第十話 博物館の展示は、海辺へ続いている(前編)
五月最後の土曜日。
午前九時半、四人は明石の文化博物館の前に集まった。明石駅の北側にある高台まで歩いてくると、朝から少し汗ばむほどだった。
「ここに来るの、小学校の社会見学以来です」
つむぎが建物を見上げながら言う。
「うちも。アカシゾウ見て、でっかいなあって思ったことしか覚えてへん」
「あれは、今のゾウと比べれば小型なんだけど」
かなめが訂正すると、あかりが不満そうに振り返った。
「小学生から見たら、じゅうぶんでっかかったんやって」
「わたしも、来たのは小学生のとき以来」
かなめも続けた。三人の視線が、最後にこよみへ集まる。
「私は先月も来ました」
「先月?」
あかりが目を丸くする。
「こよみ、年間観覧券とか持ってそうやな」
「持っています。プレミアムで」
「ほんまに持っとるん? しかもプレミアム?」
「高校生以上は有料になりますから、四月一日に買いました」
冗談のつもりだったあかりは、二度目に目を丸くした。
「先月は、企画展示が替わったので来ました。常設展示も、見るたびに気づくことがありますから」
こよみは当然のように答え、入口へ向かった。その足取りには、三人を自分の好きな場所へ案内できることへの、かすかな弾みが感じられた。
常設展示室に入ると、最初に四人を迎えたのは、二頭のアカシゾウの骨格だった。長く伸びた牙と大きな骨組みが、照明を受けて白く浮かび上がっている。
「やっぱり、今見てもでっかいなあ」
あかりが小声で言う。
「肩の高さは、大きな個体でも二メートルくらいだったそうです」
こよみは展示の解説を確かめながら続けた。
「明石から江井ヶ島にかけての海岸では、昔、崖の地層から化石がよく見つかったんです」
「久しぶりに見ると、こんなゾウが本当に明石にいたんだなって、前より実感が湧きます」
つむぎは、骨格の足元に描かれた昔の風景を見つめた。現在の町並みとは似ても似つかない、水辺と森林の広がる景色だった。
「今の明石だけ見てたら、想像できへんなあ」
「町ができるよりも、ずっと前の時間だから」
かなめは骨格を見上げたまま答えた。
隣には、『明石原人』と呼ばれた人骨についての展示があった。腰骨の複製とともに、発見された経緯や、その後の研究について紹介されている。
「原人ってことは、ものすごく昔の人なんですよね」
つむぎが尋ねると、こよみはすぐには頷かなかった。
「最初は、北京原人に匹敵するほど古い人の骨ではないかと考えられました。でも、本当に原人の骨だったのか、現在もはっきり決着しているわけではありません」
「本物の骨を調べ直せば、わかるんじゃないんですか?」
つむぎが尋ねた。
「それが、元の骨は失われていて、残っているのは複製なんです」
かなめが説明を引き継いだ。
「だから、見つかった地層や当時の記録、複製の形をもとに研究するしかない。証拠が一つ欠けるだけで、答えを確かめるのはすごく難しくなる」
「記録を残すことって、大事なんですね」
つむぎは、腰骨の複製をもう一度見つめた。
「はい。何が見つかったかだけではなく、どこで、どんな状態で見つかったか。それも大切な記録です」
こよみの声には、いつも以上に力がこもっていた。
展示を一通り見終えたところで、あかりが館内の案内図を開いた。
「この腰骨が見つかった場所って、今も残ってるん?」
「記念の表示があります。アカシゾウの化石発掘地も、近くにありますよ」
「ほな、実際に行ってみいひん?」
あかりの提案に、こよみの表情が明るくなった。
「行きましょう。展示を見たあとなら、現地で確かめられることもあると思います」
四人は明石駅へ戻り、JRで大久保駅へ向かった。
電車を降りて改札を抜けると、あかりが駅名標を振り返った。
「つむぎんの苗字と同じやな」
「大久保という苗字は、そんなに珍しくないと思います。わたしの出身中学にも、同じ苗字の人がいましたし」
「魚住や明石や朝霧も、地名と名字の両方に使われていますね」
こよみが言った。
「ただ、同じ名前だからといって、地名と名字の由来が必ず同じとは限りません。調べてみると、それぞれ違う歴史があるんです」
「星の名前も似てる」
かなめが駅名標を見ながら、話に加わった。
「プレアデス星団は、日本では昔から『すばる』と呼ばれてきた。同じ天体でも、呼び方には、それぞれの土地や文化の歴史が残ってる」
「ほな、すばるさんの名前も、そこから?」
「うん。プレアデス星団の和名から取ったって聞いてる」
「駅名の話から、かなめのお姉さんまでつながったな」
あかりが感心すると、こよみの声が少し弾んだ。
「名前だけでも、調べられることはたくさんあるんです。地名も星の名前も、身近に残っている歴史の記録ですから」
四人が昼食を取るために入ったのは、駅の南側にある大型ショッピングセンターだった。休日の館内は家族連れや学生などで賑わい、どこからか明るい音楽が聞こえてくる。
