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第10話 透子の視界

 翌朝、俺は女子五人の家の台所で、鍋を前にしていた。


 電気のない朝は早い。


 いや、正確には、人間が早く起きるしかない。


 夜にできることが少ないから、暗くなれば寝るしかない。朝になれば、明るいうちにやるべきことを片づける必要がある。


 水の確認。


 食料の確認。


 火を使う作業。


 家の周囲の確認。


 見張りの交代。


 そして今日は、神力の調査。


 千咲以外の四人に、神力があるかを調べる。


 正直、気が重かった。


 俺自身の火と風。


 澪奈の洗浄。


 千咲のハサミ。


 ここまでで、神力が人によって違う可能性はかなり高い。


 だが、違うということは、予測が難しいということでもある。


 誰かが火を出すかもしれない。


 何かを壊すかもしれない。


 本人も周囲も想像していない形で、危険な現象が起きるかもしれない。


 だから、やるなら慎重にやる必要がある。


 ただ、この家の面々に「慎重」という概念がどこまであるかは怪しかった。


「燈真くん、おはよー」


 最初に起きてきたのは千咲だった。


 髪が少し跳ねている。昨日、湯で髪を洗えたせいか、本人の機嫌はかなり良さそうだった。


「早いな」


「昨日ちゃんとご飯食べたし、髪も洗えたからね。睡眠の質が違う」


「そんなに違うか」


「違うよ。体がべたべたしてないって最高」


 千咲はそう言いながら、鍋を覗き込む。


「朝ご飯?」


「粥に近いものだ。米を節約する」


「お粥でも温かいなら神」


「神扱いをやめろ」


「じゃあ火の神」


「悪化してる」


 千咲は笑った。


 この軽さにも、少しずつ慣れてきた気がする。


 慣れたくはないが。


 しばらくすると、透子が起きてきた。


 眠そうな顔で、ゆっくりとリビングに入ってくる。寝癖もほとんど直していない。


「おはよう、火の人」


「小鳥遊燈真だ」


「おはよう、小鳥遊燈真」


「フルネームで呼ぶな」


「じゃあ燈真」


「それでいい」


 透子は椅子に座り、あくびをした。


 昨夜の見張りは千咲と莉子が担当していたはずだが、透子も途中で起きていたらしい。夜中に廊下を歩く気配があった。


「寝不足か?」


「少し。夜、音が気になった」


「何の音だ」


「外。人の声っぽいのがした」


 俺は手を止めた。


「何時頃」


「たぶん深夜。正確には分からない。時計つかないし」


「どの方向」


「道路の方。近づいては来なかったと思う」


「報告しろ」


「ごめん。夢かもと思った」


 透子は素直に頭を下げた。


 怒る気にはならなかった。


 だが、ここははっきりさせる必要がある。


「夢かもしれなくても、次から言え。夜の人の声は重要情報だ」


「了解」


「戦闘じゃない。発見した時点で勝ちだ」


「索敵勝利?」


「そうだ」


「分かりやすい」


 ゲーム用語に変換すると理解が早いらしい。


 これはこれで使えるかもしれない。


 次に詩乃が起きてきた。


 相変わらず背筋が伸びているが、顔には疲れが見える。


「おはようございます。すみません、朝食まで用意していただいて」


「まだできてない」


「それでも、火を使っていただいているので」


「その礼は情報で返してくれればいい」


「情報……私にお役に立てることがあるでしょうか」


「あるかどうかを今日調べる」


 詩乃は不安そうに頷いた。


 自分に価値があると思えていない。


 この家を提供している時点でかなり大きな役割を果たしているのだが、本人はそれを理解していない。


 金が使えなくなったことで、自分の持っていた強みが一気に消えたと思っているのかもしれない。


 その後、紗良と莉子も起きてきた。


 紗良はギターケースを抱えていた。朝から持ってくる必要があるのかは分からない。


「おはよ。朝から火の匂いするの、いいね」


「煙は出してない」


