第48話 露見
屋上の扉が、開いた。
俺は短剣を握ったまま、そちらを見た。会長も振り返る。
そこに立っていたのは――未玖だった。そして、その後ろにアリシア。二人が息を切らして、屋上に駆け込んできた。
未玖は俺を見た。そして、俺の手の短剣を、そして毒で立て直したばかりの会長を見て――その表情が、確信に変わった。
「やっぱり」
未玖が言った。
「トウマくんが……予知で見た、相手だったんだ」
予知。その言葉に、俺は戸惑った。何のことだ。
だが、考える間もなかった。会長が動いた。俺に向かって、踏み込んでくる。暗殺者を取り押さえようと。毒でまだ動きは鈍かったが、その意志は明確だった。
「待ってください!」
未玖が叫んだ。
「その人、誰かにやらされてるだけで……!」
会長の動きが、わずかに止まった。
◇
アリシアが俺に近寄ってきた。そして、何かに気づいたように眉をひそめた。
「……薬物の匂い?」
アリシアは、俺の顔を覗き込んだ。
「会長、待ってください。彼は恐らく……誰かに薬物で、やらされて――」
「違う」
俺は、それを遮った。
二人が、俺を庇おうとしている。薬物のせいだ、誰かにやらされている、と。俺を被害者にしようとしている。
だが、それは――違った。
「俺の意思だ。全部」
俺は、はっきりと言った。
薬を飲んだのは事実だ。だが、それは誰かに強制されたからじゃない。殺せない自分を、殺せるようにするためだ。家族のために暗殺を選んだのは、俺自身。誰のせいでもない。俺の意思だ。
「やらされてなんかいない。俺が自分で決めて、ここに来た。会長を、殺すために」
二人が、息を呑んだ。
俺は、自分の罪を誰かのせいにする気はなかった。庇われる筋合いもない。俺は被害者じゃない。加害者だ。味方のふりをして、近づいて、裏切ろうとした、最低の人間。それを認める。それだけが、俺に残された最後のけじめだった。
◇
未玖が、俺を見つめた。その目には、悲しみと、それから何か、確信のような色があった。
「ねえ」
未玖が言った。
「私ね、知ってるよ。この間、あなたが戦ってる時の服装を見た時から」
「……知ってる? 何をっ!?」
俺は思わず、聞き返した。
「あなたが」
未玖は、まっすぐに言った。
「私の探していたリスナーの正体だってこと。そして――あなたが家族を助けようと、必死なだけなんだってことを」
俺は、言葉を失った。
リスナーの正体。未玖は気づいていた。俺があの、不人気時代から応援していたリスナーだと。服装を見て。あの戦闘服を。そして――家族のための動機までも。
なぜ、それを。家族のことなんて、未玖に話して――いや。話した。一度だけ。初めての授業の日。「東京にいる家族と再会したくて」と。未玖はそれを覚えていた。そして、予知と繋げて理解したのだ。この人は、家族のために追い詰められているだけだ、と。
全部、見抜かれていた。神影が動機を疑い、会長が能力を疑い、それでも隠し通してきたのに。未玖はもう、知っていた。俺の核心を。
◇
「だから、阻止したのか!?」
俺は追い詰められて、叫んだ。
「俺を止めるために、ここに来たのか!?」
感情が、抑えられなかった。歌で麻痺が解けた、その心は剥き出しだった。
「だったら、なんだよ!? 俺を阻止したところで――」
言葉が、止まらなかった。
「悪魔の王は、別の手段でやる。俺がやらなくても。だから、止めても意味なんてないんだよ!」
言ってしまってから、しまった、と思った。
悪魔の王。その名を、口にしてしまった。最後の秘密の一つを。だが、もう遅かった。剥き出しの感情が、それを吐き出していた。
「……悪魔の王?」
アリシアと未玖が、口を揃えて言った。二人とも、その名を知らない。初めて聞く、というように顔を見合わせた。
だが――。
「あなたは」
低い声がした。
会長だった。
「あなたは、知ってるの?」
会長の目が、見開かれていた。今までの無表情が、崩れていた。そこには、激しい感情が宿っていた。
「悪魔の王。彼が……どこにいるか」
◇
俺は、その会長の変化に戸惑った。
会長は、悪魔の王を知っている。アリシアも未玖も知らないのに。会長だけが、その名にこれほど強く反応する。しかも――「彼がどこにいるか」と、居場所を求めている。
「知ってるの?」
会長がもう一度、言った。その声は震えていた。
「教えて。悪魔の王が、どこにいるのか。お願い……」
無言の氷の少女と呼ばれた会長が。感謝も受け取らず、ただ淡々と人を助けてきた、あの会長が。今、初めて感情を剥き出しにして、俺に懇願していた。
「……なんで」
俺は聞いた。
「なんで、あんたが悪魔の王を、そんなに」
会長は、しばらく黙っていた。そして――。
「あいつが」
絞り出すような声だった。
「あいつが、私の親を殺したから」
俺は、息を呑んだ。
「悪魔の王。あいつが……私の家族を奪った。だから私は、あいつを探している。ずっと。この特殊生徒会で、あいつの痕跡を追いながら」
