第39話 リスナー名
特殊生徒会に入った生徒は、すぐには、一般の授業に出ない。
最初の一か月ほどは、訓練と、能力の測定に、専念させられる。戦力として、最低限、形になってから、ようやく、学園の日常に組み込まれる。そういう仕組みだった。
俺も、転校してから、ちょうど一か月。ようやく、初めての授業に、出ることになった。
念願の、と言っていいのか、分からない。だが、訓練と夢世界の往復ばかりだった日々から、少しだけ、普通の学園生活に近づくのは、悪い気は、しなかった。電気のない世界の授業が、どんなものか、想像もつかなかったが。
教室に入ると、すでに、何人かの生徒が、席についていた。窓から差し込む自然光が、教室を照らしている。黒板はあるが、電子機器の類は、一切ない。
俺は、空いている席を探した。その時だった。
「あ」
声がした。聞き覚えのある、声。
振り向くと、そこに、彼女がいた。
桜井未玖。MIRAI。あの、歌の。
俺は、思わず、足を止めた。心臓が、跳ねる。
昨日、講堂で、声をかけられなかった相手だ。話しかけるべきか迷って、結局、逃げるように出てきた。あの声の主が、今、同じ教室に、いる。同じ授業を、受ける生徒として。
そういえば、と思い出す。特殊生徒会が抱える神力者なら、生徒として、学園に在籍していてもおかしくない。歌で心を癒す彼女は、おそらく、戦闘要員ではないが、特殊生徒会の関係者として、ここにいる。つまり――これから、何度も、顔を合わせることになる。
その事実に、俺は、動揺と、それから、自分でもよく分からない、別の感情を、覚えた。
◇
「昨日、私の歌、聞いてくれてたよね」
未玖は、こちらに近づいてきて、言った。
「君、特殊生徒会の、新入生だったんだ」
俺は、内心の動揺を、必死に抑えた。
まさか、向こうから、話しかけてくるとは。昨日、講堂で、声をかけられなかった俺だ。それが、まさか、こんな形で。
「……ああ」
俺は、できるだけ、平静を装って、答えた。
「昨日の歌、聞いてた」
「ありがとう! 楽になった?」
「……まあ。少し」
少し、どころではなかった。あの歌は、俺を、救ってきた声だった。だが、それは、言わない。
未玖は、少し、首を傾げて、俺を見た。何か、確かめるような、目だった。
「君、名前は?」
「……小鳥遊。小鳥遊燈真」
「小鳥遊くん。私は、桜井未玖。よろしくね」
彼女は、にこっと笑った。それから、隣の席に、当然のように座った。
「ねえ、小鳥遊くんは、なんで特殊生徒会に入ったの? あそこ、すごく大変なんでしょ」
「……東京にいる家族と、再会したくてな」
俺は、答えた。それは、本当のことだった。暗殺のことは、言わない。ただ、家族と再会したい。その一点だけ。嘘では、ない。
未玖は、その答えを聞いて、少し、目を伏せた。
「そっか。家族と……」
何か、思うところがある様子だった。だが、すぐに、顔を上げた。
◇
「ねえ、変なこと聞くけど、いい?」
未玖が、言った。
「変なこと?」
「そう……変なこと」
彼女は、少し、ためらうように、間を置いた。それから、まっすぐに、俺を見て、聞いた。
「もしかして、私のこと、知ってる?」
俺は、一瞬、言葉に詰まった。
なぜ、そんなことを、聞くのか。昨日、熱心に歌を聞いていたから、もしかして、配信時代からのリスナーかもしれない、と思ったのか。それとも――
その「それとも」の先が、俺には、見えなかった。ただ、彼女の聞き方に、わずかな、引っかかりを感じた。単なる世間話にしては、何か、真剣すぎる気がした。だが、その違和感の正体までは、つかめなかった。
いや。深く考えるな。普通に、答えればいい。考えすぎて、挙動不審になる方が、よほど怪しまれる。
「……配信者としてなら、知ってる」
俺は、答えた。それは、嘘では、なかった。知っているのは、事実だ。だが、「どれだけ深く見ていたか」「心の支えだったこと」までは、言わない。最小限の、真実だけ。
その瞬間、未玖の表情が、ぱっと、明るくなった。
「やっぱり!」
彼女は、身を乗り出してきた。
「ねえねえ、いつから見てるの? リスナー名は? 多分、私、知ってるよね!?」
俺は、固まった。
リスナー名。それを、言えば。
あの頃、彼女の配信は、いつも、視聴者が少なかった。コメントも、まばらだった。その中で、俺は、毎回、応援のコメントを送っていた。同じ、ハンドルネームで。
もし、それを言えば――彼女は、俺が、あの頃のリスナーだと、分かるだろう。
そして、それは。
俺にとっては、ただ、恥ずかしかった。
◇
考えてもみてほしい。
人を信じなくなって、一人だった、あの頃。俺は、暗い部屋で、彼女の配信を見ながら、必死に、応援のコメントを送っていた。「歌、最高でした」「今日も来ました」「いつも応援してます」。そんな、青臭い言葉を。
その、コメントを送っていた本人が、まさか、彼女に、面と向かって、バレる。
無理だ。いたたまれない。あの頃の、なりふり構わず誰かに縋っていた自分を、本人の前に、さらけ出すなんて。
「言えねえよ!?」
俺は、思わず、声を上げた。
「は?」
未玖が、きょとんとした。
「いや……だから。本人に知られるのは、さすがに……」
