表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/19

第14話 帰らないで

帰る準備を始めると、家の空気が少し変わった。


 最初に気づいたのは、たぶん透子だった。


 朝食後、俺が台所の隅で荷物を整理していると、リビングのソファに座っていた透子が、眠そうな目をこちらへ向けた。


「燈真、帰るの?」


「明日な」


「そっか」


 透子はそれだけ言って、しばらく黙った。


 いつもなら「期間限定イベント終了」とか「火の人ロス」とか、よく分からない言い方をしそうなのに、今日は何も続けなかった。


 俺はリュックの中身を確認する。


 持ってきた保存食の残り。


 水筒。


 ノート。


 鉛筆。


 火打ち石。


 マッチの残数。


 ナイフ。


 ロープ。


 救急セット。


 この家に残していくものと、持って帰るものを分ける。


 千咲たちに渡せるものは限られている。


 俺自身の拠点も、余裕があるわけではない。


 けれど、完全に手ぶらで帰るのも違う。


 一週間だけ手伝う。


 そう決めて来た。


 だから、一週間後に俺がいなくなっても、この家が最低限回るようにしておく必要がある。


 台所の棚には、詩乃が作った水と食料の管理表が貼ってある。


 玄関には、莉子が確認する鍵と窓のチェック表。


 二階の見張り場所には、透子用の記録紙。


 リビングには、千咲が集めた配布所と危険区域の情報。


 紗良は、夜に小さな音でギターを弾く時間を決めていた。


 ただの女子五人の家だった場所は、少しずつ拠点になっていた。


 それは良いことだ。


 良いことのはずだった。


「燈真」


 透子がもう一度呼んだ。


「なんだ」


「帰ったら、風呂どうなる?」


「自分たちで湯を沸かせ」


「燈真いないと大変」


「だから火起こしを教えた」


「火起こし、成功率まだ低い」


「練習しろ」


「スパルタ」


「生きるためだ」


 透子は少しだけ頬を膨らませた。


 それでも、それ以上は言わなかった。


 代わりに、ぽつりと呟く。


「風呂、またレアイベントになる」


「毎日入れると思うな」


「現実が厳しい」


「最初からそうだ」


 俺は言いながら、胸の奥が少し重くなるのを感じた。


 火。


 湯。


 温かい食事。


 この家に来てから、俺が与えたものはほとんどそれだった。


 特別なことをしたつもりはない。


 火をつけ、湯を沸かし、食材を調理し、道具の使い方を教えた。


 それだけだ。


 けれど、この世界ではそれだけで大きい。


 電気が消えた世界で、火を安定して扱えることは、思っていたよりずっと価値があった。


 だからこそ、俺が帰るということは、この家から一つのインフラが消えるということでもある。


 それを考えると、少しだけ気分が悪かった。


 だが、それでも帰る。


 帰らなければならない。


 澪奈が待っている。


 親のこともある。


 東京方面の情報も集めた。


 ここに長くいればいるほど、俺はこの家の問題に引きずられる。


 そうなる前に戻るべきだった。


「おはよー……って、何してるの?」


 リビングに入ってきた千咲が、俺の荷物を見て足を止めた。


「荷物整理」


「帰る準備?」


「ああ」


 千咲の表情が一瞬だけ止まった。


 すぐにいつもの笑顔へ戻る。


「そっか。約束通りだもんね」


「そうだ」


「明日?」


「明日」


「早いなあ」


「一週間だと言っただろ」


「言ったけどさ」


 千咲は床に座り込み、膝を抱えた。


 いつもなら距離を詰めてくるのに、今日は少し離れて座った。


「もうちょっと延長とか」


「しない」


「まだ最後まで言ってない」


「言わなくても分かる」


「ちぇ」


「ちぇ、じゃない」


 千咲はわざとらしく頬を膨らませたが、その目は笑っていなかった。


 困っている。


 それは分かった。


 この家にとって、俺は便利な人間になりすぎた。


 火をつける。


 食事を作る。


