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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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夜明け前の扉

しばらく不定期更新で進みます。

夕暮れの王都が橙に溶けていた。


 城壁の稜線に影が伸び、街路灯に灯りが入り始めていた。石畳の上を馬車が滑り、人波の中に混じった。市場の締まりかけた露店が幌を畳み、荷車が路地へ引かれていく。日が落ちる前の、あの気忙しい時間帯だった。


 シリルの腰の魔道具が短く鳴った。


 確認した表情が変わった。その変わり方で、レティシアには中身がだいたい判った。良い知らせではなかった。


「ラインホルトが局長室に入りました」


 想定通りだった。だが早かった。施設から報告が上がって、二時間と経っていなかった。


「自分では処理しきれないと判断した」


「それとも、もともと二人で動いていたか」


 シリルが少し間を置いた。


「両方かもしれません」


 車輪が石畳の継ぎ目を越えた。揺れが来た。外が暗くなりかけていた。


 レティシアはシートの革を掌で押した。固かった。長時間の移動で、背中が凝っていた。第三補助施設の冷たい廊下が、まだ足の裏に残っていた。アルヴィンの背中が、三年ぶりに力を抜いた感触が、テーブルを通じてまだ指先に残っていた。


 あの感触を無駄にしてはいけなかった。



 王立魔法捜査局の外郭に、捜査記録保管棟が建っていた。


 現役の局員でも立ち入りに申請が必要な建物だった。シリルは既に申請書を出していた。承認が下りたのは、王都の市門をくぐった直後だった。廊下に入ると、壁に魔力の灯りが嵌まっていた。中性的な白い光が石壁に当たり、奥まで均等に照らしていた。


 シリルが先を歩いた。迷いなく歩いた。この廊下を何百回も通ってきた歩き方だった。


 格子の扉を開けた。記録棚が並んでいた。高さが三メートル近くあった。革と紙の匂いがした。


「三年前の発注記録は」


「この区画ではなく、別棟の一階です。複写申請は既に出してある。明朝、アルヴィンの控えと突合できるようになります」


 シリルが棚の前で立ち止まり、薄い束を引き抜いた。綴り紐で留められていた。


「補助施設への異動命令記録です。ベルナルド・クレイスの移送決定が、春の末に入っている。その直前の一週間に、ラインホルトの管理部門で複数の内部書類開示申請が集中している」


 レティシアは束を受け取った。


 ただの紙だった。だが三年前の記録だった。


「三年間、ここにあった」


「誰も照会しなかった」


 照会しようとした人間がいなかったのではなかった。照会できる立場の人間が、知らなかったか、触れなかったか、触れることができなかったかだった。アルヴィンもベルナルドも、知っていた。三年間、言う場所がなかっただけだった。



 王都の鐘が九つ鳴った。


 シリルの執務室の机に書類が積まれていた。部屋の奥の窓は暗く、街灯の光だけが石畳を照らしていた。


 レティシアは壁際の椅子に座っていた。背もたれが硬かった。シリルが書き続けていた。手が止まらなかった。


 一時間ほど経った頃、魔道具が鳴った。


「保管棟の警戒記録です。先ほど不審な接触がありました。棟内には入っていません。外回りを確認した痕跡があります」


「ラインホルトの側が動いた」


「特定はこれからです。ただ記録に残った」


 窓の外の暗い街並みを、レティシアは見つめた。


 ラインホルトは今夜、局長に何を話しているのか。アルヴィンとベルナルドが喋った。証拠確保命令が出た。レティシア・グレイという名前が動いている。そのことを局長はどう受け取るか。


