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第35話 共闘

塀を乗り越えてくる生物の群れに向かって、俺はまず、火を放った。


炎が、走る。先頭の数体を、舐めるように包み込む。生物たちは、炎に巻かれても、すぐには止まらなかった。痛覚が鈍いのか、それとも痛みなど感じないのか、燃えながらも、なお前へ進もうとする。だが、数秒後には、力尽きて崩れ落ちた。


生物だ、と俺は確信した。中身が何であれ、これは生き物だ。生き物なら、焼けば死ぬ。情報がなくても、能力が分からなくても、その一点だけは確かだった。火で焼く。それが、最も合理的だった。


問題は、数だった。一体や二体なら、これで済む。だが、押し寄せてくるのは、何十体という群れだ。一体ずつ焼いていては、間に合わない。


なら、まとめて焼く。


俺は、風を操った。空気を、一点に圧縮する。密度の高い空気の塊を作り、それを、群れの中心へ送り込む。そして、火を放った。


爆発的な燃焼が、起きた。圧縮された空気が燃料となって、炎が一気に膨れ上がる。通常の火など、比べ物にならない。群れの一角が、丸ごと、炎に呑まれた。


数体が、まとめて焼け落ちる。


「すごい!」


隣で、アリシアの声がした。



だが、感心している暇は、なかった。炎が晴れた直後、別の方向から、新たな群れが突っ込んできた。圧縮燃焼を放った直後の俺は、無防備だった。次の攻撃を準備するには、わずかだが、時間がかかる。その隙を、生物たちは突いてくる。


一体が、俺の目前に迫った。裂けた口が、こちらに向かって開く。


その瞬間、横から、銀色の光が走った。


アリシアの、刀だった。いや、刀そのものではない。彼女の神力――空間に配置された斬撃が、俺に迫っていた生物を、一瞬で切り裂いた。続けて、二体、三体。俺を囲もうとしていた生物たちが、見えない刃に、まとめて両断されていく。


「燈真さんは、攻撃に集中してください!」


アリシアが、俺の前に立ちはだかった。


「私が、守ります! 約束、しましたから!」


俺は、一瞬、言葉を失った。


アリシアが、俺の盾になっている。俺が無防備になる、その隙を、彼女が埋めている。役割分担。俺が火力を出し、彼女が守る。


それが、合理的だった。俺の範囲攻撃は、数を捌くのにコストパフォーマンスがいい。一振りで一体ずつ斬るより、一発で数体を焼く方が、効率がいい。だが、俺は準備中、無防備になる。なら、誰かが俺を守りながら前進するのが、最も理にかなっている。


戦場の判断として、それは正しかった。だが――それを、アリシアがやっている。これから俺が裏切る、その相手が。俺の命を、守っている。



「行きますよ!」


アリシアが叫ぶ。俺は、頷いた。


そこからは、噛み合った。


俺が、圧縮燃焼で群れを焼く。その間、隙だらけの俺を、アリシアが守る。生物が近づけば、彼女の斬撃が両断する。俺は安心して、次の一撃の準備に集中できる。そして、また焼く。


一発。


二発。


三発。


東側の塀から押し寄せていた群れが、みるみる数を減らしていく。圧縮燃焼の威力は、群れに対して、絶大だった。固まって突進してくる敵を、面で焼き払う。一体ずつ対処するしかなかった他の防衛線とは、明らかに殲滅の速度が違った。


「燈真さん、すごいです! どんどん減ってます!」


アリシアの声は、戦いの最中だというのに、楽しげですらあった。彼女は、斬撃を放ちながら、俺を守りながら、笑っていた。英国の誇り、と口にしながら、優雅に刀を振るう。その動きには、無駄がなかった。鉄壁の殺人鬼を単独で捕らえた実力が、ここでも発揮されていた。


俺は、炎を放ちながら、ちらりと、別の戦線を見た。


正面の門。そこに、会長――神月華が、いた。



神月華は、ただ、立っていた。


押し寄せる生物の群れの、真ん中に。だが、彼女には、一体たりとも、傷をつけられずにいた。生物が飛びかかる。爪を立てる。牙を剥く。だが、そのすべてが、彼女に届く寸前で、跳ね返される。マイナスを付与された攻撃が、放った側に反転して返っていく。生物たちは、自分の攻撃で、自分を傷つけ、崩れ落ちていった。


無傷だった。誰も死なせず、自分も傷つかず、ただ静かに、群れを制圧していく。


なるほど、と俺は思った。あれが、氷華か。


無言で、人を助け、無傷で帰ってくる。その異名の意味を、初めて、戦場で目にした。あの能力なら、確かに、どんな現場でも生き延びられる。誰も死なせずに、収められる。


そして、俺は、あれに、毒を盛らなければならない。


味方のふりをして、近づいて、信頼させて、飲食物に毒を。神月華は、攻撃を反射する。だが、毒を「攻撃」と認識しなければ、反射の膜は張られない。味方の顔をしていれば。だから、味方として、近づく必要がある。


戦場で、無敵を誇るあの少女を。日常の隙で、殺す。


考えただけで、胸の奥が、冷えた。



「燈真さん! 後ろ!」


アリシアの声で、我に返った。背後から、一体が迫っていた。考え事をしていて、反応が遅れた。


だが、間に合わなかったのは、俺ではなかった。アリシアの斬撃が、その生物を、俺に触れる寸前で切り裂いた。


「危ないですよ! 集中、集中!」


「……悪い」


俺は、頭を切り替えた。今は、戦いだ。雑念は、後だ。


俺は、再び、火と風に意識を集中した。圧縮燃焼を、連続で放つ。一度に大きく溜めて自爆するのではなく、小さく、何度も。二十八話の夢で試した、自爆覚悟の一撃とは違う。制御された、反復可能な火力。


