第46話 切り開く
手のひらの上で、風の刃が、炎を、纏った。
不安定に、揺れている。今にも、霧散しそうな、未完成の刃。風を、極限まで絞り、そこに、燃焼を、乗せる。範囲を、捨て、規模を、捨て、ただ一点の、鋭さに、すべてを、注ぎ込む。
縛りの、感覚。
掴みかけている。だが、まだ、確実じゃない。失敗すれば、エネルギーは、霧散し、何も、起きない。一日十回の、付与のうち、残り二回分の、力を、ここに、賭ける。
それでも――やるしか、なかった。
「アリシアさん!」
俺は、叫んだ。城井から、伝言を受けたのか、アリシアが、こちらを、見た。
「道を、開きます! 本体まで、一直線に! その隙に、決めてください!」
アリシアは、一瞬、戸惑った顔を、した。だが、すぐに、頷いた。
「……分かりました! 信じます!」
信じる。その一言が、俺の背を、押した。
俺は、手下の壁の、向こう――守りの奥にいる、結界使い本体に、狙いを、定めた。そして、炎を纏った、風の刃を、放った。
◇
刃が、空気を、裂いた。
一筋の、炎の斬撃が、手下の壁に、突っ込む。広範囲の爆発では、ない。一点を、貫く、鋭い刃。今までの、俺の戦い方とは、まるで、違った。圧縮燃焼が、面で焼き払うものなら、これは、線で、貫くもの。細く、鋭く、まっすぐに。
手下たちが、横一列に、なぎ倒される。炎が、燃え移り、壁に、風穴が、開いた。たった一発。残り二回分の、力を、すべて、注ぎ込んだ、渾身の、一撃。それが、確かに、結界使いの守りに、突破口を、こじ開けた。
本体への、道が、開けた。
「今です、アリシアさん!」
「はいっ!」
アリシアが、その、開いた道に、向かって、駆けた。風穴の、向こうに、結界使い本体の姿が、見えた。痩せた、神経質そうな男だった。今まで、手下の壁に、守られて、安全な位置に、いた男。
その男に、初めて、討伐隊の攻撃が、届こうと、していた。
「させるか……!」
結界使いが、焦った声を、上げた。アリシアが、迫ってくる。あの、鉄壁の殺人鬼を、単独で捕らえた、アリシアが。手下の壁は、燈真の炎の斬撃で、崩された。男には、もう、アリシアを、防ぐ手段が、なかった。
いや――一つだけ、あった。
男は、自分の、結界を、操作した。
内側の、神力使用可能領域を、狭める。あるいは、結界そのものを、再構築して、アリシアを、迎え撃とうとする。だが、そのためには――。
外側の、神力無効の結界を、一度、解除する、必要があった。
◇
その、瞬間だった。
外側の結界が、消えた。
遠距離無効の、領域が、一瞬、途切れた。男は、アリシアを、迎え撃つための、結界の再構築に、集中するあまり――外側の、無効領域を、維持できなく、なったのだ。
それは、致命的な、隙だった。
「神力が、戻ったぞ!」
討伐隊の、誰かが、叫んだ。
今まで、無効領域に、阻まれて、遠距離攻撃が、できなかった、後方の生徒たち。彼らの神力が、一斉に、復活した。遠距離の、支援が、結界使いに向かって、降り注ぐ。
男は、慌てた。結界の再構築と、迫るアリシアと、復活した遠距離支援。三つに、同時に、対応することは、できなかった。
結界を、張り続ければ、アリシアの近接に、貫かれる。結界を、解除すれば、遠距離支援に、晒される。
どちらを、選んでも――詰みだった。
俺が、炎の斬撃で、手下の壁を崩し、アリシアの道を開いたことで。結界使いは、結界を、解除せざるを、得ない状況に、追い込まれた。そして、解除した瞬間、最大の武器である、遠距離無効が、消え去った。
形勢は、一気に、逆転した。
◇
「終わりです」
アリシアの声が、響いた。
彼女の、周囲の空間に、無数の、斬撃が、配置されていく。半径五十メートル、十発の同時斬撃。いや――それ以上。怒ってはいない。だが、本気だった。結界使いを、確実に、仕留めるための、精密な、斬撃の配置。
「英国の、誇りに、かけて」
アリシアが、刀を、振るった。
無数の、見えない刃が、結界使いに、殺到した。男は、防ごうとしたが、遠距離無効は、もう、使えない。復活した遠距離支援が、男の動きを、封じている。逃げ場は、なかった。
斬撃が、男を、捉えた。
血しぶきが、上がる。結界使いは、為す術もなく、斬り刻まれ、崩れ落ちた。アリシアは、致命傷は、避けたらしい。捕縛が、目的だ。男は、血まみれになりながらも、辛うじて、息は、あった。
そして――張られていた結界が、すべて、消えた。
ドーム状の、膜が、霧散する。廃墟群に、いつもの、空が、戻ってきた。
戦いは、終わった。
◇
「……勝った、のか」
俺は、その場に、膝をついた。
エネルギーの、供給で、消耗しきっていた。城井を背負い、走り回り、炎を付与し続け、最後に、未完成の縛りで、炎の斬撃を、放った。体は、限界だった。
「トウマ! 大丈夫!?」
城井が、駆け寄ってきた。
「ああ……なんとか」
「無茶しすぎだよ、もう……」
城井は、呆れたように、だが、どこか、安堵した顔で、言った。
