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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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資料棟の午後

しばらく不定期更新で進みます。

施設の外壁が背後で遠ざかった。風が冷たかった。


 シリルが馬車の御者に短く告げた。扉が開く前に乗り込んだシリルに続いて、中に入った。馬車が動き始めるまで三秒もかからなかった。


「ノルデンが書庫に入ったのはいつですか」


「今朝の八時から、外部監査として申請が出ています」シリルが言った。「外部監査は年に二度、六ヶ月おきです。次の予定は七月でした」


「七月の監査を今日やっている」


「昨日、申請が出ました」


 昨日。アルヴィンとベルナルドの面会が許可された翌朝に、ノルデンが突然の書庫監査を申請した。面会の情報がどこかへ流れた。この施設に、外への報告経路があった。


「今、何時ですか」


「十一時を過ぎたくらいです」


 局の書庫が閉まるのは夕方の五時だった。六時間ある。ノルデンは今朝から三時間、書庫の中にいる。副本がどの棚にあるのか——書庫の構造を知っている人間なら、その半分の時間で見つけられる。


 馬車が揺れた。石畳の上を速く走っていた。御者が道を選んでいた。


「書庫に入るには」


「外部監査の場合、担当職員の立ち会いが必要です。私の局員証で入室申請はできます。監査中の部屋への割り込みになりますが、規定上は可能です」


「割り込みを嫌がる理由がある人間は、嫌がる顔をします」


 シリルが少し間を置いた。


「そうです」


 馬車の窓から外を見た。空は昨日より低かった。雲が重なって、光を均等に薄めていた。街の建物が流れた。角を曲がるたびに視界が変わった。局の資料棟は本棟から少し離れた位置に建っていた。別棟扱いの管理系統を持ち、副局長の権限範囲から外れている——ベルナルドが言っていた通りだった。だから消せなかった。資料棟の書庫だけが、三年間、手付かずのまま立っていた。


「着いたらどう動きますか」


「私が入室申請を出します。あなたは捜査補助員として入れます」


「名目だけですか」


「あなたの能力を使ってほしいからです」


 窓の外に局の本棟の尖塔が見えた。資料棟はその右後ろに建っていた。石の表面が雲光の中でくすんでいた。古い棟だった。本棟よりも古い。独立した管理系統を持つ古い建物が、今日だけは一番重要な場所になっていた。



 資料棟の入口は低かった。石のアーチが重く、鉄製の扉が分厚かった。守衛が一人、扉の内側に立っていた。


 シリルが局員証を出した。守衛が確認した。補助員の同伴申請書に名前が書き込まれた。三分もかからなかった。扉の内側に入ると、石の廊下が奥へ続いていた。照明用の魔道具が天井の要所に並んでいて、外の暗い光より明るかった。


「三階が書庫です」


 石段を上った。手すりが冷たかった。三階の踊り場に出ると、立ち会い職員の女性が待っていた。三十代くらい、髪を後ろで束ねていた。シリルの顔を見て、少し表情が固くなった。


「ハートウェル捜査官。監査の邪魔を——」


「邪魔をするつもりはありません」シリルが言った。「並行調査です。ノルデン監査官がどの区画にいるか、教えてもらえますか」


 女性が逡巡した。一秒か、二秒か。


「奥の参照資料区画です。黒檻管理文書の照合をしているとおっしゃっていました」


 シリルが頷いた。先を歩いた。


 書庫の扉は木製だった。金属の取っ手が冷えていた。押すと音もなく開いた。中は本棟の書庫より狭かった。天井まで棚が並び、棚と棚の間の通路が細かった。窓が高い位置に一つあって、雲越しの光が縦に差していた。