東側の群れは、もう、ほとんど残っていなかった。


ふと、頭の片隅で、別の考えがよぎる。


本当は、もっと楽な手があった。電気だ。電気を使えば、この群れなど、一瞬で片付く。あるいは、温存している、運動エネルギーの操作。それを使えば、もっと容易に、もっと派手に、殲滅できるはずだ。


だが、使わなかった。使うわけにはいかなかった。会長が、神影が、北見が、見ている。火と風しか申告していない俺が、電気を出せば、すべて終わる。運動エネルギーの操作も、まだ、誰にも見せていない。あれは、本当に追い詰められた時のための、最後の切り札だ。今、ここで、安売りはできない。


だから、火と風だけで、戦い抜く。隠したまま。



戦いが、収束に向かっていた。


東側の群れは、ほぼ殲滅した。俺の圧縮燃焼と、アリシアの斬撃で、押し寄せた生物たちは、片端から焼かれ、斬られ、崩れ落ちていった。正面の会長も、両翼の生徒たちも、それぞれの持ち場を守りきっていた。


最後の一体が、アリシアの斬撃で両断されると、東側は、静かになった。


焦げ臭い空気の中、俺は、肩で息をしていた。全身が、汗で濡れている。神力を使い続けた疲労が、ずしりと残っていた。


「お疲れさまでした!」


アリシアが、にっこりと笑って、こちらを向いた。


「燈真さん、本当に、すごかったです! あんなにまとめて焼けるなんて! 守りがいが、ありました!」


「……アリシアのおかげだ。守ってくれて、助かった」


素直に、そう言えた。実際、彼女がいなければ、俺は何度も死んでいた。無防備になる隙を、すべて、彼女が埋めてくれた。


「友達ですから! 当然です!」


アリシアは、胸を張った。その、まっすぐな笑顔に、俺は、また、何か言葉に詰まりそうになった。


友達として、守った。友達として、守られた。今この瞬間だけは、それは、嘘じゃなかった。


だが、その温かさの奥で、変わらず、冷たい事実が横たわっていた。この群れを放ったのは、俺の側だ。そして俺は、彼女の仲間を、殺すために、ここにいる。



戦いが終わり、生徒たちが、後始末を始めた。負傷者の手当て、生物の死骸の処理。地下からは、澪奈たち支援組が、浄化した水や物資を運び出してきていた。澪奈の姿が、遠くに見えた。無事だったらしい。それだけで、少し、息がつけた。


そんな中、俺は、視線を感じた。


振り向くと、神影が、こちらを見ていた。藍色のポニーテール。あの、冷たい目で。


彼女は、ゆっくりと、こちらに歩いてきた。


「新人にしては、よくやった」


神影は、淡々と言った。


「お前の範囲攻撃は、群れを相手にするには、効果的だ。今日の東側の殲滅速度は、他の戦線より、明らかに速かった。戦力として、認める」


「……ありがとうございます」


戦力として、認める。その言葉は、俺が望んでいたものだった。これで、地位が上がる。会長に近づく道が、開ける。任務が、進む。


なのに、素直に喜べなかった。


そして、神影は、少しだけ、目を細めた。


「だが、相変わらず、不思議な奴だ」


その一言に、俺は、内心で身構えた。


「あれだけの火力を持ちながら、無理をしない。捨て身にもならない。常に、リスクを計算している。新人とは思えない、慎重さだ」


神影の視線が、俺を、貫くようだった。


「お前は、いったい、何のために、ここまでするんだ」



その問いは、これまでにも、何度か向けられたものだった。動機が、薄い。神影は、ずっと、そこに引っかかっている。


俺は、答えを、用意していた。嘘ではない、しかし本当でもない、答えを。


「強くなりたいんですよ。この世界で、生き延びるために」


それは、半分は真実だった。生き延びたいのは、本当だ。家族を、取り戻すために。だが、その「家族を取り戻す」という核心は、口にしない。


神影は、しばらく、俺の顔を見ていた。嘘を、動揺を、探るように。だが、俺は、表情を変えなかった。平らに、保ったまま。


「……そうか」


神影は、それ以上は、追及しなかった。だが、納得した様子も、なかった。彼女は、踵を返し、後始末の指揮へと戻っていった。


その背中を見送りながら、俺は、息を吐いた。今日も、なんとか、切り抜けた。だが、神影の疑念は、確実に、積み重なっている。戦力として認められるほど、活躍するほど、その不自然さは、際立っていく。


「燈真さん?」


アリシアが、首を傾げて、こちらを見ていた。


「なんか、難しい顔してますよ。せっかく、認められたのに」


「……いや。なんでもない」


俺は、首を振った。


なんでもない、はずがなかった。俺は、会長に近づくための、一歩を踏み出した。同時に、神影に、また一歩、疑われた。そして、友達になった少女と、肩を並べて、自分の側が起こした襲撃を、戦い抜いた。


すべてが、絡み合って、俺の肩に、重くのしかかっていた。


戦いは、終わった。だが、俺の戦いは、まだ、始まったばかりだった。

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