 風呂用の湯を作る。


 神力の記録を取る。


 防犯の指示を出す。


 東京方面の情報を地図にまとめる。


 俺がいる間、この家は安定した。


 だから、いなくなるのが不安なのだろう。


 それは当然だ。


 当然だからこそ、俺は早めに帰らなければならない。


 長くいればいるほど、俺が抜けた時の反動が大きくなる。


「千咲」


「なに?」


「今日中に、俺がいなくても回る手順を確認する。火起こし、水管理、見張り、非常時の逃走経路。全部だ」


「うん」


「俺が帰った後、分からないことがあったらハサミで連絡しろ。ただし、毎回助けに来られるとは思うな」


「分かってるよ」


「本当に?」


「分かってる」


 千咲は少しだけ声を低くした。


「でも、寂しいとは思う」


 その言葉に、俺は返事に詰まった。


 千咲は笑った。


「なにその顔。別に告白じゃないよ?」


「分かってる」


「この家、燈真くんが来てから一気にまともになったから。いなくなるの、普通に怖いんだよ」


「……怖いのは分かる」


「分かるだけ?」


「俺はここに住むわけじゃない」


「うん」


「帰る場所がある」


「澪奈ちゃん?」


「ああ。それと、家族のこともある」


 千咲は少し黙った。


 そして、小さく頷く。


「家族優先。分かってる」


「ならいい」


「でも、分かってるのと、引き止めたくならないのは別だよ」


 そう言われると、何も返せなかった。


 引き止めたくなる。


 それくらいは、分かる。


 俺だって、もし澪奈がどこかへ一週間だけ行って、そのまま帰ると言ったら、不安になるだろう。


 いや、たぶん不安どころではない。


 だから澪奈は、俺に毎日連絡しろと言った。


 三日帰ってこなかったら自分も行く、と言った。


 誰かが帰る場所で待っているというのは、そういうことなのだろう。


 午前中は、火起こしの総復習に使った。


 参加者は千咲、紗良、莉子。


 透子は見張りと索敵の練習。


 詩乃は水と食料の管理表を更新している。


 庭に火起こし用の場所を作り、マッチを使う場合、火打ち石を使う場合、炭を使う場合、カセットコンロを使う場合を順番に確認する。


 俺が手を出すのは最後だけ。


 基本は自分たちでやらせる。


「うわ、消えた!」


 千咲が火種を覗き込みながら叫ぶ。


「息を吹きすぎだ」


「だって大きくしようと思って」


「強く吹けばいいわけじゃない。火種が小さい時は、空気を送りすぎても消える」


「難しい!」


「だから練習してる」


 千咲はもう一度火打ち石を握る。


 彼女は器用だが、せっかちだ。


 火起こしはせっかちには向かない。


 小さな火を育てるには、手順と我慢が必要だ。


 紗良はその点、かなり上達していた。


 音楽をやっているからか、リズムと力加減を掴むのが早い。


「火ってさ、ギターの練習に似てるね」


「どこが」


「焦ると変な音になる。力を入れすぎても駄目。順番にやらないと鳴らない」


「……そうかもしれないな」


「でしょ?」


 紗良は少し得意そうに笑った。


 莉子は文句を言いながらも、三人の中で一番慎重だった。


 火種ができると、焦らず細い燃料を乗せる。


 大きくなりすぎないように、すぐ近くに水を置く。


 火の向きも確認する。


「莉子は火の管理、向いてるな」


 俺が言うと、莉子は少し驚いた顔をした。


「私が?」


「ああ。慎重だし、危険を先に見る」


「……そう」


「防犯担当に近い。火事も外敵も、拠点への脅威という意味では同じだ」


「なるほどね」


 莉子は少しだけ口元を緩めた。


「なら、やるわ。火事なんて冗談じゃないし」


「頼む」


「頼まれたわ」


 その返事は、初日に比べるとずいぶん柔らかかった。


 火起こしの練習を終えた後、俺は湯を作った。


 今日は最後に、五人全員が少量ずつ体を拭けるようにする。


 全員分の風呂は無理だ。


 だが、俺がいる間に一度くらいは少し余裕を持たせてもいい。


 そう判断した。