 奥の方で、紙をめくる音がした。


 通路を進んだ。棚の端を曲がったところで、男の背中が見えた。


 年配だった。白髪が多く、背筋が真っ直ぐだった。棚の前にある書見台に書類を広げ、手元の帳面に何かを書き写していた。こちらに気づいていなかった。


 シリルが立ち止まった。


「ノルデン監査官」


 男の手が止まった。振り返った。六十に近い顔だった。皺が多く、目だけが若かった。


「ハートウェル捜査官」ノルデンが言った。声に驚きがなかった。「こちらへは何の用ですか」


「並行調査です」シリルが言った。「ルーファス・グレイ殺害事件に関連する書類の確認が必要になりました。入ります」


 ノルデンが帳面を閉じた。動作が自然だった。自然すぎた。


 書見台の上の書類を見た。黒檻台帳の写しだった。上から三枚目あたりに折り線がついていた。最近折られた跡だった。


「補助承認者欄の照合をしていたのですか」


 ノルデンが静かに見ていた。


「監査の手順です」


「七月の予定を今日に前倒しした理由を聞いてもいいですか」


「内部から調整依頼がありました」


「誰からですか」


 一拍。二拍。


「副局長から、局内の記録精査を急ぐようにと」


「書面で受けましたか」


 答えが来なかった。


 書見台の横に、革の書類鞄が置いてあった。口が半分開いていた。中に紙が入っていた。こちらからは内容が見えなかった。


 そこへ近づいた。手を伸ばした。


「それには触れないでいただきたい」


 ノルデンの声が変わった。低くなった。静かなまま、低くなった。


 手が止まらなかった。鞄の口から紙の端に触れた。


 皮膚の下に何かが流れ込んだ。


 焦りだった。乾いた焦燥が、内側から滲んでくるような感触だった。急いでいる誰かの手が、何度も同じ動作を繰り返した記憶——目的のページを見つけた瞬間の、小さな安堵と、それより大きな追い立てられるような感覚。自分に残された時間が少ない。そこから逆算して動いている人間の、切迫した意識の残滓だった。


 だが、その下に別の層があった。


 もっと古い。もっと静かな感触が、紙の奥から浮いてきた。急いでいなかった。調べていた。確かめながら読み進んだ人間の、緻密な集中だった。そして、見つけた瞬間の重さ——高揚と恐怖が混ざり合って、後戻りのできない何かを掴んでしまった時の震えが、紙の繊維に刻まれていた。


 三ヶ月前。この書類に触れた手があった。


「その書類は」シリルが言った。「任意提出を求めます」


「監査中の書類です。捜査令状を取ってください」


「取れます」シリルが言った。「ただし、その間に書類の内容が変わる可能性がある場合——現行犯として確保する権限があります」


 ノルデンが動いた。鞄の方へ手を伸ばした。


 シリルが先に鞄を取った。


 立ち会いの女性が奥で息を飲んだ。


 ノルデンが静止した。手が宙に浮いたまま、下りなかった。


 その顔を見た。怒りではなかった。計算していた。今何をすれば何が変わるか、何をすれば何が変わらないか——その計算が、目の奥で動いていた。


「ヴィクトル・ノルデン監査官」シリルが言った。「王立魔法捜査局所管証拠への不正接触、および証拠隠滅未遂の疑いで、任意同行を求めます」


「証拠隠滅とは——」


「三年前、ベルナルド・クレイスへ令状を届けた夜の話を、まず聞かせてもらいます」


 ノルデンの口が閉じた。


 書庫の中が静かだった。紙をめくる音も、足音も、何もなくなった。高い窓から光が差していた。縦の光の中に埃が浮いていた。



 資料棟の地階に小さな取調べ室があった。石壁に窓なし、扉一枚、椅子が二脚と机が一つ。


 立ち会い職員の女性が外で待っていた。シリルが先に入り、ノルデンが続いた。


 扉が閉じた後、廊下で待った。立ち会い職員がこちらを見た。


「ルーファス・グレイが書庫に来たことを覚えていますか」


 女性が頷いた。緊張した顔だった。


「三ヶ月ほど前に、何度か。夜間申請を出して」


「何を調べていましたか」


「閲覧申請には書庫の区画まで書く欄があります。参照資料区画でした」女性が言った。「今日ノルデン様がいらした区画と、同じです」


 石の床を見た。同じ場所に、二人が来た。片方は証拠を探しに来た。もう片方はそれを消しに来た。


「閲覧申請書は残っていますか」


「はい。台帳に」


「封をしないでください。捜査令状が出次第、提出してもらいます」


 女性が頷いた。さきほどより素直だった。



 一時間後、シリルが取調べ室から出てきた。顔が少し疲れていた。疲れていたが、引き締まっていた。


「話しましたか」


「部分的に」シリルが言った。「三年前、令状を届けたのは認めました。副局長から直接指示を受けたと言っています。黒檻台帳の補助承認者欄への署名については、当時の申請に従った正規の手続きだったと言い張っています」


「言い張っている」


「証明できる書類が手元にないからです。書類が書庫にあった」


 鞄の中身を確認した。紙が五枚あった。三枚は台帳の写し、二枚は別の書類だった。シリルが一枚を取り出した。


「申請書の控えです。三年前のものです。ノルデンの署名があります。副局長室からの送付記録がない」


「独自に動いた記録ですか」


「少なくとも、副局長の指示だったという証明にはならない書類です」


 廊下が静かだった。立ち会い職員が奥の記録室に入って、台帳を取り出す気配があった。


「書庫に副本があるはずです」


「探します」シリルが言った。「ルーファスの閲覧申請書に記録されている区画の棚を全部当たります。今日中に」


「手伝えます」


「手伝ってください」



 参照資料区画に戻った。棚が七つ並んでいた。ルーファスの閲覧申請書に書かれていた棚番号は三番から五番だった。


 三番棚の前に立った。手袋を外した。シリルが少し離れた位置で棚を調べていた。


 棚の板に触れた。古い木の感触があった。何十年分もの、誰かの手の重なりがあった。ページをめくる習慣的な動作、書類を差し込む繰り返しの動き。それらは均質で、個別の感情を持っていなかった。


