第七話 古い場所は、四人で歩くと違って見える
須磨から明石へ戻る電車の中でも、四人の話は途切れなかった。
あかりは買ったばかりのシャチのぬいぐるみを鞄から半分だけのぞかせ、かなめはショップで選んだ海の生き物の解説冊子を早くも読み始めている。こよみは須磨海岸のポストカードを、折れないように手帳へ挟んでいた。
つむぎの鞄にも、四匹のシャチが並んだシールが入っている。
電車が舞子駅へ近づいたとき、車窓いっぱいに明石海峡大橋が現れた。
高校の窓や、カフェ・メリディアンからも何度も見た橋だった。それでも電車が橋のすぐそばを通ると、白い主塔も、空へ伸びるケーブルも、いつもよりずっと大きく見えた。
「近くで見ると、全然違いますね」
つむぎが窓へ顔を向ける。その隣で、こよみも橋を見つめていた。何かを言いたそうに口を開きかけ、けれど一度閉じる。
「あの……」
電車が舞子駅に停車してから、こよみはようやく口を開いた。
「明日は、この辺りを散策しませんか」
「明日も?」
あかりが驚いたように聞き返す。
「はい。橋の下には舞子海上プロムナードと、橋の科学館があります。それに、少し歩けば五色塚古墳もあります。もちろん、皆さんが興味をお持ちなら、ですけど」
「行く行く。なんで最後だけ急に遠慮したん?」
「こういう場所へ友達を誘うことに、あまり慣れていなくて」
「じゃあ、今から慣れたらええやん」
あかりがあっさり言うと、こよみは少し目を丸くした。
「橋の構造には興味がある」
かなめも冊子から顔を上げる。
「わたしも行きたいです。五色塚古墳って、名前は聞いたことがありますけど、行ったことはないので」
つむぎが言うと、こよみはほっとしたように微笑んだ。
「では、明日もよろしくお願いします」
「二日続けて会うのに、改まって挨拶せんでもええって」
あかりの声に合わせるように電車の扉が閉まり、舞子駅のホームがゆっくりと後ろへ流れていった。
「あの、実は、歩く順番だけは少し考えてきました」
こよみが手帳を開くと、舞子海上プロムナードから橋の科学館、五色塚古墳までの道順が、几帳面な字で書き込まれていた。
「誘う前から準備しとったん?」
「もし皆さんが興味を持ってくださったら、と思って」
「あんなに遠慮しとったのに、準備は完璧やな」
☆
翌朝、四人はJR舞子駅で待ち合わせた。
駅を出ると、明石海峡大橋が頭上を横切るように伸びていた。昨日、電車の窓から見た橋は空に引かれた一本の線のようだったが、真下から見上げると、橋脚は巨大な建物のようにも見える。
「大きいなあ……」
あかりが首を反らした。
「学校から毎日のように見とるのに、同じ橋とは思えへん」
「遠くから見ていると、細かい構造まではわかりませんから」
かなめは、橋の下側に組まれた部材を目で追っている。
「一本の橋に見えるけど、実際にはたくさんの部品が組み合わさってできてる」
「かなめさん、もう観察が始まっていますね」
こよみが言うと、かなめは少しだけ眼鏡を押し上げた。
「見るために来たんだから、普通でしょう」
最初に向かった舞子海上プロムナードは、橋の内部へ入り込むように造られていた。
窓の向こうには明石海峡が広がり、その上を船が白い航跡を引きながら進んでいる。海の向こうには淡路島が見えた。足元の一部がガラス張りになった場所では、はるか下で波が揺れている。
「これ、ほんまに乗って大丈夫なやつ?」
あかりがガラス床の手前で足を止めた。
「人が乗ることを前提に設計されているから、大丈夫」
「かなめ、そういう正しすぎる説明がほしいんやなくて、怖くないって言うてほしいねん」
「怖いかどうかは人による」
「ますます乗りにくくなったわ!」
そう言いながらも、あかりは片足だけを恐る恐るガラスの上へ乗せた。少し遅れて、もう片方の足も移す。
「ほら、つむぎんも来て」
「わたしもですか?」
「一人だけ安全なところにおるの、ずるいやろ」
断る間もなく手招きされ、つむぎもガラス床へ足を踏み出した。視線を下へ向けると、海面が思っていた以上に遠い。
「これ、下を見ないほうがよかったかもしれません……」
「うちも今、同じこと思った」
二人が揃って固まっている横を、かなめは平然と歩いていく。こよみも少し緊張しているようだったが、海の向こうへ目を向ける余裕は残っていた。
かなめは数歩先で振り返り、少し戻った。
「下じゃなくて、こっちを見て歩けばいい」
そう言って、つむぎに手を差し出す。言い方は相変わらず淡々としていたが、その手を借りると、つむぎはようやく一歩を踏み出せた。
「ここから見ると、橋が海を越えて淡路島まで続いていることが、よくわかりますね」
「いつもは景色の一部だったのに」
つむぎは、頭上を走る巨大な橋を見上げた。
「近くで見ると、誰かが造ったものなんだって感じがします」
「その誰かが、どうやって造ったのかは、次の場所でわかると思います」
こよみはそう言って、橋の科学館の方向を指した。
☆
橋の科学館の館内には、明石海峡大橋の模型や、建設に使われた技術を紹介する展示が並んでいた。
橋に吹きつける風の影響を調べるための模型を前にすると、かなめは足を止めた。説明文を最初から最後まで読み、さらに隣の図まで確かめている。
