第十四話 夏至に近づくほど、影は短くなる
校庭で影の観測を始めてから、二週間が過ぎていた。
雨や曇りで撮影できない日もあったが、晴れた日の記録は着実に増えている。つむぎが作った折れ線グラフにも、夏至が近づくにつれて、南中時の影が短くなっていく傾向が現れていた。
「今日の影は、これくらいですね」
あかりが、影の先端に印をつけながら言う。
「観測を始めた頃より、ずいぶん短くなってます」
つむぎが、メジャーの数字をノートに書き写した。
「理論値とも、ほぼ一致してる」
かなめが電卓を片手に確認する。
「三週間分を並べると、変化がはっきり分かりますね」
こよみは、記録されたグラフを見ながら頷いた。
「このままなら、夏至の日に一番短くなるはずですよね」
「そのはず」
かなめが頷いた。
「地球の自転軸が傾いているせいで、太陽の南中高度は季節によって変わる。夏至は、北半球が一番太陽の方を向いてる時期だから、南中高度が最大になる」
つむぎは、その説明を聞きながら、自分でノートに図を描いてみた。地球の断面図と、太陽の光が差し込む角度。傾いた地軸のせいで、季節ごとに光の当たり方が変わる様子を、拙いながらも自分の言葉で書き添えていく。
「観測、毎日欠かさず続けるのって、地味に大変ですね」
あかりがぼやきながらも、雨の日以外は欠かさず、校庭に足を運んだ。
「うちのお店でも、正午プリンのために、毎日同じ時間に仕込みしてるから、なんか似てるかも」
「観測を続けることと、お菓子作りを続けることは、似てるかもしれません」
こよみが微笑む。
「どちらも、地道な積み重ねが、大事な結果につながります」
そんな中、あかりは新しいアイデアを思いついた。
「なあ、この観測終わったら、お祝いに新メニュー出すのはどうやろ。『影なしソーダ』ってやつ」
「影なし?」
「影なし言うても、本当になくなるわけやないけどな。名前の勢いや。夏至の日は、影が一番短くなるやろ。せやから、氷の形も、影っぽい細長いのじゃなくて、丸くて、影が短く見えるような形にしてみようかなって」
その発想に、つむぎは思わず笑ってしまった。
「あかりさんらしい発想ですね」
「うち、難しい理屈は苦手やけど、こういうのを考えるのは得意やねん!」
あかりは胸を張って、さっそく試作のアイデアをノートに書き込み始めた。
毎日の観測には、思いがけない副産物もあった。校庭で棒を立てる係になった秋月先生がある日、少し疲れた顔で戻ってきた。
「先生、どうしたんですか?」
つむぎが尋ねる。
「今日、体育の先生に、なんで理科教師が校庭で棒立てて何やってるんですかって聞かれて、説明するのに十分もかかったわ」
「なんて説明したんですか」
「『天文観測です』って言ったら、逆に『天文って、地面じゃなくて、空を見るものじゃないんですか』って、真顔で聞き返された」
「それ、正論すぎませんか」
あかりが吹き出す。
「地面の影を見て、空の太陽の動きを調べてるんです、って説明したら、今度は感心されすぎて、しばらく話し込んじゃったのよ」
「先生、営業活動もしてくれてるんですね」
こよみが微笑む。
「宣伝は大事よ、部活も」
秋月先生のそんな苦労話に、部室は思わぬ笑いに包まれた。
こうして観測は続き、日を追うごとに、影の長さのグラフは着実に短くなっていった。
「明日は、朝と夕方の影も測ってみませんか。正午の影だけじゃなくて、一日の中での変化も見てみたいです」
つむぎが提案すると、かなめが頷いた。
「いいアイデアだと思う」
「じゃあ、朝は誰が担当します?」
つむぎが、みんなの顔を見渡しながら聞く。
「朝、うちは、正直、起きられる自信ない……」
あかりが真っ先に脱落を申告する。
「私が行きます。朝は早く起きていますので」
こよみが手を挙げた。
いつの間にか、つむぎは部活の中で自然と観測計画を仕切る立場になっていた。それは、誰かに指示されたからではなく、自分自身が「こうしたら、もっと面白いことがわかるんじゃないか」と思ったことを、素直に口にできるようになったからだった。
しかし、夏至が近づいたある日、記録にある違和感が生じた。
「あれ……」
つむぎが、その日の記録を見ながら、首をかしげた。
「どうしたの?」
かなめが覗き込む。
「今日の影の長さ、理論値と、ちょっと合わないんです」
