第22話 悪魔の王
翌朝、俺はライターを前にして座っていた。
場所は山の水場から少し離れた岩陰。
木々に囲まれ、外からは見えにくい。
昼間でも薄暗く、スマホの画面が少し光ったとしても遠くからは分かりにくい場所だ。
昨日、澪奈と話し合って決めた実験場所だった。
水場の近くでやるのは避ける。
万が一、何かが起きた時に拠点そのものを知られたくない。
かといって、街に近い場所でやるのは論外だ。
電気を使う。
スマホを起動する。
赤髪少女から渡された神力ライターのQRコードを読み込む。
どれも危険だった。
澪奈は俺の正面に座っている。
手には水筒と布。
何かが燃えたらすぐ消すため、というより、俺が危険な実験を続けようとしたら物理的に止めるための位置取りだった。
「本当にやるの?」
「やる」
「昨日も聞いたけど、危ないよね?」
「危ない」
「そこはもうちょっと安心させる言い方してよ」
「大丈夫だと言って大丈夫じゃなかったら困るだろ」
「燈真って、こういう時だけ正直すぎる」
澪奈は不満そうに眉を寄せた。
だが、止めはしなかった。
昨日の時点で、やる必要があることは理解しているのだろう。
赤髪少女から渡されたライター。
神力を消費して火を出す道具。
その裏面にあるQRコード。
電気が失われた世界で、QRコードなど普通なら意味がない。
スマホが起動しない。
通信網も死んでいる。
基地局もサーバーも動いていないはずだ。
それなのに、悪魔じみた雰囲気の赤髪少女が渡した道具にQRコードが刻まれている。
意味がないはずがない。
「確認するぞ」
俺はノートを開いた。
「目的は、ライターのQRコードが何に繋がるか確認すること。説明書、所有者登録、アイテム情報、またはそれ以外」
「それ以外が一番怖い」
「同感だ」
「スマホは一瞬だけ?」
「まずは起動して、カメラを使う。読み込んだら、画面の内容を確認する。危険そうなら即切る」
「勝手に何か始まったら?」
「即切る」
「燈真が切らなかったら?」
「澪奈が止める」
「うん。止める」
澪奈は真剣に頷いた。
俺はスマホを取り出した。
黒い画面。
電気が失われた日から、ただの板になっていたもの。
だが俺はもう知っている。
神力を電気へ変換すれば、一瞬だけ起動できる。
まだ安定はしない。
長時間使うのは難しい。
それでも、短時間なら。
俺はケーブルをスマホに挿し、反対側を自分の指先に近づける。
直接流すのは危険だ。
だが、昨日よりは感覚が掴めている。
火ではない。
風でもない。
細い糸のような電気。
一定に。
弱く。
流しすぎない。
スマホを壊さない。
胸の奥にある神力が、少しずつ削れていく。
指先に微かな痺れ。
数秒後、スマホが小さく震えた。
画面に白いロゴが浮かぶ。
澪奈が息を呑む。
俺は神力を安定させることだけに集中した。
画面が点いた。
起動する。
待つ時間が長く感じる。
電気が足りないのか、画面が一度暗くなりかける。
俺は慌てて出力を少し上げた。
「燈真」
「分かってる」
「無理しない」
「してない」
「今ちょっと焦ったでしょ」
「焦った」
「正直」
澪奈が少しだけ呆れた声を出す。
それでもスマホは起動した。
完全にではない。
動作は重い。
バッテリー表示はおかしい。
そもそもバッテリー自体が死んでいるのか、俺が流す電気で無理やり起動しているだけなのかもしれない。
それでも、カメラは開けた。
俺はライターを手に取り、裏面のQRコードを映す。
黒い模様が画面に入る。
スマホが一瞬固まる。
そして、読み取り表示が出た。
リンク。
いや、普通のURLではない。
見慣れない文字列。
記号と数字が混じった、妙に短いコード。
その下に、スマホが自動で動いた。
「……え?」
画面が切り替わる。
電話アプリに似た画面。
発信中。
俺は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
次の瞬間、全身の血が冷えた。
「まさか」
澪奈が画面を見て青ざめる。
「電話?」
「切る」
俺は慌てて画面を押そうとした。
だが、その前に繋がった。
