第29話 高嶺の氷華
結果発表は、翌日の、昼だった。
立候補者は、再び、あの教室に、集められた。
全員、どこか、緊張した顔をしていた。
夢の中で、何が、あったのか。
それを、知っている顔だった。
みな、アリシアと、戦った。
そして、ほとんどが、勝てなかったはずだ。
あの、五十メートル、十連斬に。
俺も、その一人だった。
ただ、俺だけが。
自分ごと、自爆して、引き分けた。
それが、評価されたのか、どうか。
まだ、分からなかった。
◇
教室の、前に。
二人が、立っていた。
一人は、神影涼子。
藍色の、ポニーテール。
入学試験で、嘘つきを、見抜いた女。
その隣に。
もう一人。
白い、制服。
長い、黒髪。
無表情。
神月華。
氷華。
俺が、殺すために、ここに来た、相手だった。
昨日は、遠くから、見ただけだった。
だが、今は、違う。
同じ、教室の中。
すぐ、近く。
その、距離に、俺は、立っていた。
心臓が、嫌な音を、立てた。
近い。
あまりにも、近い。
手を、伸ばせば、届きそうな。
そんな、距離に。
俺が、毒を、盛る相手が。
いる。
神月華は、何も、言わなかった。
ただ、立っている。
その目は、誰のことも、見ていないようで。
全員を、見ているようでも、あった。
感情が、読めない。
神影とは、違う、冷たさだった。
神影が、人を、見抜く冷たさなら。
神月華のそれは。
人を、寄せ付けない、冷たさだった。
◇
神影涼子が、口を、開いた。
「これから、結果を、発表する」
淡々とした、声だった。
「名前を、呼ばれた者は、右へ。呼ばれなかった者は、左へ」
神影が、リストを、読み上げ始めた。
名前が、呼ばれるたびに、立候補者が、右へ、移動する。
俺の、名前も、呼ばれた。
「小鳥遊燈真」
俺は、右へ、移動した。
やがて、立候補者は、二つに、分かれた。
右が、十人ほど。
左が、数人。
どちらが、合格なのか。
まだ、分からなかった。
神影が、言った。
「左の者は、不合格だ。退出しろ」
左の数人が、肩を落として、教室を、出ていった。
残ったのは、右の、十人。
俺も、その中にいた。
合格、らしい。
だが。
まだ、誰も、はっきりとは、言っていなかった。
◇
その時。
神月華が、動いた。
ゆっくりと、前に、出る。
手に、何かを、持っていた。
大きな、紙だった。
巻かれた、紙。
神月華は、それを、両手で、広げた。
ばさり、と。
紙には。
太い、文字で。
『あなたたちは 合格です』
と、書かれていた。
ただ、それだけ。
神月華は、その紙を、掲げたまま。
何も、言わなかった。
祝福も。
労いも。
訓示も。
何も。
ただ、紙を、出すだけ。
俺は、その光景を、見ていた。
会長なのに。
言葉を、発しない。
昨日、遠くで、見た時と、同じだった。
無言で、人を助け。
感謝も、受け取らず。
ただ、歩いていく。
あの少女が。
今は、無言で、合格の紙を、掲げている。
なぜ、こいつは。
こんなにも、言葉を、発しないのか。
俺は、その理由を、知らなかった。
ただ、不気味だった。
感情の、ない。
言葉の、ない。
人形のような、少女。
それが、俺の、暗殺対象。
◇
神月華は、紙を、下ろした。
そして、踵を、返した。
もう、用は、済んだ、とでも、いうように。
立ち去ろうと、する。
その時だった。
アリシアが、教室に、駆け込んできた。
「みなさーん! 合格、おめでとうございます!」
明るい、声。
現実の、アリシア。
昨日、夢の中で、戦った相手の、本物。
アリシアは、合格者を、見渡して。
それから、俺の方を、見て。
目を、輝かせた。
「あ! あなた!」
アリシアが、俺を、指さした。
「すごいです! 引き分けてます!」