「いや、そういう意味じゃなくて。ご飯の気配っていうか」


「それは分かる」


 莉子は腕を組みながら入ってきた。


「……おはよう」


「おはよう」


「昨日は、その……まあ、助かったわ」


「風呂か」


「言わなくていい!」


「分かった」


 莉子は顔を少し赤くしてそっぽを向いた。


 警戒は完全には解けていないが、昨日よりは会話が成立する。


 温かい食事と湯は強い。


 朝食を簡単に済ませた後、俺は全員をリビングに集めた。


 窓は少し開け、庭に出られる導線も確保してある。


 万が一何かが起きた時に逃げやすいよう、家具も少し動かした。


 火の実験はしない。


 爆発しそうなこともしない。


 強い力を出すようなことも避ける。


 最初は、本人が自分の神力の感覚を掴めるかどうか。


 そこから始める。


「まず確認する」


 俺はノートを開いた。


「神力について、気にならなかったのか?」


 五人は顔を見合わせた。


 千咲が真っ先に手を上げる。


「私はハサミ出せたから気になったよ。色々試した。そしたら会話できてびっくり」


「お前は分かってる」


「ひどい、私も聞いてよ」


「後で聞く。今は他の四人だ」


 透子がゆっくり手を上げた。


「僕は試した」


「何を」


「魔力でできた矢とか出せたらなあと思って」


「なぜ矢」


「遠距離攻撃は強い」


「発想がゲームだな」


「FPS好きだから」


「で、出たのか」


「出なかった」


「それ以外は試したか?」


「してない」


「なぜ」


「自分の苦手なこと、能力にしたくない」


 俺は一瞬、言葉に詰まった。


 気持ちは分からなくもない。


 自分の能力が、自分の望まないものだったら嫌だという感覚。


 だが、神力は希望制ではない。


「能力は、欲しいものが出るとは限らない」


「それは困る」


「困っても、出るものは出る。使ってみないと分からない」


「うーん」


 透子は少し不満そうだった。


 次に詩乃が控えめに言う。


「私は、あまり詳しくなくて……。何かあるのかも分からないです」


「試したことは?」


「少しだけ。ですが、何も起きなかったと思います」


「その時、何か減る感覚はあったか」


「減る……ですか」


 詩乃は胸に手を当てて考える。


「分かりません。緊張していて、それどころではなかったかもしれません」


「そうか」


 紗良はギターケースを軽く叩きながら言った。


「私はさ、声を遠くまで届けられる能力とかならいいなって思ったんだよね」


「声?」


「バンド目指すうえでよくない? マイクなしでも遠くまで届く声。電気ないし」


「確かに、この世界だと音を届ける能力は有用かもしれない」


「でしょ? でも出し方が分かんないんだよね」


「試したのか」


「歌ってみたけど、普通に恥ずかしかっただけ」


「そうか」


 最後に莉子。


 莉子は腕を組んだまま、視線を逸らしていた。


「私は……分かってるんだけど」


「何が」


「何かあるっぽいのは分かってる。でも、使いこなせる気がしない」


 その言い方に、俺は少し注意を向けた。


 自覚がある。


 千咲のハサミのように明確ではないが、莉子には何かしら神力の感覚があるらしい。


「どういう感覚だ」


「なんか、拒む感じ」


「拒む?」


「近づくな、入るな、触るな、みたいな。うまく言えない」


 莉子の性格と一致しているように思えた。


 最初に俺を警戒したのも莉子だ。


 男と住むのが不安だと言った。


 拒絶。


 防衛。


 結界。


 そういう方向かもしれない。


 だが、いきなり試すには少し危険だ。


 まずは透子からにする。


 比較的、本人の希望と実際のズレが分かりやすそうだった。


「透子から試す」


「僕?」


「ああ。遠距離攻撃以外を試す」


「攻撃じゃないのかあ」


「攻撃は危険だ。最初にやるな」


「でも矢、出したかった」


「出なかったんだろ」


「出なかった」


