第50話 ようこそ
沈黙を破ったのは、アリシアだった。
「燈真さん」
アリシアは、まっすぐに俺を見ていた。その目には、悲しみと、怒りに近い何かがあった。
「私たちのことは、本当に、仲間だと思っていないんですか?」
仲間。その言葉に、俺は、思わず笑いそうになった。乾いた笑いだった。
「仲間……?」
俺は言った。
「この状況で、家族よりそんなものを優先できるなら、それは普通じゃない。頭がおかしい。ただ、それだけの奴だ」
アリシアが、息を呑んだ。
「俺は、普通に過ごしたいだけなんだよ!?」
気づけば、声を荒げていた。麻痺の解けた心は、剥き出しのままだった。
「この、誰が死んでもおかしくない状況でも。異常に厳しい両親が、生きて助かって。大切な妹が、死なない。そんな、最低限の未来を。ただ、望んでるだけなんだよ!?」
英雄になりたいわけじゃない。力が欲しいわけでもない。ただ、家族が無事で、普通に暮らせれば、それでよかった。たったそれだけの願いが、どうやっても、叶わない。電気が消えて、世界が壊れて、悪魔の王と取引して、暗殺者になって。すべてを失って。だから、せめて、家族だけでも助けて、自分は死ぬ。それの、何が、おかしい。
俺の願いは、ずっとささやかだった。あの厳しい両親のことすら、本当は、憎みきれていなかった。憎みながら、それでも生きていてほしいと思う。そんな矛盾を抱えたまま。妹のことは、ただ無事でいてほしかった。世界がどうなろうと、俺が望むのは、その、ちっぽけな日常だけだった。なのにこの世界は、それすら、俺に許さなかった。
◇
未玖が、口を開いた。
「だったら」
その声は、震えていた。
「私との約束は……?」
俺は、言葉を失った。
「一緒に、見届けてほしかった。私、それ以上なんて、望んでないのに……」
見届ける。あの、配信の。「最後まで見届けます」と、コメントした、あの約束。未玖は、それを、覚えていた。そして、ただ、それだけを、望んでいた。一緒に、未来を見届けること。生きて、そばにいること。それ以上は、何も。
俺の「普通に過ごしたいだけ」と、未玖の「それ以上なんて望んでない」が、同じ場所で、すれ違っていた。二人とも、ささやかなものを、望んでいるだけなのに。なのに俺は、また、未玖の願いを、踏みにじろうとしている。死を選んで。
「……すまない」
俺は、それだけ言った。他に言える言葉が、なかった。
未玖は、泣きそうな顔で、それでも、俺から目を逸らさなかった。責めるでもなく、縋るでもなく。ただ、まっすぐに、俺を見ていた。その視線が、痛かった。麻痺で誤魔化せていたものが、全部、戻ってきていた。罪悪感も、未玖への思いも。あの歌に救われた瞬間から、俺はもう、何も、感じないふりが、できなくなっていた。
◇
アリシアが、一歩、前に出た。
「私たちには、燈真さんが必要です」
そして、神影の方を、向いた。
「神影さん。あなたは、どう思いますか? 今の状況で、新たに暗殺者を送り込まれた時。彼一人にすら、手こずった今の生徒会が、対処できると思えますか?」
アリシアの言葉には、感情だけでなく、冷静な計算もあった。
「もっと強い敵が来たら、私たちは、対処できない。彼の協力が、必要です! 友達だからとか、そういうことだけじゃなく。戦力として、彼が要るんです!」
神影は、しばらく黙ってから、答えた。
「……被害を受けたのは、会長だ」
淡々とした声だった。
「会長の意見次第、としか、私が言えることはない」
神影らしい、と思った。感情で動かない。判断を、被害者である会長に委ねる。筋を通す。
視線が、会長に、集まった。
◇
会長は、俺を見ていた。長い、沈黙があった。
そして、口を開いた。
「私は、親が、目の前で殺された」
静かな、だが、芯のある声だった。
「悪魔の王に。何もできないまま。守れないまま」
会長の、無言の理由。感謝を受け取らない態度。すべての根が、その一言に、あった。
「目の前の一人より、私は、悪魔の王を優先したい」
会長の目が、俺を、捉えた。
「私は、今のままだと、あいつに太刀打ちできない。もし、勝てる可能性があるなら。できることを、全部、やっておきたい。たとえ、その手段が――私を殺そうとした相手であっても」
それは、許しではなかった。利用だった。会長は、私情を呑み込んで、目的を取った。親の仇を討つために。俺の電気の力さえ、使うと。冷徹で、まっすぐな、覚悟だった。
そして、その覚悟の中に、俺は、自分と同じものを、見た。家族のために、すべてを賭ける。立場は、正反対でも。会長と俺は、同じ場所に、立っていた。
◇
「俺が思うこととしては」
それまで黙っていた北見が、口を挟んだ。
「本当に殺す気があるなら、こんなぎりぎりまで引っ張らず、もっと早く殺していたはずだ」
北見の、いつもの芝居がかった口調は、なりを潜めていた。
「電気を使えば、誰も対処できなかった。会長は、死んでいた。なのに、こいつは、刺さなかった。引っ張った末に、結局、刺せなかった。それは、こいつの中に、殺したくない気持ちがあった証拠だ」