会長の声が、震えていた。普段、決して感情を見せない、あの会長が。
「電気が消えて。世界がおかしくなって。その混乱の中で、あいつは現れた。そして、私の目の前で、親を……」
会長は、そこで言葉を切った。それ以上は口にできないように。だが、その先は聞かなくても分かった。
会長の無言。感謝を受け取らない態度。自分を罰するような生き方。すべての理由が、今、分かった。会長は親を、悪魔の王に殺された。その喪失と復讐の中で、生きてきたのだ。誰かを助けても、自分は笑わない。幸せにならない。親を守れなかった自分を、許せないまま。
そして――俺は。
その悪魔の王と。会長の親の仇と。手を組んでいた。家族を取り戻すために。
◇
血の気が、引いた。
俺は、会長から親を奪った悪魔の王と手を組み、その依頼で会長を殺そうとした。会長にとって俺は、二重の敵だった。仇と組み、自分を殺そうとした、最低の人間。
知らなかった、では済まない。たとえ知らなかったとしても、俺は確かに、会長の親を殺した存在に、手を貸していた。悪魔の王の流すアイテムを使い、その計画の駒として動いていた。会長の家族を奪った、その同じ手と、俺は握手を交わしていたのだ。
だが、同時に。
俺は、会長がずっと探していた悪魔の王の、居場所への唯一の手がかりでもあった。
会長は、俺を見ていた。憎しみと、すがるような渇望の入り混じった目で。俺を殺したい。だが殺せない。悪魔の王に繋がる糸を、断ち切れない。その矛盾の中で、会長は引き裂かれていた。
「……皮肉だな」
俺は思わず、呟いた。
俺は家族のために、悪魔の王と組んだ。会長は家族を、悪魔の王に奪われた。二人とも、家族と悪魔の王に人生を狂わされている。なのに、立場は正反対。俺は仇に手を貸し、会長は仇を追っている。
そんな二人が、今、向かい合っている。
◇
屋上に、特殊生徒会の他のメンバーも駆けつけてきた。騒ぎを聞きつけたのだろう。神影もいた。状況を把握した彼らの反応は――分かれた。
「暗殺者だ。即刻、処分すべきだ」
そう主張する者がいた。会長を殺そうとした。味方のふりをして、潜り込んだ。許せるはずがない、と。
「待ってください!」
アリシアが、俺の前に立った。
「彼は家族のために、追い詰められていただけです! それに……薬物の匂いもします。完全に本人だけの意思だったとは――」
「違うと言っただろう」
俺はアリシアを遮った。だが、アリシアは引かなかった。
「それでも、です! 私は彼を、友達だと思ってます。話を聞くべきです!」
未玖も頷いた。
「私も……彼を責められません。家族のためなら、誰だって……」
賛否は割れた。処分すべきだ、という声。庇う声。特殊生徒会は、二つに分かれた。
そして――。
「待て」
神影が口を開いた。冷静な声だった。
「処分は待て。こいつは、悪魔の王と繋がっている。我々がずっと追ってきた、あの出所不明のアイテムの元凶。そして、会長の――仇だ」
神影の目が、俺を見た。
「こいつを生かしておけば、悪魔の王に繋がる。今、殺すのは惜しい」
◇
俺は、立ち尽くしていた。
処分すべきだ、という声。庇う声。そして、神影の冷静な利用論。俺の処遇を巡って、特殊生徒会は紛糾していた。
俺はもう、潜入者ではなかった。正体はバレた。暗殺は失敗した。だが――処分もされなかった。賛否が割れて、即決はできない。そして何より、俺は悪魔の王への手がかりとして、価値があった。
俺は、宙吊りの立場になった。許されたわけでも、処分されたわけでもない。悪魔の王への唯一の糸として、生かされる。暗殺者として、警戒されながら。
会長が、俺を見ていた。親の仇と組んだ俺を。そして、その仇への手がかりを握る俺を。憎しみと、渇望の目で。
「……話を聞かせてもらう」
会長が言った。感情を抑え込んだ声で。
「悪魔の王のこと。お前とあいつの繋がり。全部だ」
俺は、何も言えなかった。短剣は、いつの間にか誰かに取り上げられていた。
歌は、もう聞こえなくなっていた。だが、その余韻はまだ、俺の胸の中に残っていた。あの歌が、俺を止めた。人殺しから引き戻した。そして――その結果、俺はこうして、すべてを失い、すべてを見抜かれ、そして新しい地獄の入り口に、立っている。
皮肉なものだ、と思った。あの歌がなければ、俺は会長を刺していた。暗殺は成功し、誰にも正体を知られないまま、家族を取り戻す道を、進めていたかもしれない。だが、あの歌が、俺を人殺しにさせなかった。救われたのか、堕とされたのか。自分でも、分からなかった。
家族を取り戻す道は、断たれた。いや――変わったのかもしれない。会長と悪魔の王。この新しい構図の中で。
俺は空を見上げた。電気の消えた、東京の空。
潜入は終わった。そして、何か別のものが、始まろうとしていた。
俺はまだ、それが何なのか、分からなかった。ただ、もう――味方のふりをする必要は、なくなった。それだけは確かだった。仮面を、剥がされた後の世界が、これから始まる。