俺は、しどろもどろになりながら、言った。
「どう考えても、言いにくすぎるだろ!? 自分が送ってたコメント、本人に思い出されるとか……無理だって」
普段、俺は、感情を顔に出さない。中学のあの時から、ずっと、表情を殺してきた。出せば、つけ込まれる。笑えば、隙になる。そう思って、生きてきた。
なのに、今は。完全に、素で、動揺していた。たじろいで、顔が、熱くなっているのが、自分でも、分かった。
◇
未玖は、俺の慌てぶりを見て、最初は、ぽかんとしていた。
それから、急に、ぷっと、噴き出した。
「なにそれ! 気にすることないのに!」
彼女は、楽しそうに、笑った。
「リスナーさんのコメント、すごく嬉しかったんだよ? 恥ずかしがらなくて、いいのに」
「……いや。恥ずかしいものは、恥ずかしいんだよ」
俺は、顔を背けた。
不思議だった。この少女の前では、いつもの仮面が、勝手に剥がれていく。神影との緊張も、会長への警戒も、暗殺の重圧も――この瞬間だけは、頭から、消えていた。
ただ、推しに話しかけられて、照れている。それだけの、青年だった。
ふと、思った。アリシアの前でも、こうだった。久々に、笑った。そして、未玖の前でも、素の自分に、戻ってしまう。
この二人は、俺の、何かを、引き出す。壊れる前の、俺を。人を信じていた頃の、俺を。それが、心地よくもあり、同時に、少し、怖くもあった。
◇
「まあ、いいや」
未玖は、まだ笑いながら、言った。
「いつか、教えてね。リスナー名」
「……気が向いたらな」
俺は、曖昧に、答えた。たぶん、永遠に、言わないだろうが。
その時、俺は、気づいていなかった。
未玖が、俺の「配信者として知ってる」という言葉に、ただのファンサービス以上の、何かを、確かめようとしていたことを。
彼女の、最初の「もしかして私のこと知ってる?」という問い。あの時、彼女の目には、単なる好奇心だけではない、もっと、必死な、探るような色が、あった。だが、俺は、自分の照れに、気を取られて、それに、気づかなかった。
未玖が、なぜ、リスナー名を、そこまで知りたがったのか。
それを、俺は、深く、考えなかった。ただ、「熱心なファンだったから、嬉しいんだろう」と、思っていた。
だが、本当は。
彼女は、確かめたかったのだ。目の前のこの男が、あの、不人気時代から、ずっと支えてくれた、たった一人のリスナーなのか、どうかを。
そして、もし、そうだとしたら――彼女が、この学園に来た、本当の理由に、関わってくる。
だが、俺が、リスナー名を、言わなかったから。彼女は、確証を、得られなかった。
俺の、ただの照れが――俺が、人前で、なりふり構わず縋っていた過去を、恥じる気持ちが。結果的に、彼女の問いを、はぐらかしていた。
俺は、それを、知らなかった。
◇
授業が、始まった。
電気のない世界の授業は、思っていたより、地味だった。教師が、黒板に書く。生徒が、ノートを取る。電子機器がない分、昔ながらの、原始的な形式。だが、それでも、学園は、教育を、続けていた。こんな世界になっても。
俺は、ノートを取りながら、時々、隣の未玖を、ちらりと見た。
彼女は、真剣に、授業を聞いていた。歌手を目指している、と聞いた。こんな、電気の消えた世界で。配信も、できないのに。それでも、夢を、諦めずに。
何が、彼女を、そこまで、突き動かすのか。
たった一人のリスナーに、恥じない自分でいたいから。アリシアは、そう言っていた。
俺は、その「たった一人のリスナー」が、自分かもしれない、という可能性を、まだ、信じきれずにいた。考えすぎだ、と。彼女の配信を見ていたリスナーなんて、俺以外にも、いたはずだ、と。
だが、もし、本当に、それが、俺だったとしたら。
俺は――彼女の、心の支えに、なっていた、ということになる。
ずっと、一方通行だと、思っていた。俺が、彼女に、救われていただけだと。だが、もしかしたら。俺もまた、彼女を、支えていたのかもしれない。
その考えは、なぜか、胸の奥を、温かくした。
俺は、誰にも、必要とされていないと、思っていた。中学で潰されてから、ずっと。家族にも、守られなかった。だから、他人との繋がりなんて、幻想だと、決めつけていた。一方通行で、消費するだけの関係しか、自分にはないのだと。
だが、もし、彼女が、俺のコメントに、救われていたのなら。俺が送った、あの青臭い言葉の一つ一つが、無名だった彼女を、支えていたのなら。それは――俺の存在が、確かに、誰かの役に立っていた、ということになる。
人を信じない、と決めた俺の、その奥に。まだ、誰かと、繋がっていたい、という気持ちが、残っているのかもしれなかった。それを、認めたくはなかったが。
授業の終わりを告げる鐘が、鳴った。電気がないから、それは、古い、手で鳴らす鐘の音だった。
「小鳥遊くん」
未玖が、こちらを向いて、笑った。
「また、話そうね」
「……ああ」
俺は、頷いた。
殺すために、この学園に来た俺が。味方のふりをして、潜り込んだ俺が。今、心の支えだった少女と、また話す約束を、している。
その約束が、嘘ではないことだけが、俺には、少しだけ、救いのように、思えた。




