第25話 倍率
依頼を受けてから、二日が経った。
悪魔の王から、詳細が送られてきていた。
東京の学び舎の場所。
神力持ちの若者を集める、選抜の仕組み。
応募の方法。
神月華が、そこにいること。
それを読みながら、俺は、何度も手が止まった。
まだ、引き返せる。
そう思う自分がいた。
もう、引き返せない。
そう決めている自分もいた。
二日間、俺は普通に過ごした。
火をつけ、飯を作り、水を確保し、電池を充電した。
澪奈と、いつも通りに話した。
いつも通りに、振る舞った。
だが、頭の中では、ずっと、計画のことを考えていた。
味方として、近づく。
信頼させる。
毒を、盛る。
その手順を、何度も、なぞっていた。
考えたくないのに、考えてしまう。
まるで、頭が、勝手に準備を進めているようだった。
◇
三日目の朝、俺は、決めた。
動くなら、早い方がいい。
悪魔の王は、焦るなと言った。
だが、迷っている時間そのものが、俺には毒だった。
考えれば考えるほど、引き返したくなる。
なら、考える前に、動く。
俺は、朝食の後で、澪奈に切り出した。
「澪奈」
「ん?」
「東京の学校に、行こうと思う」
澪奈が、箸を止めた。
「学校?」
「ああ。東京で、神力持ちを集めてる学校があるらしい。そこに、入る」
澪奈は、しばらく、俺を見ていた。
「それって……東京の、復興計画の?」
「たぶん、その一部だ」
「危ないって、自分で言ってたよね。東京は、神力持ちを集めてるって。燈真みたいなのが、一番狙われるって」
「言った」
「なのに、自分から入るの?」
俺は、頷いた。
「ある依頼を、受けた」
「依頼」
「ああ」
「誰から」
俺は、答えなかった。
澪奈は、すぐに気づいた。
「……悪魔の王?」
俺は、何も言わなかった。
それが、答えだった。
澪奈の顔が、強張る。
「燈真、それ」
「詳しいことは、言えない」
俺は、遮るように言った。
「部外者には、話せない依頼だ。お前にも、言えない」
言ってから、自分の言葉の冷たさに、少し驚いた。
部外者。
澪奈を、部外者と呼んだ。
澪奈の表情が、わずかに揺れた。
だが、彼女は、怒らなかった。
俺を、責めもしなかった。
ただ、じっと、俺の顔を見ていた。
◇
俺は、普段、表情があまり動かない方だと思う。
昔は、違ったらしい。
よく笑う子供だった、と、親に言われたことがある。
だが、中学のあの時から、変わった。
感情を、顔に出さなくなった。
出せば、つけ込まれる。
そう、身体が覚えてしまった。
だから、今も、俺は、平気な顔をしていたはずだった。
淡々と、依頼のことを告げた。
動揺も、迷いも、見せなかったはずだった。
なのに。
「燈真」
澪奈が、静かに言った。
「今、すごく、つらそうな顔してる」
俺は、息を呑んだ。
「……してない」
「してる」
澪奈は、断言した。
「他の人には、分かんないと思う。燈真、いつも同じ顔だから。でも、私には分かる」
俺は、何も言えなかった。
「三年、一緒にいたんだよ。燈真がつらい時の顔、知ってる」
澪奈は、まっすぐに、俺を見ていた。
「今の燈真、それ」
俺は、顔を、背けたくなった。
だが、背けなかった。
背ければ、認めることになる気がした。
「気のせいだ」
「気のせいじゃない」
「……」
「でも」
澪奈は、少し、間を置いた。
「言いたくないなら、聞かない」
俺は、顔を上げた。
「言えない依頼なんでしょ。なら、聞かない。聞いても、燈真は言わないだろうし」
その通りだった。
聞かれても、俺は言わない。
言えない。
言えば、止められるかもしれない。
止められたら、家族を、諦めることになる。
だから、言えない。
「分かってる」
澪奈は、そう言って、小さく笑った。
無理に、笑ったように見えた。
「燈真、こういう時、絶対言わないもん。一人で抱えるんだ。昔から」
俺は、何も返せなかった。
◇
澪奈は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと、口を開いた。
「私も、行く」
俺は、顔を上げた。
「は?」