「先にお昼にしようや。うち、骨ばっかり見てたら、お腹空いてきた」
「骨を見て空腹になる感覚は、よく分かりません」
こよみが真面目に返す。
「そこ、深く考えんでええから」
フードコートでそれぞれ昼食を選び、四人は窓際の席を確保した。
食べ終わるころ、近くのイベント広場からドラムの音が響き始めた。
「演奏会みたいですね」
つむぎが身を乗り出す。
広場には簡単なステージが設けられ、制服姿の高校生たちが楽器を準備していた。横断幕には、市内でも人気の県立高校の名前と、「軽音楽部ミニライブ」の文字がある。
かなめは、ステージを見たまま動きを止めた。
「あの高校……」
「知り合いでもおるん?」
あかりが尋ねる。
「ううん。わたし、あの高校の自然科学科に行きたかったんだ」
かなめの言葉に、三人は少し驚いた。
「姉さんも、あそこを出てる。天文科学館で働くなら、自分も同じ道を通るんだって、ずっと思ってた。でも、わたしには成績が届かなかった」
かなめは淡々と話していたが、その横顔には、まだ割り切れていないものが残っているように見えた。
「あそこは、同じ学区の中学から、学年トップレベルの子が行くところやって、うちの中学の先生も言うとったわ」
あかりは励ますでも否定するでもなく、知っていることをそのまま口にした。
「かなめさんでも届かないくらい、難しいところなんですね」
つむぎが言うと、かなめは小さく頷いた。
「合格できなかったことより、姉さんと同じところへ行けなかったことの方が、悔しかったのかもしれない」
ステージでは演奏が始まっていた。軽快なギターの音に合わせ、集まった買い物客が手拍子を送っている。
「でも」
かなめが、三人の方を見た。
「今は、今の高校でよかったと思ってる。星時研究部に入れたし、姉さんと同じ道じゃなくても、自分で星を調べられるって分かったから」
「かなめさんが別の高校へ行っていたら、こうして四人で活動することもなかったんですよね」
こよみが穏やかに言う。
「それは困ります」
つむぎが思わず口にすると、かなめは少しだけ目を見開いたあと、柔らかく笑った。
「わたしも、今はそう思う」
「ほな、結果的には、うちらの高校がかなめを獲得したってことやな」
「獲得って、部活の勧誘みたいに言わないで」
あかりの言い方に、張り詰めかけていた空気がほどけた。
演奏を最後まで聞いたあと、四人は館内の店を見て回った。雑貨店では星座柄の文房具を眺め、ゲームセンターでは四人で協力する音楽ゲームに挑戦した。
かなめが画面の指示を正確に追い続ける一方、あかりは勢いよく押しすぎて何度もタイミングを外した。
「かなめ、こういうのまで得意なん?」
「動く位置と順番が決まってるから、観測と似てる」
「ほな、うちの判定がずれとるのも、時のほつれのせい?」
「単なる押し遅れ」
「原因、即断されたわ……」
「音ゲーを観測扱いする人も、時のほつれを言い訳にする人も、初めて見ました」
つむぎが言うと、あかりは何も反論できなかった。
音楽ゲームを終えてクレーンゲームの並ぶ一角を通りかかったとき、あかりが急に足を止めた。
「見て。あれ、なんかチックに似てへん?」
ガラスケースの中には、丸々としたカモノハシのぬいぐるみが並んでいた。灰色がかった体に、平たいくちばしと短い手足。チックとはまったく違う生き物のはずなのに、どこか気の抜けた表情だけはよく似ている。
「似てるでしょうか……」
つむぎが首をかしげる。
「丸いところは、少し似ているかもしれません」
こよみは真剣に見比べていた。
「分類上は、まったく違うけど」
かなめが冷静に付け加える。
「そういう細かい話やなくて。雰囲気、雰囲気」
あかりはガラス越しに、ぬいぐるみの顔を覗き込んだ。
「なあ、これ、チックのお友達に取ってあげへん? うちらが部室におらんとき、一匹やと寂しいかもしれんし」
「チックさんが寂しがるかは分かりませんが、話し相手がいるのはよいことだと思います」
「ぬいぐるみとは話せないと思う」
「でも、チックなら勝手に話しかけるかもしれません」
つむぎが言うと、かなめは少し考えてから、小さく頷いた。
「それは、ありそう」
四人は交代でクレーンゲームに挑戦した。かなめがぬいぐるみの重心を見極め、こよみが百円玉を用意し、つむぎが横から位置を確認する。最後にあかりがボタンを押すと、カモノハシはアームに押され、ころりと取り出し口へ落ちた。
「取れた!」
あかりはぬいぐるみを抱き上げ、三人へ得意げに見せた。
「名前、どうする?」
「カモノハシさんではいけませんか」
「そのまますぎるやろ。チックの友達やから……トックでええんちゃう?」
「チックとトック……」
つむぎが二つの名前を並べてみる。
「ずいぶん適当に決めましたね」
「名前は呼んどったら、そのうち馴染むねん」




