第二話 星時研究部は、何を研究する部ですか?
次の日の放課後。まだ誰も正式な入部届を出していないのに、昨日と同じ四人が部室に揃っていた。
「じゃあ活動内容を、詳しく説明しておくわね。天体観測、地学・気象観測、明石やその近辺の郷土史と地図の調査、日本標準時子午線に関する研究、科学実験。それから文化祭や発表会での展示制作。これが表向きの活動内容よ」
「表向き、ってことは?」
かなめが眼鏡の位置を直しながら聞いた。
「実際は、放課後に部室や近くの喫茶店でお茶をしたり、天文科学館へ行ったり、海辺で石を拾ったり、古地図を眺めたりする、わりとゆるい部活。活動日は一応、火曜と金曜になっているけど、それ以外の日も、来たい人が自由に活動して構わないわ。もちろん、最後には研究の形にしてもらうけど」
「めっちゃゆるい。うち、そういうのの方が向いてるかも」
あかりが笑った。
こよみは棚の古地図を大事そうに手に取りながら、こくりと頷いた。
「地学と地歴と天文と科学……一見ばらばらに見えますけど、この町で見ると、案外つながっているのかもしれません」
「そうね。明石には日本標準時子午線が通っている。天文も地質も気象も地図も歴史も、見方を変えれば、全部この土地の『時間』と関係してくるわ」
秋月先生はホワイトボードの下に、大きく一つの言葉を書いた。
研究テーマ。
「一学期末の発表会までに、あなたたち四人で一つのテーマを決めてもらいます」
廃部を免れるための発表会。
昨日聞いた言葉を思い出し、つむぎは手元のノートに「研究テーマ」と書き込んだ。
「でもその前に、あなたたちが何に興味を持っているのか教えてもらわないとね。部活の方向性を決める参考にしたいから」
秋月先生は四人を順番に見た。
最初に口を開いたのは、かなめだった。
「わたしは天文。星や太陽の動きに興味がある。天文科学館には、小さいころからよく、姉に連れて行かれていたので」
淡々とした口調だったけれど、ほんの一瞬、声のトーンが変わった気がした。
次にこよみが、地図を胸に抱えるようにして言った。
「私は古地図と町の歴史です。明石城や旧街道、魚の棚商店街――町の名前や道の形には昔の記憶が残っていると思うんです。地図は町が昔書いた日記みたいなものですから」
その表現に、あかりが「うちの店の床の線みたいな話?」と反応した。
「うちの家、カフェ・メリディアンって喫茶店やねんけど、店の床に東経百三十五度のラインが引いてあるんよ。子午線の上にある店、みたいな。毎日そのラインを見て育ったから、ぶっちゃけ、ただの床の模様くらいに思っとってん。でも、部活紹介に『天文・地学・地歴・科学、なんでもあり』って書いてあるのを見て、うちの店のことも何か調べられるんかなって。それで、この部活おもしろそうやなと思って、軽い気持ちで来てみたんやけど」
「軽い気持ちでも構わないわ。興味を持ったきっかけがあるなら、それでじゅうぶんよ」
秋月先生が言った。
最後に、みんなの視線がつむぎに集まった。
「わたしは……」
言葉に詰まる。かなめには天文への興味という具体的な理由がある。こよみには古地図という、はっきりした好きなものがある。あかりには家が喫茶店という、部活と直接つながる場所がある。
わたしには、何がある?