音が出る。
普通の電話回線ではない。
ノイズがない。
電波表示もおかしい。
だが、確かに相手に繋がっている。
『誰だ』
声がした。
昨日聞いた声。
赤髪の少女。
俺の指が画面の上で止まった。
切るべきだ。
そう思った。
だが、もう遅い。
相手は出た。
こちらの存在を認識した。
ここで無言で切る方が危険かもしれない。
心臓がうるさい。
頭の中で、最悪だ、という言葉が何度も回る。
QRコード。
自動発信。
説明ページじゃないのか。
まさか、これ自動的にあの少女に電話をかけるためのQRコードだったのか。
クソ。
何を話す。
準備していない。
いや、準備はしていた。
説明を見る準備だ。
通話する準備ではない。
QRコードだけ載せるな。
用途を書け。
おかしいだろ。
普通、説明とか注意書きとかあるだろ。
悪魔か。
いや、悪魔みたいなやつだった。
『誰だと聞いている』
声が少し低くなる。
俺は慌てて口を開いた。
「昨日、千葉から来た者です。地図を見せた」
一瞬、沈黙。
それから、少女は言った。
『私だ。悪魔の王。そう言えば分かるだろう』
全然分からないです。
俺は内心で即座に思った。
いや、何だその名乗り。
悪魔の王。
昨日の赤髪少女か。
確かに雰囲気だけなら納得できる。
でも、自分で言うのか。
それで通じると思っているのか。
悪魔の王と言われて「はい、あの方ですね」となる世界に俺はまだ慣れていない。
くそ。
やばい。
想定外だ。
澪奈が横で「切る?」という目をしている。
切りたい。
今すぐ切りたい。
だが、切れない。
相手は昨日、俺を殺すかどうかを決められる立場にいた。
しかも、ライターを受け取った俺は、どうやらこの謎の通信に繋がってしまった。
ここで逃げるように切るのは、悪手かもしれない。
俺は必死に呼吸を整えた。
「悪魔の王」
『そうだ』
本人はそれで当然のようだった。
俺は腹を括った。
情報を引き出す。
あるいは、取引に持ち込む。
それ以外に道はない。
「取引がしたい」
澪奈が目を見開いた。
画面の向こうの少女も、少しだけ声の調子を変えた。
『取引?』
「はい」
『お前が私に何を差し出す』
ここだ。
ここで失敗したら、終わる。
俺は昨日から考えていたことを、一気に言葉にする。
「世界地図と日本地図です」
沈黙。
澪奈が隣で小さく息を呑んだ。
悪魔の王は、すぐには答えなかった。
数秒後、低く問う。
『なぜ、私に世界地図が必要だと思った』
試されている。
そう感じた。
ただ欲しいと言うかどうかではなく、こちらが何を見て、何を推測したのかを測っている。
俺は言葉を選びながら答える。
「昨日、あなたは千葉県を知りませんでした」
『それで?』
「それなのに、封鎖を指揮していた。周囲の人間はあなたに従っていた。あなたは地図を見て、外縁東部という言葉を使った」
『続けろ』
「あなたは、エリアという単位で場所を認識している。けれど、この国全体の地理を完全に把握しているわけではないように見えた」
喉が乾く。
だが、止まれない。
「あなたは手を伸ばせる範囲を広げている。封鎖しているのか、支配しているのか、探索しているのかは分かりません。ただ、移動できる範囲を広げることが目的か、もしくは何かを探しているのが目的。そのどちらかではないかと考えました」
『……』
「なら、正確な地図には価値がある。東京周辺だけではなく、日本地図、世界地図にも。あなたがこの国の外側をどれだけ知っているのか分かりませんが、知らないなら価値がある。知っていても、比較用の情報にはなる」
自分でも、よくこんなに喋っていると思った。
内心では冷や汗が止まらない。
相手の地理知識の欠落を指摘しているに等しい。
怒らせる可能性もある。
だが、悪魔の王は怒らなかった。
むしろ、少しだけ楽しそうに息を漏らした。
『悪くない』
その一言で、肩から力が抜けそうになった。
だが、まだ終わっていない。
『お前は、私が地を求めていると見たか』
「はい。少なくとも、地理情報に価値を感じる可能性が高いと判断しました」
『その判断は悪くない』