「なら別の可能性を探す。FPSが好きなら、撃つ以外にも重要なものがあるだろ」


 透子は少し考える。


「索敵?」


「そうだ」


「視界を取る、音を聞く、敵の位置を読む、射線管理」


「それだ。まず、それに近いものを試す」


「でも僕、現実ではそんなに目がいいわけじゃないよ」


「神力が身体能力そのものとは限らない。とりあえず、外の状況を知るつもりで気合いを入れてみろ」


「気合い」


「今のところ、最初はそれしかない」


 千咲が横から口を挟む。


「燈真くん、教え方が雑だよね」


「俺も手探りなんだよ」


「まあ、それはそう」


 透子は椅子に座ったまま、目を閉じた。


「外を見る感じ?」


「そうだ。目で見るというより、周囲を把握するつもりで」


「ミニマップみたいに?」


「近いかもしれない」


「了解」


 透子は目を閉じたまま、しばらく黙った。


 部屋の中に沈黙が落ちる。


 千咲が興味津々で見ている。


 詩乃は祈るように手を握っている。


 紗良はギターケースに肘を置いて、真剣な顔をしている。


 莉子は腕を組みながらも、視線は透子から外さない。


 俺はノートを構え、透子の表情を観察した。


 最初、変化はなかった。


 だが数秒後、透子の眉がわずかに動く。


「……よく分かんない」


「何か減る感覚は?」


「ちょっとある、かも」


「続けろ。無理はするな」


「うん」


 さらに数秒。


 透子が小さく「あっ」と声を上げた。


「なんだ。何が分かった?」


「雨が降る」


「雨?」


「曇ってる」


 俺は一瞬、がっくりきた。


「なんだそりゃ……」


 天気の話か。


 この状況で天気予報ができるなら役には立つが、思っていた方向と違う。


 いや、待て。


 俺は窓の外を見る。


 この家のリビングから見える空は、建物と塀に遮られて狭い。少なくとも、広い範囲の雲の様子は分からない。


「透子」


「なに?」


「なんで曇ってるって分かるんだ?」


「え?」


「今、この部屋から空はほとんど見えない。外にも出ていない。なぜ分かった」


 透子は目を開けた。


 自分でも不思議そうな顔をしている。


「なんでだろ……。なんでか、気合い入れると分かる」


「どの方角が曇ってる?」


「西。たぶん、黒い雲がある。雨はまだ遠いけど、こっちに来るかも」


「見えてるのか?」


「見えてる、とは違う。分かる。映像みたいにはっきりじゃないけど、雲の重さとか、空の暗さとか」


 俺はすぐに立ち上がった。


「外に出る」


「え、今?」


「確認する」


 全員で外に出る必要はないが、結局ぞろぞろと庭に出ることになった。


 俺は塀の外へ出て、少し開けた場所まで移動する。


 西の空を見る。


 確かに、雲が厚い。


 朝の時点では気づかなかったが、遠くに重そうな雲が広がっている。今すぐ降るほどではないが、天気が崩れる可能性はある。


「当たってる……」


 紗良が呟いた。


 千咲が透子の肩を叩く。


「透子、天気予報士?」


「僕、遠距離攻撃がよかった」


「でもこれすごくない?」


「地味」


 透子は不満そうだった。


 俺は首を横に振る。


「地味じゃない」


「そう?」


「ああ。今の世界で、遠くの天気が分かるのはかなり重要だ」


「雨が分かるだけで?」


「雨は水だ。移動にも影響する。洗濯、火、体温、避難。雨を予測できるだけで予定が組める」


「なるほど」


「それに、天気だけとは限らない」


 俺は透子を見る。


「お前の神力は、遠くを見る能力かもしれない」


「遠くを見る?」


「千里眼……いや、索敵や遠視に近い可能性がある」


 透子の目が少しだけ開いた。


「索敵」


「そうだ。お前が欲しかった矢ではない。でも、戦うより先に、敵を見つける力かもしれない」


 透子は黙った。


 その言葉を頭の中で噛み砕いているようだった。


「矢より強い?」


「状況による。ただ、今の俺たちに必要なのは、撃つ力より先に見る力だ」


「敵を先に見つけたら、二デスしなくていい?」