 千咲は湯の入った洗面器を見て、目を輝かせる。


「今日もお湯ある!」


「今日だけだと思え。俺が帰ったら毎日は無理だ」


「分かってるけど、嬉しいものは嬉しい」


 透子が頷く。


「温水イベント、ラストチャンスかもしれない」


「イベントと言うな」


 詩乃が申し訳なさそうに言う。


「水、かなり使いますよね」


「管理表の範囲内だ。今日は問題ない」


「ありがとうございます」


「礼はいい。明日から節約しろ」


「はい」


 紗良が冗談めかして言う。


「燈真くん、最後の晩餐ならぬ最後のお風呂?」


「最後にするな。不吉だ」


「あ、ごめん」


「冗談でも避けろ。今の世界は洒落にならない」


「うん。ほんとにごめん」


 紗良は素直に謝った。


 こういうところで、以前より全員が現実を見始めているのが分かる。


 冗談で流せることと、流せないこと。


 その境目が少しずつ共有されている。


 昼食後、俺は詩乃と一緒に管理表の最終確認をした。


「食料は、今の消費ペースなら何日持つ?」


「節約すれば、十日以上は。ただし、配布が受けられない場合はかなり厳しくなります」


「水は?」


「今ある分だけなら三日から四日。水道が少しでも出るなら延びます。配布や公園で補給できればさらに」


「危険な時は無理に取りに行くな」


「はい」


「詩乃の植物化は、食料として期待しすぎるな。水を消費する以上、非常用だ。食用かどうかも分からない」


「分かっています」


 詩乃はノートを胸に抱えた。


「小鳥遊さん」


「なんだ」


「本当に、ありがとうございました」


「まだ帰ってない」


「明日帰られるのでしょう?」


「ああ」


「だから、今のうちに」


 詩乃は深く頭を下げた。


「私、自分が何もできないと思っていました。家も、食料も、水も、全部両親が用意してくれていたものです。私はただ、それを消費しているだけだと」


「……」


「でも、小鳥遊さんが、家があることも役割だと言ってくださって。管理することも役割だと言ってくださって。少しだけ、何かできる気がしました」


「俺は事実を言っただけだ」


「それでも、嬉しかったです」


 詩乃はそう言って、少しだけ笑った。


 その笑顔は弱いが、最初よりずっと前を向いている。


 俺は視線を逸らした。


 礼を言われるのは苦手だ。


 善意として受け取られると、どう返せばいいか分からなくなる。


「管理表、続けろよ」


「はい」


「自分を足手まといだと言う暇があったら、水を数えろ」


「……はい」


 詩乃は少し困ったように笑った。


 午後は、透子と見張りルートの確認をした。


 二階の窓。


 庭。


 玄関。


 裏口。


 家の周囲を歩きながら、透子に確認させる。


「普段は目で見る。違和感があったら神力。神力を使ったら、何を見たか記録。頭痛や目の重さも書く」


「了解」


「索敵できるからといって、外へ出る必要はない。むしろ出るな。高所から見ろ」


「高所有利」


「そうだ」


「僕、スナイパーじゃなくて偵察兵だった」


「この状況では偵察兵の方が重要だ」


「そっか」


 透子は少し嬉しそうだった。


 最初は魔力の矢を出したかったと言っていた。


 だが今は、自分の遠視・索敵能力を少しずつ受け入れ始めている。


「燈真」


「なんだ」


「僕の能力、ほんとに当たり?」


「ああ」


「撃てないのに?」


「撃つ前に見つけられる方が重要な場面は多い。特にこの家ではな」


「じゃあ、僕が見つけて、莉子が防いで、千咲が連絡する」


「そうだ」


「詩乃が水と植物、紗良が音楽」


「紗良はまだ未発動だがな」


「でも、雰囲気担当」


「それも大事だ」


「燈真は火」


「俺は明日帰る」


 透子は少し黙った。


 そして、珍しくまっすぐ俺を見る。


「帰んないでよ」


 その言葉は、あまりに素直だった。


 俺は返事に詰まる。


「風呂、もう二度と入れないんだけど」


「……理由がそれか」


「ご飯も。火も。あと、神力の先生もいなくなる」


「先生じゃない」


「でも、帰んないでよ」