「ありがとうございます」
言いながら、俺は内心で叫んでいた。
助かった。
いや、まだ助かってない。
全然助かってない。
でも、一歩間違えたら即死みたいな会話の最初の穴は越えた。
澪奈が横で、声を出さずに「大丈夫?」と口を動かした。
大丈夫ではない。
しかし、今はそう言うしかない。
俺は小さく頷くだけにした。
『地図を差し出すと言ったな』
「はい」
『お前は、それをどう送る』
「スマホ内に残っている地図データ、画像、紙地図の写真を送ることができます。電気は不安定ですが、短時間なら端末を動かせます」
言った瞬間、少し失敗したかと思った。
電気を動かせることに触れた。
いや、完全には言っていない。
短時間なら端末を動かせる。
神力で電気を出せるとは言っていない。
だが、相手は気づくかもしれない。
悪魔の王はすぐには追及しなかった。
『端末を動かせる、か』
追及された。
やはり。
俺は口の中が乾くのを感じた。
「受け取ったライターの効果で、QRコードを読み込むことができたので」
嘘ではない。
ライターのQRコードを読んだのは事実だ。
ただし、スマホを動かしたのは俺の電気だ。
ライターの効果ではない。
悪魔の王がその説明で納得したのかどうかは分からない。
数秒の沈黙の後、彼女は言った。
『よい。細部は問わぬ』
俺は内心で息を吐いた。
問われなくて助かった。
本当に。
『今から送るコードから納品窓を開け。地図を送れ』
「納品窓?」
『取引用の口だ。お前が言うところの送信先だ』
「分かりました」
『ただし、偽れば分かる』
「偽りません」
『不足があれば、追加を求める』
「分かりました」
『褒美は出す』
褒美。
嫌な予感がした。
昨日の褒美はライターだった。
俺にはかぶっていた。
いや、今こうして通話している時点で、いらないどころか重要アイテムだったのかもしれないが、それでも最初の印象は「いらねえ」だった。
次の褒美は何だ。
また俺の能力とかぶるのか。
それとも、本当に危険なものなのか。
「褒美の内容を聞いても?」
『欲があるな』
「取引なので、可能なら事前に確認したいだけです」
『三つ与える。水を保つ器、力を弾にする筒、雷を蓄える器』
水を保つ器。
力を弾にする筒。
雷を蓄える器。
俺は一瞬、意味が分からなかった。
だが、すぐに単語が頭の中で変換される。
水筒。
銃。
電池。
いや、雷を蓄える器とは何だ。
電気を蓄えるもの。
バッテリーか。
乾電池か。
俺は喉が鳴りそうになるのを必死に抑えた。
電気関連のアイテム。
これはまずい。
だが、欲しい。
明らかに欲しい。
俺の電気を保存できる可能性がある。
もしそうなら、俺の能力を直接使わなくても、電気を持ち運べる。
危険だ。
便利すぎる。
『場所は、こちらで指定する』
「どうやって受け取れば?」
『封印する。指定箇所の箱に収める。お前が所有権を得たなら、コードを読めば解除できる』
「所有権……」
『商品を受け取り、取引を成立させた者には権利が生じる。権利なき者には開かぬ』
つまり、悪魔の王のアイテムは、ただの物ではない。
受け取った時点で所有権や使用権が発生する。
QRコードはその確認に使われる。
そして、通信もその権利の一部。
普通のネットが繋がっているわけではない。
悪魔の王のアイテム同士、あるいはQRコード同士だけが、特殊な通信網で繋がっている。
俺はようやく理解し始めた。
この通話は、通常の電話ではない。
基地局も回線もサーバーも関係ない。
悪魔の王のアイテムが作る、閉じたネットワークだ。
そして俺は、ライターを受け取ったことで、そのネットワークへの接続権を得てしまった。
便利。
便利だが怖すぎる。
通信インフラを個人所有するな。
しかも名乗りが悪魔の王。
信用できる要素が一つもない。
『理解したか』
「ある程度は」
『ならよい』
「この通信は、通常の電話回線ではないのですね」
『当然だ。旧き網は死んだ。これは我が商品同士を結ぶ道だ』
やはり。
普通の通信網ではない。
悪魔の王の商品を受け取った者だけが、そのQRコードを通じて繋がる。
所有権。
使用権。