 四番棚に移った。


 手を置いた瞬間に、何かが変わった。


 棚の端の方——上から二段目——そこに最近誰かが触れた痕跡があった。注意深く、時間をかけて探した人間の感触だった。急いでいなかった。丁寧だった。確認するように、一枚ずつ確かめながら手を動かした記憶が、木の表面に薄く残っていた。


「シリル」


 振り返った。


「四番棚の上から二段目」


 シリルが来た。棚を調べた。書類が並んでいた。厚い封筒が数冊、そのうちの一つに、他より薄い紙の束が挟まっていた。


 シリルがそれを取り出した。


「黒檻台帳の副本」


 声が低かった。感情を外に出さないようにしている時の声だった。


 紙を開いた。手書きの文字が並んでいた。補助承認者欄に名前があった。ヴィクトル・ノルデン。その横に、別の筆跡で何かが書き込まれていた。確認済み、と書いてあった。そしてその横にもう一つ、小さな文字で、別の名前があった。


「ラインホルト・バルテリア」シリルが読んだ。「副局長の直筆です」


 副本の縁に指を添えた。紙から、さきほどとは別の感触が来た。


 静かな集中だった。発見した瞬間の、息が止まるような重さが残っていた。見つけた、という確信と——これを知ってしまったという恐れが一緒になっていた。それでも逃げなかった人間の、固い覚悟の感触だった。


 ルーファスが、この副本を開いた。ここに名前を見つけた。その重さが、紙の繊維に刻まれていた。


 深呼吸が、自然と出た。


 ページを繰った。別の項目にも書き込みがあった。数字と日付が並んでいた。三年前の日付だった。ベルナルドが申請を出した時期と、一致していた。


 シリルが書類を丁寧に封筒に戻した。


「保全します」


「今日中に令状が取れますか」


「取れます。判事への申請ルートは別にあります。ラインホルトが関与していると分かった今、副局長経由の書類審査は通しません」


 それは用意していた言葉ではなかった。今この場で判断したことだった。どこに頼めばラインホルトの影響が届かないか——シリルはそれを既に考えていた。どのルートが汚染されているかを把握しながら、届く経路だけを残して動いていた。



 資料棟を出た時、空が変わっていた。雲が厚くなって、光が均一に消えていた。午後の早い時間だった。


 外に馬車が止まっていた。局の紋章が入っていた。別の捜査官が二人、そこに立っていた。シリルが連絡を入れていたのだった。シリルが捜査官に状況を伝えた。短い言葉で、要点だけを渡した。鞄の中の書類と、地階でのノルデンの取調べ状況。捜査官二人が頷いて、棟の中に入った。


 石畳の上に立ったまま、資料棟の壁を見上げた。灰色の石が空に溶けていた。あの中に三年間、副本が残っていた。誰かが隠したのではなく、手が届かなかったから消せなかっただけだった。それが今日まで立っていた。


 シリルが横に来た。


「ラインホルトに連絡が届く前に動けますか」


「夕方までに、局の上位審査官へ報告書を出します。ラインホルトの管轄外の経路で」


「令状は今夜出ますか」


「早くて明朝です」


 明朝。ノルデンがどこかで情報を流す可能性があった。ラインホルトが動ける時間が、その間にある。


「急ぎすぎれば崩れますか」


「急いで崩れた令状は、意味がない」シリルが言った。「書類を揃えてから、一度で動く」


 それは正しかった。正しいと分かっていた。でも、今夜から明朝までの時間の重さが、胃の底にあった。


 風が来た。石畳を吹いた。棟の壁に当たって散った。


「あとは」


「ラインホルトを正面から追い詰める証拠を揃えることです」シリルが言った。「副本とノルデンの証言と、ルーファスの閲覧記録が揃えば——動けます」


「動けるとはどういう意味ですか」


「副局長の逮捕です」


 それを言葉として聞いた。聞いて、その重さを測った。王立魔法捜査局の副局長が、局の外部監査官を操って証拠を隠滅しようとした。三年前に二人の職員を施設に閉じ込めた。ルーファス・グレイが書庫で調べていた記録——その続きが、査察室の封鎖魔法だった。


 外の空気を吸った。石の匂いと、遠くの雨の気配が混じっていた。


「ノルデンはまだ何かを隠していますか」


「隠しています」シリルが言った。「ラインホルトとの間に、書面に残っていない約束事がある。それを吐かせるには、もう少し時間がかかります」


「吐かせられますか」


「ノルデンは令状を受け取った時から、逃げ道を測っている人間です」シリルが言った。「証拠が積み上がれば、どこかで計算が変わります。今は積み上げる段階です」


 踵を返したシリルの後を追った。局の本棟の方へ歩き始めた。石畳が続いた。資料棟が背後に遠ざかった。


 指先に、まだ紙の感触が残っていた。ルーファスの集中の記憶が、皮膚の下に薄く残っていた。三ヶ月前、この書庫で何かを見つけた人間の、後戻りできない覚悟の感触だった。


 その重さを受け取った以上、逃げるわけにはいかなかった。

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