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第25話 倍率

依頼を受けてから、二日が経った。


 悪魔の王から、詳細が送られてきていた。


 東京の学び舎の場所。


 神力持ちの若者を集める、選抜の仕組み。


 応募の方法。


 神月華が、そこにいること。


 それを読みながら、俺は、何度も手が止まった。


 まだ、引き返せる。


 そう思う自分がいた。


 もう、引き返せない。


 そう決めている自分もいた。


 二日間、俺は普通に過ごした。


 火をつけ、飯を作り、水を確保し、電池を充電した。


 澪奈と、いつも通りに話した。


 いつも通りに、振る舞った。


 だが、頭の中では、ずっと、計画のことを考えていた。


 味方として、近づく。


 信頼させる。


 毒を、盛る。


 その手順を、何度も、なぞっていた。


 考えたくないのに、考えてしまう。


 まるで、頭が、勝手に準備を進めているようだった。



 三日目の朝、俺は、決めた。


 動くなら、早い方がいい。


 悪魔の王は、焦るなと言った。


 だが、迷っている時間そのものが、俺には毒だった。


 考えれば考えるほど、引き返したくなる。


 なら、考える前に、動く。


 俺は、朝食の後で、澪奈に切り出した。


「澪奈」


「ん?」


「東京の学校に、行こうと思う」


 澪奈が、箸を止めた。


「学校?」


「ああ。東京で、神力持ちを集めてる学校があるらしい。そこに、入る」


 澪奈は、しばらく、俺を見ていた。


「それって……東京の、復興計画の?」


「たぶん、その一部だ」


「危ないって、自分で言ってたよね。東京は、神力持ちを集めてるって。燈真みたいなのが、一番狙われるって」


「言った」


「なのに、自分から入るの?」


 俺は、頷いた。


「ある依頼を、受けた」


「依頼」


「ああ」


「誰から」


 俺は、答えなかった。


 澪奈は、すぐに気づいた。


「……悪魔の王?」


 俺は、何も言わなかった。


 それが、答えだった。


 澪奈の顔が、強張る。


「燈真、それ」


「詳しいことは、言えない」


 俺は、遮るように言った。


「部外者には、話せない依頼だ。お前にも、言えない」


 言ってから、自分の言葉の冷たさに、少し驚いた。


 部外者。


 澪奈を、部外者と呼んだ。


 澪奈の表情が、わずかに揺れた。


 だが、彼女は、怒らなかった。


 俺を、責めもしなかった。


 ただ、じっと、俺の顔を見ていた。



 俺は、普段、表情があまり動かない方だと思う。


 昔は、違ったらしい。


 よく笑う子供だった、と、親に言われたことがある。


 だが、中学のあの時から、変わった。


 感情を、顔に出さなくなった。


 出せば、つけ込まれる。


 そう、身体が覚えてしまった。


 だから、今も、俺は、平気な顔をしていたはずだった。


 淡々と、依頼のことを告げた。


 動揺も、迷いも、見せなかったはずだった。


 なのに。


「燈真」


 澪奈が、静かに言った。


「今、すごく、つらそうな顔してる」


 俺は、息を呑んだ。


「……してない」


「してる」


 澪奈は、断言した。


「他の人には、分かんないと思う。燈真、いつも同じ顔だから。でも、私には分かる」


 俺は、何も言えなかった。


「三年、一緒にいたんだよ。燈真がつらい時の顔、知ってる」


 澪奈は、まっすぐに、俺を見ていた。


「今の燈真、それ」


 俺は、顔を、背けたくなった。


 だが、背けなかった。


 背ければ、認めることになる気がした。


「気のせいだ」


「気のせいじゃない」


「……」


「でも」


 澪奈は、少し、間を置いた。


「言いたくないなら、聞かない」


 俺は、顔を上げた。


「言えない依頼なんでしょ。なら、聞かない。聞いても、燈真は言わないだろうし」


 その通りだった。


 聞かれても、俺は言わない。


 言えない。


 言えば、止められるかもしれない。


 止められたら、家族を、諦めることになる。


 だから、言えない。


「分かってる」


 澪奈は、そう言って、小さく笑った。


 無理に、笑ったように見えた。


「燈真、こういう時、絶対言わないもん。一人で抱えるんだ。昔から」


 俺は、何も返せなかった。



 澪奈は、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと、口を開いた。


「私も、行く」