通信権。
取引。
封印解除。
この少女は、終末世界で新しい商取引と通信網を作っている。
王を名乗るだけの異常さはあった。
『送る』
スマホの画面が切り替わった。
通話画面の端に、黒い窓のようなものが開く。
そこに新しいQRコードと、文字列が表示されていた。
チャットのような画面。
ただし、普通のアプリではない。
見たことのないUI。
背景は黒く、文字は赤い。
悪趣味だ。
いや、悪魔の王ならそれでいいのか。
よくはない。
『そこから送れ。まずは日本地図。次に世界地図。東京周辺は詳細を求める』
「分かりました」
『時間はかかるか』
「端末の電力が不安定です。何度かに分ける必要があります」
『許す。だが、逃げるな』
「逃げません」
『逃げてもよい。ただし、次に会った時、取引不履行として扱う』
それは逃げるなという意味だった。
俺は頷く。
「送ります」
通話は切れた。
画面には、黒いチャット画面だけが残った。
俺は神力を止めそうになり、慌てて踏みとどまる。
まだ送っていない。
だが、長時間の維持はきつい。
「燈真」
澪奈が震えた声で言う。
「今の、何?」
「……悪魔の王との取引になった」
「悪魔の王って何?」
「俺も知りたい」
「全然分からないんだけど」
「俺も全然分からない」
「でも、取引しちゃったよね?」
「した」
「大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない」
「燈真!」
「でも、切って逃げるよりはましだった」
澪奈は何か言いかけて、口を閉じた。
たぶん、それは分かっているのだろう。
あの赤髪少女と繋がってしまった時点で、無言で切るのは危険すぎた。
なら、こちらに価値があると示す必要があった。
地図。
昨日のやり取りから、俺が出せる最大の取引材料だった。
「地図、送れるの?」
「やるしかない」
「でも、スマホの電力」
「短時間で分ける」
俺はまず、スマホ内に残っている地図アプリを確認した。
通信は通常のものは使えない。
だが、以前読み込んでいた範囲のキャッシュが残っている。
東京周辺。
千葉。
関東。
完全ではないが、スクリーンショットにすれば送れる。
世界地図は、学校の資料として保存していた画像データと、ブラウザのキャッシュに一部残っていたものがあった。
解像度は高くない。
だが、何もないよりは価値がある。
紙の日本地図もある。
それをスマホのカメラで撮影すれば送れる。
「澪奈、地図を広げてくれ」
「うん」
澪奈はすぐに紙地図を広げた。
俺はスマホのカメラを起動し、撮影する。
手が少し震える。
神力を電気として流し続けながら、カメラを使うのは思ったより負荷が高い。
画面が何度も暗くなりかける。
その度に、出力を調整する。
「無理しないで」
「分かってる」
「顔色悪い」
「神力より集中力が削れる」
「一回止める?」
「一枚送ってから」
俺は撮影した画像を黒いチャット画面に添付する。
送信。
一瞬、画面が固まる。
そして、赤い文字が浮かんだ。
『受領』
送れた。
普通の通信ではない。
悪魔の王のアイテム網。
QRコード同士の通信。
それが、本当に機能している。
「送れた……」
澪奈が呟く。
「ああ」
「普通のネットじゃないよね」
「ああ。悪魔の王の商品同士を結ぶ道だと言っていた」
「商品……」
「ライターを受け取ったことで、俺は接続権を得たらしい」
「それ、便利だけど怖すぎない?」
「怖すぎる」
俺は一度神力を止めた。
スマホの画面が暗くなる。
体が少し重い。
電気そのものの消費より、細かい制御に神経を使う。
澪奈がすぐに水を差し出してきた。
「飲んで」
「ああ」
水を飲む。
冷たい。
喉が少し楽になる。
「何回かに分ける」
俺は言った。
「今日は一気にやらない」
「それは絶対」
「まず日本地図、東京周辺、千葉周辺。世界地図は次に送る」
「うん」
「取引が終わるまで、悪魔の王との繋がりは切らない方がいいかもしれない」
「切る切らないっていうか、もう繋がっちゃったんだよね」
「そうだな」
俺はライターを見た。