教室が、ざわついた。
「会長以外で、初めてじゃ、ないですか!?」
引き分け。
会長以外で、初めて。
その言葉に、合格者たちが、俺を、見た。
驚きと、羨望の、入り混じった目で。
俺は、内心で、少しだけ、安堵した。
評価された。
火と風だけで、引き分けた。
地味な能力者だとは、思われなかった。
神影の、視線を、引くことも、ない。
うまく、いった。
そう、思った。
だが。
◇
「いや、そうでもない」
神影涼子の、声が、した。
淡々と。
冷静に。
「引き分け自体は、前例がある」
俺は、その言葉に、内心で、息を、呑んだ。
前例が、ある。
「アリシアと、引き分けた者は、過去にも、いた」
神影は、続けた。
「ただ」
彼女の、視線が、俺に、向いた。
あの、肌を刺すような、視線。
「三つの条件を、すべて、満たしたのは、初めてだな」
三つ、すべて。
有効打。
生存。
姿勢。
その、三つを、すべて。
「有効打を、入れ、一定時間、生存し、最後まで、諦めなかった。三つとも、満たしたのは、お前が、初めてだ」
神影は、そう言って、視線を、外した。
その、評価は。
称賛のようで。
称賛では、なかった。
ただ、事実を。
正確に、述べただけ。
引き分けは、珍しくない。
ただ、三条件達成は、初。
その、線引きを。
彼女は、冷静に、引いた。
俺の、成果を。
否定もせず。
持ち上げもせず。
ただ、正確な、場所に。
置いた。
◇
そして。
その時。
今まで、一度も、口を開かなかった、神月華が。
立ち去ろうとしていた、足を、止めた。
そして。
振り返らないまま。
背を、向けたまま。
初めて、口を、開いた。
「夢の中のアリシアは」
静かな、声だった。
感情の、ない。
だが、はっきりと、通る声。
「そもそも、一度も、怒っていない」
俺は、その言葉に。
全身が、冷えるのを、感じた。
神月華が、振り返った。
その目が、初めて、俺を、まっすぐ、見た。
「もし、怒っていたら」
神月華は、言った。
「勝負には、なっていない」
その、一言が。
俺の、引き分けを。
根底から、覆した。
夢の中の、アリシア。
あれは、怒らなかった。
だから、五十メートル、十連斬の、ままだった。
パターンも、一定だった。
だから、俺は、読めた。
避けられた。
自爆で、巻き込めた。
だが。
もし、怒っていたら。
アリシアの能力は、怒れば、範囲も、斬撃の数も、増える。
パターンも、崩れる。
そうなれば。
俺の、囮戦術も。
上空の、爆弾も。
何の、意味も、なかった。
範囲が、広がれば、上空まで、斬撃が、届く。
数が、増えれば、避けられない。
俺の、引き分けは。
ただ。
夢の中のアリシアが、怒らなかったから。
成立した、だけだった。
◇
神月華は、それだけ、言うと。
もう、何も、言わなかった。
再び、背を、向けて。
教室を、出ていった。
無言で。
来た時と、同じように。
俺は、その背中を、見送った。
冷たい、汗が、伝っていた。
神月華は。
俺の、戦いを。
見ていた。
夢の中の、戦いを。
そして、正確に、見抜いた。
俺の、引き分けが、まやかしであることを。
相手が、本気で、なかったから、成立した、ものであることを。
殺す相手に。
実力を、見抜かれた。
いや。
実力の、なさを。
俺は、唇を、噛んだ。
あの少女は。
無言で。
人を、助け。
感謝も、受け取らず。
そして、口を開けば。
戦いの、本質を、的確に、突く。
とんでもない、相手だった。
俺が、これから、殺す相手は。
俺の、想像を、はるかに、超えた、領域にいた。
◇
「会長、相変わらず、容赦ないですね……」
アリシアが、苦笑いした。