俺は、北見を見た。こいつは、俺自身も気づいていなかったものを、見抜いていた。
「今は、その善意に、期待するのも、ありだと思うがな」
「あなたに聞いてないんですけど……」
アリシアが、ぼそりと言った。
「いや聞けよ!? 一応、生徒会だろ!?」
北見が、声を上げた。張り詰めていた空気が、わずかに、緩んだ。
◇
神影が、息を吐いた。そして、俺を見て、言った。
「……お前が、そんなに言うなら」
意外な、穏やかさが、その声には、あった。
「もし、悪魔の王を殺せたら。その時、家族と一緒に過ごすくらいは。誰も、咎めないんじゃないか、と思うがな」
俺は、顔を上げた。
神影は、会長を見た。
「会長は、どう思いますか」
会長は、しばらく、俺を見つめていた。
その目の中で、何かが、揺れていた。憎しみと、渇望と、それから、おそらく、ほんのわずかな、別の何か。俺に殺されかけた相手を、迎え入れる。親の仇と組んだ男を、仲間にする。簡単なことでは、なかったはずだ。それでも会長は、目的のために、それを選ぼうとしていた。
そして。
「私も、同じ」
ほんの少しだけ、その硬い表情が、和らいだ気がした。
「――ようこそ。特殊生徒会へ」
俺は、その言葉に、息を、止めた。
ようこそ。本来、二十六話で、潜入した時に、かけられるべきだった言葉。だが、俺は、偽りの暗殺者として、その言葉を、受け取れなかった。それが、今。すべてがバレた後で。会長から、改めて、告げられた。
偽りの潜入者としてではなく。悪魔の王を、共に倒す、仲間として。
仮面を剥がされ、すべてを失った後で。皮肉にも、俺は、初めて、本物の居場所を、与えられようとしていた。それを口にしたのが、俺に殺されかけた、当の会長だということに。俺は、言葉を、失っていた。
◇
俺は、本当は、ここで死んで、区切りをつけるつもりだった。
暗殺に失敗し、すべてを失った。生きていても、無様な姿を、親に見せるだけ。家族は、俺が死んでも、助かる。だから、死ぬ。それしか、考えていなかった。
だが。
死んで区切りをつけるよりも。MIRAIとの約束と、悪魔の王の討伐を、優先してもいい。
そう、思い始めている自分が、いた。
未玖との、約束。「最後まで見届けます」と、誓ったあの言葉。死ねば、果たせない。生きて、あいつの歌を、見届ける。それを、果たしたい。そして、悪魔の王を、倒す。家族と過ごす道は、その先に、ある。会長の仇を討つことにも、なる。
死ぬより、生きて、成すべきことが、あった。
ずっと、誰も助けてくれないと、思っていた。人を信じることを、やめていた。なのに、この学園で。アリシアが、友達として、手を差し伸べた。城井が、面倒を厭わず、隣を歩いた。未玖の歌が、俺を、人殺しから、引き戻した。そして今、会長が――俺に殺されかけた会長が、俺を、迎え入れようとしている。
繋がりは、幻想じゃ、なかったのかもしれない。
思えば、それは、ずっと前から、そうだったのかもしれない。中学で潰されて、一人になったと思っていたあの時期にも。画面の向こうの歌声に、俺は、救われていた。気づいていなかっただけで、俺は、いつも、誰かと、どこかで、繋がっていた。それを、自分で、なかったことに、していただけで。
固く閉じていた何かが、ゆっくりと緩んでいくのを、俺は感じていた。
◇
「……分かりました」
俺は、ようやく、口を開いた。
「悪魔の王を、倒します。あいつのことも、俺の知っていることは、全部、話します」
会長が、頷いた。
「その代わり」
俺は、続けた。
「全部、終わったら。家族のところに、帰らせてください」
「ああ」
会長が、言った。
「約束する」
濡れた服が、まだ、冷たかった。縛られた手が、ほどかれる。立ち上がると、足が、少し、ふらついた。だが、不思議と、体は、軽かった。死ぬつもりだった重さが、消えていた。代わりに、生きて、やるべきことが、あった。
窓の外には、電気の消えた東京の空が、広がっていた。あの暗がりのどこかに、家族がいる。そして、悪魔の王がいる。会長の仇が。俺を、駒として使った、あの赤髪の少女が。
俺は、もう、味方のふりをする必要は、なかった。
殺すために潜り込んだ場所で。俺は、本物の仲間を得た。守るために戦う場所を得た。長い遠回りの果てに。
「行こう」
俺は言った。誰にともなく。あるいは、ここにいる全員に。
潜入は、終わった。
そして、本当の戦いが、これから始まる。
電気を生み出せる、ただ一人の俺と。すれ違いを、繰り返したくない彼女たちと。家族を奪われた、彼女と。
俺は、もう、一人じゃなかった。人を信じられず、誰も助けてくれないと決めつけていた俺の隣に、今は、確かに、誰かがいる。それが、どれほど遠回りした末に得たものか。どれほど、皮肉な形で手に入れたものか。それでも、それは、本物だった。
悪魔の王へ。
俺たちの反撃が、ここから始まるのだった。
――第一部 完