昨日までは、いらない褒美だと思っていた。
火なら自分で出せる。
神力で火を出すライターなんて、能力とかぶっている。
そう思っていた。
だが違った。
これは火を出す道具であり、悪魔の王の通信網への鍵でもある。
所有権。
使用権。
通信権。
契約。
取引。
これを受け取った時点で、俺は悪魔の王のシステムに入ってしまった。
便利だ。
でも、完全に危険だ。
「燈真」
「なんだ」
「褒美って、何をもらうことになったの?」
「三つ」
「三つ?」
「水を保つ器、力を弾にする筒、雷を蓄える器」
澪奈は少し考えた。
そして顔を引きつらせる。
「水筒と、銃と、電池?」
「たぶん」
「銃?」
「ああ」
「銃って、あの銃?」
「たぶん」
「……危なすぎない?」
「危ない」
「水筒と電池も、たぶん普通じゃないよね」
「悪魔の王の褒美だからな。普通のはずがない」
「受け取るの?」
「取引した以上、受け取ることになる」
「拒否できない?」
「できるかもしれないが、拒否する方が危ない可能性もある」
澪奈は頭を抱えた。
「どんどん面倒になってる」
「同感だ」
「燈真、東京行って帰ってきただけなのに、悪魔の王と取引してるんだけど」
「俺もそう思う」
「どうしてこうなったの」
「QRコードを読んだから」
「読まなければよかった?」
「いや、いつか読む必要はあった。あのライターを持っている以上、知らないままの方が危険だった」
「それはそうだけど……」
澪奈は深くため息をついた。
俺も同じ気分だった。
だが、もう始まってしまった。
取引を途中で投げるのは危険だ。
悪魔の王は、取引不履行として扱うと言った。
彼女にとってそれがどれほど重い意味を持つのかは分からない。
分からないからこそ、怖い。
俺は少し休んでから、再びスマホを起動した。
今度は東京周辺の紙地図を撮影する。
千咲たちと書き込んだ封鎖情報は、送らない。
少なくとも今は送らない。
悪魔の王にこちらの情報収集内容をすべて渡すのは危険だ。
あくまで地理情報。
元々の地図。
封鎖や拠点情報は省く。
悪魔の王は地図を求めている。
だが、こちらの動きまで渡す必要はない。
俺はできるだけ何も書き込まれていない地図を撮影し、送った。
『受領』
赤い文字が出る。
次に、スマホ内のキャッシュから関東全体の地図を表示し、スクリーンショットを送る。
『受領』
さらに日本全図。
『受領』
そこで、一度限界が来た。
画面が揺れるように見えた。
俺は神力を止める。
スマホが暗くなる。
「今日はここまで」
澪奈が即座に言った。
「世界地図がまだ」
「今日はここまで」
「でも」
「燈真」
澪奈の声が強かった。
「相手も何回かに分けていいって言ったんでしょ?」
「ああ」
「なら今日はここまで。これ以上やったら、燈真が倒れる」
「倒れるほどでは」
「倒れる前にやめるの」
言い返せなかった。
俺はスマホを布で包む。
ライターも包む。
ノートを開き、記録を書く。
悪魔の王。
赤髪少女の自称。
ライターQRコードは自動通話。
通常通信ではなく、悪魔の王の商品間ネットワーク。
商品受領により所有権・使用権・通信権が付与される。
地図取引成立。
日本地図、東京周辺、関東地図送信済み。
世界地図は未送信。
褒美:水を保つ器、力を弾にする筒、雷を蓄える器。
封印箱を指定地点に配置予定。
所有権確認後、QRコードで封印解除。
書いているうちに、改めて頭が痛くなってきた。
情報量が多すぎる。
終末世界になっただけでも十分なのに、悪魔の王のアイテムネットワークまで出てきた。
神力は個人能力だけではない。
道具化できる。
権利化できる。
通信網にできる。
取引システムにできる。
東京側、あるいは悪魔の王側は、俺たちよりずっと先の段階にいる。
火が出せるとか、洗浄できるとか、ハサミで話せるとか、そういうレベルではない。
神力を社会システムに組み込もうとしている。
それが分かった。
そして、それはたぶん、父の「復旧計画」とも繋がっている。
電気復旧。
神力登録。
悪魔の王の商品網。
どれも、別々のものではないかもしれない。