頭の中で、必死に何かを探した。得意なこと、好きなこと、自分だけの理由――そう思って探してみても、出てくるのは「なんとなく好き」なものばかりで、胸を張って言えるようなものが、ひとつも見つからない。
「えっと……空とか時計とか、地図を見るのは好きです。あと『なんでこうなるんだろう?』って思ったことをメモする癖があって……でもそれが研究になるのかは、正直、わからないです」
自分で言いながら、頼りない答えだと思った。中学時代のあの「なんとなく」の自分が、また顔を出しているみたいで。
けれど秋月先生は意外にも、うんうんと頷いた。
「それ、大事な素質よ」
「え?」
「研究の始まりって、たいてい『なんでだろう?』から始まるの。専門知識は後からついてくる。むしろ何にでも疑問を持てる人が、部活には一人必要なのよ」
先生はホワイトボードに「観察係」と書き足した。
「大久保さんには観察係をお願いしようかしら。星や地層や地図の細かい違いに気づいたり、みんなが見落としそうな疑問を拾い上げたりする役目」
「わたしが……観察係」
自分の役割が決まるというのは、少し不思議な感覚だった。中学のときの美術部では、最後まで「何係」でもなかったのに。役割というのは、こんなにあっさりと決まってしまうものなのかと、少し拍子抜けするくらいだった。
「もちろん係名なんて後付けだから、気楽にね。大事なのは四人それぞれが、自分の目で何かを見つけること」
秋月先生は、ホワイトボードに並んだ言葉を見渡した。
天文。古地図。子午線の喫茶店。そして、観察。
「あなたたちなら、面白い部にできそうね」
そのとき、床で眠っていたチックが、むくりと頭を持ち上げた。
「観察、だいじ。見てないもの、記録できない」
寝起きの声で、意外とまともなことを言うので、四人で顔を見合わせて少し笑ってしまった。
「あんた、寝てたんちゃうの?」
あかりが呆れたように突っ込む。
「寝てた。でも、聞いてた」
「その理屈、通用するん、それ?」
チックは答える代わりに、大きなあくびをひとつして、また丸くなった。都合の悪い質問には、寝たふりで応戦する。この生き物には、すでにそういう処世術が備わっているらしかった。
「――というわけで」
秋月先生はパン、と手を叩いた。
「今日のところは、これで解散。次からは実際に活動してみましょう。何をするかは追い追い決めていけばいいわ」
「先生、ちなみに、この子、ご飯とか何をあげたらいいんですか?」
あかりが尋ねると、秋月先生は少し考え込むように腕を組んだ。
「さあ……歴代の部員の話だと、お菓子を置いておくと、いつの間にかなくなってるらしいわよ」
「え、それだけ?」
「それだけ。生態、よくわかってないの。生物の先生に相談したら、『あれは生物の範疇じゃない気がする』って言われたわ」
「範疇の外に置かれてる生き物、初めて聞いたんですけど……」
つむぎが思わず呟くと、あかりが噴き出した。
「先生の口から『生態、よくわかってない』って聞くと、なんか逆に安心するな」
「安心する要素、あります?」
こよみが、不思議そうに首をかしげる。
「いや、なんか、うちらだけが困ってるわけやないんやなって」
その理屈がわかるようなわからないような、微妙な空気のまま、四人は小さく笑い合った。
秋月先生が部屋を出ていったあと、四人だけが残された部室で、あかりが伸びをしながら言った。
「なんか、いきなり重たい話やったけど、うち、ちょっとおもしろそうって思ってもうた」
「私も。廃部の危機っていうのは少し寂しいですけど、逆に言えば、四人で何かを一から作れるということでもありますし」
こよみが微笑む。
「べつに、深い意味はないけど」
かなめが眼鏡を押し上げながら少しだけ早口で言った。
「天文の研究テーマなら、いくつか案がある。今度まとめて持ってくる」
その言い方が、なんだか照れ隠しのように聞こえて、つむぎは思わず口元がゆるんだ。
「かなめさん、案があるなら、今言ってくれてもいいのに」
つむぎが言うと、かなめは小さく首を振った。
「まだ、整理できてないから……次までに、ちゃんとまとめてくる」
「その律儀さ、なんか、かなめさんらしいですね」
こよみがそう言うと、かなめは何も答えず、少し赤くなった顔を隠すようにリュックの中身を整理し始めた。
「わかりやすいなあ」
あかりは小声で呟く。
「じゃあ、わたしは……」
つむぎは自分のノートを開き、今日聞いた言葉を見返す。「観察係」「なんでだろうから始まる研究」「東経百三十五度」――まだ何ひとつ形にはなっていないけれど、白紙のページに初めて自分から書き込みたいことがある気がした。
「わたしはみんなが見つけたことを、ちゃんとノートに残していきます」
小さな声だったけれど、今日はじめて、自分から言えた言葉だった。
「つむぎん、頼りにしとるで」
あかりはそう言って笑う。
窓の外では、夕方の光が旧校舎の廊下を橙色に染めている。天球儀の星座線が、その光を受けてかすかに輪郭を浮かび上がらせていた。埃っぽい部屋の空気の中に、橙色の光の粒が、ゆっくりと漂っているように見える。
廃部まで、最短であと一学期。
それでも、つむぎたちの星時研究部は、確かにその日、動き出したのだった。