 俺は、顔を上げた。


「は?」


「学校。私も、一緒に行く」


「だめだ」


 俺は、即座に言った。


「危ない。東京の、しかも復興計画の中だ。何があるか分からない」


「燈真も行くんでしょ」


「俺は、依頼がある」


「私には、依頼がない。だから、危ないって?」


「そうだ」


「それ、おかしくない?」


 澪奈は、少し、語気を強めた。


「燈真が危ない場所に行くなら、なおさら、一人にできないよ」


「澪奈」


「だって」


 澪奈は、言葉を探すように、少し止まった。


「燈真、今、すごくつらそうな顔してるのに、何も言わないんだよ。一人で、抱えて。何か、すごく重いものを」


「……」


「それ、聞けないなら、せめて、近くにいたい」


 俺は、言葉を失った。


 聞かない、と言った澪奈が。


 止めない、と決めた澪奈が。


 それでも、近くにいたい、と言う。


 止めるためでも、聞くためでもなく。


 ただ、隣にいるために。


 それは、俺が、一番、断れない理由だった。



 俺は、必死に、別の理由を探した。


 澪奈を、遠ざける理由を。


 巻き込みたくなかった。


 俺が、これから、何をするのか。


 味方のふりをして、人に近づき、信頼させ、裏切って、殺す。


 そんな場所に、澪奈を、連れて行きたくなかった。


 澪奈に、それを、見られたくなかった。


 だから、俺は、平気なふりをして、言った。


「倍率、エグいらしいぞ」


「え?」


「選抜だ。神力持ちを集めてるって言っても、誰でも入れるわけじゃない。落ちるやつも多い」


 俺は、できるだけ、軽い口調で続けた。


「二人で受けて、片方だけ受かったら、どうするんだよ。お前だけ落ちたら、千葉に一人で残ることになるぞ」


 それらしい理由だった。


 現実的で、もっともらしい。


 澪奈を、納得させられるはずだった。


 だが。


 澪奈は、きょとんとした顔をして、それから、言った。


「私達の神力なら、落ちないよ」


「……は?」


「だって、そこらの神力持ちより、強いでしょ。今の状況だと」


 俺は、言葉に、詰まった。


「私の洗浄だって、水がない世界だと、めちゃくちゃ便利だし。燈真は……まあ、燈真だし」


 燈真は、燈真だし。


 澪奈は、俺の能力の本当の価値を、半分も知らない。


 電気を生み出せること。


 それを、隠している。


 だが、澪奈は、隠された部分を知らないまま、こう言う。


 燈真の神力なら、落ちない、と。


 その通りだった。


 むしろ、落ちる方が、難しい。


 俺の能力は、東京が、喉から手が出るほど欲しがるものだ。


 澪奈が無邪気に言った「落ちない」という言葉は、俺にとって、安心ではなく、不安だった。


 強いから、落ちない。


 強いから、狙われる。


 強いから、囲い込まれる。


 澪奈は、それを、知らない。


「倍率がエグくても、強ければ受かる。違う?」


「……違わない」


 俺は、認めるしかなかった。


 遠ざける理由が、塞がれた。


 澪奈は、俺が逃げ道に使った「倍率」を、現実で、潰した。


 しかも、無自覚に。



「だから、私も行く」


 澪奈は、もう一度、言った。


「燈真が何をするのか、聞かない。止めない。でも、近くにいる。それだけ」


 俺は、長い間、黙っていた。


 断る言葉を、探した。


 見つからなかった。


 いや、本当は。


 見つけたくなかったのかもしれない。


 澪奈が、近くにいてくれることを。


 俺は、心のどこかで、望んでいたのかもしれない。


 止めてほしいのか、止めないでほしいのか。


 昨日の夜、分からなくなった、あの問い。


 その答えの、半分が、ここにある気がした。


 止めてほしくはない。


 でも、一人には、なりたくない。


 矛盾していた。


 だが、それが、俺だった。


「……分かった」


 俺は、折れた。


「一緒に来い。ただし、危ないと思ったら、すぐ逃げろ。俺のことは、気にするな」


「それは無理」


「澪奈」


「それは、無理」


 二回、言われた。


 いつかと、同じだった。


 俺は、ため息をついた。


 いつも、こうだ。


 澪奈は、肝心なところで、絶対に折れない。


 怖がりのくせに。



 その日のうちに、俺は、千咲に連絡した。


 ハサミ越しに。


 拠点を、しばらく離れること。


 澪奈と二人で、東京方面へ行くこと。


 理由は、ぼかした。


『東京って、危ないよね?』


 千咲の声は、心配そうだった。