俺はノートを閉じた。
澪奈が静かに言う。
「千咲ちゃんに言う?」
「全部は言えない」
「悪魔の王のことは?」
「危険情報としては伝えるべきだ。だが、QR通信や褒美の詳細はまだ伏せる」
「なんで?」
「千咲のハサミ通信も危険だ。そこに悪魔の王の通信網の話を混ぜると、余計な興味を持つかもしれない」
「あー……」
「それに、銃や電池や水筒のことを知れば、千咲たちも欲しがる可能性がある」
「悪気なくね」
「ああ。悪気なく」
千咲は悪人ではない。
だが、必要なものは欲しがる。
水筒や電池や銃。
どれも、千咲たちの拠点にとっても喉から手が出るほど欲しいはずだ。
だが、まだ性能も分からない。
危険性も分からない。
存在を広げるべきではない。
「最低限、赤髪少女は悪魔の王を名乗っている。近づくな。東京外縁は危険。この程度だな」
「うん」
「取引の話は、まだ伏せる」
「分かった」
澪奈は頷いた。
「でも、千咲ちゃんには心配かけてるから、生きてる連絡はしてね」
「分かってる」
俺はハサミを取り出した。
声をかけると、今回はすぐに繋がった。
『燈真くん?』
「ああ」
『帰った?』
「帰った。無事だ」
『よかった。澪奈ちゃんも?』
「いる」
澪奈が横から小さく「無事です」と言った。
ハサミの向こうで、千咲が明らかに安心した息を吐く。
『ほんとよかった。で、赤髪のこと、何か分かった?』
「自称は悪魔の王」
『……え?』
「悪魔の王だ」
『え、何それ。中二病?』
「俺に聞くな」
『いや、でもあの状況でそれ名乗るの怖すぎない?』
「怖い。だから近づくな」
『うん。絶対近づかない』
「東京外縁では、その名前や赤髪の少女に関する情報を知っている人間が死んだという話もある。噂かもしれないが、危険なのは間違いない」
『分かった。こっちでも広めすぎない範囲で注意する』
「頼む」
『ライターは?』
「神力を消費して火を出す。中身は減らないように見える。便利だが存在は伏せる」
『了解。燈真くんにはかぶってるけど、隠蔽用にはなるね』
「そうだ」
『それ以外は?』
千咲の勘は鋭い。
俺は一瞬黙った。
「まだ分からないことが多い」
『……そっか』
何かを察したような声だった。
だが、千咲はそれ以上踏み込まなかった。
『分かった。話せるようになったら話して』
「ああ」
『今日は休んで。澪奈ちゃん、燈真くん止めてね』
「止めてる」
澪奈が即答した。
千咲が笑う。
『頼もしい』
「本当に止められてる」
俺が言うと、澪奈がこちらを睨んだ。
千咲はさらに笑った。
『じゃあ、今日は休むこと。命令』
「お前に命令される筋合いはない」
『じゃあお願い』
「……分かった」
通信を切る。
少しだけ空気が軽くなった。
千咲の声は、やはり妙な効果がある。
うるさいが、重くなりすぎた空気を少しだけ動かす。
それも彼女の役割なのだろう。
その日の夕方、俺は本当に何もしなかった。
澪奈に止められたからだ。
世界地図の送信も明日。
封印箱の確認も、悪魔の王から指定が来てから。
今日は休む。
そう決めた。
だが、頭の中は休まらなかった。
悪魔の王。
商品。
所有権。
通信網。
水を保つ器。
力を弾にする筒。
雷を蓄える器。
それらが何なのか。
受け取っていいのか。
受け取らなければ危険なのか。
受け取れば、俺はさらに悪魔の王の取引圏に深く入るのではないか。
考えても答えは出ない。
それでも、一つだけ分かっている。
あのライターは、いらない褒美などではなかった。
俺を悪魔の王へ繋ぐ鍵だった。
そしてその鍵を、俺はもう使ってしまった。
夜、水場の音を聞きながら、俺はポケットの中のライターを意識した。
小さな金属の塊。
火を出す道具。
通信の鍵。
取引の証。
契約の入口。
これから先、俺はこの道具を何度も使うことになるのかもしれない。
そう思うと、少しだけ背筋が冷えた。
電気を失った世界で、俺だけが電気を生み出せる。
その秘密だけでも重すぎるのに。
俺はさらに、悪魔の王のネットワークに繋がってしまった。
この世界は、俺が思っていたよりずっと広く、ずっと厄介だった。