 透子の声は相変わらずおっとりしていた。


 けれど、冗談ではなかった。


「無理だ」


「澪奈が待ってるから?」


「ああ」


「家族も?」


「ああ」


「そっか」


 透子は空を見上げた。


「じゃあ仕方ない」


「分かってくれるのか」


「でも、帰んないでほしいとは思う」


「……そうか」


 その言葉は、思ったより重かった。


 夕方、全員で最後の確認をした。


 火起こし道具の置き場所。


 水の管理表。


 配布所へ行く時の組み合わせ。


 千咲が外へ出る時の連絡方法。


 透子の見張り交代。


 莉子の防犯確認。


 詩乃の物資記録。


 紗良の生活記録。


 逃げる時の集合場所。


 一つずつ確認していく。


 五人とも、真剣に聞いていた。


 最初の日とは違う。


 もう誰も、ただ俺に任せていればいいとは思っていない。


 それは良いことだ。


 良いことのはずなのに、胸の奥がざわついた。


 この家は、俺がいなくても少しは回る。


 そうなった。


 だから帰れる。


 そのはずなのに。


「燈真くん」


 千咲が言った。


「本当に明日帰るんだよね」


「ああ」


「一日だけ延長とか」


「しない」


「二日」


「しない」


「じゃあ半日」


「変わらない」


「けち」


「約束だ」


 千咲は唇を尖らせた。


「みんな言ってるよ? いてほしいって」


「聞いた」


「私も言ってる」


「聞いた」


「それでも?」


「それでもだ」


 莉子が腕を組み、少し苛立ったように言う。


「認めるわけじゃないけど、もう風呂入れないし、まともな食事取れないのしんどいんだけど」


「認めてるだろ」


「認めてない!」


「火起こしはできるようになってきた。食事も手順を残した。風呂は毎日は無理でも、湯を作る方法は教えた」


「それでも、あんたがいる方が楽じゃない」


「楽に慣れるな」


「うわ、むかつく」


 莉子は本気で不満そうだった。


 けれど、その目には初日のような拒絶はない。


 むしろ、いなくなることへの不安がある。


 紗良がギターケースを抱えながら言った。


「燈真くんがいると、夜がちょっと安心だったんだよね」


「俺より莉子の結界と透子の索敵の方が重要だ」


「そういう意味じゃなくてさ」


「じゃあどういう意味だ」


「なんか、考えてくれる人がいるって安心する」


 その言葉に、俺は少し黙った。


 考えてくれる人。


 それは俺にとって、あまり聞き慣れない言葉だった。


 俺は他人を信用していない。


 他人に期待していない。


 だから、自分で考える。


 それが当たり前だった。


 でも、他人から見れば、俺は「考えてくれる人」になっていたのかもしれない。


「……考えるだけなら、千咲もできる」


「私?」


 千咲が自分を指差す。


「情報を集めて、判断する。お前はそれができる」


「燈真くんほどじゃないよ」


「役割が違うだけだ」


「燈真くん」


「俺がいなくても回せ」


 俺は五人を見る。


「この家はもう、最初よりずっとマシだ。火起こしも、水管理も、見張りも、防犯も、全部最低限はできる。神力のルールも決めた」


「でも」


「でも、じゃない」


 少しだけ声が強くなった。


「俺は帰る。帰って、澪奈と合流する。それから東京方面を確認する。親が帰ってこない理由を調べる。妹とも連絡を取りたい」


 五人は黙っていた。


「俺は、ここだけを見ているわけにはいかない」


 言いながら、自分にも言い聞かせていた。


 ここだけを見ていたら、残ってしまう。


 そう分かっていた。


 この家は危うい。


 それでも、確かに少しずつ良くなっている。


 俺が手を入れれば、もっと良くなる。


 そう思えてしまう。


 それが危険だった。


「だから明日帰る」


 千咲はしばらく黙っていた。


 やがて、諦めたように息を吐く。


「分かった」


「千咲」


「分かったよ。引き止めない」


 彼女はそう言った。


 だが、その後すぐに付け足す。


