第34話 友達として
警報が鳴り響く中、特殊生徒会の面々は、すぐに動き出した。会長の神月華が中央に立ち、神影が手早く状況を整理していく。誰をどこに配置するか、戦力をどう振り分けるか。混乱の中でも、その判断は淀みなかった。
「探知班の報告だと、敵の数は百前後。正面の門と、東側の塀の二方向から来る」
神影が淡々と告げる。
「会長は正面。アリシアは東側。残りで両翼を支える」
俺は、その流れに、自分から割り込んだ。
「俺を、前線に出してください」
神影の視線が、こちらを向いた。
「俺の神力は、範囲攻撃ができます。数が多いなら、一体ずつ相手にするより、まとめて焼いた方が効率がいい。広い場所に固まって来るなら、俺が一番、数を捌けます」
それは、嘘ではなかった。火と風を合わせた炎は、広範囲を焼ける。大量の敵を相手にするなら、確かに俺の火力は役に立つ。
そして同時に、それは悪魔の王に言われたことでもあった。主体性を主張しろ。働きを見せて、地位を上げろ。会長の近くへ。俺は今、その通りに動いていた。計画通りに。
「……いいだろう」
神影は少し考えてから、頷いた。
「ただし、護衛をつける。お前は範囲攻撃に集中しろ。接近戦は苦手なんだろう」
図星だった。だが、その判断は合理的だった。俺が火力に専念する間、誰かが俺を守る。役割分担。
◇
配置が、次々に決まっていく。俺の名前が、前線に組み込まれる。計画は、順調だった。あまりにも、順調だった。
なのに。
その時、俺はふと、自分が今、どこに立っているのか、分からなくなった。
俺は何をしている。これから、百体の敵を焼く。その敵を放ったのは、俺の協力者だ。俺は、自分の側が起こした襲撃を、必死に食い止めようとしている。そうやって信頼を得て、会長に近づいて、いつか毒を盛る。
本当に、これが、自分のしたいことなのか。
家族のためだ、と自分に言い聞かせてきた。だが、その家族すら――追い詰められていた時、助けてくれなかった。親は俺を守らなかった。なのに俺は、その親を助けるために、ここまでしている。
他人のために、ここまでする義理が、本当にあるのか。
頭が、急に重くなった。俺は、列を離れた。少しだけ、一人になりたかった。喧騒から離れて、廊下の隅の、誰もいない場所へ。
そこで、息を吐く。落ち着け、と自分に言い聞かせる。今さら迷ってどうする。もう、ここまで来た。
「燈真さん」
声がした。振り向くと、アリシアが立っていた。
◇
「どうしたんですか。急に、いなくなって」
アリシアは、いつもの明るさで言いながら、その目だけは、少し心配そうだった。
意外だった。この少女は、もっと能天気だと思っていた。場の空気も読まず、英国の誇りを語って、笑っているだけの。だが、こうして俺の様子の変化に気づいて、わざわざ追ってくる。意外と、周りを見ているらしい。
「……いや。少し、考え事を」
「考え事?」
「ああ」
俺は、答えるつもりはなかった。任務のことは言えない。覚悟が決まらないことも、家族のことも、何も。
なのに。
なぜか、口が動いた。死ぬかもしれない戦いの、直前だったからかもしれない。あるいは、アリシアが相手だったからかもしれない。
「俺さ。家族が、嫌いなんだよ」
アリシアは、黙って聞いていた。
「妹は、唯一マシなんだけど。親が、嫌いでさ。それが逆恨みだってのも、分かってる。でも、もっと嫌いな奴もいる」
俺は、自分でも驚くほど、淡々と話していた。
「家族以外の他人全部が嫌い、とまでは言わない。でも――こうやって、誰かのために命を懸けるのが、よく分からないんだ。俺を助けてくれなかった奴らのために、なんで俺が」
言ってしまってから、しまった、と思った。潜入者が、こんな本音を漏らしてどうする。だが、アリシアは、責めなかった。ただ、少し考えてから、自分の話を始めた。
◇
「私ね。昔、日本人の友達がいたんですよ」
意外な切り出しだった。
「まだ、小さい頃です。家族で、日本に旅行に来てて。大きなホテルに泊まってたんですけど。私、夜に、親が見てない隙に、こっそり下に降りたんです。ロビーに」
アリシアは、懐かしそうに目を細めた。
「そしたら、同じくらいの年の、男の子がいて。その子、隣の都道府県から、東京に旅行に来てたんですって。一人で泊まるのは夜が寂しいから、私が来てちょうどよかった、って。すごく、はしゃいでて」
俺は、なんとなく、その話を聞いていた。妙に、懐かしいような気がしたが、なぜかは分からなかった。
「私、厳しい親で。少しだけ、日本語を習わされてたんです。だから、片言で話したら――その子、私が日本語を頑張ってるのを見て、今度は自分が、慣れない英語を使おうとしてくれて」
アリシアは、小さく笑った。
「お互い、全然うまく話せないのに。なんでか、奇跡的に、会話が噛み合って。その子、自分の言葉が通じにくいって分かったら、こっちに合わせてくれたんです。気を使える子でした。明るくて、よく笑って」
「……」
