第十二話 六月十日、時のまちはいつもよりにぎやかになる
六月十日、土曜日の朝。
待ち合わせ場所に着いたつむぎは、いつもの週末より、町に人が多いことに気づいた。
親子連れや、カメラを提げた人たちが同じ方向へ歩いていく。その先に見えるのは、明石の町を見下ろすように立つ天文科学館の時計塔だった。
「今日は、時の記念日ですから」
こよみが、少し誇らしそうに言った。
「日本で初めて時を知らせる鐘が鳴らされたと伝えられている日にちなんです。それを記念して、六月十日が時の記念日になりました」
「始まった。こよみの郷土史解説」
あかりが笑う。
「郷土史というより、日本史です」
「どっちでもええけど、今日は一日ずっと説明してそうやな」
「まだ、天文科学館が六月十日に開館した理由についても――」
「それは中で聞こか。記念証、なくなったら困るし」
あかりに背中を押され、こよみは少しだけ不満そうな顔をしながらも歩き出した。
入口には、「六月十日 時の記念日」と書かれた看板が立っていた。
館内に入ると、受付の前には短い列ができていた。小さな子どもが記念証を受け取り、嬉しそうに両手で掲げている。
「本日ご来館の記念です」
順番が来ると、受付の人が一人に一枚ずつ細長い紙を手渡してくれた。
上には、「子午線通過記念証」と印刷されている。その横には、星形の帽子をかぶり、胸に「135」と書かれた時計を抱えた、小さなキャラクターが描かれていた。
「かわいい!」
あかりが真っ先に声を上げた。
「この子、なんかチックに似てへん?」
「似てないと思う」
かなめが即座に否定する。
「チックは、もっと丸い。それに、こんなに働き者みたいな顔をしてない」
「本人が聞いたら怒りそうやな」
「たぶん、寝たまま聞いてない」
チックは人の多い場所へ連れていくわけにいかず、今日は部室で留守番をしている。今ごろは壁時計の下で、いつものように丸くなって眠っているはずだった。
つむぎは、記念証の端に小さく書かれた文字を見つけた。
「キャラクターデザイン、星岡すばる……」
「あ、本当です」
こよみも文字を覗き込む。
三人の視線が、一斉にかなめへ向いた。
「かなめのお姉さん、こういう絵も描くんや」
「館内の子ども向け資料に、たまに絵を描いてる。今回の記念証に使われるとは聞いてたけど」
かなめは平静を装っていたが、記念証を持つ指には、どこか大切そうな力がこもっていた。
「このキャラクター、シ〇センジャーより人気出るかもしれへんなあ」
「姉さんの方が、シ〇センジャーより好きっていう子もいるみたい」
その会話が聞こえたのか、近くにいたシ〇センジャーが、ゆっくりと二人の方を振り返った。
「あかん。聞こえとったみたいや」
あかりが小声で言うと、かなめは記念証を手にしたまま、そっと視線をそらした。
そんなとき。
「あ、かなめ」
聞き慣れた声がして、制服姿のすばるがロビーの奥から歩いてきた。胸元には天文科学館の職員証が下がっている。
「みんなも来てくれたのね。記念証、受け取れた?」
「はい。すばるさんが描いたんですね」
つむぎが見せると、すばるは少し照れたように笑った。
「時間や子午線って、難しそうに感じる子もいるでしょう? だから、最初に親しみを持ってもらえるような絵にしたかったの」
「この胸の百三十五は、東経百三十五度ですね」
こよみが尋ねる。
「正解。星形の帽子は、天文科学館だから。時計を抱えているのは、この町が日本標準時子午線の通る町だからよ」
すばるの説明は、短くて分かりやすかった。
近くで聞いていた小さな男の子が、自分の記念証を指さした。
「この子、時計を守ってるの?」
「そうね。町のみんなが同じ時間で暮らせるように、見守っているのかもしれないわね」
「じゃあ、ぼくの時計も?」
「もちろん」