俺は、息を整えながら、自分の手のひらを、見た。あの、炎の斬撃。ぶっつけ本番で、成功した。縛りの感覚を、戦いの中で、掴んで。風を絞り、炎を乗せ、一点を貫く刃を、放った。
それが、結界使いを、追い詰める、決定打への、道を、開いた。
俺は、決定打を、与えたわけじゃない。仕留めたのは、アリシアだ。だが、俺が、道を開かなければ、アリシアは、本体に、届かなかった。縁の下の、働きだったが――確かに、勝利に、貢献した。
会長に近づくための、活躍。それを、果たせた。
そう思った、矢先だった。
◇
「お前」
声が、した。
振り返ると、神影が、立っていた。藍色のポニーテール。あの、冷たい目で、俺を、見ている。
「あの、最後の攻撃。あれは、何だ」
俺は、内心で、身構えた。
「風を、極限まで、絞って、斬撃に、変えた。そして、炎を、乗せた。違うか」
「……まあ、そんなところです」
俺は、慎重に、答えた。
「あれは、縛りか?」
神影の、目が、鋭くなった。
「制限を加えて、力を、変質させた。範囲を、捨てて、鋭さを、得た。縛りの、応用だな」
「……はい。たぶん、そうだと、思います」
俺は、曖昧に、肯定した。嘘では、ない。実際、あれは、縛りだった。範囲と規模を、捨てて、斬撃性を、得た。神影の、言う通り。
だが、神影は、納得した、顔では、なかった。むしろ――その目には、いつも以上の、疑念が、宿っていた。
「お前は」
神影は、言った。
「あれを、この戦いの、最中に、初めて、試したな。ぶっつけ本番で」
「……はい」
「そして、一発で、成功させた」
神影の、声が、低くなった。
「縛りは、繊細な技術だ。制限の、かけ方を、少しでも、間違えれば、エネルギーの、大半が、無駄になる。失敗するのが、当たり前だ。何度も、試行錯誤して、ようやく、身につく。なのに――お前は、戦いの最中に、即興で、閃いて、一発で、成功させた」
俺は、何も、言えなかった。
◇
「そんなことが、できるわけが、ない」
神影の、視線が、俺を、貫いた。
「お前は、縛りを、隠していたのか。本当は、もっと、前から、使えたのか。それとも――本当に、即興で、成功させたのか。どちらにせよ、異常だ」
神影の、言葉が、突き刺さる。
「火と、風。お前は、それしか、申告していない。だが――それだけの、はずがない。風を、斬撃に変え、炎を乗せ、縛りを、即興で、成功させる。そんな、神力の扱いが、できる人間が、ただの、火と風の能力者の、わけが、ない」
神影の、目が、細められた。
「お前は、風と、炎以外に、何か――とんでもないものを、隠しているんじゃないか」
俺は、背筋が、凍るのを、感じた。
近い。あまりにも、近い。
神影は、まだ、電気の存在には、気づいていない。だが――「火と風以外に、何かを隠している」という、確信に、近づいている。俺の、最大の秘密の、すぐ手前まで。
「……買いかぶりですよ」
俺は、平らな顔を、保ったまま、言った。
「縛りは、たまたま、うまくいっただけです。火と風を、必死に、応用しただけで。それ以上のものなんて、ありません」
それは、嘘だった。初めて、明確な、嘘を、ついた。だが、ここで、認めるわけには、いかなかった。
神影は、しばらく、俺を、見ていた。嘘を、見抜こうと、するように。だが、俺は、表情を、崩さなかった。
やがて、神影は、息を、吐いた。
「……今は、それで、いい」
今は。その一言に、俺は、ぞっとした。神影は、引いた。だが、諦めては、いない。「今は」と。いつか、必ず、また、踏み込んでくる。
◇
戦いが、終わり、討伐隊は、撤収を、始めた。
捕らえた結界使いは、連行されていく。負傷者の、手当て。後始末。みな、勝利に、安堵していた。アリシアが、俺のところに、駆け寄ってきた。
「トウマさん! さっきの、すごかったです! あの炎の斬撃で、道が、開けて! おかげで、勝てました!」
「……アリシアのおかげだよ。決めたのは、アリシアだ」
「えー、でも、トウマさんが、道を、開いてくれたから、ですよ! ありがとうございました!」
アリシアの、まっすぐな感謝に、俺は、少しだけ、救われる思いがした。だが――その一方で。
俺は、神影の、あの言葉を、忘れられなかった。
風と、炎以外に、何かを、隠しているんじゃないか。
活躍した。会長に近づくための、戦力として、認められた。アリシアにも、感謝された。任務は、前進した。
だが、その活躍そのものが――神影の、疑念を、決定的に、深めた。
俺は、また、やってしまった。目立ちすぎた。隠しているはずの、本質の、片鱗を、見せてしまった。会長に近づくための、活躍が、俺の、首を、絞めている。
進めば、進むほど。活躍すれば、するほど。俺の、秘密は、暴かれそうに、なる。
もう――隠し通すのは、限界に、近いのかもしれない。
俺は、空を、見上げた。結界の消えた、東京の空。
会長に、近づく道は、また一歩、開けた。だが、その分、崖も、また一歩、近づいた。
俺は、いったい、いつまで、この綱の上を、渡り続けられるのだろうか。
その答えは、まだ、出なかった。