「だから二デスはするな。ゼロデスを目指せ」


「なるほど」


 透子は少しだけ納得したようだった。


 千咲が嬉しそうに言う。


「透子、見張り担当じゃん」


「キャンパーにジョブを決められた」


「キャンパーじゃない」


 俺はノートに記録する。


 久我透子。


 希望、遠距離攻撃。


 実際の反応、遠方の天候を把握。


 西の空の雲を室内から感知。


 仮説、遠視・索敵・周辺状況把握。


 視覚情報ではなく、感覚的な把握。


 神力消費は軽微。


 さらに実験が必要。


「次に試す」


 俺は言った。


「透子、家の外の道路に人がいるか分かるか?」


「やってみる」


「無理はするな」


 透子は目を閉じる。


 今度はさっきより少し慣れた様子だった。


「……前の道に二人。歩いてる。こっちには来てない」


「方向は?」


「右から左。荷物持ってる」


 俺は千咲に目配せする。


 千咲がそっと門の隙間から外を確認した。


 しばらくして戻ってくる。


「当たり。二人いた。荷物持ってた」


 空気が変わった。


 ただの天気予報ではない。


 透子は、見えない位置の人の動きまで把握した。


 完全な透視ではないだろう。


 だが、索敵としては十分すぎる。


「透子」


「なに?」


「お前の能力、かなり重要だ」


「矢じゃないのに?」


「矢じゃないから重要かもしれない」


「そっか」


 透子は少しだけ嬉しそうにした。


 おっとりした表情は変わらないが、椅子に座っていた時より姿勢が少し伸びている。


 自分の能力が役に立つ。


 そう分かったのだろう。


「ただし、使いすぎるな」


「疲れる?」


「たぶん。今は大丈夫か?」


「ちょっと目が重い」


「なら休め。神力消費と視覚疲労が関係する可能性がある」


「ゲームしすぎた時みたい」


「分かりやすいならそれでいい」


 透子は素直に頷いた。


 千咲が横で手を叩く。


「一人目から当たりじゃん!」


「当たり外れで言うな」


「でもすごいよ。外の人分かるなら、見張りめっちゃ楽になる」


「楽にはならない。補助になるだけだ。本人が寝ていたら意味がないし、使いすぎたら疲れる」


「はいはい、燈真くんは慎重」


「慎重でいないと死ぬ」


 俺がそう言うと、千咲は一瞬だけ黙った。


 冗談にしきれない現実がある。


 透子の能力は便利だ。


 だが、便利な能力を持つ者は、やはり資源になる。


 この家に索敵役がいる。


 火を扱える俺がいる。


 千咲のハサミ通信がある。


 もし詩乃や莉子、紗良にも有用な能力があるなら。


 この家は、ただの女子五人の危なっかしい拠点ではなくなる。


 神力持ちが集まる、有用な拠点になる。


 それは強さであり、危険でもある。


「次、誰を試す?」


 千咲が聞いた。


 俺は少し考える。


 莉子の拒絶系は危険かもしれない。


 詩乃は本人もよく分かっていないが、落ち着いている。水や物を使って試せるかもしれない。


 紗良は気合いだけでは発動しない可能性がある。


 能力が音に関係するなら、条件を整えないと分からない。


「次は、全員軽く感覚だけ見る」


「全員?」


「ああ。深く試す前に、神力が消費されるかどうかを確認する。危険そうなら止める」


 俺たちはリビングに戻った。


 透子は少し休ませる。


 千咲は横でうずうずしていたが、今回は見学だけだ。


「まず紗良」


「私?」


「気合いだけで何か起きるか確認する。声を遠くへ届けたいなら、声や音を意識してみろ」


「了解」


 紗良は軽く喉を鳴らし、小さく声を出した。


 歌というほどではない。


 音階を確認するような声。


 だが、変化はなかった。


「何か減った感覚は?」


「ない。全然。エネルギー自体、消耗されてない感じ」


「つまり、条件が違う可能性がある」


「条件?」


「歌うだけでは駄目なのかもしれない。誰かに聞かせる、演奏する、特定の感情が必要、場所が必要。まだ分からない」


