第26話 入学試験
東京の封鎖は、思っていたより、あっさり通れた。
悪魔の王から送られてきた手順の通り、指定された地点で、入学希望者だと告げる。
それだけで、検問の人間は、俺たちを通した。
封鎖は、人を出さないためのものだった。
入る人間、それも、学園に向かう神力持ちは、むしろ歓迎されているらしい。
強い神力を持つ若者を、東京は、欲しがっている。
その事実を、肌で感じた。
澪奈は、検問を抜ける間、ずっと俺の服の裾を握っていた。
怖がりは、変わらない。
「燈真、ほんとに大丈夫なやつ、これ」
「分からない」
「分からないんかい」
「だが、進むしかない」
澪奈は、それ以上は言わなかった。
東京の中は、外縁で見た光景とは、少し違っていた。
まだ、人がいる。
建物も、半分は無事に見える。
だが、電気はない。
信号は死んでいる。
ただ、外の街よりは、秩序が残っているように見えた。
優先的に復興させる、という噂は、嘘ではないのかもしれない。
◇
学園は、東京の中心に近い場所にあった。
元は、有名な私立校だったらしい。
大きな門。
高い塀。
その中に、神力持ちの若者が、集められている。
門の前には、長い列ができていた。
入学希望者だ。
俺と同じくらいの年齢の人間が、ずらりと並んでいる。
みな、胸から、プレートを下げていた。
俺も、同じものを持っていた。
検問で渡された、専用のプレート。
そこに、自分の神力を書いて、提出する。
俺は、自分のプレートを見た。
すでに、書いてある。
『火・風(合わせて炎の生成が可能)』
嘘ではない。
俺は、火を出せる。
風を出せる。
その二つを合わせて、炎を作ることもできる。
すべて、本当のことだ。
ただ、書いていないことが、一つ、ある。
電気。
俺が、本当に隠したいもの。
それは、プレートに、書いていない。
「澪奈、プレートは」
「書いた。洗浄、って」
澪奈のプレートには、『洗浄(汚れ・水の浄化)』と書いてあった。
澪奈は、隠すものがない。
書いてある通りの能力。
それが、少し、羨ましかった。
◇
列が、進む。
門の手前に、台があり、その上に、一人の女が立っていた。
藍色の髪を、高い位置で結んでいる。
ポニーテール。
手には、メガホン。
その女が、列を見渡していた。
ただ、見ている。
だが、その視線には、何か、ぞっとするものがあった。
値踏みされている。
いや、違う。
もっと、深く。
見透かされている。
そんな感覚だった。
俺は、本能的に、警戒した。
あれが、神影涼子。
悪魔の王が言っていた、見抜く女だ。
名前と、種を、見抜く力。
悪魔の王が、近づけない、と言った存在。
その女が、入学試験の、最初の関門として、立っている。
心臓が、嫌な音を立てた。
俺は、深く息を吸った。
そして、止めた。
感情を。
昔、覚えた感覚だった。
顔を、動かさない。
心を、見せない。
中学のあの時から、身体が、覚えている。
感情を出せば、つけ込まれる。
顔に出せば、食い物にされる。
だから、消す。
平らに、する。
皮肉だった。
人に壊されて覚えた、この癖が、今、人を欺くために、役に立っている。
◇
俺たちの番が、近づいた。
あと、十数人。
その時だった。
神影涼子が、メガホンを口に当てた。
そして、叫んだ。
「この中で、能力で嘘をついているヤツはいるか!」
列が、ざわついた。
「いれば、不合格だ!」
声が、響く。
「さらに、スパイの疑いがある者は、長時間の尋問を行う!」
ざわめきが、大きくなる。
俺は、動かなかった。
顔を、変えなかった。
ただ、列の前を、見ていた。
神影涼子は、メガホンを下ろし、列を、ゆっくりと見渡した。
そして、また、口に当てた。
「今、百人ほど見たが」
彼女の声は、淡々としていた。
「嘘をついているのは、二十人だ」
列が、凍りついた。
二十人。
百人のうち、二十人。
「お前ら、舐めてるな?」
神影涼子の声に、初めて、感情が混じった。
怒りだった。
「この学校は、日本復興の、最後の礎だ!」
声が、列の端まで、突き刺さるように届く。
「嘘をついて入ろうとするやつが、信用を得られると思うな!」
その瞬間、列の何人かが、走り出した。
逃げた。
明らかに、嘘をついていた人間が、耐えきれずに、列を離れた。
彼らの背中に、神影涼子は、もう、視線を向けなかった。
逃げた時点で、答えは出ている。
そういう、目だった。
◇
俺は、その様子を見ながら、考えていた。
神影涼子は、嘘をついている人間を、当てた。
どうやって。
名前と種を見抜く力、と悪魔の王は言った。
だが、今、彼女がやっているのは、それとは、少し違う気がした。
彼女は、列を「見渡して」、嘘つきを数えた。
一人ずつ、名前を読んでいるようには、見えなかった。
もっと、全体を。
表情の、揺れ。
逃げ出す者の、動揺。
脅しが強まるにつれて、変わっていく、様子。
彼女は、それを、見ている気がした。
嘘をついている人間は、脅されれば、動揺する。
顔が、強張る。
目が、泳ぐ。
呼吸が、乱れる。
神影涼子は、その兆候を、読んでいる。
だとすれば。
俺は、内心で、ひとつの結論に達した。
動揺しなければ、いい。
俺は、嘘をついていない。
プレートに書いた、火と風は、本当のことだ。
書いていないことは、ある。
だが、それは、嘘ではない。
言っていないだけだ。
沈黙は、嘘ではない。
だから、俺が、動揺する理由は、ない。