「でも、本当のことですから。夢の中の、私が、怒ってたら、誰も、引き分けられませんよ」
「アリシア」
神影が、たしなめるように、言った。
「余計なことを、言うな」
「あ、すみません」
アリシアは、舌を、出した。
俺は、その、やりとりを、見ながら。
考えていた。
神月華の、強さ。
それは、ただの、無敵の能力だけ、ではなかった。
あの、観察眼。
戦いを、見て、本質を、見抜く力。
あれが、あるから。
無傷で、人を、助けられる。
どんな現場でも。
俺は。
あの少女に。
毒を、盛らなければ、ならない。
味方の、ふりをして。
近づいて。
信頼させて。
あの、観察眼を、欺いて。
できるのか。
神影の、嘘発見すら、欺くのが、精一杯だったのに。
神月華の、あの目を。
欺き、通せるのか。
覚悟は。
まだ、半分。
残りの、半分は。
あの少女を、近くで見るほど。
遠のいて、いく、気がした。
◇
その日の、夕方。
俺は、合格の、報告を、するために。
澪奈と、中庭で、会った。
「合格したんだ! すごいじゃん!」
澪奈は、自分のことのように、喜んだ。
「特殊生徒会、入れたの?」
「ああ。入れた」
「よかったね!」
澪奈は、笑っていた。
何も、知らずに。
俺が、何のために、特殊生徒会に、入ったのか。
その、本当の目的を。
知らないまま。
ただ、俺の、合格を、喜んでいた。
俺は、その、笑顔を、見ながら。
胸が、痛んだ。
「燈真? なんで、嬉しそうじゃないの?」
澪奈が、首を、傾げた。
「合格したのに」
「……疲れてるだけだ」
「また、それ」
澪奈は、少し、頬を、膨らませた。
「燈真、最近、それ、ばっかり」
「悪い」
「謝らなくて、いいけど」
澪奈は、ため息を、ついた。
「無理してるなら、無理してるって、言ってよ。何度も、言うけど」
俺は、何も、言えなかった。
無理を、している。
夢の中で、何十回も、死んだ。
殺す相手を、間近で、見た。
その相手は、俺の、想像を、超える、強さだった。
覚悟は、半分のまま。
残り半分は、遠のいていく。
無理を、していないわけが、なかった。
だが、言えなかった。
言えば。
澪奈に。
全部、話すことに、なる。
俺が、人を、殺しに来たことを。
それだけは。
言えなかった。
「……行こう。寮、戻るぞ」
俺は、話を、変えた。
澪奈は、何か、言いたそうだったが。
結局、何も、言わずに。
俺の、隣を、歩き始めた。
いつものように。
何も、知らないまま。
俺の、隣を。
◇
その夜。
俺は、ベッドの中で。
神月華の、言葉を。
思い出していた。
もし、怒っていたら、勝負には、なっていない。
あの、冷たい声。
感情の、ない目。
だが、その奥に。
何か、あった気が、した。
うまく、言えない。
ただ。
あの少女は。
ただの、無感情な、人形では、ない気が、した。
無言で、人を、助ける。
感謝も、受け取らない。
まるで、自分には、その、資格がない、とでも、いうように。
なぜ。
なぜ、あの少女は。
あんなにも。
自分を、押し殺しているのか。
俺は。
その、理由を、知らない。
知る、必要も、ない。
俺は、ただ。
あの少女を、殺せば、いい。
それで、家族が、助かる。
それで、いい。
はずだった。
なのに。
あの少女の、ことを。
考えてしまう、自分が、いた。
明日から。
俺は、特殊生徒会の、一員として。
あの少女の、近くで、過ごすことになる。
味方の、ふりをして。
毒を、盛る、機会を、探りながら。
始まる。
本当の、潜入が。
俺は、目を、閉じた。
神月華の、あの、紙を。
思い出した。
『あなたたちは 合格です』
無言で、掲げられた、その紙が。
なぜか。
まぶたの、裏から。
消えて、くれなかった。




