第十一話 海辺で拾った石は、昔の時間を持っている
六月に入ってすぐの放課後。
「今月は、夏至がありますね」
部室で、こよみがカレンダーを指差しながら言った。六月の後半には、こよみの几帳面な字で、小さく「夏至」と書き込まれている。
「夏至って、一年で一番、昼が長い日ですよね」
つむぎが確認するように言う。
「そうです。北半球では、太陽の南中高度が一年で最も高くなるころでもあります」
その言葉を聞いて、つむぎの頭に、ふと一つの考えが浮かんだ。
「あの……校庭に棒を立てて、影の長さを測ってみるのは、どうでしょうか」
三人の視線が、一斉につむぎへ集まった。
「影の長さ?」
あかりが首をかしげる。
「はい。毎日、南中時刻の影を記録していけば、夏至が近づくにつれて短くなる様子を、目に見える形にできると思うんです」
「面白い」
最初に反応したのは、かなめだった。
「明石の緯度から太陽の南中高度を計算して、実際に測った値と比べることもできる。きちんと続ければ、発表に使える観測記録になると思う」
「日時計と同じように、影から太陽の動きを調べるんですね」
こよみも興味深そうに頷く。
「なんか、ちゃんと天文部らしい活動になってきたな」
あかりの言葉に、つむぎは少し照れながら笑った。
こうして翌日から、晴れた日の南中時刻に、校庭で影の長さを測ることになった。
☆
その週末、四人は別の時間を調べるため、前にも歩いた屏風ケ浦海岸近くを訪れた。
潮の匂いと波の音が、いつもの旧校舎の静けさとはまったく違う空気を運んできた。砂浜の向こうには、明石海峡大橋が霞んで見える。強い日差しが波の表面をきらきらと乱反射させていて、目を細めないと、まっすぐ見ていられないほどだった。
「この前も海沿いを歩いたけど、今日はまた違って見えるなあ」
あかりは海を眺めながら言った。
そのすぐ横で、かなめはリュックから小さなハンマーとルーペを取り出した。
「そのハンマー、なんかテンション上がるやつやん。なんかこう、鉱物ハンター、みたいな」
「これは石を割るための、わりと地味な道具」
「地味な言い方するから、余計かっこよく見えるんやって」
かなめはあかりの謎の理論に、微妙な顔で肩をすくめた。
「先に言っておくけど、振り回さないで」
「まだ触ってもないやん」
「触りたそうだったから」
「行動する前から注意されるん、納得いかへんわ」
あかりはそう言いながら波打ち際に近づき、しゃがみ込んだ。
「見て見て、この石、めっちゃかわいい形しとる」
拾い上げたのは、丸みを帯びた灰色の石だった。表面が滑らかで、日差しを受けてつやつやと光っている。
「かわいい、で終わらせるのはもったいないよ」
かなめが、あかりの手の中の石を覗き込んだ。
「この丸さは、長い間、波や砂に削られ続けた証拠。角がある石は、まだ削られてから日が浅い。丸い石は、それだけ長く、海の中で時間を過ごしてきたっていうこと」
「え、この石にも、時間が刻まれてるってこと?」
「そう。地質学的な時間っていうのは、そういう形の変化として残るの」
あかりは、拾った石をしげしげと見つめ直した。
「じゃあ、うちの手も、丸くなってきてるんかな。毎日、生地こねたりお皿洗ったりで、こう、角がとれてきてる的な」
「それは単に、手が荒れてるだけだと思う」
「ロマンのかけらもない返し方するやん!」
あかりが抗議するのに、こよみが小さく笑いを堪えながら言った。
「でも、手にも、生活の積み重ねという意味では、ある種の時間は刻まれているかもしれません」
「こよみ、フォロー、うまいなあ」
あかりが、こよみの隣に並んで、少し嬉しそうな顔をした。
こよみは、少し離れた崖のあたりに歩いていき、地層の縞模様を指差した。
「あそこ、見てください。層になっているのがわかりますか」
四人は崖から少し距離を取り、露出した断面を見上げた。そこには、色の違う土や岩の層が、まるでミルフィーユのように積み重なっているのが見えた。
「この層、一枚一枚が、違う時代に積もった土や砂なんです」
こよみが説明する。
「一番下の層が一番古くて、上に行くほど新しい。地層を読むことで、その土地が、昔どんな環境だったのかがわかります」
「昔って、どれくらい昔?」
あかりが尋ねる。
「場所にもよりますけど、この辺りの地層だと、数十万年から、もっと古いものまであると言われています」
「数十万年!?」
あかりが、声を裏返しながら層を見つめた。人間の一生からすると、途方もない時間の長さだった。
「うちの店、大正時代から続いとるって、おじいちゃんが自慢げに言うとったけど……数十万年に比べたら、なんか一瞬の出来事みたいやな」
「大正時代だって、じゅうぶんすごい歴史だと思いますけど」
つむぎが慌ててフォローする。
「うん、そこは自信持っていいと思う」
かなめも頷いた。
「星の時間も、そのくらい長いスケールで動いてるよね」
かなめが、崖を見上げながら言った。
「光年っていう単位は、光が一年かけて進む距離のことだけど、遠い星ほど、わたしたちが今見ている光は、実はもっと昔に出発した光ってこと。星を見るのは、ある意味、過去を見るのと同じ」
