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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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48/50

封じた声と、三年分の記憶

しばらく不定期更新で進みます。

椅子に座ったまま男が動かなかった。


 部屋の隅に職員が立っていた。腕を組んでいなかった。ただ立っていた。だがここで交わされる全ての言葉が、後で別の誰かの耳に届く。その確信があった。


 アルヴィン・ケロウの両手が膝の上にあった。乾いた皮膚をしていた。爪が短かった。三年間、ここで何かを続けてきた人間の手だった。


「座ってください」


 シリルが椅子を引いた。テーブルを挟んで向かいに座った。


 レティシアは椅子に座った。テーブルの表面に手を置いた。木の感触が来た。古い木だった。無数の接触が重なっていた。その中にアルヴィンの接触があった。三年分、毎日。


 水を求めた感触。書き物をした感触。何かを待ち続けた感触。


「健康状態を確認させてください」


 シリルが書類を広げた。照会申請書の写しだった。公式の手順だった。立会人に聞かせるための言葉だった。


「問題ない」


 アルヴィンの声は低かった。使っていなかった声帯の音がした。


「睡眠は」


「とれている」


 答えは正確だったが、内側に別の層があった。言葉では出てこない部分があった。


 レティシアはテーブルに置いた手を動かさなかった。木を通じてアルヴィンの接触の記憶が来続けた。


 三年前の手が重なった。最初の頃は違った。怒りがあった。扉を叩いた記憶があった。声を上げた記憶があった。誰も来なかった。扉の外で足音がした。止まった。離れた。繰り返した。それがある時点から消えた。静かになることを選んだのではなかった。静かにするしかなかった。


「黒檻台帳を知っていますか」


 アルヴィンが声を落とした。届いたかどうか分からない音量だった。


「知っています」


 レティシアが答えた。


 男の目が変わった。変わったが、体は動かなかった。


「あの台帳の黒印は、封鎖魔法の使用認可の記録じゃない。本来は資金の動きを追う台帳の認証印だ。私が捜査した案件は封鎖魔法の応用品の横流しだった。民間に流れたのは完成品じゃなかった。パーツだった。組み合わせれば、小型の封鎖空間が作れる。部屋一室を封鎖できる程度の。携帯できる大きさのもの」


 立会人の手がわずかに動いた。止まった。


「報告書に製造元まで書いた。製造元は局の正規業者だった。業者が不正に流したのではなかった。局の名前で発注されたものだった。最終承認のところに、副局長の名前があった」


「副局長というのは」


「ラインホルト。当時から副局長だった」


 テーブルの下でシリルの手が動いた。書類の端を折った。


「報告書を提出した。一週間後に戻ってきた書類に、私の筆跡に似せた署名があった。内容が変わっていた。製造元の名前が消えていた。注文書への言及が消えていた。副局長の名前が消えていた。代わりに業者の担当者の名前だけが残っていた」


「差し替えに気づいた」


「気づいた。本物を持っていた。差し替えられる前に控えを取っていた。ベルナルドがもう一部持っていた」


 立会人が前に出た。


「その発言は証拠の提出を示唆するものです。正式な手続きを――」


「ここで証拠を出す話はしていません」


 シリルが静かに言った。


「申し立て内容を確認しているだけです。手続きの説明は記録を整えてから行います」


 立会人が引いた。


 アルヴィンの視線がレティシアに来た。何かを確認するような目だった。


「ルーファス・グレイのことを知っていますか」


「あの夜、ルーファス・グレイは西塔に呼ばれました。あなたが持っていた控えのことで」


 テーブルを通じて感触が来た。古い衝撃だった。最初に受けた時はもっと大きかったはずのものが、三年間の時間の中で表面が硬くなっていた。


「知らなかった。ルーファス・グレイが西塔に呼ばれたことは。私はここに送られた。ベルナルドも。記録は消された。その後に何が起きたか、ここには入ってこない」


「ルーファス・グレイは死にました」


 アルヴィンの目が閉じた。長い間、閉じていた。


 開いた時、目の表面が変わっていた。


「控えを、ルーファス・グレイは持っていたんですか」


「持っていたと思われます」


「そのために」


 言葉が途切れた。続かなかった。続ける必要がなかった。


 テーブルを通じてくる感触の中に、別の層があった。罪悪感だった。直接の罪ではなかった。だが連鎖の最初にいたという感触だった。報告書を書いた。差し替えられた。控えを持ち続けた。控えが何かを呼び寄せた。その何かがルーファス・グレイを西塔に運んだ。