「危ない。だが、行く必要がある」


『この前も、攻撃されたんでしょ』


「今回は、二人だ。それに、目的地がはっきりしてる」


『目的地……どこ?』


「言えない」


 千咲は、少し黙った。


『……また、それ』


「悪い」


『燈真くん、最近、言えないことばっかりだね』


 千咲の声に、責める色はなかった。


 ただ、少し、寂しそうだった。


「……ああ」


『分かった。聞かない。でも、生きてる連絡は、ちゃんとして。澪奈ちゃんも一緒なら、なおさら』


「分かってる」


『水場の拠点は、どうするの? 火とか』


「火は、燃料があれば持つ。しばらくは大丈夫だ。それに、すぐ戻るつもりだ」


『すぐって、どのくらい』


「分からない」


 正直に言った。


 暗殺が、いつ終わるのか。


 そもそも、終わるのか。


 俺には、分からなかった。


『……分かった。気をつけて。何かあったら、ハサミで呼んで。届く範囲なら、すぐ動く』


「ああ。助かる」


『澪奈ちゃんのこと、お願いね』


「分かってる」


 通信を切った。


 千咲は、最後まで、踏み込まなかった。


 察しているはずだった。


 俺が、何か、危険なことに関わっていることを。


 それでも、聞かなかった。


 話せるようになったら話して、と、前にも言っていた。


 千咲は、そういうやつだった。


 うるさいくせに、引き際を知っている。



 準備は、その日の夕方までに、ほとんど終わった。


 持っていくもの。


 水筒。


 電池。


 ライター。


 ハサミ。


 地図。


 ノート。


 最低限のキャンプ道具。


 そして、布で何重にも包んだ、銃。


 俺は、銃を、リュックの一番奥に入れた。


 使うつもりは、ない。


 だが、置いていく気にも、なれなかった。


 澪奈は、自分の荷物をまとめながら、時々、俺を見ていた。


 何か、言いたそうだった。


 だが、言わなかった。


 約束を、守っている。


 聞かない、という約束を。


 俺も、何も言わなかった。


 言えない、という、こちら側の事情を。


 二人とも、黙ったまま、準備を進めた。


 奇妙な、沈黙だった。


 険悪ではない。


 むしろ、いつもより、近い気がした。


 言葉がない分、何かが、伝わっている気がした。


 澪奈は、何も知らない。


 俺が、人を殺しに行くことも。


 味方のふりをして、人を裏切ることも。


 知らないまま、ついてくる。


 俺が、つらそうな顔をしているという、それだけを、理由に。


 俺は、その澪奈の横顔を見ながら、思った。


 俺は、ずるい。


 澪奈に、嘘をついている。


 知らないままの澪奈を、隣に置いて、安心しようとしている。


 止めてほしいのに、止められない場所に、澪奈を連れて行こうとしている。


 最低だ。


 分かっていた。


 それでも、俺は、澪奈を、連れて行く。



 その夜、俺は、最後に、ノートを開いた。


 明日から始まることを、書こうとした。


 だが、書けなかった。


 計画を、文字にするのが、怖かった。


 文字にすれば、それは、もっと、現実になる。


 俺は、ノートを閉じた。


 代わりに、空を見上げた。


 電気の消えた、暗い空。


 星だけが、やけに、よく見える。


 電気があった頃は、こんなに見えなかった。


 皮肉な話だった。


 世界が壊れて、空だけが、綺麗になった。


 明日、俺は、東京へ向かう。


 神力持ちの、学園へ。


 神月華という、少女を、殺すために。


 味方のふりをして、近づいて。


 信頼させて。


 裏切って。


 俺が、一番、されたくなかったことを、俺が、する。


 家族のために。


 両親と、妹のために。


 隣で、澪奈が、寝袋に潜り込む音がした。


「燈真、まだ起きてるの?」


「ああ」


「早く寝なよ。明日、長いんでしょ」


「ああ」


「……おやすみ」


「おやすみ」


 澪奈の寝息が、すぐに聞こえ始めた。


 怖がりのくせに、寝つきだけは、いい。


 昔から、そうだった。


 俺は、その寝息を聞きながら、目を閉じた。


 止めてほしいのか。


 止めないでほしいのか。


 まだ、分からなかった。


 ただ、一つだけ、分かったことがある。


 澪奈は、何も知らないまま、俺の隣にいる。


 それが、救いなのか。


 それとも、罪なのか。


 それすらも、俺には、分からなかった。

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