表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/50

夜明けの審廷

拙い物語をお読みいただきありがとうございました !

レティシアは一歩前へ踏み出した。


 廊下の石床が冷たかった。夜明けの光が突き当たりの窓から少しずつ入り始めていた。二人の男が扉の前から動かなかった。黒い腕章が壁の灯りに照らされていた。


「名前を教えてもらえますか」


 男たちは答えなかった。


「命令で動いているのは分かっています。それでも聞きたい」


 若い方の男の手が微かに動いた。返答を探すような動きだった。レティシアはその隙に半歩詰めた。指先が腕章の端に触れた。


 一瞬だった。


 読めたのは恐怖ではなかった。命令の感触だった。繰り返し繰り返し反芻された命令だった。命令を渡した人間の顔があった。局長の顔ではなかった。ラインホルトだった。前夜の遅い時刻に、ラインホルトが直接伝えた命令だった。接触させるな、書類を渡すな、ハートウェルを通すな。若者はその言葉を一字一句覚えていた。覚えるほど繰り返していた。不安があった。命令の意味を問えなかった不安が、まだ消えていなかった。


 レティシアは手を離した。


「ありがとう」


 後ろで足音がした。複数だった。


 廊下の奥から捜査官が三人来た。シリルと同じ制服だった。その後ろに事務職と思われる人間が二人いた。六人が廊下に並ぶと、腕章の二人は小さく見えた。


 シリルが書き続けていた夜、書類以外のことも動かしていたのだと、レティシアはそこで気づいた。


「局長に声を掛けてくれますか」


 シリルが言った。後ろから来た捜査官のひとりに向けて言っていた。


「すでに向かっています」



 局長は自分から廊下へ出てきた。


 年配の男だった。礼服に近いものを着ていた。早朝にそれを着てきたということは、今日という日のために準備していた。


 レティシアを最初に見た。シリルではなく、レティシアを。


「グレイ家の令嬢が」


「レティシア・グレイです」


「聞いている」


 男が廊下の中央で止まった。六人の証人と、二人の腕章と、シリルとレティシアの間に立った。老いていても、焦点の合わない目ではなかった。何十年も権力の内側にいた人間の目だった。


「面会は取り消した」


「書面はいただけませんでした」


 シリルが一礼して前へ出た。


「証拠保全命令の申立書です。被尋問者二名の陳述、局内管理記録の照合結果、記録庫からの移動記録を含みます。本状の写しは本朝すでに司法部に提出しています」


 局長は書類を受け取らなかった。目を逸らさなかった。


「ベルナルド・クレイス氏の陳述によれば、ルーファス・グレイ殿を西塔へ呼んだのは局長本人である、とのことです」


「証人一人では立証できない」


「アルヴィン・ケロウ氏の陳述では、黒檻台帳の局側管理権限を、局長が最終的に掌握していたとされています。二名の証言が合致するとき、証言の信憑性は単独とは異なります」


 廊下が静かになった。


 腕章の若者のひとりが、腕章を外した。音なく床に置いた。


 局長はそれを見た。目を細めた。老いた人間が怒りを内側に畳む顔をした。


 レティシアは動いた。


 申立書をシリルが差し出す動作で、紙の端が局長の方へ向いた。レティシアは反対側を持った。局長の指先との距離が消えた。


 触れた。



 映像ではなかった。


 重さだった。三年間の重さだった。決断の重さではなく、決断した後で積み重なった重さだった。悔恨でも恐怖でもなかった。処理済みの何かが、今夜だけ再び重くなっている感触だった。


 ルーファスの顔があった。西塔の夜だった。ルーファスが紙を持っていた。黒い印のついた紙だった。台帳の写しだった。ルーファスは問いかけていた。この名前は何なのかと問いかけていた。


 局長は答えていなかった。答えの代わりに、ルーファスの後ろでラインホルトが動いた。


 それ以上は読めなかった。その夜は深く固く閉じられていた。


 だが、ラインホルトが動いた夜、局長はその場にいた。


「ルーファスが持っていたのは台帳の写しでした」


 レティシアは申立書から手を離した。


 局長の体が僅かに揺れた。揺れているのか、廊下の空気が動いたのか、判別できないくらいの揺れだった。


「写しはルーファスがベルナルドに渡そうとしたが渡せなかった。ルーファスはそれを持ったまま西塔へ向かった。局長に会うために」


 シリルが継いだ。


「ラインホルト副局長は、その夜の西塔への入室記録を持っています。遅延封鎖の部品が局内管理部門の棚卸し記録から欠落しています。移送前の状態で確認された部品数と、移送後の数が合わない。残差分が密室成立に使われた。術者は部屋を出た後で封鎖が始められる仕組みです」