「あなたのせいではありません」


 アルヴィンが顔を上げた。


「控えは今でも存在しますか」


 シリルが静かに聞いた。


 長い沈黙があった。


「あります。食器棚の裏の板の間に挟んである。ここに入れられた最初の日に隠した。三年間、そこにある」


 テーブルを通じてくる感触が変わった。軽くなっていた。三年間押さえていたものを手放した感触だった。


 シリルが書類に書き込んだ。


「照会に付随する申立書です。証拠の存在と所在の記録を含みます。立会記録への記載もお願いします」


 立会人が硬直した。ここで反対することが、反対行為自体を記録に残すことになる。そのことが分かった。


「……記録します」


 アルヴィンが初めて、椅子の背もたれに背を付けた。三年ぶりに力を抜いた背中の形だった。



 ベルナルド・クレイスの部屋の扉が開いた。


 三十代だった。アルヴィンより若かった。目の下に影があった。視線が安定しなかった。扉が開いた瞬間に後退した。後退してから止まった。


「ハートウェル捜査官です」


 シリルが名乗った。


 男の視線がレティシアに来た。止まった。


「レティシア・グレイ」


「知っているんですか」


「知っています。ルーファス・グレイが話していた」


 椅子が引かれた。座った瞬間、テーブルを通じて感触が来た。


 アルヴィンとは違う層があった。より直接的な記憶があった。あの夜の記憶があった。西塔ではなかった。違う場所だった。ルーファスと最後に会った場所の記憶があった。


 ルーファスが何かを渡した。


 受け取れなかった。


 全部は受け取れなかった。


 その記憶が三年間、ベルナルドの中に残り続けていた。


「あの夜のことを話せますか」


 ベルナルドが手を握った。


「ルーファス・グレイが来ました。アルヴィンが施設に送られる前日の夜。私も翌日に送られることになっていた。ルーファスは台帳の写しを持っていた。封鎖魔法の発注記録だけじゃなかった。もっと古い記録も含まれていた。黒印の系譜が分かる内容だった」


「渡そうとした」


「渡そうとした。でも受け取れなかった。私を見張っていた人間がいた。ルーファスにそれを伝えた。西塔に行くな、と言いました。でもルーファスは行くと言った。呼ばれているから、と」


「誰に呼ばれたか分かりますか」


「分かる。局長だと言われた。局長から直接の呼び出しだった。断れない立場だった」


 立会人が何かを書いた。


 ベルナルドが立会人を見た。見てから、続けた。


「あの台帳のパーツ。私が全部の目録を作った。用途も分かった。小型の封鎖空間を作るためのパーツだった。普通の封鎖魔法は術者が解除しない限り固定される。でもあのパーツで作る空間は違った。時間設定ができた。起動を遅らせることができた。術者がその場を離れてから、設定した時刻に封鎖が始まる仕組みだった」


 シリルの手が止まった。


 ベルナルドが続けた。


「部屋が密室になっていたと聞きました。術者が部屋の中にいないのに、外から封鎖されているのに密室状態だったと。今、分かります。あのパーツを使えばできる。殺してから部屋を出る。出た後に封鎖が始まる。中に誰もいないのに部屋が封じられる。見つかった時、密室になっている」


 部屋の空気が動かなかった。


「そのパーツが、ルーファス・グレイが殺された部屋で使われた」


「確認できませんでした。だが使えた人間は限られていた。目録の写しを持っていた。どのパーツが、誰の管理下に置かれていたかまで書いた。ラインホルト副局長の管理分に、遅延設定のできるパーツがあった」


 テーブルを通じて感触が来た。


 安堵ではなかった。ようやく言えた、という感触だった。三年間、言う場所がなかったものが、今初めて言葉になった感触だった。



 待合室に戻った。


 扉が閉まった。廊下に足音がした。急いでいた。証拠を先に押さえに行く音だった。


「間に合いますか」


「グレゴールに連絡した。証拠確保命令の申請は既に動いています」


 シリルが窓を見た。曇りガラスだった。外の光が入ってきていた。


「密室のトリックが分かりました」


 レティシアが言った。


「遅延封鎖。殺した後に部屋を出て、時間差で封鎖が始まる」


「そのパーツがラインホルトの管理下にあった。ベルナルドの証言がある。アルヴィンの控えが存在する。三年前の発注記録が残っている」


「副局長一人で終わりますか」


 シリルが静かに首を振った。


「局長が直接ルーファスを呼んだ。局長の名前が出た。局長とラインホルトの間に、三年前から何かがあった」


 窓の外で鳥の声がした。森の鳥だった。事件と関係なかった。


「帰り道で連絡が入るはずです。証拠確保命令が通れば、明日には動けます」


「どこへ」


「局長室です」


 管理者が扉を開けた。


「お時間になりました。馬車のご手配を」


 廊下に出た。


 石の床が足音を吸い込んだ。行きと同じ廊下だった。同じ石壁だった。光の量は変わっていなかった。


 だが通り過ぎる扉の向こうが、行きとは違って見えた。七番の部屋の前を通った。扉が閉まっていた。その向こうにアルヴィンがいた。三年間待ち続けていた人間が、今日初めて何かを降ろした。


 入口まで戻った。制服の男が二人立っていた。一人が通信用の魔道具を握っていた。さっきまで握っていなかった。どこかに報告していた。


 砂利の上に出た。森の空気だった。馬車がもとの場所に止まっていた。老いた御者が御者台で待っていた。


 乗り込んだ。扉が閉まった。車輪が動き始めた。


 施設が遠くなった。石造りの建物が木立の間に見えた。見えなくなった。


 街道に出た。揺れが増した。


 シリルの腰の魔道具が短く鳴った。返信だった。


「証拠確保命令、受理されました。明朝、第三補助施設に別の捜査官が入ります」


「食器棚の裏の控えを」


「回収します。台帳の発注記録と突合して、署名偽造の証拠として申請する」


 畑が続いた。農夫が腰を伸ばした。馬車を一度見た。また屈んだ。


 ラインホルトは今夜、何かを知るはずだった。施設から報告が上がる。アルヴィンとベルナルドが喋った。証拠確保命令が動いている。


 それを知って、何をするかが問題だった。


「今夜、ラインホルトは動きますか」


「動くとすれば、証拠を消しに来るか、自分を守るために何かをするか」


「どちらだと思いますか」


 シリルが少し考えた。


「局長に報告すると思います。自分一人では抱えられなくなった。局長を引き込まざるをえない。二人で対処しようとする。それが彼らの最後の行動になる」


 王都の輪郭が遠くに見えた。夕刻に近づいていた。空が橙になっていた。


 三年間、封じ込められていた声が、今日初めて記録になった。


 その記録が今夜、動き始める。

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