「そっか。私だけ外れ?」


「まだ分からないと言っただろ」


「でも、何も起きないとちょっと寂しいね」


 紗良は笑っていたが、少しだけ落ち込んでいるように見えた。


 俺はノートに書く。


 鳴海紗良。


 音・声を意識して発声。


 神力消費感覚なし。


 現時点で発動せず。


 条件未達の可能性。


 次に詩乃。


 詩乃はかなり緊張していた。


「私、失敗したらすみません」


「失敗してもいい。危険がなければ情報になる」


「はい……」


 詩乃は胸に手を当て、目を閉じる。


 しばらくして、ふと目を開けた。


「あれ?」


「どうした」


「なにか……すいません、水を使ってよろしいでしょうか?」


「水?」


「はい。水があると、できる気がします」


 俺は少し考え、コップに少量の水を入れて渡した。


 貴重な水だが、実験に使う価値はある。


「無理に全部使うな。少量でいい」


「はい」


 詩乃はコップを両手で包むように持った。


 目を閉じる。


 その瞬間、詩乃の表情が少し変わった。


 神力を使っている。


 何かが起きる。


 俺は周囲に目を配る。


 危険な気配はない。


 だが、次の瞬間、コップの中の水が揺れた。


 そして、水面から小さな緑が顔を出した。


「……は?」


 思わず声が出た。


 コップの水が減っている。


 その代わりに、小さな芽のようなものが浮かんでいた。


 いや、浮かんでいるのではない。


 水そのものが、植物に変わったように見えた。


 細い茎。


 小さな葉。


 名前は分からない。


 詩乃は驚いたようにコップを見つめていた。


「私の神力……水を植物にできます」


「植物に……」


「ただ、何の植物かはランダムのようです」


「今の時点でそこまで分かるのか?」


「なんとなく、そう感じます。選べない、というか」


 千咲が身を乗り出した。


「すご! 食べ物作れるってこと?」


「待て」


 俺は即座に止めた。


「植物だからといって食えるとは限らない。毒草の可能性もある。食用かどうか分からないものを口にするな」


「そっか」


「それに、水を消費している。水を食料に変える能力なら強いが、水が足りない状況では乱用できない」


 詩乃はコップを見つめたまま、小さく頷いた。


「水を使ってしまうのですね」


「ああ。だが、かなり重要な能力かもしれない」


「私が、ですか?」


「そうだ」


 詩乃の目が揺れる。


「役に、立てるでしょうか」


「使い方次第ではかなり」


 俺はノートに書く。


 白河詩乃。


 水を植物へ変換。


 植物種は選択不可、ランダムの可能性。


 水を消費。


 食用可否不明。毒性確認必要。


 水量と植物規模の関係未検証。


 強力だが乱用危険。


 詩乃はまだコップを見つめていた。


 自分にも役割があると知って、少しだけ表情が変わった気がした。


 最後に莉子。


 莉子は明らかに緊張していた。


「……私、やるの?」


「嫌なら今日はやめる」


「やるわよ。分かってるけど、使いこなせる気がしないだけ」


「無理に強く出そうとするな。感覚だけでいい」


「分かった」


 莉子は立ち上がり、少し離れた場所に立った。


「どうすればいいの」


「お前が言っていた、拒む感覚。近づくな、入るな、触るな。それを小さく意識してみろ」


「小さくって難しいわね」


「大きくやると危ないかもしれない」


「分かってるわよ」


 莉子は深呼吸した。


 そして、目の前に手をかざす。


 次の瞬間、空気がわずかに歪んだ気がした。


 見えない壁。


 そう思った。


「……できた、かも」


 莉子が言った。


「何をした」


「たぶん、結界」


「結界?」


「対価を払って、結界を張れるっぽい」


 莉子の声が少し震えていた。


「対価は?」


「今は、スタミナ。疲れた……」


 言った直後、莉子の膝が少し崩れた。


 俺は慌てて近づく。


 千咲と紗良も支えた。