「でも、遊びに来て」


「遊びじゃないだろ」


「じゃあ、点検」


「点検?」


「燈真くんが作った拠点がちゃんと回ってるか、点検しに来るの。たまにでいいから」


「……考えておく」


「そこは約束してよ」


「状況次第だ」


「出た、燈真くんの状況次第」


 千咲は苦笑した。


 その夜、紗良はいつもより少し長くギターを弾いた。


 音は小さい。


 外に漏れないよう、窓を閉め、部屋の中央で静かに弾いている。


 上手くはない。


 だが、最初の日より少し安定していた。


 千咲はハサミを膝に置いて聞いていた。


 透子はソファで目を閉じている。


 詩乃はノートを抱えている。


 莉子は腕を組みながらも、文句を言わずに聞いていた。


 俺はリビングの隅で、その光景を見ていた。


 電気のない夜。


 蝋燭の明かり。


 小さなギターの音。


 五人の少女たち。


 最初に来た時は、不安と混乱しかなかったこの家が、少しだけ落ち着いた場所になっている。


 それを見て、胸の奥が重くなった。


 俺は、ここを少しだけ救ってしまったのかもしれない。


 その自覚が、嫌だった。


 俺は救世主じゃない。


 他人を助けるために生きるつもりはない。


 家族を優先する。


 澪奈のところへ帰る。


 それでいい。


 そう何度も思う。


 それでも、五人の表情を見ていると、完全には割り切れない。


 演奏が終わると、紗良が俺を見た。


「どうだった?」


「前よりよかった」


「ほんと?」


「ああ」


「やった。燈真くんに褒められた」


「褒めたわけじゃない」


「それ、褒めてるよ」


 千咲が笑う。


 透子も小さく拍手した。


 莉子は「まあ、悪くなかった」と言った。


 詩乃は静かに微笑んでいた。


 俺は立ち上がる。


「明日は朝に出る」


 五人の顔がこちらを向く。


「最後に、水と火と戸締まりの確認をしてから出る。それで終わりだ」


 千咲が少しだけ寂しそうに笑った。


「了解。じゃあ、明日の朝はちゃんと見送る」


「見送らなくていい」


「見送るよ」


「普通でいい」


「普通に見送る」


「……好きにしろ」


 俺はそう言って、和室へ向かった。


 寝袋に入る前に、ハサミで澪奈へ連絡する。


『燈真?』


「ああ。明日帰る」


『本当に?』


「ああ」


『よかった』


 澪奈の声には、明らかな安堵があった。


 それを聞いて、ようやく少しだけ肩の力が抜ける。


「朝に出る。昼過ぎには戻れると思う」


『分かった。待ってる』


「何か変化は?」


『こっちは大丈夫。水場も無事。人は来てないと思う。あ、でも街の方は少し騒がしいかも』


「分かった。戻ったら聞く」


『うん』


 少し沈黙があった。


 澪奈が静かに言う。


『燈真』


「なんだ」


『帰ってきたら、ちゃんと休んで』


「休む暇があるか分からない」


『休んで』


「……分かった」


『あと、千咲ちゃんたちのこと、気にしすぎないでね』


「気にしてない」


『嘘』


「……」


『でも、気にするなとは言わない。燈真はそういうところあるし』


「俺は他人が嫌いだ」


『知ってる』


「助けたいわけじゃない」


『うん』


「でも、見てしまった」


『うん』


 澪奈は、それだけで分かったようだった。


『だったら、帰ってきてから一緒に考えよう』


 その言葉に、俺は目を閉じた。


 一緒に考える。


 俺一人ではなく。


 それは、思ったより悪くない言葉だった。


「ああ」


 通信を切った後、俺は寝袋に入った。


 この家で寝る最後の夜。


 リビングからは、五人の小さな話し声が聞こえる。


 明日、俺は帰る。


 帰る場所がある。


 待っている人がいる。


 やるべきことがある。


 それでも、この家を出ることに、少しだけ寂しさを感じている自分がいた。


 それが一番、面倒だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