「ラインホルトが勝手にやったことだ」


 局長の声は変わらなかった。


「私はルーファスと話した。それだけだ」


「話した内容を証言いただけますか」


「関係ない」


「ルーファスが翌日密室内で死んだ事実との関係が問われています」


 紙に書き取る音が聞こえた。誰かが記録していた。後ろで立っている証人のひとりだった。


 局長が視線を動かした。


「令嬢」


 レティシアに向かって言った。


「おまえに何が読める」


「事実は読みません。感触だけです」


「感触で何が変わる」


「変わりません。変えるのは記録です」


 長い沈黙があった。廊下の外、窓の向こうで鳥が鳴いた。朝になっていた。


「ラインホルトに命じたのかと問われれば、命じていない。相談したかと問われれば、した。相談した後でラインホルトが何をしたか、私は関知していない」


 自白ではなかった。だが供述だった。


 シリルが申立書を受け取った。


「記録します」



 ラインホルトは午前中に拘束された。


 局の北棟を通じて退庁しようとしたところを、東回廊で捕まえた。黒腕章の二人はそのまま局内に留置された。任意の聴取のためだった。


 第一会議室は正午過ぎに使われた。正式な書類提出と立会人の署名だった。局長が同席した。拒否しなかった。


 証拠保全命令が受理された。黒檻台帳の存在が司法記録に刻まれた。台帳の中の名前は封印指定されたが、調査対象として列挙された。ラインホルトの管理部門に属していた記録が全て凍結された。


 調査は今日が始まりだった。台帳に名が載る人間は局の外にもいた。終わるまでに時間がかかる話だった。だが、始まった。



 部屋の隣の控え室の窓から、街が見えた。


 昼に近い光だった。石畳に人が流れていた。荷車が一台、角を曲がって消えた。


 シリルが入ってきた。


「申立書の受理が確定しました。ラインホルトの勾留は司法部が引き受けます」


「局長は」


「自宅待機です。今日の供述が記録されています。正式な聴取は今後になります」


 窓の外を見たまま、レティシアは言った。


「ルーファスは局長に何かを期待していたんでしょうか」


 シリルが少し考えてから答えた。


「台帳の写しを持って会いに行ったなら、そうかもしれません。局長が動けば台帳の処理が止まると思ったか、あるいは局長を問い詰めようとしたか」


「どちらにせよ、間違いだった」


「結果として」


 ルーファスは密室で死んだ。局長が呼び、ラインホルトが実行した。遅延封鎖の仕組みで鍵が掛かった。三年間、誰もその扉を正面から開けようとしなかった。


「密室の中に、ルーファスが持っていた写しは残っていましたか」


「現場検証の記録に紙の断片があります。焼かれていた。封鎖後に誰かが入ったか、あるいは処理される仕掛けが最初から組み込まれていたか、どちらかです」


「残渣から黒印が確認されれば」


「確認中です」


 長くなる話だった。


「監視札を外してもらえますか」


「今日付けで申請します。承認は明日以降になりますが、外れます」


 手首に触れた。最初の朝に気づいた時の感触を覚えていた。密室の中で、何者かの身体に目が覚めて、最初に気づいたのが監視札の感触だった。


 名前も立場も言葉の意味も分からなかった朝だった。


「事件は終わりましたか」


 問いかけではなかった。確認だった。


「ルーファス・グレイの密室殺人事件は解決しました。犯人はラインホルト副局長です。動機は黒檻台帳の隠蔽です。方法は遅延封鎖による密室偽装です。全て記録に残ります」


 シリルの声は静かだった。感情の起伏のない声だった。だが感情がないわけではなかった。三年前に父が退職した時の話を、昨夜シリルは途中で止めた。止めた余白に、何があったかは読まなかった。読む必要はなかった。


「ありがとうございます」


 シリルが一瞬止まった。


「私は捜査をしただけです」


「それでも」



 夕方、局の外へ出た。


 石畳に夕光が当たっていた。空が橙と紺の間にあった。


 公爵家の馬車がそこにあった。御者が待っていた。ずっとそこで待っていた。


 グレゴールの手紙が来ていた。封を切った。


 丁寧な筆跡だった。言葉は短かった。


 お戻りをお待ちしています、とあった。


 手紙を折り、上着の内側に仕舞った。


 馬車に乗った。


 都の夕方が動いていた。事件を知っている人間が何人いるか、知らない人間が何人いるか、分からなかった。


 知らなくていい話もある。全てが明かされる必要はなかった。ただ、ルーファスの死には理由が付いた。今日、記録に残った。


 石畳の音が続いた。


 監視札が腕にあった。明日には外れる。



 公爵家の門をくぐった時、空は暗くなっていた。


 屋敷の窓に灯りが点いていた。


 扉の前でグレゴールが立っていた。老執事の顔は変わらなかった。ただ立っていた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま」


 声が出た。


 それだけだった。


 扉が開いた。

お読みいただきありがとうございました ! 面白いなと思っていただいた方は評価・ブックマークなどいただけると作者の励みになります !

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