第49話 裁き
特殊生徒会のメンバーによる会議が、始まった。
会議、と言っても、実質は裁判だった。会長を殺そうとした暗殺者。その処遇を決めるための、裁きの場。
俺は部屋の中央に、座らされていた。全身がびしょ濡れだった。連行される時、頭から水をかけられたのだ。火と風を操る俺が、何か仕掛けてこないように。あるいは、まだ隠している何かがあるのではないかと、警戒して。彼らの判断は、皮肉なほど的確だった。
両手は、後ろで縛られていた。逃げられないように。暴れられないように。だが、そんな拘束は、本当は意味がなかった。俺がその気になれば、縄など、いつでも焼き切れる。だが、俺は、そうしなかった。逃げる気も、抗う気も、なかったからだ。
メンバーが俺を囲んでいた。会長、神影、アリシア、未玖、北見。そのほかにも、数人。みな、俺を見る目は厳しかった。当然だ。俺は味方のふりをして潜り込み、会長を殺そうとした。許される道理など、どこにもない。アリシアと未玖だけは、厳しさの中に、どこか、心配そうな色を、滲ませていた。だが、それを見ても、俺の心は、動かなかった。動かないように、している自分が、いた。
俺は抵抗しなかった。反論もしなかった。ただ、濡れた髪から滴を垂らしながら、黙って座っていた。
その様子を、神影がじっと見ていた。
「お前」
神影が口を開いた。
「なぜ、抵抗や反論をしない」
◇
俺は答えなかった。
神影の目が、細められた。
「お前の能力のことも、引っかかっている。あの結界戦で見せた、即興の縛り。あれは、ただの火と風の能力者にできる芸当じゃない。お前はまだ、何かを隠している。それは確信している」
四十六話で神影が抱いた疑念は、今も消えていなかった。あの時、俺は初めて、明確な嘘をついた。神影は、それを見抜いていたのだろう。引いただけで、諦めてはいなかった。
「なのにお前は、ここで大人しく座っている。何も隠そうとしない。何も抗おうとしない。なぜだ。お前はいったい、何を考えている」
その目には、警戒と、それから、純粋な困惑があった。神影は、人を見抜くことに長けている。嘘を、動揺を、敵意を。だが、今の俺からは、そのどれも、読み取れないのだろう。抗おうとする者なら、警戒すればいい。命乞いをする者なら、見下せばいい。だが、ただ静かに死を待つ者を、神影は、どう扱えばいいのか、測りかねているようだった。
俺はしばらく黙ってから、ようやく口を開いた。
「……何も隠していません」
それは半分、嘘だった。だが、続く言葉は本当だった。
「俺はここで死ぬ。それでいいと思っています」
部屋の空気が、わずかにざわついた。
「死ぬ?」
神影が眉をひそめた。
「なぜだ。死ぬのが怖くないのか」
◇
怖くないのか。その問いに、俺は少しだけ笑いそうになった。
「怖い?」
俺は言った。
「ここで生き延びて、親に無様な顔をさらすほうが、よっぽど怖いですよ」
メンバーが、怪訝な顔をした。だが俺には、それが本心だった。
「あの親に、今の俺の無様な顔なんて見せたら、どんなことを言われるか分からない。あの人たちは、異常に厳しかった。暗殺に失敗して、捕まって、裁かれて。そんな姿を見せるくらいなら――」
俺は続けた。
「ここで死んで、家族だけでも助ける。それが、今の俺にできる最善手なんですよ」
口にしながら、俺は、奇妙なほど、落ち着いていた。死ぬと決めると、不思議と、心は凪いでいた。もう、迷うことも、恐れることも、ない。ずっと張り詰めていた糸が、ようやく、切れたような。そんな、解放感すら、あった。
「家族を助ける?」
神影が聞き返した。
「お前が死んで、どうやって家族が助かる」
「約束です」
俺は答えた。
「俺にこの任務を持ちかけた相手……悪魔の王と、約束をしました。任務が成功しても、失敗しても、家族は助ける、と。だから、俺がここで死んでも、家族は助かる。俺の一番の目的は、達成されるんです」
成否を問わない、と悪魔の王は言った。あの言葉の本当の意味が、これだった。俺が生きようが死のうが、家族は助かる。なら、生き延びる理由はない。むしろ、無様に生き残るより、ここでけじめをつけて死ぬ方が、ずっとましだった。
◇
神影はしばらく俺を見てから、低い声で言った。
「このまま会議が進めば、お前をすぐに殺すとは限らない。悪魔の王のことを吐かせるために、拷問することもありうる。その末に処刑、という可能性だって考えられる。それでもいいのか」
拷問。処刑。普通なら、震え上がる言葉だ。だが俺は、動じなかった。
むしろ神影の言葉に、俺は一つ思い出していた。彼らが見落としていることを。彼らは、俺を無力化したつもりでいる。だが、その前提が、間違っていた。
「……決定的なこと、見落としていませんか」
俺は言った。
「俺はこの状態でも、自殺できるんですよ」
神影の表情が、わずかに動いた。
「水は用意している」
神影は即座に言った。