かなめが電卓で計算し直しても、実測値とのずれは、これまでの誤差の範囲を超えていた。数センチどころか、十センチ近くも短い。
「測り間違い、じゃないよね」
「メジャーの位置も、棒の垂直も、いつも通り確認しました」
つむぎは、自分のメモを見返しながら言った。
「でも、今日だけ、明らかに影が短すぎます」
「太陽高度が急に変わるなんて、あり得ない」
かなめが眉を寄せる。
「地球の自転軸の傾きが、一日でそんなに変わるはずがない」
その様子を見ていたこよみが、ふと、観測用の棒の方を見た。
「チックさん、さっきから、ずっとあの棒のあたりを気にしてましたよね」
言われてみれば、観測用の棒の近くで、チックがそわそわと落ち着かない様子で歩き回っていた。
「チック、何か気づいてる?」
あかりが尋ねると、チックは棒の根元に鼻を近づけ、くんくんと嗅いでから言った。
「ここ、ちょっと時間がよれてる」
四人は、はっと顔を見合わせた。
「時間がよれてる、って……前に言ってた、『時のほつれ』のこと?」
つむぎが尋ねる。
「たぶん、そう……小さいの、ここにある」
「じゃあ、今日の記録がおかしかったのは、この『時のほつれ』のせいってこと?」
かなめが、慎重に確認するように聞いた。
「わからない……でも、関係、あるかも」
チックの答えは、いつも通り、はっきりしないものだった。けれど、つむぎの中には、ある考えが浮かんでいた。
「もしかしたら」
つむぎは、ゆっくりと言葉を選びながら言った。
「部室の時計がずれていたことと、この影の観測がおかしくなったこと、どちらも、同じ『時のほつれ』が原因なのかもしれません」
「つまり」
こよみが続ける。
「私たちが積み重ねてきた観測データの中に、この『時のほつれ』の影響が、少しずつ現れているということですか」
「まだ確証はないけど」
かなめが、慎重に言葉を選んだ。
「でも、この記録のおかしさは、単なる測定ミスとは思えない。ちゃんと理由がありそうな気がする」
その日の記録は、そのまま「異常値」として、詳しい状況と一緒にノートに書き留められた。棒の位置、天候、時刻、そしてチックの様子――すべてを、できる限り正確に記録する。
「先輩たちが残した未完成のノートにも、こういう『おかしな記録』があったんでしょうか」
つむぎが、ふと思いついたように言った。
「あるかもしれません」
こよみが、少し緊張した面持ちで言う。
「未完成のまま終わっていた最後のページも、もしかしたら、こういう『時のほつれ』が関係していたのかもしれません」
部屋の中に、少しの緊張が漂った。けれど、それは決して不安なだけの緊張ではなかった。むしろ、少しずつ、これまでの謎がつながっていくような、確かな手応えを感じさせるものだった。
「とにかく」
秋月先生が、様子を見にきて言った。
「異常なデータも、ちゃんとした観測記録よ。むしろ、こういう『説明のつかないもの』こそ、丁寧に記録しておくべきね」
「はい」
つむぎは、力強く頷いた。
その日の帰り道、あかりがつむぎにぽつりと言った。
「つむぎ、なんか最近、変わったな」
「え、そうですか?」
「最初のころは、みんなについていくだけって感じやったけど、今は、自分から色々提案するようになったし」
つむぎは、少し照れくさそうに笑った。
「自分でも、驚いてます。前は、こんなふうに、自分から意見を言うの、すごく苦手だったので」
「部活のおかげかな」
「そうかもしれません」
つむぎは、空を見上げながら言った。
「みんなが、それぞれ好きなことに一生懸命だから、わたしも、自分にできることを見つけたい、って自然に思えたのかもしれません」
「つむぎん、成長したなあ」
あかりが、しみじみとした口調で、けれどどこか茶化すような目で言う。
「その呼び方、まだ慣れないんですけど……」
「え、もう二ヶ月くらい呼んでるのに?」
「二ヶ月経っても、慣れないものは慣れないです」
つむぎの生真面目な返しに、あかりは楽しそうに声を上げて笑った。
夕暮れの校庭では、観測用の棒が長い影を落としていた。二人はそのそばを通り過ぎ、並んで校門へ向かった。
誰もいなくなった部室では、壁時計が今日も正確な時刻より少しだけ遅れて、静かに時を刻み続けていた。




