第二十一話 東経135度の町で、わたしたちは何を見ているのか
発表テーマが決まってからの部室は、これまでとは違う、前向きな空気に包まれていた。期末テストが終わってからは、授業も四時間目までだったため、午後の早い時間から発表準備に取りかかることができた。
机の上には印刷した写真やグラフが広がり、壁際には発表用のパネルが立てかけられている。プリンターの動く音と、紙を切るはさみの音が、途切れることなく部屋に響いていた。
「じゃあ、構成を確認しましょう」
秋月先生が、ホワイトボードに四人で話し合って決めた発表の流れを書き出した。
導入:東経百三十五度と、明石という町について。
かなめ:星と太陽の時間。
こよみ:町と地図に残る時間。
あかり:喫茶店と暮らしの時間。
つむぎ:観測ノートと、四人が見つけた時間。
結び:わたしたちが、この一学期で見つけたもの
「こうして見ると、ちゃんと、ひとつの流れになってますね」
こよみが、感心したように言った。
「うん、それぞれの担当を活かしながら、全体として『時間』というテーマでまとまってる」
かなめが頷く。
「よし、じゃあ、それぞれの発表原稿、詰めていこう」
あかりが気合を入れるように両手を打ち合わせた。
まず取りかかったのは、かなめの担当パートだった。これまでの経験を踏まえて、かなめは、専門用語を控えめにしながら、けれど核心は外さない説明を組み立てていった。
「星を見るのは、過去を見るのと同じ、っていう話から始めようと思う」
かなめはホワイトボードに、簡単な図を描きながら説明した。
「星の光が、地球に届くまでには、時間がかかる。だから、わたしたちが夜空に見ている星の光は、実は何年も、何十年も前に、その星を出発した光。今この瞬間の星の姿じゃなくて、過去の星の姿を見ているっていうこと」
「それ、天文科学館で聞いたときも、すごく面白いと思いました」
つむぎが頷く。
「うん。それから、太陽の南中と、恒星の南中の違い。時計の正午と、太陽の正午が違うこと。これは、あかりの店で気づいたことにもつながる」
「うちの店の話、ここでつなげるんや」
あかりが嬉しそうに言った。
「うん。天文の話が、いきなり喫茶店の話に飛ぶんじゃなくて、『太陽の動き』っていう共通点でつなげられると思う」
かなめの説明は、以前よりずっと聞きやすくなっていた。難しい専門用語を並べるのではなく、みんなが実際に体験したことを引用しながら、順序立てて話を進めていく。
「うまくなりましたね、説明」
こよみが、素直な感想を口にした。
「まだまだ。姉さんほどじゃないけど……でも、前よりは、伝わる話し方ができてる気がする」
かなめの表情には、以前のような焦りではなく、確かな手応えが見て取れた。
練習の合間、あかりがふと思いついたように言った。
「なあ、発表のとき、緊張して噛んだらどうしよ」
「噛んだら、噛んだで、味わい深いと思います」
こよみが、大真面目にそう言った。
「フォローになってる? それ」
「なってないかもしれません」
「素直か!」
あかりが思わず突っ込むと、かなめがこらえきれずに小さく笑った。
「本番前に、緊張ほぐす練習、しといたほうがいいかもね」
かなめが提案した。
「練習って、どうやんの?」
「わたしも、よく知らないけど……深呼吸とか?」
「じゃあ、みんなで深呼吸、練習してみよ」
あかりの提案で、四人は一斉に、大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。
「せーの」
「すー……はー……」
真剣な顔で息を合わせているうちに、なぜだか妙におかしくなってきて、こよみが最初にぷっと吹き出した。
「深呼吸で、こんな真剣な顔する必要、あります?」
「あるやろ、緊張ほぐす練習やねんから」
「顔、ほぐれてないですよ、みなさん」
その指摘に、四人はまた顔を見合わせて笑ってしまった。緊張の練習をしているはずが、いつの間にか、ただの笑いの練習になっている。
続いて、こよみとあかりのパートを確認した。
こよみは新旧の地図を並べ、道や海岸線の変化が一目でわかる見せ方を考えた。あかりは、カフェの床のラインが実際の経線からずれていることも、隠さず原稿に盛り込んだ。
そして最後に、つむぎのパートを詰めることになった。
「わたしは、観測ノートと、みんなが見つけた時間について、話そうと思います」
つむぎは、これまでの活動を通して書き溜めてきたノートを開いた。何ヶ月分もの記録が、細かい文字でびっしりと書き込まれている。
「星の時間、地層の時間、町の時間、喫茶店で気づいた時間――それぞれ違うスケールの時間を、四人で見つけてきました。そして、その締めくくりとして、部室の時計のずれについても、触れたいと思っています」
「あれ、どこまで発表に入れる?」
あかりが心配そうに尋ねる。
「チックのことまで、話すん?」
この点については、四人の間でも、少し意見が分かれていた。
「チックさんの存在は、うまく説明できないので、そのまま発表するのは難しいと思います」
こよみが慎重に言うと、机の下からチックが顔を出した。
「わたし、秘密」
「本人が協力してくれるなら助かるけどな」
「話さない……たぶん」
「その『たぶん』が、一番不安やねん」
あかりは苦笑いを浮かべる。
「でも」
つむぎが考えながら言った。