「学校。私も、一緒に行く」
「だめだ」
俺は、即座に言った。
「危ない。東京の、しかも復興計画の中だ。何があるか分からない」
「燈真も行くんでしょ」
「俺は、依頼がある」
「私には、依頼がない。だから、危ないって?」
「そうだ」
「それ、おかしくない?」
澪奈は、少し、語気を強めた。
「燈真が危ない場所に行くなら、なおさら、一人にできないよ」
「澪奈」
「だって」
澪奈は、言葉を探すように、少し止まった。
「燈真、今、すごくつらそうな顔してるのに、何も言わないんだよ。一人で、抱えて。何か、すごく重いものを」
「……」
「それ、聞けないなら、せめて、近くにいたい」
俺は、言葉を失った。
聞かない、と言った澪奈が。
止めない、と決めた澪奈が。
それでも、近くにいたい、と言う。
止めるためでも、聞くためでもなく。
ただ、隣にいるために。
それは、俺が、一番、断れない理由だった。
◇
俺は、必死に、別の理由を探した。
澪奈を、遠ざける理由を。
巻き込みたくなかった。
俺が、これから、何をするのか。
味方のふりをして、人に近づき、信頼させ、裏切って、殺す。
そんな場所に、澪奈を、連れて行きたくなかった。
澪奈に、それを、見られたくなかった。
だから、俺は、平気なふりをして、言った。
「倍率、エグいらしいぞ」
「え?」
「選抜だ。神力持ちを集めてるって言っても、誰でも入れるわけじゃない。落ちるやつも多い」
俺は、できるだけ、軽い口調で続けた。
「二人で受けて、片方だけ受かったら、どうするんだよ。お前だけ落ちたら、千葉に一人で残ることになるぞ」
それらしい理由だった。
現実的で、もっともらしい。
澪奈を、納得させられるはずだった。
だが。
澪奈は、きょとんとした顔をして、それから、言った。
「私達の神力なら、落ちないよ」
「……は?」
「だって、そこらの神力持ちより、強いでしょ。今の状況だと」
俺は、言葉に、詰まった。
「私の洗浄だって、水がない世界だと、めちゃくちゃ便利だし。燈真は……まあ、燈真だし」
燈真は、燈真だし。
澪奈は、俺の能力の本当の価値を、半分も知らない。
電気を生み出せること。
それを、隠している。
だが、澪奈は、隠された部分を知らないまま、こう言う。
燈真の神力なら、落ちない、と。
その通りだった。
むしろ、落ちる方が、難しい。
俺の能力は、東京が、喉から手が出るほど欲しがるものだ。
澪奈が無邪気に言った「落ちない」という言葉は、俺にとって、安心ではなく、不安だった。
強いから、落ちない。
強いから、狙われる。
強いから、囲い込まれる。
澪奈は、それを、知らない。
「倍率がエグくても、強ければ受かる。違う?」
「……違わない」
俺は、認めるしかなかった。
遠ざける理由が、塞がれた。
澪奈は、俺が逃げ道に使った「倍率」を、現実で、潰した。
しかも、無自覚に。
◇
「だから、私も行く」
澪奈は、もう一度、言った。
「燈真が何をするのか、聞かない。止めない。でも、近くにいる。それだけ」
俺は、長い間、黙っていた。
断る言葉を、探した。
見つからなかった。
いや、本当は。
見つけたくなかったのかもしれない。
澪奈が、近くにいてくれることを。
俺は、心のどこかで、望んでいたのかもしれない。
止めてほしいのか、止めないでほしいのか。
昨日の夜、分からなくなった、あの問い。
その答えの、半分が、ここにある気がした。
止めてほしくはない。
でも、一人には、なりたくない。
矛盾していた。
だが、それが、俺だった。
「……分かった」
俺は、折れた。
「一緒に来い。ただし、危ないと思ったら、すぐ逃げろ。俺のことは、気にするな」
「それは無理」
「澪奈」
「それは、無理」
二回、言われた。
いつかと、同じだった。
俺は、ため息をついた。
いつも、こうだ。
澪奈は、肝心なところで、絶対に折れない。
怖がりのくせに。
◇
その日のうちに、俺は、千咲に連絡した。
ハサミ越しに。
拠点を、しばらく離れること。
澪奈と二人で、東京方面へ行くこと。
理由は、ぼかした。
『東京って、危ないよね?』
