第33話 襲撃前夜
特殊生徒会に入ってからの日々は、似たような繰り返しだった。夢世界での戦闘経験と、現実でのトレーニング。測定と訓練、訓練と測定。北見の夢に潜って犯罪者のサンプルと戦い、目を覚ませば現実で基礎の鍛錬を積む。それは確かに力になっている気がしたが、俺の中には、ずっと焦りがあった。
いつまで、これが続くのか。訓練ばかりでは、会長に近づけない。会長と同じ現場に立って、味方として信頼を得て、そして毒を盛る機会を探らなければならない。それが、俺がここに来た目的だ。なのに俺は、訓練場と夢世界を往復しているだけで、肝心の会長とは、歓迎会以来ろくに言葉も交わしていなかった。
毎日、寮の窓から東京の暗い街を眺めながら、俺は同じことを考える。あの暗がりのどこかに、家族がいる。両親と、妹が。なのに俺は、こんなところで訓練に明け暮れている。時間だけが、無駄に過ぎていく気がした。
◇
ある日、俺は神影に聞いてみた。
「ずっと夢世界での戦闘経験と、現実でのトレーニングばかりですけど。実戦しないと、強くなれないんじゃないですか」
もっともらしい問いだった。強くなりたい新人、というふりをして、本当は早く実戦に出て、会長の近くに行きたかった。だが神影の答えは、俺の想定とは違っていた。
「お前は何を言ってるんだ」
神影は呆れたように言った。
「敵は大半が、物資を奪おうとする元犯罪者か、誰かにそそのかされた生徒のどっちかだ。エリア内での戦闘がほとんどで、大半はアリシアと会長で制圧できる。探知系の能力で、未然にある程度は防げるしな」
そして彼女は、少し語気を強めて続けた。
「そもそも、そんな命懸けの現場に、新人を放り込むわけないだろう。どこの世界に、新人を無駄死にさせる奴がいる」
その言葉に、俺は内心で虚を突かれた。
特殊生徒会は、新人を現場に出さない。無駄死にさせない。それはまっとうな判断だった。これだけ過酷な組織なのに――いや、過酷だからこそ、メンバーを大事にしている。鍛えて、見極めて、安全圏で経験を積ませる。無謀ではなく、むしろ人を守ろうとしている。
その事実が、俺の胸に重く刺さった。俺が裏切ろうとしている組織は、メンバーを無駄死にさせない組織だった。神影の倫理、アリシアの善意、会長の献身、そして組織そのものの良識。それが見えるほど、俺の裏切りは重くなっていく。
◇
だが同時に、俺は焦っていた。新人は現場に出さない――つまり、正規のルートでは当分、会長に近づく実戦機会は得られないということだ。訓練漬けの日々が続き、会長との距離は縮まらない。
かといって、不自然に会長へ接近すれば、神影に怪しまれる。正規ルートは遅すぎる。だが急げば怪しまれる。俺はそのジレンマの中にいた。
そして、もう一つ俺を焦らせるものがあった。家族だ。東京のどこかにいる両親と、無事かどうかも分からない妹。時間をかけているほど、家族が危ないかもしれない。
悪魔の王は言った。お前が動き始めた時点で、私も動く、と。だが俺はまだ、ろくに動けていない。訓練をしているだけだ。これでは、いつまで経っても任務は進まない。
◇
その夜、俺は寮の部屋で一人になり、決めた。悪魔の王に現状を報告しよう。会長に近づけずにいること、新人は現場に出されないこと、正規ルートが塞がれていること。それを伝えて、悪魔の王がどう対応するかを見てみよう。
俺はスマホを起動し、細い電気を流した。黒いチャット画面に、赤い文字が浮かぶ。ライターのQRコードを読み込み、通信を繋いだ。
『来たか』
あの声だった。赤髪の少女、悪魔の王。
「報告がある。会長に近づけない。新人は現場に出されないらしい。訓練ばかりで、接近する機会がない」
俺は状況を説明した。特殊生徒会のシステム、新人の扱い、会長との距離が縮まらないこと。悪魔の王はしばらく黙って聞いていたが、やがて短く言った。
『そうか』
その声に感情はなかった。だが次の言葉で、俺は凍りついた。
『ちょうどいい。実験だ』
「……は?」
『明日。学び舎に、百体、駒を放つ』
俺は耳を疑った。百体。駒。
『即座に対応はできんだろう。そこでお前が、主体性を主張しろ。混乱に乗じて働きを見せれば、お前の地位は上がる。会長の近くに行ける』
「待ってください。明日って、早くないですか」
『早い遅いの問題ではない。機会は作るものだ』
「いや、でも俺、まだトレーニングもろくに積めてないし。それに、その駒ってどんな能力なんですか。情報は」
『情報はない』
悪魔の王はあっさりと言った。
『捨てていい駒ばかりだからな。一体一体の把握などしていない。だから渡せん』
「情報なしで、どうしろと」
『まあ』
悪魔の王は、まるで天気の話でもするように言った。
『死にはせんだろ』
「……どんな見た目なんですか、それ。人間ですか」
『人間ではない』
その答えに、俺は一瞬、言葉を失った。
『二足で歩く。人を殺そうとする。それだけの生き物だ。中身は空っぽ、ただ凶暴なだけのものだ』
「……生き物。あなたが、作ったんですか」