「お前が火や風で何かしようとしても、すぐに対処できる。自殺などさせない。無駄だ」
確かに、彼らは用意周到だった。びしょ濡れにされた俺は、火をまともに使えない。風で何かしようにも、囲まれている。普通の能力者なら、もう詰みだ。
だが。
「いいえ、無駄じゃない」
俺は首を振った。そして顔を上げ、濡れた前髪の隙間から、神影をまっすぐ見た。
「俺にはもう一つ、隠している能力の効果がある」
ずっと隠してきた。命がけで。神影の嘘発見を欺き、会長の指摘をかわし、誰にも知られないように。世界で俺だけが持つ、最大の切り札を。
それを今、明かす。よりによって、自殺の手段として。
不思議な気分だった。この一言を口にするために、俺はどれだけ、神経をすり減らしてきただろう。誰にも知られないように。一瞬の油断も、しないように。電気を生み出せると知られれば、利用され、檻に入れられ、二度と自由になれない。そう思って、必死に隠してきた。なのに今、俺は、自分から、それを明かそうとしている。隠し通すためではなく、終わらせるために。
「俺は――電気を、生み出せる」
◇
部屋が、静まり返った。
「ここで、このびしょ濡れの状態でも、自分の体に電気を流せば。感電死、できるんですよ?」
水は電気を通す。びしょ濡れの体に電気を流せば、ひとたまりもない。彼らが俺を無力化するために、火と風を封じるためにかけた水。それが今、俺が自殺するための、最高の条件になっていた。
彼らの対策が、そのまま俺の切り札に、変わっていた。
神影の顔から、血の気が引いた。
「っ、お前っ。頭がおかしいのか!?」
そして、その目が見開かれた。何かに思い当たったように。
「くそっ……そういうことか」
神影は理解したのだ。俺がずっと隠していた、火と風以外の何か。それが電気だったこと。そして、それを自分を殺すために使おうとしていること。四十六話からの疑念が、最悪の形で的中した。
電気。それは、この世界で俺だけが持つ力だった。電気が消えた世界で、唯一、電気を生み出せる。本来なら、世界を変えられるほどの力。だが俺は、それを、自分の命を絶つために使おうとしていた。
世界を救うことも、家族を取り戻すことも、できたかもしれない力。それを、自分を殺すためだけに使う。これ以上の、皮肉はなかった。だが、俺には、もう、それしか、残されていなかった。電気は、俺を、英雄にも、救世主にもしなかった。ただ、悪魔の王に目をつけられ、特殊生徒会に追い詰められ、最後は、自分の喉元に突きつける刃に、なっただけだった。
◇
メンバーが、ざわついた。電気を生み出せる、という事実。それが何を意味するのか、理解した者から、顔色を変えていった。
電気の消えた世界。すべてが神力に置き換わった世界。その中でただ一人、電気を生み出せる人間。それがどれほどの価値を持ち、どれほどの脅威になりうるのか。誰にでも、想像はついた。
だが、その人間が今、その力を自殺に使うと言っている。
俺は彼らの動揺を見ながら、静かに言った。
「俺からの要求は、一つです」
部屋の視線が、俺に集まった。
「生きたまま、何もせず、家族と過ごしたい。ただ、それだけです」
それが俺の、本当の願いだった。暗殺も、戦いも、もうたくさんだ。ただ、家族のもとに帰りたい。それ以上は、何も望まない。
「もしくは」
俺は続けた。
「それが駄目なら――ここで俺を、死なせる覚悟で挑むこと」
俺を利用しようとするなら。拷問して、悪魔の王のことを吐かせようとするなら。その瞬間、俺は自殺する。電気で、感電死する。手がかりは消える。それでもいいなら、やってみろ。
「それが今、俺にできる、たった一つの要求です」
俺は言い切った。
死ぬ覚悟。それが俺の、最後の武器だった。失うものは、何もない。暗殺は失敗した。家族は、俺が死んでも助かる。なら、もう怖いものはない。死を恐れない者は、誰にも屈しない。
それは、奇妙な強さだった。これまで、ずっと俺は、追い詰められる側だった。神影に疑われ、会長に正体を暴かれ、特殊生徒会に裁かれる。何もかも、相手の手のひらの上だった。だが今、立場が、逆転していた。俺が死ねば、彼らの欲しがる手がかりは消える。だから彼らは、俺を、無理に殺すことも、拷問することも、できない。命を捨てる覚悟が、俺に、初めて、交渉の力を、与えていた。皮肉なものだ。生きることを諦めて、初めて、何かを要求できる立場に、立てたのだから。
部屋は、静まり返っていた。誰も、すぐには口を開けなかった。
俺が突きつけた要求。生きて家族と過ごすか、さもなくば死ぬ。その二択を前に、特殊生徒会は沈黙していた。
濡れた髪から、また滴が落ちた。床に、小さな音を立てて。その音だけが、静寂の中で、やけに、はっきりと響いた。
俺はただ、彼らの答えを待っていた。生きるか、死ぬか。どちらでもよかった。本当に、どちらでも――そう、思っていた。
少なくとも、この時は。まだ、その後に続く言葉を、俺は知らなかった。