「無理するなと言っただろ」


「ちょっとしかやってないわよ……」


「ちょっとでこれか」


「一瞬で疲れる……」


 莉子は椅子に座り込み、肩で息をした。


 危険だ。


 だが、能力としては極めて重要だ。


 結界。


 防御。


 拒絶。


 この女子五人の拠点に一番必要なものかもしれない。


 ただし対価が重い。


 スタミナ消費。


 長時間維持は無理。


 緊急時の切り札として使うべきだ。


 俺はノートに書く。


 早乙女莉子。


 拒絶・防御系。


 本人表現、対価を払って結界を張る。


 現状の対価はスタミナ。


 一瞬の使用で強い疲労。


 防犯上極めて重要だが、乱用不可。


 使い方要検証。


 全員の初期調査が終わった。


 透子は遠視・索敵。


 詩乃は水を植物に変える。


 莉子は対価式の結界。


 紗良は未発動。


 千咲はハサミ生成と通信。


 この家は、思った以上に異常だった。


 火を使える俺がいなくても、彼女たちは神力持ちの集まりだ。


 ただ、使い方を知らなかっただけ。


 それを知った瞬間、俺は背筋が冷えた。


 この家は強い。


 だが、知られれば狙われる。


 索敵、通信、防御、植物生成。


 生活と防犯の両面で価値が高すぎる。


「燈真くん」


 千咲が、少し興奮した声で言った。


「これ、すごくない?」


「すごい」


「だよね!」


「同時に、かなりまずい」


「え?」


 千咲の表情が止まる。


 俺はノートを閉じた。


「この家は、神力持ちの拠点になりかけてる。知られたら、確実に狙われる」


 部屋の空気が冷えた。


 誰もすぐには笑わなかった。


 俺は五人を見る。


「だから、今日からルールを決める。能力の内容は外で話すな。見せるな。試す時は必ず誰かが見張る。使いすぎるな。特に莉子と透子は疲労に注意しろ。詩乃の植物は食べる前に必ず確認する。紗良は焦るな。発動しないことも情報だ」


 千咲が静かに頷く。


「分かった」


「あと」


「あと?」


「女子五人で住む危険性を、もう少し真面目に考えろ。お前たちはただの避難者じゃない。神力持ちの集団だ」


 自分で言って、嫌になる。


 また、神力持ちを資源のように見ている。


 だが、言わなければならない。


 この世界は、そういう方向に進み始めている。


 千咲たちは、比較的恵まれている。


 それでも困っていた。


 そして今、彼女たちは困っているだけの存在ではなく、狙われる価値を持つ存在になった。


 俺は他人が嫌いだ。


 他人を助けるためにここへ来たわけではない。


 それでも、この五人が何も知らないまま狙われるのは、見過ごせなかった。


 たぶん俺は、もう見てしまったからだ。


 火を待つ顔も。


 湯に喜ぶ声も。


 自分の能力に驚く表情も。


 そして、自分にも役割があるかもしれないと知った時の、小さな変化も。


 見てしまったものを、なかったことにはできない。


 だから、俺はノートを開き直した。


「まずは、この家の役割分担を決める」


 そう言うと、透子がゆっくり手を上げた。


「僕、索敵担当?」


「そうだ。ただし二デスは禁止」


「ゼロデス了解」


 千咲が笑った。


 詩乃も少しだけ笑った。


 莉子は疲れた顔で、それでも小さく頷いた。


 紗良はギターケースを撫でながら言う。


「私は未発動担当?」


「焦るな。お前の条件は後で探す」


「了解。じゃあ今は雰囲気担当で」


「それも案外大事かもしれない」


「え、認められた」


 紗良が嬉しそうに笑う。


 部屋の空気が少し緩んだ。


 だが、俺の中の警戒は消えなかった。


 この家は、思っていたより重要だ。


 そして、思っていたより危険だ。


 一週間だけ。


 そう決めて来たはずだった。


 だが、この一週間でやるべきことは、想像以上に多くなりそうだった。

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