千咲の声は、心配そうだった。
「危ない。だが、行く必要がある」
『この前も、攻撃されたんでしょ』
「今回は、二人だ。それに、目的地がはっきりしてる」
『目的地……どこ?』
「言えない」
千咲は、少し黙った。
『……また、それ』
「悪い」
『燈真くん、最近、言えないことばっかりだね』
千咲の声に、責める色はなかった。
ただ、少し、寂しそうだった。
「……ああ」
『分かった。聞かない。でも、生きてる連絡は、ちゃんとして。澪奈ちゃんも一緒なら、なおさら』
「分かってる」
『水場の拠点は、どうするの? 火とか』
「火は、燃料があれば持つ。しばらくは大丈夫だ。それに、すぐ戻るつもりだ」
『すぐって、どのくらい』
「分からない」
正直に言った。
暗殺が、いつ終わるのか。
そもそも、終わるのか。
俺には、分からなかった。
『……分かった。気をつけて。何かあったら、ハサミで呼んで。届く範囲なら、すぐ動く』
「ああ。助かる」
『澪奈ちゃんのこと、お願いね』
「分かってる」
通信を切った。
千咲は、最後まで、踏み込まなかった。
察しているはずだった。
俺が、何か、危険なことに関わっていることを。
それでも、聞かなかった。
話せるようになったら話して、と、前にも言っていた。
千咲は、そういうやつだった。
うるさいくせに、引き際を知っている。
◇
準備は、その日の夕方までに、ほとんど終わった。
持っていくもの。
水筒。
電池。
ライター。
ハサミ。
地図。
ノート。
最低限のキャンプ道具。
そして、布で何重にも包んだ、銃。
俺は、銃を、リュックの一番奥に入れた。
使うつもりは、ない。
だが、置いていく気にも、なれなかった。
澪奈は、自分の荷物をまとめながら、時々、俺を見ていた。
何か、言いたそうだった。
だが、言わなかった。
約束を、守っている。
聞かない、という約束を。
俺も、何も言わなかった。
言えない、という、こちら側の事情を。
二人とも、黙ったまま、準備を進めた。
奇妙な、沈黙だった。
険悪ではない。
むしろ、いつもより、近い気がした。
言葉がない分、何かが、伝わっている気がした。
澪奈は、何も知らない。
俺が、人を殺しに行くことも。
味方のふりをして、人を裏切ることも。
知らないまま、ついてくる。
俺が、つらそうな顔をしているという、それだけを、理由に。
俺は、その澪奈の横顔を見ながら、思った。
俺は、ずるい。
澪奈に、嘘をついている。
知らないままの澪奈を、隣に置いて、安心しようとしている。
止めてほしいのに、止められない場所に、澪奈を連れて行こうとしている。
最低だ。
分かっていた。
それでも、俺は、澪奈を、連れて行く。
◇
その夜、俺は、最後に、ノートを開いた。
明日から始まることを、書こうとした。
だが、書けなかった。
計画を、文字にするのが、怖かった。
文字にすれば、それは、もっと、現実になる。
俺は、ノートを閉じた。
代わりに、空を見上げた。
電気の消えた、暗い空。
星だけが、やけに、よく見える。
電気があった頃は、こんなに見えなかった。
皮肉な話だった。
世界が壊れて、空だけが、綺麗になった。
明日、俺は、東京へ向かう。
神力持ちの、学園へ。
神月華という、少女を、殺すために。
味方のふりをして、近づいて。
信頼させて。
裏切って。
俺が、一番、されたくなかったことを、俺が、する。
家族のために。
両親と、妹のために。
隣で、澪奈が、寝袋に潜り込む音がした。
「燈真、まだ起きてるの?」
「ああ」
「早く寝なよ。明日、長いんでしょ」
「ああ」
「……おやすみ」
「おやすみ」
澪奈の寝息が、すぐに聞こえ始めた。
怖がりのくせに、寝つきだけは、いい。
昔から、そうだった。
俺は、その寝息を聞きながら、目を閉じた。
止めてほしいのか。
止めないでほしいのか。
まだ、分からなかった。
ただ、一つだけ、分かったことがある。
澪奈は、何も知らないまま、俺の隣にいる。
それが、救いなのか。
それとも、罪なのか。
それすらも、俺には、分からなかった。