脅されても。
見渡されても。
俺は、真実だけを、持っている。
ただ、一つだけ、言っていないものを、抱えたまま。
◇
俺たちの番が、来た。
神影涼子の前に、立つ。
近くで見ると、彼女は、思っていたより、若かった。
俺たちと、そう変わらない。
だが、その目は、年齢に合わない、冷たさを持っていた。
彼女は、俺のプレートを見た。
「火と風。合わせて炎」
「はい」
「戦えるのか、それで」
「工夫すれば」
俺は、短く答えた。
余計なことは、言わない。
動揺も、見せない。
ただ、事実だけを。
神影涼子は、俺の顔を、じっと見た。
その視線が、肌を、刺すようだった。
心臓を、覗き込まれているような。
だが、俺は、動かなかった。
顔を、平らに保った。
息を、一定に。
脈を、乱さないように。
彼女が読んでいるのが、動揺なら。
俺に、読まれる動揺は、ない。
長い、数秒だった。
神影涼子は、やがて、視線を外した。
「……次」
それだけ、言った。
通った。
俺は、表情を変えずに、前へ進んだ。
だが、背中に、冷たい汗が、伝っていた。
◇
澪奈の番が、来た。
俺は、少し、離れた場所で、待った。
澪奈は、緊張した顔で、神影涼子の前に立った。
怖がりの澪奈が、あの女の前で。
大丈夫か、と、思った。
だが、澪奈は、隠すものがない。
洗浄、と書いた。
その通りの、能力。
嘘も、隠し事も、ない。
だから、動揺する理由も、ない。
神影涼子は、澪奈のプレートを見て、顔を見て。
「……次」
あっさりと、通した。
澪奈が、こちらに駆け寄ってくる。
「通った!」
「ああ」
「めっちゃ怖かった……あの人、何なの。心の中まで見られてる感じした」
「気のせいじゃないかもな」
俺は、小さく言った。
澪奈は、本当に、隠すものがないから、通れた。
俺は、隠すものを、隠し通したから、通れた。
同じ「通過」でも、中身は、まるで違う。
◇
門を、くぐる。
学園の、敷地の中に、入った。
広い、中庭があった。
その向こうに、校舎。
神力持ちの若者たちが、合格者として、集まり始めている。
俺は、ふと、神影涼子の方を、振り返った。
彼女は、まだ、台の上にいた。
次の列の人間を、見渡している。
その時、彼女が、ぽつりと、何かを言ったのが、聞こえた。
俺に向けてではない。
独り言のような、小さな声。
「……見えるものしか、見ない」
俺は、その言葉の意味を、考えた。
見えるものしか、見ない。
嘘をついている兆候。
動揺。
表情。
そういう、見えるものだけを、見る。
そういう意味だと、思った。
その時は、そう、思った。
後になって、その言葉の、本当の意味を、知ることになるとは、思わなかった。
◇
中庭で、合格者が、説明を待っていた。
その時だった。
ざわめきが、起きた。
人々が、一斉に、ある方向を見る。
俺も、つられて、視線を向けた。
校舎の方から、一人の少女が、歩いてくる。
白い制服。
長い、黒髪。
表情は、ない。
無言だった。
ただ、まっすぐ、前を見て、歩いている。
その周りを、何人かが、囲んでいた。
怪我をした人間。
包帯を巻いた人間。
彼らが、その少女に、頭を下げている。
ありがとう、と。
助けてくれて、ありがとう、と。
だが、少女は、何も言わなかった。
頷きもしない。
ただ、歩いていく。
まるで、感謝を、受け取る資格などない、とでも言うように。
「……誰だ、あれ」
俺は、近くにいた合格者に、聞いた。
その合格者は、少し、声を潜めて、言った。
「知らないんですか。特殊生徒会の、会長ですよ」
「特殊生徒会」
「治安維持の、武力組織です。普通の生徒会とは別の。あの人が、会長」
合格者は、続けた。
「いつも、無傷で帰ってくる。どんな現場でも。大量の人を、助けて。なのに、何も言わない。ずっと、無言で」
「……」
「だから、みんな、こう呼んでます」
合格者は、少し、憧れるような目で、言った。
「高嶺の、氷華。略して、氷華、って」
氷華。
神月華。
俺が、殺すために、ここに来た、相手。
◇
俺は、その少女を、見ていた。
遠くから。
無言で、人を助け、無言で、感謝を受け取らず、歩いていく少女。
あれが、暗殺対象。
異常に厄介な、神力持ち。
マイナスという概念を、付与する力。
攻撃を、反射する。
神力が、尽きない。
だが、今、俺の目の前にいるのは。
人を、助ける少女だった。
無傷で、誰も死なせずに、現場を収めて。
そして、感謝の言葉さえ、受け取らない。
まるで、自分が、感謝されるべき存在ではない、と思っているように。
胸の奥が、ざわついた。
覚悟が、半分も、決まっていない。
いや。
半分すら、決まっていなかった。
俺は、あの少女を、殺せるのか。
味方のふりをして、近づいて。
信頼させて。
毒を、盛って。
あの、人を助ける少女を。
「燈真?」
澪奈の声で、我に返った。
「どうしたの、こわい顔して」
「……いや」
俺は、視線を、戻した。
氷華の姿は、もう、校舎の中に、消えていた。
澪奈は、何も知らない。
あの少女が、誰なのかも。
俺が、何をしに、ここに来たのかも。
俺は、空を見上げた。
電気の消えた、東京の空。
ここから、始まる。
俺が、一番されたくなかったことを、俺が、する。
その、始まりだった。
止めてほしいのか。
止めないでほしいのか。
まだ、分からないまま。
俺は、その学園の、門の内側に、立っていた。