 ルーファス・グレイを西塔に呼んだ人間だった。直接呼んだと、ベルナルドが言った。三年前の夜に局長がルーファスに会い、その翌日にルーファスは死んだ。


「局長の名前が出ることは、局長も知っているはずですよね」


「ベルナルドの証言で名前が出た。立会人が記録した。今頃は届いているでしょう」


「局長が動くとしたら」


 シリルが手を止めた。


「追い詰められた人間は大きく二つに分かれます。全てを認めて交渉するか、あくまで押し通すか」


「局長は」


「押し通す側だと思います」


 その言い方に、個人的な判断が混じっていた。捜査官としての見立てではなく、この人間を知っている者の見立てだった。


「局長を知っているんですか」


「父が局員でした。私が入局した頃、局長はまだ副局長でした」


 シリルが再び手を動かした。


「三年前に父が退職しました。理由は病気でした。ただ退職の直前に、局内で何かがあったと、本人は言いませんでしたが、気配は分かった」


 それ以上言わなかった。


 レティシアはその余白を埋めようとしなかった。


 シリルの手が書き続けていた。申立書の文字が増えていた。三年前の記録が、今夜の言葉に変わっていた。



 日付が変わった頃、魔道具が再び鳴った。


 シリルが確認し、表情が変わった。変わり方が昼間の比ではなかった。


「局長から返信が来ました」


「面会を拒否されましたか」


「逆です」


 シリルが書類を手に立ち上がった。


「明朝六時に面会を受け入れると。場所は局長室ではなく、第一会議室です」


 第一会議室だった。記録係を置いて複数の立会人を招集できる場所だった。私的な場所ではなく、公的な場所を指定した。


「逃げるのではなく、迎え撃つ気だということですか」


「そうも読める。あるいは、自分が先に公的な場を作ることで、こちらの手を縛ろうとしている」


 どちらにせよ、局長は動いた。


 指定された時刻まで、六時間もなかった。


「私に何か手伝えることがありますか」


「あります」


 シリルが振り返った。


「ラインホルトが今夜、局長に何を話したか。明朝の面会で局長がどこから崩れるか。それを読むことができますか」


 読むためには接触が必要だった。テーブルを通じて触れなければならなかった。ただの同席では拾えない部分もある。局長が目の前にいて、手や体を通じて感触が届けば、読めるかもしれなかった。


「試みます」


 確約ではなかった。異能は確約できるものではなかった。


「それで十分です」


 シリルが机に戻った。



 夜が深くなった。どこかで夜の鳥が鳴き、止んだ。


 レティシアは椅子の背に凭れたまま、天井を見ていた。


 ルーファス・グレイが最後に渡そうとした台帳の写しを、ベルナルドは受け取れなかった。見張りがいた。受け取れないまま、ルーファスは西塔へ行った。局長に呼ばれていたから、と言って行った。翌日、ルーファスは密室の中に倒れていた。


 遅延封鎖のパーツを使えば、術者は部屋を出た後で封鎖が始められる。ラインホルトの管理分にそのパーツがあった。局長が呼び出して、ラインホルトが実行した。そう考えると全て繋がった。


 繋がることと、証明することは別の話だった。


 アルヴィンが三年間隠し続けた控えが、今夜も施設の食器棚の裏で眠っていた。明朝に回収される。その後で突合される。そして第一会議室に持ち込まれる。



 夜明け前の空が灰色に変わった頃、シリルが申立書の束を揃えた。


「完成しました」


 声が静かだった。徹夜の声だった。疲れを気配にも出さない人間が、それでも静かになっていた。


「局長は本当に、全てを知っていたんでしょうか」


「三年前からは確実に知っていた。黒檻台帳に載っている名前が誰のものかも、知っている可能性がある」


「知っていて、ルーファスを呼んだ」


「あるいは、ルーファスが知りすぎていると判断して、処理したかった」


 処理、という言葉が石壁に当たって消えた。


 封筒を封じた。申立書の重さがあった。紙と記録の重さが、三年分の重さが、その厚みに詰まっていた。


「行きましょう」



 第一会議室へ続く廊下の先に、人が立っていた。


 制服ではなかった。私服だった。左腕に黒い腕章をつけていた。腕章には印があった。黒印だった。黒檻台帳と同じ形の印だった。


 二人だった。どちらも若かった。表情がなかった。


 シリルの足が止まった。


 レティシアも止まった。


「ハートウェル捜査官」


 一人が言った。


「局長からのご伝言です。本日の面会は取り消されました。以後の接触は、上位機関を通じて行ってください」


「取り消し通知を書面で」


「口頭での通達です」


「それは手続きとして通らない」


「局長のご判断です」


 男たちが動かなかった。扉の前から退かなかった。


 テーブルもなく、接触もなかった。ただ廊下の空気が変わっていた。


 黒印の腕章を付けた人間が、王立魔法捜査局の廊下に立っていた。


 局の内部に、黒檻の人間がいた。三年前からいたのかもしれなかった。あるいは今夜初めて呼び込まれたのかもしれなかった。どちらにせよ、局長はもう一人で動いていなかった。


 封筒を持つシリルの手が動かなかった。


 レティシアは二人の男の顔を見た。若かった。自分より若いかもしれなかった。表情がなかったが、表情をなくしている、という感触があった。


 黒い腕章が廊下の灯りに照らされていた。


 扉が閉まったままだった。


 夜明けの光が、廊下の突き当たりの窓から少しずつ入り始めていた。

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