「部室の壁時計が、日によって不規則にずれるという事実そのものは、観測データとして、ちゃんと発表できると思います。原因については、はっきりしたことは言えないけれど、『説明のつかない現象も、記録する価値がある』という結び方にできないでしょうか」
「それは、いい落としどころかもしれない」
かなめが頷いた。
「チックの存在をそのまま話すんじゃなくて、『時計のずれという、まだ解明できていない現象がある』という事実だけを伝える」
「うん」
つむぎが続けた。
「そして、それを、『時間には、まだわたしたちが知らないことがたくさんある』という、発表全体の結びにつなげたいと思っています」
その方向性に、四人は納得し合った。
こうして、四人はそれぞれのパートを、繰り返し練習していった。放課後、カフェ・メリディアンでリハーサルをすることも増えた。
☆
七月十八日、発表会前日の放課後。
「もう一回、通しでやってみようや」
あかりの提案で、四人は店の隅のテーブルを借り、最後の通し練習を始めた。
「まず、導入から」
つむぎが、原稿を見ながら話し始める。
「明石では、時間まで少しだけ特別に見えます。この町には、東経百三十五度の線が通っていて、日本の時間の基準になっています。わたしたち星時研究部は、この一学期、この町で、様々な『時間』を観測してきました」
「次、わたしのパート」
かなめが続き、星と太陽の話を、以前より格段にわかりやすく話していく。あかりとこよみが聞きながら、時折頷く様子を見て、かなめの表情も、少しずつ和らいでいった。
その様子を、灯子さんがカウンターの奥から優しい目で見守っていた。
「みんな、本当にいい発表になりそうね」
「まだ、途中ですけど……」
あかりが、少し照れくさそうに言う。
「じゅうぶんよ。あなたたちの、この一学期間の頑張りが、ちゃんと形になってる」
リハーサルの後、四人は、店まで様子を見に来ていたすばると秋月先生にも、発表を見てもらうことになった。
「うん、いい流れだと思う」
すばるが感心したように言った。
「導入の図をもう少し大きくすると、後ろの人にも伝わりやすいと思う」
「姉さんに、そう言ってもらえると、嬉しい」
かなめの返事には、以前のような硬さが少しずつ薄れていくのが感じられた。
「あかりさんのお店の話も、正直に正確さのことまで話すのは、勇気がいったと思うわ」
秋月先生が言った。
「うん、最初は、ちょっと怖かったです。でも、隠すより、ちゃんと話したほうがいいと思って」
「その姿勢、とても大事よ」
こよみのパートについては、すばるが少し提案をくれた。
「地図の話、写真だけじゃなくて、実際の地図の画像をもう少し大きく見せると、聞いてる人にも伝わりやすいと思う」
「ありがとうございます、参考にします」
最後に、つむぎのパートを聞いたあと、秋月先生が少し驚いたような表情を浮かべた。
「大久保さんの導入、よくまとまっているわ。これなら本番も大丈夫そうね」
「え、そうですか?」
「最初のころは、自分の意見を言うのも遠慮がちだった。でも今は、全体をまとめる役割を、ちゃんと果たせてる」
その言葉に、つむぎは少し照れくさそうに、けれど確かな喜びを感じながら微笑んだ。
「みんなが、それぞれ好きなことに真剣に取り組んでいたから、わたしも、それをちゃんと伝えたいと思えたんだと思います」
リハーサルが一通り終わった後、四人は店の窓際の席に座り、少し疲れた様子で、けれど満足げな表情を浮かべていた。
「あとは、本番だけやな」
あかりが、伸びをしながら言った。
「緊張、してきました」
こよみが、珍しく少し不安そうな顔をする。
「大丈夫」
かなめが、意外にも力強く言った。
「わたしたち、ちゃんと準備してきた。あとは、それを自分たちの言葉で伝えるだけ」
その言葉に、つむぎはゆっくりと頷いた。
帰り道、灯子さんが四人にこっそり小さな紙袋を手渡した。
「これ、本番の日の朝、みんなで食べて」
中を覗くと、小さなクッキーが四枚、それぞれ星の形にかたどられている。
「お母さん、ありがとう!」
あかりが目を輝かせる。
「験担ぎ、って言うと大げさだけど……いい発表になりますように」
灯子さんのさりげない気遣いに、四人はそれぞれじんわりと温かい気持ちになった。
☆
夕方、発表用の資料を置きに部室へ戻ると、チックがいつになく落ち着かない様子で、部屋の中をうろうろしていた。
「チック、どうしたの?」
つむぎが尋ねると、チックは耳をせわしなく動かしながら言った。
「発表の日、近い……大きいほつれ、育ってる」
「やっぱり、来るんですね」
こよみが、緊張した面持ちで言った。
「柏木たちの発表が止まったのも、校内研究発表会の日……同じ流れ、来てる」
チックのその言葉に、四人の間に改めて緊張が走った。
「わたしたち、絶対、最後まで、ちゃんと発表を成功させます」
つむぎが冷静に、けれどはっきりとした声で言った。
「うん」
あかりが頷く。
「柏木先輩たちの分まで、っていうのは、大げさかもしれんけど……うちら、絶対に、ちゃんとやりきろうな」
チックは、しばらく黙って四人を見つめていたが、やがて、小さく頷いた。
「みんな、ちゃんと、準備してる……たぶん、大丈夫」
その言葉には、確信というより、願いのようなものが込められているように、つむぎには感じられた。