「地層も、似てるかもしれません」
こよみが頷く。
「今見ている地層の表面は、今この瞬間の姿だけど、その中身は、何万年も前の記憶を閉じ込めています」
つむぎは、崖の縞模様と遠い星の光を重ねて考えた。どちらも、はるかな過去を今へ残している。
しばらく四人で貝殻や小石を集めながら歩いていると、砂の上に、いつの間にかチックがちょこんと座っていた。
「あれ、チック、いつのまに」
「潮の匂い、追いかけてきた」
チックはそう言うと、砂浜をふんふんと嗅ぎ回り、やがて一つの石の前で足を止めた。丸くて少し黒っぽい、他の石よりもずしりと重そうな石だった。
「これ、食べられない」
「え?」
「食べられない、時間」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。
「食べられない時間って、どういうこと? 部室の時計のずれは、『時のほつれ』だって言ってたよね。それは、食べられるものなの?」
かなめが尋ねる。
チックは、少し考えるように耳をぴこぴこと動かした。
「小さいほつれ、食べられる……この石の時間、大きすぎる。食べられない」
「つまり」
こよみが、慎重に言葉を選びながら言った。
「チックさんが食べられるのは、時計が少しずれるような、小さな時間のほつれだけ。でも、この石が持っている、何万年分もの時間は、大きすぎて食べられない、ということですか?」
「たぶん、そう」
チックは、その石にすり寄るようにして鼻先をくっつけた。
「重い……古い。おいしくない」
「食べ物として見てるんかい」
あかりが思わず突っ込むと、チックは心外そうに耳を動かした。
「時のほつれ、食べ物じゃない……でも、味は、ある」
「じゃあ、この石、味見だけでもしてみたら? まずくても、記録として貴重かもしれんし」
あかりが、悪ふざけ半分でそう言うと、チックは真剣な顔つきで石に鼻を近づけ、ぺろりと舐める仕草をした。次の瞬間、露骨に嫌そうな顔をする。
「まずい……石、まずい」
「今、絶対食べたやろ!」
「舐めた。食べてない」
「その違い、細かすぎるわ!」
あかりが大声で突っ込むと、こよみとかなめも、こらえきれずに笑ってしまった。チックにとって時間には「味」のようなものがあるらしい。小さなほつれは食べられて、大きな時間の積み重ねは食べられない。そのルールの境界線が、少しずつ見えてきているようで、まだはっきりとはわからない。
「食べられる時間と、食べられない時間……」
つむぎは、ノートにその言葉を書き留めながら、なんとなく考えた。もしかしたら、部室の壁時計のずれも、この海辺の石が持つ悠久の時間も、根っこのところではつながっている何かなのかもしれない。ただ、スケールが違うだけで。
「星の時間、石の時間、人の時間――それに、チックが食べる、小さな時間のほつれ」
つむぎは、ノートに簡単な図を描いてみた。それぞれの時間の長さを、線の長さで表してみる。星の時間の線は途方もなく長く、地層の時間の線もそれに次いで長い。人間の一生の時間の線は、その隣にずっと短く引かれる。そして、チックが食べる「時のほつれ」は、その中でもさらにさらに小さな、点のような存在として描かれた。
「こうやって並べてみると、面白いですね」
こよみが、つむぎのノートを覗き込みながら言った。
「私たちが普段気にしている一分や一秒は、地層や星の時間から見れば、本当に小さな点でしかないのに、私たちにとっては、とても大きな意味を持っています」
「うん、小さいからって、意味がないわけじゃない、ってことですよね」
つむぎは頷いた。
「そうだね」
かなめも同意した。
海風が、四人の髪をなびかせる。波の音が、規則正しく、けれど一つとして同じではないリズムで砂浜に打ち寄せていた。
あかりは、拾った石をもう一度ポケットから取り出し、日差しに透かすように眺めた。
「この石、発表のとき、持っていってもええかな。何万年分の時間が詰まってるって思うと、なんか、特別な気がする」
「いいと思う」
かなめが頷いた。
「星の写真、地層の記録、古地図、それからこの石――全部、違うスケールの時間の証拠として、並べて見せられたら、面白い発表になりそう」
「なんか、少しずつ、まとまってきた気がしますね」
こよみがそう言って微笑んだ。
チックは疲れたのか、あかりの足元でまた丸くなって眠り始めていた。「食べられない時間」の石のそばで、小さな寝息を立てるその姿は、どこか満足げにも見えた。
帰り際、あかりがふと、砂浜に残された自分たちの足跡を振り返った。
「なあ、この足跡も、明日には波で消えてしまうんやろな」
「たぶん、そうですね」
こよみが頷く。
「それも、なんか、儚くていいなって思う。今日、うちらがここにおったっていう証拠が、ちゃんと残らんくても」
「残らなくても、私たちが覚えていれば、それでいい気がします」
こよみの言葉に、あかりは少し照れくさそうに笑った。
夕暮れ時、四人は帰り支度をしながら、それぞれ拾った石や貝殻を大事そうに鞄にしまった。海の向こうに沈んでいく夕日が、明石海峡の水面を橙色にゆっくりと染めていく。