悪魔の王は、その問いには答えなかった。沈黙が、肯定とも否定ともつかないまま、通話の向こうに広がっていた。
人間ではない、二足歩行の生物を、百体。捨て駒として、惜しげもなく。そんなものを、どうやって用意できるのか。俺の知る神力の常識を、完全に超えていた。
こいつは、本当に、ただの神力者なのか。背筋の奥が、ざわついた。
◇
死にはせんだろ。その一言に、俺は背筋が冷えた。それは保証ではなく、ただの投げやりな推測だった。悪魔の王にとっては、俺の命すら、その程度のものでしかない。
百体の駒も、俺の暗殺も、全部こいつにとっては「実験」で「観測」の対象でしかないのだ。俺の事情を聞いて、助けるふりをして、その実、自分の実験に俺を利用している。
二十四話で、こいつは言った。依頼の成否は問わない、お前にやらせたいからだ、と。あのはぐらかし。真の狙いは別にある。暗殺の成功そのものより、状況を動かして何かを観測したがっている――そんな気がした。そして俺は、その観測の駒だった。
俺は一度目を閉じて考えた。明日、百体の正体不明の駒が来る。情報はなく、準備も足りていない。現実の戦場だ。夢世界とは違う。死んでも生き返るわけじゃない。本物の、命懸け。
神影は言った。新人を命懸けの現場に放り込むわけがない、と。だが悪魔の王は、その配慮を無視して、俺を準備不足のまま本物の戦場に立たせようとしている。
焦りが胸を締め付けた。まだトレーニングも積めていない。情報もない。どうしたら――いや、待て。俺はふと、別の考えに行き着いた。
百体。大量の敵。それは逆に、考えようによっては、俺の神力の範囲攻撃の実験にちょうどいいんじゃないか。
圧縮燃焼。あの技を、広範囲に、複数の敵に使えるか。一体ずつ相手にするなら数が多すぎて不利だが、まとめて焼けるなら、大量の敵はむしろ絶好の的だ。
俺は、自分が追い詰められた状況を、実験場として捉え直していた。悪魔の王が俺を実験に使うように、俺もこの状況を自分の実験に使う。受け身ではなく、ピンチをリソースに変える。それが俺の戦い方だった。
『どうする』
悪魔の王が問うた。俺は目を開けた。
「……分かりました。受けます。明日、やります」
『よい』
悪魔の王の声に、満足も何もなかった。ただ駒が動いた、それだけの声だった。
『主体性を主張しろ。働きを見せて、地位を上げろ。会長の近くへ。それが次の一歩だ』
「分かってます」
『家族のことは案ずるな。お前が動けば、私も動く』
その言葉を、俺は今回は半分しか信じられなかった。こいつは、俺の命すら「死にはせんだろ」で済ませる存在だ。家族を助けるという約束も、どこまで本気なのか分からない。だが俺には、他に手がなかった。
通話を切ると、スマホが暗くなった。俺は深く息を吐いた。明日、戦いが始まる。
◇
その前に、俺は澪奈に会いに行った。中庭で、澪奈は俺を見て笑った。
「燈真、おはよう」
「ああ」
「どうしたの。なんか、顔こわいよ」
「……澪奈」
俺は言葉を選んだ。任務のことは言えない。百体の駒を放つのが俺の協力者だ、なんて言えるわけがない。それでも、澪奈を危険から遠ざけたかった。
「今日、たぶん学園が襲われる」
「……え?」
澪奈の顔が強張った。
「襲われるって、どういうこと」
「詳しくは言えない。でも、確かな情報だ。敵が大勢来る。たぶん、今までないくらいの規模で」
「燈真、それ、どこから」
「言えない」
俺は遮るように言った。
「ただ、澪奈は戦うな。地下に避難しろ」
澪奈はしばらく俺を見ていた。何か聞きたそうだったが、結局聞かなかった。聞かない、という約束を守っている。
「分かった。でも私、ただ隠れてるだけなんて嫌だよ」
「澪奈」
「私の神力、洗浄。水を浄化できる」
澪奈はまっすぐ俺を見た。
「襲撃で、怪我人とか出るかもしれない。水が要るでしょ。物資も。私、地下で水を確保する。手当ての手伝いもできる」
俺はその言葉に、胸が痛んだ。澪奈は戦えない。でも、ただ守られるだけではいたくない。自分にできることで、みんなを支えようとしている。何も知らないまま、俺が裏切ろうとしている組織のために――いや、組織のためじゃない。澪奈はただ、目の前の困っている人を助けようとしているだけだ。それが澪奈だった。
「……分かった。地下で支援に回ってくれ。ただし、危なくなったらすぐ逃げろ」
「うん」
「約束だ」
「うん、約束」
◇
その日の午後、空気が変わった。探知系の能力を持つ生徒が異変を察知し、学園中に警報が響き渡る。特殊生徒会の面々が動き出した。会長、神影、アリシア、北見。そして新人の俺も、神力を構えた。
来る。百体の、正体不明の駒が。俺が手を組んだ存在が放った駒が。俺は今から、それを迎え撃つ。
味方のふりをして――いや、ふりではない。今この瞬間、俺は本当に、この学園を、澪奈を守るために戦う。だが、その襲撃を起こしたのは俺の側だった。守りながら裏切っている。その矛盾を抱えたまま、俺は戦場に立った。
遠くで、地響きのような足音が近づいてくる。大量の何かが、こちらに向かっている。戦いが始まる。