「長い橋は、ただ頑丈に造ればいいわけじゃない。風を受けたとき、どう揺れるかまで考えないといけないんだ」
「橋って、揺れたらあかんものやと思っとった」
「まったく揺れないようにするのは難しい。壊れない範囲で力を逃がすことも必要なんだと思う」
「なんか、人間みたいやな」
あかりが何気なく言った。
「ずっと踏ん張っとるより、ちょっと力抜いたほうがええときもあるし」
かなめは少し考えてから頷いた。
「科学的なたとえではないけど、言いたいことはわかる」
「今、かなめに認められた?」
「科学的ではないって言った」
「一言余計やねん」
二人のやり取りを聞きながら、つむぎはノートを取り出した。
遠くから見ると一本の橋。近くから見ると、たくさんの部品と、たくさんの人の工夫。
書き留めてから顔を上げると、こよみが嬉しそうに展示を見回していた。
「これ、結局、部活動みたいになってへん?」
あかりが明石海峡大橋の模型を眺めながら言った。
「秋月先生も、明石やその近辺の調査が活動内容だと言っていましたから」
こよみは当然のように答える。
「今日は正式な部活動ではないけど、記録を残しておけば、今後の研究には使えると思う」
かなめも頷いた。
「遊びに来たはずなのに、また観測ノートが増えましたね」
つむぎはそう言いながらも、ページをめくる手を止めなかった。
午後、四人は舞子公園を離れ、五色塚古墳へ向かった。
住宅地の中を進んだ先に現れた古墳は、つむぎが想像していたよりもずっと大きかった。斜面には石が敷き詰められ、段の上には円筒埴輪が整然と並んでいる。
「四世紀後半に造られた、兵庫県で一番大きな前方後円墳です」
こよみの声が、自然と弾んだ。
「表面に並べられた葺石の一部は、淡路島から運ばれたと考えられています。この場所は明石海峡を見渡せるので、海上交通と深い関係を持つ人物のお墓だったのではないかとも――」
そこまで話したところで、こよみは急に言葉を止めた。
「すみません。また、私ばかり話してしまいました」
「なんで謝るん?」
あかりが不思議そうに聞き返す。
「面白いから、もっと聞きたいです」
つむぎも言う。
かなめは、古墳の向こうに見える明石海峡大橋へ目を向けた。
「橋ができるずっと前にも、淡路島から石を運んでいたんだね」
「はい」
こよみの表情が、ぱっと明るくなる。
「橋はなくても、この海の向こうと、こちら側はつながっていたんです」
「じゃあ、明石海峡大橋が、初めて二つの土地をつないだわけやないんやな」
「そうですね。昔からあったつながりが、今は橋という形で、目に見えるようになったのかもしれません」
古墳の上まで登ると、明石海峡と淡路島、その間を渡る橋が一度に見渡せた。
古代の人々が船で石を運んだ海の上に、今は巨大な橋が架かっている。四人はしばらく、時代の違う二つの景色が重なったような眺めを見つめていた。
「私、中学生のころも、こういう場所によく来ていたんです」
こよみが、ふいに言った。
「友達と?」
つむぎが尋ねると、こよみは首を振った。
「ほとんど一人でした。学校で話す友達はいましたけど、古墳や古い道の話をすると、どうしても私ばかり話してしまうので。相手を退屈させるのも申し訳なくて、散策は一人でするようになりました」
「一人で見るのも、楽しかったんやろ?」
あかりの問いに、こよみは頷いた。
「はい。一人なら、好きなだけ立ち止まれますから。でも――」
こよみは、三人の顔を順番に見た。
「みんなで巡ると、自分一人では気づかなかったものが見えるんですね。あかりさんは思いがけないたとえをしますし、かなめさんは私が知らない科学の見方を教えてくれます。つむぎさんは、私たちが見つけたことを、言葉として残してくれます」
「うちの感想だけ、ちょっと雑に分類されてへん?」
「そんなことはありません。あかりさんのたとえは、いつも印象に残ります」
「褒められとるんかな、それ」
あかりは首をかしげたが、少し嬉しそうだった。
「高校に入ってから、放課後も休日も、前より楽しみになりました」
「それ、うちらのおかげって受け取ってええ?」
「はい。そういう意味です」
こよみが迷わず答えると、今度はあかりのほうが照れたように海へ顔を向けた。
「こよみ、たまに真っすぐすぎるな」
「遠回しに言う必要がありますか?」
「ないけど。言われたほうの準備ができてへんねん」
かなめが小さく笑う。その声につられて、つむぎも笑った。
一人で歩けば、自分の好きなところで立ち止まれる。
四人で歩けば、自分では気づかなかった場所で、誰かが足を止める。
どちらにも、それぞれ違う楽しさがあるのだろう。
帰り道、こよみは来たときより少しだけ前を歩いていた。けれど、ときどき三人を振り返り、全員がついてきていることを確かめるように微笑んでいる。
つむぎは歩きながらノートを開き、今日の日付の下に一行を書き加えた。
古い場所は、四人で歩くと違って見える。
ノートから顔を上げると、海峡を渡る橋が、午後の光を受けて白く輝いていた。
星時研究部が見つけられる時間は、明石の町の中だけにあるわけではないらしい。