男の子は嬉しそうに記念証を胸に抱え、母親のところへ駆けていった。
その後ろ姿を、かなめは黙って見送っていた。
「姉さんは、ああいう説明が上手だから」
小さな声だった。
「難しいことを、相手に合わせて、簡単な言葉にできる」
「かなめもできるんちゃう?」
「私は、知ってることを最初から全部話そうとしてしまうから。たぶん、途中で逃げられる」
「それは、少し分かります」
こよみが真剣な顔で頷いた。
「似た者同士やな」
あかりの突っ込みに、すばるはふふっと微笑んだ。
「今日は特別な解説もあるから、ゆっくり見ていってね。かなめも、あとで感想を聞かせて」
「うん」
すばるは仕事へ戻っていった。
かなめはもう一度、記念証のキャラクターを見つめる。それから紙が折れないよう、持ってきた透明なファイルへ丁寧に収めた。
四人は館内を巡り、子午線や日本標準時についての展示を見た。
普段から知っているつもりだったことも、時の記念日に見ると、少し違って感じられた。
館内には、昔の時計や天文観測の道具が展示されている。どれも形や仕組みは違っているが、人が時間を知ろうとして作ったものだった。
「昔の人は、時計がないころ、太陽や星の位置から時刻を知ったんですよ」
展示ケースの前で、こよみが説明する。
「時計が広まってからも、町の人全員が正確な時刻を知るまでには、長い時間がかかりました。学校や役所、鉄道などで同じ時間を使う必要が生まれて――」
そこで、こよみの言葉が止まった。
「どうしたん?」
「いえ。続きを全部話すと、次の展示を見られなくなりそうなので」
「こよみが、自分で説明を止めた」
かなめが珍しそうに言う。
「私だって、時間の配分くらいは考えます」
「時の記念日だけに?」
「そういう意味ではありません」
少し頬をふくらませたこよみを見て、三人は笑った。
プラネタリウムの投影を見終えて外へ出ると、太陽はずいぶん高くなっていた。
町の時計が正午を示そうとしている。
時計塔の文字盤、駅前の時計、誰かの腕時計。形の違う時計が、同じ時刻へ向かって針を進めている。
「町じゅうが同じ時間を見てるって、考えたら不思議ですね」
つむぎが言った。
「いつもは、時計が合ってるのが当たり前だと思ってたけど」
「でも、本当は、その当たり前を作るために、ずっと昔から、いろんな人が時間を測ってきたんですよね」
こよみは、受け取った記念証を鞄から少しだけ取り出した。
「この一枚も、その歴史の続きなのかもしれません」
「難しい話もええけど、そろそろお腹すかへん?」
あかりが自分のお腹を押さえる。
「今日は、うちの店でも限定メニュー出してるで」
「限定メニュー?」
「時の記念日だけの特別メニュー。お母さんが朝からめっちゃ張り切って作ってた」
その言葉に誘われ、四人はカフェ・メリディアンへ向かった。
☆
店の扉を開けると、いつもより少し多い客の話し声と、焼き菓子の甘い香りが迎えてくれた。
近所の常連客に混じって、天文科学館のパンフレットを持った家族連れの姿もある。
「あら、いらっしゃい」
カウンターの向こうから、灯子さんが笑顔を向けた。
「記念証、もらえた?」
「ちゃんともらってきたで。すばるさんの絵、かわいかった」
「あら、今年はすばるちゃんが描いたのね。あとで見せて」
あかりは慣れた様子で空いているテーブルを片づけると、三人を席へ案内した。
「今日は手伝わなくていいんですか?」
つむぎが尋ねる。
「あとで忙しくなったら手伝うけど、今は友達と食べてきてええって。せやから、今日はうちもお客さん」
テーブルには、時の記念日限定と書かれた小さなメニュー表が置かれていた。
透明なソーダの中に丸いゼリーを浮かべた「時の雫ゼリーソーダ」。
二色の氷菓子を重ねた「砂時計のグラニテ」。