「言葉も通じない外国の子に、あんなに一生懸命、優しくしてくれる人がいるんだって。それが、嬉しくて。その子が、日本の良いところを、たくさん教えてくれて。だから私、日本が大好きになって。いつか留学しようって、決めたんです」
俺は、その話を聞きながら、胸の奥が、わずかにざわついた。なぜだろう。知らない話のはずなのに、どこか、遠い記憶を撫でられるような。だが、その正体は、つかめなかった。
◇
「だから、ですね」
アリシアは、まっすぐに、俺を見た。
「私は、燈真さんに、助けてほしいんです」
「……俺に?」
「はい。今、みんながピンチで、誰かが犠牲になりそうな状況で。私一人じゃ、どうにもできないと思ってるんです。会長やみんなだけじゃ、足りないかもしれない」
アリシアの声は、いつもの能天気な明るさとは、少し違っていた。
「だから――私を、助けてください。義理とか、義務とかじゃなくて。私の、友達として」
友達。その言葉に、俺は何も返せなかった。
「その代わり、約束します」
アリシアは、続けた。
「燈真さんが、何か追い詰められてたら、私が相談に乗ります。絶対に、力になります。その……えっと、うまく言えないですけど。私なら、絶対に、燈真さんの力になれますから!」
最後は、少し照れたように、早口になっていた。
俺は、その言葉を、しばらく噛みしめていた。
助けてほしい。友達として。その代わり、お前が追い詰められたら、私が助ける。
それは――俺が、ずっと、得られなかったものだった。
中学で、追い詰められた時。誰も、助けてくれなかった。親も、周りも。助けを求めても、届かなかった。だから俺は、他人を信じることをやめた。誰も助けてくれない世界なんだ、と。
なのに。目の前のこいつは、はっきりと言う。お前が追い詰められたら、私が助ける、と。一方的じゃない。対等な、助け合いの関係を、差し出してくる。
俺が「いなかった」と思い込んでいた、助けてくれる他人が。今、目の前にいた。
◇
気づいたら、俺は、笑っていた。
久しぶりだった。本当に、久しぶりに、自然に、笑っていた。
中学のあの時から、俺は感情を顔に出さなくなった。出せば、つけ込まれる。笑えば、隙になる。そう思って、ずっと、表情を殺してきた。
なのに、今は。アリシアの、まっすぐすぎる言葉に、勝手に口元が緩んでいた。
「……分かった」
俺は言った。
「助けるよ。ありがとう」
アリシアが、ぱっと顔を輝かせた。
「ほんとですか!?」
「ああ。行こう。俺たちで、みんなを助けに」
その瞬間だけは、嘘じゃなかった。任務も、暗殺も、覚悟の半分も、その瞬間だけは、頭から消えていた。ただ、目の前のこいつを――アリシアを、そしてこの場所を、守りたいと、思った。
だが。
その温かさの裏で、別の声がする。今、お前が守ろうとしているこの戦いを、起こしたのは、お前の側だ。お前が手を組んだ存在が、百体の駒を放った。お前は、自作自演の戦場で、友達になった少女と、肩を並べて戦おうとしている。
笑った直後だからこそ、その矛盾は、いっそう痛かった。
◇
俺たちが、戦場へ向かおうとした、その時だった。
地面が、揺れた。
遠くから、地響きのような足音が、近づいてくる。一つ、二つ、ではない。数えきれないほどの、何かが、こちらに向かって、走ってくる音。
門の方から、悲鳴が上がった。
「来たぞ! 正面!」
「東側からも!」
特殊生徒会の声が、飛び交う。会長が、正面へ向かって走る。神影が、後方で指示を出す。
俺は、アリシアと並んで、東側の塀へ走った。そして、見た。
塀を、乗り越えてくる、それを。
人の形を、していた。二足で立ち、二足で走る。だが、人間ではなかった。
顔が、おかしい。表情がない。目だけが、異様にぎらついている。口が、裂けるように開き、ただ、こちらを目がけて、突進してくる。理性も、意思も感じられない。ただ、人を殺すという、その一点だけで、動いている。
そんなものが、塀を乗り越えて、次々と、なだれ込んでくる。
「……なんだ、これ」
俺は、思わず呟いた。
人間じゃない。獣でもない。正体不明の、生き物。二足歩行で、凶暴性だけがある、何か。
そして、俺は、知っていた。これを放ったのが、悪魔の王だということを。
悪魔の王は、どうやって、こんなものを生み出したのか。人間でも、獣でもない、こんな生物を、百体も。捨て駒として、惜しげもなく。あいつは、本当に、ただの神力者なのか。背筋が、冷たくなった。
「燈真さん!」
アリシアの声で、我に返った。彼女は、すでに刀を抜いていた。
「行きますよ! 約束、覚えてますよね!」
「……ああ」
俺は、両手に、神力を集めた。火と、風を。
迷いは、まだ、胸の奥にある。これを放ったのは、俺の側だ。守りながら、裏切っている。その矛盾も、消えていない。
だが、今この瞬間だけは。
俺は、アリシアと交わした約束のために、戦う。友達として。
正体不明の生物の群れが、雄叫びを上げて、押し寄せてくる。
戦いが、始まった。




