「必要な分だけ明かす」
「できる?」
「……努力する」
「そこは言い切ってよ」
澪奈の不安はもっともだった。
俺は隠し事が上手くないらしい。
それでも、隠さなければならない。
火を出せる。
それだけなら、まだ「便利な能力」で済むかもしれない。
だが、俺の仮説が正しければ、火や風はエネルギー操作の一部にすぎない可能性がある。
もし神力で電気を再現できるなら。
この世界で、それはあまりにも危険な能力になる。
まだ試していない。
試すべきかも分からない。
しかし、頭の片隅にその可能性は残り続けている。
電気が失われた世界で、もし俺だけが電気を生み出せるのなら。
俺は、ただのキャンプ好きな高校生ではいられなくなる。
それだけは分かった。
俺はハサミを布で包み、少し離れた場所に置いた。
念のため、寝る場所からは遠ざける。
通信が勝手に繋がる可能性がゼロではない以上、近くに置いておくのは危険だ。
「ハサミ、そこに置くの?」
「ああ」
「夜中に喋り出したら怖いね」
「やめろ」
「ホラーじゃん」
「捨てるぞ」
「でも捨てないんでしょ?」
「……通信手段は貴重だからな」
「燈真って、危ないものほど捨てられないよね」
「危ないものほど、理解しておかないともっと危ない」
「そういうところ、ほんと燈真」
澪奈はそう言って、少しだけ笑った。
俺は返事をしなかった。
水場のそばに座り、ノートを開く。
今日分かったこと。
千咲の能力。
神力持ちの噂。
街の変化。
人の視線。
清潔さの危険。
そして、明日の取引。
状況は悪くなっている。
だが、情報は増えた。
情報があれば、まだ考えられる。
考えられるうちは、動ける。
動けるうちは、生き残る可能性がある。
俺は鉛筆を握り、最後にこう書いた。
神力持ちは、もうただの異常者ではない。
資源として見られ始めている。
書いた文字を見て、背筋が冷えた。
水。
食料。
火。
洗濯。
通信。
それらを持つ人間は、今後狙われる。
そして俺たちは、すでにその中にいる。
翌日、千咲と会う。
それは単なる情報交換ではない。
この新しい世界で、人間同士が神力をどう扱うのか。
その最初の取引になるのだと思った。