振り子をかたどったチョコレートが載った「十二時の振り子ケーキ」。
「どれも気になります」
こよみが、メニューを真剣に見比べる。
「この砂時計のグラニテは、上と下で味が違うのでしょうか。それとも、時間が経って溶けることで――」
「今日は歴史やなくて、食べ物の研究が始まったな」
「これも星時研究部の活動です」
「今、絶対に後付けしたやろ」
四人は相談し、時の雫ゼリーソーダと砂時計のグラニテを二つずつ注文することにした。
しばらくして、灯子さんがトレイを運んできた。
ゼリーソーダは、淡い水色をしていた。グラスの中には透明な球体のゼリーがいくつも浮かび、炭酸の泡に押されて、ゆっくり上下している。
「きれい……」
つむぎは思わず顔を近づけた。
「水時計の雫をイメージしてるの」
灯子さんが説明する。
「少しずつ落ちる水で時間を測った昔の時計。それと、時間が形を変えながら流れていく様子ね」
砂時計のグラニテは、細長いグラスの中で、琥珀色と淡い青色の二層に分かれていた。
時間が経つにつれて、境目が少しずつ溶け、二つの色が混ざっていく。
「写真撮るなら、今のうちやで」
あかりがスマートフォンを取り出す。
「溶けたら、同じ形には戻らへんから」
その言葉を聞いて、つむぎはグラスを見つめた。
「でも、溶ける前の形は、写真に残せますね」
「味の感想も残せます」
こよみが小さな手帳を取り出す。
「まず、上の青い部分は、さっぱりした柑橘系で――」
「食べながら書くん?」
「あとで忘れたら困りますから」
「忘れてもええんちゃう? おいしかった、で」
あかりが笑いながら、グラニテをひと口食べた。
こよみは少し考え、自分の手帳を閉じた。
「では、感想は食べ終わってから書きます」
「今日は、よう我慢できてるな」
「せっかく四人で来たので、書くことだけに夢中になるのは、もったいないと思ったんです」
こよみはそう言って、もうひと口グラニテを食べた。
「……おいしいです」
歴史の説明でも、詳しい分析でもない、短い感想だった。
けれど、その表情は今日一番、楽しそうに見えた。
ソーダの中では、丸いゼリーが炭酸の泡をまとい、浮かんでは沈んでいる。
グラニテの二つの色も、少しずつ境目をなくしていた。
同じ形には戻らない。けれど、形が変わっていく様子を、四人は同じテーブルで眺めている。
つむぎは鞄からノートを取り出し、今日の日付を書いた。
六月十日。
天文科学館に入った時刻。記念証を受け取ったこと。すばるが描いたキャラクター。プラネタリウムで見た星空。そして、カフェで四人が選んだ限定メニュー。
「つむぎも、結局書くんやな」
「うん。でも、今のうちに少しだけ」
かなめは記念証の入ったファイルを机の上に置き、自分のノートに、すばるの説明を聞いた男の子が笑っていたことを小さく書き添えた。
こよみは、時の記念日の由来を書いたあと、最後に「四人で限定メニューを食べた」と記した。
あかりは店の記録用ノートを持ってきて、限定メニューを注文した人数と、三人の感想を書き込んだ。
「同じ一日のことやのに、みんな書いてること、全然ちゃうな」
四冊のノートを見比べ、あかりが言った。
「見ていたものが、それぞれ違いますから」
かなめが答える。
「でも、四つを並べると、今日一日のことが、かなり詳しく分かりますね」
こよみの言葉に、つむぎは頷いた。
同じ場所にいて、同じ時間を過ごしても、残すものは少しずつ違う。
だからこそ、四人分を重ねれば、一人では気づかなかったことまで残せるのかもしれない。
つむぎはノートの最後に、もう一行だけ書き加えた。
――六月十日、四人で同じ時間を過ごした。
時の記念日の明石は、いつもより少しだけにぎやかだった。
そして四人の手元には、その日の時間が、それぞれ違う形で残されていた。




